40話 悪しき気配と複合魔法
「イヅナ様、今更ですが、あの方たちは……?」
小走りで大猪たちを追いかけながらルノが問いかけた。
「奴らは山守衆、北の山々を治める付喪の一族よ。妾と縁があってのう、時折一緒に行動しておるのじゃが……」
ゆっくりと歩いているようだが何故か周囲と速度が変わらない漆黒の霊狐。振り返ってルノを見上げるように鼻を鳴らした。
「戦いに目がなくての、妾の傍に居れば退屈しないと申して、ほんに失礼なことよ。じゃがその力は侮れぬぞよ。妾も正面に立つのは遠慮したいものじゃ――」
「――追いついた」
低く抑えた声で雑談を割り、先頭を走っていたイメラが腕で木立の先を示した。
木立の奥には濛々と土煙が立っており、やがて豪快な破壊の跡が目に入ってきた。若木はなぎ倒され、地面には無残なグレイウルフの残骸が転がっている。その中心には、満足そうに互いを舐め、毛づくろいをする大猪たち。
「ははは、遅かったな」
ひと際大きい大猪が笑い声をあげた。
「我らの突進の前にはひとたまりもない、つまらん奴らだったわ」
彼らの周りには頭や足があり得ない方向にひしゃげ、不可抗力ともいえそうな力で蹂躙されたグレイウルフの骸が散在していた。どのような襲撃を受けたのか、木の梢に逆さまに引っかかって絶命しているものもある。
「……こりゃすげーな、はは」
あまりの惨状にツゲが乾いた笑いをこぼした。ユウスゲとキスゲも信じられないような眼差しで周囲を見渡している。
「この群れから一匹も逃してないから安心しろ。ちょっとばかり音は立ててしまったがな」
愉快そうに喉の奥で笑い声を転がす大猪。
「おい、ツゲとやら、お主の使い魔を出せ。お陰で思うままに突っ込めなかったぞ」
満足そうな山守衆の輪から外れ、背中に荷物やら荷車やらをくくりつけられている数頭が恨めしそうに鼻を鳴らしてきた。初めの移動の際、速度を上げる為にブータローが曳いていた物資を分けて背負ってもらっていた大猪たちだ。どうやら背中の荷物を気にして、他の仲間たちと一緒の戦闘には加われなかった様子。
「……ああ、悪かったな。てか、みんなまとめて急に行っちまうからよ。せめてちょっと待ってくれれば」
「何を言うか。先頭が突撃すれば即座に後ろも続く、世の習いではないか」
「おおう、こいつらひょっとしてもの凄い脳筋……」
ツゲは額に手を当てて頭を振りつつ、小声で詠唱をしてブータローを呼び出した。ナギやツバキの手を借りて荷物を荷車に戻しつつ、なぎ倒された木立の奥でその先の様子を探っていたイメラと狐の精霊、イヅナに声をかける。
「他はどうなってる?」
「いくつかの群れに分かれ、村を囲むように散らばっているようだな。こちらには気づいていない。フェンリルは向こうに移動していったようだ」
「それと、黒狼の他に妙なのが混じっておるようじゃの」
「妙なの?」
「そう、黒狼を脇に従えているような雰囲気での。ただの魔物ではない、歪な気配を感じるわ」
低い姿勢で尻尾をピンと伸ばし、これまでにない重い口調で告げる霊狐。イメラは眉間に深い皺を寄せており、ツゲは背中に冷たいものが走ったかのように背筋を伸ばした。
「のう、こやつは妾たちに任せてもらってもよいかの? この気配、どうも嫌な予感がするのじゃ。背中がぞわぞわして、まるで月夜の晩に――」
「あの……この先から嫌な感じがするんだけど……」
「おわっ!」
背後から急に口を出したヤマトに、大袈裟にのけぞるツゲ。
「ちょ、脅かすなって。てか、ヤマトにも分かるのか?」
「私も、うっすらと感じます」
ヤマトの隣からルノも口を出した。端麗な顔が少し青ざめ、両手を交差させて我が身を守るように抱き締めている。
「ここに来てから何か、とてつもなく邪な気配が、向こうの方から……」
「ほう、そなたらも分かるか。ここまで同じ印象を与えるとなると……これはもしかすると……『異形なる者ども』、かもしれぬな」
「異形なる者ども?」
異口同音に聞き返すヤマトとルノ、そしてツゲ。数百年を生きてきた狐の精霊、イヅナが背中の毛を僅かに膨らませながらゆっくりとそれに答えた。
「そう、魔物と同時に現れたという、魔物を統べる存在。我ら八百万の理に真っ向から反する、邪悪と破壊のかたまりじゃ。妾が生まれる前に全て滅せられたと聞いておったが、まさか、の」
イヅナの口調が一同に重苦しい沈黙を落とす。すぐ背後から聞こえる、山守衆がユウスゲ達へ先ほどの蹂躙を自慢げに語らっている声が、妙に虚ろに一同の耳に流れた。
「七曜姫さまの力を以てしても……?」
沈黙を破り、イメラが岩のように厳しく口元を引き締めたまま静かに尋ねた。
「分からぬ。まあ、油断をしなければ大丈夫じゃろ。それに、違うかもしれぬし。異形なる者どものことは妾も話に聞いておるだけじゃ。念のために妾と山守衆で動いておけば――」
ちらりと背後の喧騒を振り返り、にこりと口の端をつり上げるイヅナ。
「――ちいと能天気な衆だが、あれでも精霊に近い付喪よ。妾の助けには充分なる。群れを操る頭を黒狼もろとも潰し、その後も存分に暴れてこよう。そなた達はまっすぐ村へと入り、村に近付くあぶれた魔物どもを掃討しておけばよい」
それから一行はイヅナらと別れ、村を目指して真っ直ぐに駆けて行った。
まだ村に対する一斉攻撃は始まっていない。始まっていないが、包囲網はじわじわと縮まってきているようだ。
一行は林を抜け、道中遠目に見え隠れしたいくつものグレイウルフの群れを置き去りにして一目散に走って行く。
「いいか、とにかく俺たちは村を守るんだ。あの狐さんたちが上手くやってくれれば、俺たちの相手はグレイウルフだけ、村に入って守りに徹すればどうってことない相手だ」
ツゲが振り返りつつ激を飛ばす。まだ攻撃は始まっていないとはいえ、目に入る予想以上の魔物の数に、焦りが皆の背中をぐいぐいと押している。草原の向こう側の木立からグレイウルフが数匹、後ろから押し出されるように姿を見せ始めた。
「足を緩めるな! 村はすぐ先だ! 急げ、気合を入れて走るぞ!」
おう! 一斉に声を上げ、足を速める男性陣。
「村の人たちが襲撃に気付いていればいいんですが……」
ルノがヤマトに追いすがり、耳元に囁いた。
「パピリカおばちゃん、大丈夫だよねっ!」
セタは少し涙目で、必死に足を動かしている。ヤマトは二人を勇気づけるように頷き、反射的に後ろを振り返った。
後ろには口の端に白い泡を溜めながらも力強く荷車を曳いて駆けるブータロー、そしてナミとアオイ、ツバキが最後尾を走っている。
その背後には先ほど抜けてきた林。不気味なほど暗く、奥がほとんど見えな――。
「来たッ! 後ろ!」
ヤマトは思わず叫び声を上げた。背後の木々の隙間という隙間から、大量のグレイウルフが次々と姿を現してきていた。みるみるうちに幾つもの群れとなり、こちらを認めると凶暴な獣声をまき散らしながら追尾してくる。
「ええい……行くよ!」
ヤマトが走りながら両手杖を振りかぶり、最大の魔法、トルネードをまとわせて一閃した。
暴風の螺旋が唸りを上げてグレイウルフへと殺到し、群れの真ん中を刈り飛ばす。
まだまだ……。それだけでは足りないとばかりに、ヤマトは二度、三度と続けて暴風を放つ。盛大に吹き飛ばされ、大混乱に陥って速度を緩めるグレイウルフの大群。
「ナイスだ、ヤマト! って、うお!」
ツゲが振り向いた瞬間、大混乱に陥ったグレイウルフの集団の更に後方、林の奥の方で巨大な光が膨らみ、同時に強烈な爆発音が一同の鼓膜を揺るがせた。
「ありゃあイヅナ達もおっ始めたみたいだぞ! これはチャンスだ、ユウスゲ、キスゲ、ヤマト――それとナミ! 一緒に殿をしながら敵を減らすぞ! その他は一気に村まで走って安全を確保しろ! イメラ、頼んだ!」
ツゲの号令に各々が一斉に返事をし、そのまま二手に分かれる一行。
「え、わ、私?」
ヤマトと一緒に殿に振り分けられたナミが、どうして自分が、とわたわたしている。ソヨゴの元で兄のナギと共に自由民として活動を始めてはいるものの、まだまだ駆け出しで魔物の討伐経験も数えるほどしかない。今回の旅ではツゲやイメラ、ユウスゲ、キスゲといったギルドでも有名な錚々たる顔ぶれが眩しすぎて、委縮して脇で大人しくしていることが多かった。
しかしここにきて急に声がかかった。振り返れば草原を覆わんとしている大量のグレイウルフ、混乱に陥って右往左往してはいるが、どう考えてもあの数相手に自分が戦えるとは思えない。
「よし、じゃ、一人一発、デカいの頼むぜ!」
ツゲがその場に残った面々に声を掛けた。
若くとも経験豊富なユウスゲとキスゲは即座に魔力を練り始め、周囲の空気がガクンと冷たくなる。ツゲの言う殿とは、こうして魔法で数を削りつつ後退していくのだろう。
「嬢ちゃん、魔法は得意だろ? ソヨゴが褒めてたぞ。落ち着いてぶちかましてやってくれ」
わたわたするナミの背中を、ツゲが優しく叩いた。
「え、あ、えっと……」
「大丈夫……敵が来たら守ってあげる……安心して」
なんとなく状況を理解したヤマトが更にニコリと微笑むと、ナミは柔らかそうな頬を真っ赤にしつつも大きく頷いた。
「うわちゃあ、ヤマト、お前さんってば――」
「――行けえッ!」
そんなナミ達の脇で、ユウスゲとキスゲが同時に魔法を放った。それは、双子であるユウスゲとキスゲのオリジナル共同魔法。何百という半透明の氷の矢がきらめきを残して一斉に空へ飛び立ち――山なりの優雅な弧を描いて――グレイウルフの群れに無慈悲に襲いかかった。信じられない数のグレイウルフがバタバタとなぎ倒され、悲鳴のような咆哮が湧き起る。
「うん、こうなったら私も――」
先輩の強烈な魔法で度胸がついたのか、ナミが小柄な身体に力を入れ、目を閉じて集中を始めた。周囲の魔力がぞわり、ぞわりとナミに集まっていく。
……ナミは魔法の才能がある、兄妹のナギがそう自信ありげに言っていたっけ――ヤマトは思わずその様子に目を見開いた。
膨れ上がる魔力が、ナミの前方、肩の高さで灼熱の炎となって球を形成していく――
「――ッ!」
言葉にならない叫びと共にナミがその切れ長の目を見開き、通常の倍以上、ひと抱えにも成長した炎球が回転しながら一直線に飛んでいく。向かう先は混乱真っ最中のグレイウルフの群れ。先程の氷の矢と比べるとひどくゆっくりに見えるそれはしかし、たぎる熱気と共に尋常ではない威圧感を周囲にまき散らしていく。
……は! 僕も魔法を!
ヤマトが我に返り、咄嗟にトルネードの魔法を三発、続けざまに放った。
え、連発?――ナミが小さく驚きの声を上げる中、ヤマトが放ったトルネードは凶悪な三連の竜巻となり、僅かに蛇行しながらもナミの特大ファイヤーボールの後を猛烈な速度で追っていく。
まず、特大のファイヤーボールがグレイウルフの群れのど真ん中に着弾した。
巻き起こる大きな爆発。火達磨となった何匹ものグレイウルフが空を弾き飛んでいく。
そしてそこに、怒れる大蛇のような、凶悪な三連の竜巻が襲いかかる。
グレイウルフを巻き込み、引き剥がした地面を巻き込み、爆発の余韻の炎すら巻き込んで激しく身をよじる三つの竜巻。やがて三つは混じり合い、ひとつへ合わさって、紅蓮の体を持つ巨大な火炎旋風へと成長していく。
「……ちょ、なんだこれ」
呆然とツゲが呟いた。
最後、やってしまった感が半端ないのですが。
ツゲの呟きは作者の心境でもあったりして。
……後悔はしていません、たぶん。




