42話 突撃
「ルノ!」
「パピリカおばさん!」
ふもとの村に辿りついた一行は懐かしい人に迎えられていた。弓を装備した厳戒態勢の村人たちを押しのけ、パピリカがその恰幅の良い体に似合わぬ俊敏さで駆け寄ってきたのだ。旅立ってから十日も経たぬ帰郷だったが、その瞳にはうっすら涙さえ浮かんでいる。
「ルノあんた、あれから目は大丈夫なのかい? おやおや少し日に焼けちゃって……まあ! 随分と立派な服を着てるじゃないか! ああ、ヤマトもよく帰って来たよ、おかえり」
「おばさん、く、苦しい……」
パピリカはそのふくよかな胸にヤマトも抱き締め、遅れて追いついてきた村人たちをちらりと見遣った。
「……あの子も無事に帰ってきたようだね。あとでみっちりお説教してやらなきゃ」
その視線の先にはセタの背中。
パピリカの顔を見るなり村人たちの陰に隠れるようにそそくさと逃げ出していたのだった。
村人たちは魔物来襲直前で現れたマレビトに沸き立ち、ブータローが曳いてきた荷車ごとツゲを取り囲んで口々に話しかけている。
「よく来てくれた! 今朝から森の気配がおかしいんだ」
「来るまでに灰色狼に襲われなかったか? いつの間にか村の周りを取り囲んでいやがるんだよ」
「奴ら絶対にこの村を襲ってくるつもりだ。なあこないだみたいに一緒に戦ってくれるんだろ? このとおりだ、頼むよ!」
「おいイメラじゃないか! あんた雷光のイメラだろ! うおお――」
「みんな聞いてくれ!」
ツゲが声を張り上げた。途端に静まる村人たちの上に朗々とツゲの声が響き渡る。
「灰色狼が村を囲んでいるのは知ってる――さっきひと群れ、潰してきた。きっともうじき一斉に襲ってくるぞ! みんな、準備は出来てるかッ?」
当たり前だ! 返り討ちにしてやる!
ここの村人はみなコシの民、戦いの民だ。ツゲの問いかけに村人たちは各々手にした武器を天に突き上げ、一斉に気炎を吐いた。
「俺たちももちろん一緒に戦う! この村のみんなと俺たちマレビトは仲間だ! あとで俺たちの町スーサの代表から正式な提案があるが――」
ツゲが唐突に腕を振ってツバキを指し示した。
荷車に積まれた荷物を点検していたツバキは驚いて顔を上げたが、すぐに背筋を伸ばし堂々と村人たちの前に歩み出た。スーサの町長、オウレンから重要な交渉を任されるだけあって状況判断は早く、演技力も充分に持っている。凛と顔を上げ、威ありて猛からず、聴衆の視線を一身に浴びても物怖じせずに口を開いた。
「スーサの町長、オウレン様の代理で来たツバキです。私は"鋼の都"スーサを代表してこれを伝えに来ました――私たちマレビトはこれからずっと皆さんの味方であると! あなたたちコシの戦士と我々マレビトが組めば怖いものはありません! まずは今、力を合わせ村に迫る魔物を追い払いましょう!!」
うら若いマレビトの乙女の自信に満ちた力強い宣言。
どよめく村人たちを手で制し、ツゲが滑らかに後を引き取った。
「――そういうことでな、ここには手練れの自由民が揃っている。雷光のイメラは知ってるな? その他にもユウスゲ、キスゲ、こいつらみんな一流だ。それにあんたらコシの戦士が一緒に戦うんだ。そうだ、魔物なんかには負けねえ! そうだろ!」
応!!!
一斉に吼える村人たち。
士気は上々、おまけに交渉の下地も作ってやったぞ――ツゲが悪戯っ子のようニヤリとツバキに笑いかけた。
「魔物が来るぞーーッ!」
沸き立つ広場でヤマト達がブータローの荷車から荷を手早く降ろしていると、村の防獣柵の向こうから血まみれの男がもの凄い勢いで駆け込んできた。
ヤマトはその男を知っていた。村でも有数の狩人、エムシだ。どうやら志願して早朝から魔物の偵察に行っていたらしい。
「灰色狼の群れ! 数えきれないぐらいだ! 森の中にでっかい魔力溜まりができてた!」
「魔力溜まり!?」
「魔力溜まりだと!!」
村人たちが口々に問い返す。
「魔力溜まりは、強力な魔物を生み出す瘴気の集まりみたいなものだ」
ヤマトがそばにいたイメラと視線を合わせると、イメラが険しい顔で教えてくれた。
「そこから生まれた魔物は、動物が普通に魔物化したものより数段強いという。やっかいなことになった」
「奴らはもう森から出てくるぞ! ボケッとしてんじゃねえ!」
偵察から生還したエムシが血相を変えて叫んだ。
はっと我に返った村の戦士たちがもの凄い形相で持ち場に戻っていく。ヤマトもツゲやイメラ、他のマレビト達と一緒に村の門まで走る。
そして目にしたのは、森の中の小さな村を覆い尽くさんばかりのグレイウルフの大群。
木々の中から次々に灰色の悪魔がせり出してきている。
その奥、森の彼方からも地響きを立てて何者かが急速に接近しているようだ。
「そんな……嘘、だろ……」
村の誰かが呟いた。
百名程の村の総人口、その十倍は軽くいるのではないだろうか。
ガチャン。誰かが武器を落とした音が、凍りついた空気を破って辺りに染み渡った。
森の彼方の地響きは、どんどん距離を縮めてきている。
そして、にわかに背後を振り返る無数のグレイウルフたち。
僅かに困惑したような様子が徐々に威嚇の唸り声に変わり、それが混乱へと変わっていく。
森の奥、スーサへ続く街道の彼方から魔物の断末魔が断続的に聞こえてきて――
ヤマトはようやく地響きの正体に気付いた。双極廻舞による生命感知で感じる、この巨大な光は――
「イヅナ様!」
ルノが喘いだ。
灰色の獰猛な魔獣で埋め尽くされた街道を、漆黒の霊獣が鏃のごとく一直線に突っ込んでくる。
その後ろに続く、塵芥のように狼を弾き飛ばす緋色の大猪たち。
凶暴なグレイウルフを歯牙にもかけず。
当然のように群れの中央を一気に突破して。
漆黒の霊狐イヅナと、北の山々の土地神衆が村の入り口に現れたのだった。
「待たせたのう」
唖然として固まる一同の前で、イヅナが飄々とツゲに話しかけた。
「黒狼は息の根を止めてきたがの、群れは止まる気配がない。どうやら他に頭がおるやもしれぬな」
イヅナの背後では、蹴散らされたグレイウルフの群れが涎を引く牙を?き出しにし、盛大に唸り声を上げている。戦意を喪失して逃げる様子は全くないが、イヅナ達を警戒してか村に突っ込んでくる様子もない。
「ま、まさか……七曜姫さま……」
村人が一斉に土下座を始めた。コシの民にとって漆黒の霊狐は狩人の守り神、戦いと癒しの神といってもいい。時折気まぐれのように現れてはその霊力で怪我をした狩人を癒し、また過去には精霊の巫女に力を分け与えるなど、代々受けた恩恵は計り知れない。数ある八百万の神々の中でもひときわ敬うべき存在なのだ。
「そんな真似はよせと言うに……」
イヅナはフンと鼻を鳴らし、寄り添うように固まるヤマトとルノを見遣った。
「ほれ、そこな者が怪我をしておろう。妾がするまでもない、そなたらで癒してやるのじゃ。できるであろ?」
「は、はい……」
ルノが飲まれたようにこくりと頷き、ヤマトの顔を覗いつつも荒い息をつくエムシに歩み寄った。
森の中、危険を冒して偵察を成し遂げたエムシの傷は深い。ヤマトがこれまで見た怪我人の中でも文句なしで上位に入る重傷だ。
ルノが澄んだ空色の瞳でヤマトを見詰めてきた。憐憫に満ちた眼差しの奥で燃える、熱い使命感がヤマトにも伝わってくる。
「……出来る?」
ヤマトの問いに小さく頷いて、決然とした顔でエムシの脇に膝をつくルノ。
ヤマトはその後ろから両肩にそっと手を乗せ、スーサのギルドでやったようにルノに霊力を注ぎ込んでいった。
背後では、唐突にグレイウルフとの戦いの火蓋が切って落とされたようだった。
イヅナと大猪たちがツゲら自由民と共に前面に出、猛るグレイウルフを蹴散らしている。
ルノを除く女性陣は、弓を射る村人たちと一緒に防獣柵の中からの援護に徹しているようだ。
焦るヤマトはぎゅっと目を瞑り、早く確実に治療を終わらせようと自らの霊力に深く集中していった。遠くで怒声と獣声が混じり合い、土埃の匂いと共にヤマトの周りを流れていく。
集中してみると、双極廻舞の練習で鍛えられたヤマトの霊力は以前にも増してしなやかで繊細になっていた。
これなら――。ヤマトはルノに流す霊力を練り、圧縮して強化したものに少しずつ変えていった。
閉ざした目蓋越しでも、ルノが白く神々しい輝きを放ち出したのが分かる。
やがてひと際強く輝いて――光が消え、安心したようにルノの肩から力が抜けた。
「な、治った……」
目を開けると、エムシが信じられないという顔で血まみれの自分の体をペタペタと触っていた。ルノは大きな力を使った反動でがっくりとしゃがみ込んでいる。
大丈夫?――ヤマトの視線にルノはにっこりと微笑んだ。
「こないだよりも慣れてきたみたいです。それよりヤマトさん……」
ルノの視線の先にあるのは、騒音に包まれる戦場。
ヤマトは慌てて立ち上がった。
双極廻舞を全開で展開し、身体能力を飛躍的に向上させる。うなじの毛がビリビリと逆立ち、極限まで研ぎ澄まされていく五感。
よしッ!
矢のように走り出しながら、ヤマトはヒヒイロカネの両手杖を手に持って魔法を流し込んだ。
ブウン。低い唸りと共に輝き始める両手杖を振りかぶり、ヤマトは一足飛びに戦場へと――。
――その時、半狂乱で叫ぶパピリカの声がヤマトの意識を捉えた。
切迫したその響きが瞬間的にヤマトに嫌な確信を抱かせ、次いで叫びの内容が言葉となって耳に入ってきた。
「誰か! あの子が――セタが、柵を越えてッ! 誰か、誰か助けてやって!!」
ガツンと殴られたような衝撃がヤマトを襲った。パピリカが手を伸ばす先には、無数のグレイウルフが牙を剥いて荒れ狂っている。
なんで――いや、理由なんていいッ! 今行く! 待っててセタッ!!
ヤマトは強引に地面を蹴って方向転換をし、セタの姿を求めて魔物の海へ突っ込んでいった。




