43話 セタの想いと風の魔法剣
発動直前の魔法を流し込んだヒヒイロカネの両手杖を振りかぶり、ヤマトは防獣柵を飛び越えた。
ああ! ヤマトまで!――背後でパピリカの叫びが上がる。
柵の外には荒れ狂うグレイウルフの群れ。
牙の届く範囲に突然現れたヤマトに気付くなり、我先にと雪崩のように襲いかかってくる。
ヤマトは双極廻舞で研ぎ澄まされた五感に従い、襲いかかってくる物全てに両手杖を縦横無尽に叩きつけた。
左に袈裟懸け。
跳ね上げるように右へ。
勢いを殺さずそのまま背後を払う。
白緑に輝く両手杖がまばゆい弧を描き、触れる物全てを斬り飛ばしていく。
これは――!
ヤマトは驚きつつも狂喜した。
スーサの城壁で闘った時とは大違いだ。
あの時は両手杖で叩きつけるだけだったが、今回は一撃一撃が致命傷を与えていく。
右に一閃。
左に一閃。
白緑の閃光が、軌道上の凶暴な魔物を次々と切り裂いて無力化していく。
脇の下から背後にひと突き――隙を覗って背後から飛びかかろうとしたグレイウルフが串刺しにされ、くぐもった断末魔を上げる。
素早く体を捌いて、円を描くように前へ――輝く両手杖は何の抵抗もなく幾体もの魔物の躰を通過し、その軌跡に血霧と死を残していく。
僅かの間に、ヤマトの周囲には二十を超える屍が積み重なった。
立ち込める生臭い魔物の血の匂いと、辛くも致命傷から逃れたグレイウルフの悲鳴がますます周囲の群れの興奮を煽り、凶暴な魔物は一気にその狂乱の度を増していく。
それに真っ向から立ち向かい、舞い踊る修羅の如く両手杖を振るうヤマト。
瞬く間に周囲を蹂躙し尽くし、屍の山の中央に仁王立ちするヤマトに一時の静寂が訪れる。
両手杖の切れ味が徐々に落ちてきたのを感じていたヤマトは再びエアショットの魔法を込め直し、大きく息を吸いながらセタの姿を探して辺りを見渡した。
いた!
村人が畑として使っていた森に近い開けた場所で、青光りする一対の短刀を必死に振り回しているセタの姿がヤマトの目に入った。
次々と押し寄せるグレイウルフを相手に、まるで何かを守るように小さな体でがむしゃらに動き回っている。
「セタッ!」
ヤマトは即座に両手杖を大きく振り、咄嗟の判断でトルネードに切り替えた魔法をためらいなく放った。
ひと抱えもある螺旋の旋風が途中のグレイウルフを大きく巻き込みながら唸りを上げて一直線に突き進み、セタと森の間にいた数匹をもまとめて切り刻んでいく。
ヤマトは双極廻舞をさらに活性化させ、新たな魔法をヒヒイロカネの両手杖に込めながら、トルネードの螺旋で拓かれたひと筋の道を一気に走り抜けた。
「セタッ!」
唖然とした顔でトルネードを見送っていたセタが、駆け寄るヤマトを見るなり弾かれたようにその前に立ちはだかった。
大きく両手を広げ、荒い息で肩を上下させながら小さな体全身で叫ぶ。
「ヤマト兄ちゃん、来ちゃダメ!」
――え?
ヤマトは自分の耳を、そして目を疑った。
セタの向こうには、何もない空間。
地面には青々とした草が規則正しく並んでいる。
「パピリカおばちゃんの畑、踏まないで!!」
ヤマトの頭に遅ればせながら理解の火が灯った。
ここは以前、村の感じの悪い大人達からセタが体を張って守っていた畑。パピリカが耕しているという畑だった。あの時から芽が随分と成長していて見違える程だが、森との位置関係から見て間違いはない。
そして、グレイウルフの大群が村に迫ってくる今、そのパピリカの畑を守ろうとセタは再び独り奮闘していたのだ。
村に帰るなりパピリカから逃げるように隠れてしまったセタだったが、その本当の心情を垣間見たヤマトは大きく頷いた。
白緑に輝くヒヒイロカネの両手杖を無言で振りかざし、セタに向かったまま鋭く振り抜く。
迸る暴風の螺旋がセタの――両腕を広げたまま決然とした顔でヤマトだけを見詰めるセタの――脇を通過し、その背後から迫りくるグレイウルフを弾き飛ばした。
「セタ! 手伝うよ!」
駆け寄るヤマトの叫びに、へなへなと崩れ落ちそうになるセタ。
これまで一人でよほど気を張って奮戦していたのだろう、その幼い顔には疲労の影がくっきりと浮き出ている。それでもセタはぐっと足を踏ん張り、にっこりと笑って強い眼差しをヤマトに返した。
「うんっ! パピリカおばちゃんの大事にしてる畑だからね、絶対に守るよ!」
ヤマトは応援を得て勢いを取り戻したセタと対になって、雲霞の如く湧き出るグレイウルフを片っ端から撃退していった。
セタはスーサのギルドマスター、ナガテにもらったブルーワイバーンの双刀を電光石火のごとく振りまわし、自らの倍以上あるグレイウルフを手数で圧倒している。ツゲとの毎日の鍛錬が見事に実を結んだ形だ。
ヤマトはそんなセタの手に余りそうなグレイウルフに斬撃を放って無力化しつつ、両手杖から魔法を撃ち出して手の届かないところで畑に踏み入りそうな個体を屠っていく。
両手杖から放つ魔法はエアショット。水平に広がる空気の刃を、青々と育っている芽の上を掠めるように飛ばしていく。たとえグレイウルフが畑の反対側にいようが、凄まじいまでの速度と切れ味から逃れる術はない。
そうやって二人が奮戦していると、疎らになったグレイウルフを縫うようにして村の入り口の方からツゲが駆け寄ってきた。
「ヤマト、ここにいたかっ! 村の中に姿が見えないからーーうお! 危ね!!」
ヤマトが最後に放ったエアショットの末勢を辛うじて躱し、ツゲは大袈裟に手を振ってヤマトに合図を送った。
「おおーい! セタも一緒だったのか! 迎えに来たぞー」
「ダメ!」
ツゲに気付いたセタが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「それ以上、踏んじゃダメ!」
一瞬唖然としたツゲだったが、周りを見渡し、状況を理解したのかぐるりと遠回りして近付いてきた。
「悪かったな、嬢ちゃん……よっと」
喋りながらも両刃の大剣を振って傍らのグレイウルフを切り捨てる。
「二人とも大丈夫だったか……ほいさっと」
「ほんに騒がしい男じゃのう」
忙しく剣を振るツゲの後ろから、漆黒の霊狐、イヅナが涼しい顔をしてするりと顔を覗かせた。
「そなたら、怪我はないかえ?」
大丈夫……。セタが荒い息の中から、さっきの剣幕とはうって変わって小さい声の返事を絞り出した。
小さい体だ。体力の限界に近いのだろう。
その様子を見たツゲが、いつになく真剣な顔になってヤマトの隣に並び立った。
「向こうは大猪の旦那衆とイメラとユウスゲ達が抑えてる。たいぶ先も見えてきたし、嬢ちゃん、ここは任しとけ」
背中越しにそう言い残し、ツゲは鬼気迫る勢いでグレイウルフを屠り出した。
ヤマトも負けじと両手杖に魔法を込め直し、白緑の光の軌跡を無数に描きながら追従していく。
「ふう、こんなもんかな」
周囲をあらかた殲滅し、動くものが少なくなったところでツゲがヤマトに振り返った。
つかつかと歩み寄り、にんまりと笑ってヤマトの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「おいおい、すっげーじゃんかヤマト! 今使ってたのはまさしく魔法剣になってたぞ――それも風の魔法剣ってやつだ!」
中腰になり、ヤマトの目を正面から覗き込みながらツゲは興奮気味に言葉を続ける。
「もう何百年も失われちまってた、古のマレビトの技だぜ? こないだデスアントの女王に使った時はまだ不安定に見えたけど、いつの間にそこまで完璧に使えるようになったんだ? 失われた技をお前さんが使えるってことにどんな意味があるのかなんて俺には分からないけどよ、うひょーって感じだよ。自信持っていいぞ。胸張っていいぞ。いやマジですっげーわ」
肩を掴んで熱く語るツゲに若干の戸惑いを感じるヤマトだったが、自らの両手杖に視線を下として「風の魔法剣?」と小さく呟いてみた。
風の魔法剣……今、自分が使っていた技。
失われた云々はよく分からないが、そのお陰でセタを守り、パピリカの畑を守れた。
ならば、自信を持って使っていけばよいのではないだろうか。これがあれば何かを成し遂げることが出来る気がする。何かが何かは分からないけれど――。
「……うん」
ヤマトは顔を上げ、まっすぐにツゲの目を見てニコリと笑った。
「おう! その顔だ。いい顔してるぜ」
ツゲはもう一度ヤマトの頭をくしゃくしゃと撫で、
「それと嬢ちゃん、畑はもう大丈――」
「静かに!」
イヅナが唐突に割り込んできた。ふさふさとした尾がぴんと伸び、背中の毛を逆立たせて低い唸り声を上げている。
「……群れの真の主が、ようやく来たようじゃ」
ヤマトとツゲは弾かれたように離れ、霊狐が睨み付ける先に向けて各々の武器を素早く構えた。
イヅナの言うとおり、魔物たちの憎しみに満ちた気配、それを固く濃縮したような禍々しい気配が森の中を迫ってきている。
「……そこな娘は手を出してはいかんぞ?」
イヅナが視線をぴくりとも動かさず、低い声でセタに告げた。
イヅナの脇で地面にへたり込んだまま、こくりと頷くセタ。
当初は村の入り口へ向かっているかに見えた邪悪な気配は、いつの間にか進路を変え、まっすぐにこちらへ向かってくる。
ぎりり、と、ツゲが鈍色の光沢を放つ大剣の柄をきつく握りしめ。
ヤマトの持つ、エアショットの魔法を込め直されたヒヒイロカネの両手杖が、ぶおおん、と低い共鳴音を放ち。
漆黒の霊狐、イヅナが唸りながら上体を低く引き絞り。
三者が見詰める森の奥から、グレイウルフの大軍勢の支配者がその禍々しい姿を現した。




