38話 やんごとなき存在たち
――迎えに来たぞ、精霊の森の新たなる主よ。
そう告げて真っ直ぐにヤマトの目を覗き込む双尾の白虎。その言葉に息を呑んだのはツバキかアオイか。精霊の森、聞き覚えのあるフレーズにヤマトはぴくりと反応したが、尋常でない威圧感に気圧され、身じろぎすらできない。イメラとルノだけは恭しく首を垂れているが、他の面々は突然現れたあからさまに強大な存在にど肝を抜かれている。
――ほう、いつぞやのヒト族も一緒か。ツゲと云ったか、白龍が感謝しておったぞ。
「え、あ、ああ。……その節はどうも」
ツゲが顔を僅かに引き攣らせ、頭を下げ続けているイメラが上目遣いでツゲにチラリと疑問の眼差しを向ける。
「お、おう。昔ちょっと世話になってな」
――ふむ。確かに我が友、千年樹の力を身に宿しておるようだな。
ツゲたちのやり取りを気にも留めず、双尾の白虎は再びヤマトを見据えて念話を響かせた。
――我が名はオキクルミ、この地の秩序を守る者。千年樹から仔細は聞いておる。マレビトの仔、ヤマトよ。そなたを迎えに来た。精霊たちも煩くて敵わんしな。
「え……えと……千年樹様の知り合い? 精霊たち? それで、迎えに……?」
ヤマトの頭の中は疑問で一杯で、オキクルミと名乗ってくれた存在と会話を続けることができない。それを敏感に感じとったのか、オキクルミは少し困惑したように念話を継いだ。
――ヤマトよ、千年樹から何も聞いてはおらぬのか? あやつらしいといえばあやつらしいが……そうだな……ふむ。風の子どもたちよ、出てまいれ。
すると、ヤマトの胸から光るかたまりが三つ、ふわふわと漂い出てきた。ヤマトはそれに覚えがあった。てっきり夢だとばかり思っていた、昨夜の不思議な光るかたまりである。その光るかたまりはヤマトの前でくるりとひと回りし、そしてオキクルミに近づいて行った。
「こんにちは、オキクルミさま」
「ボクたち、ヤマトさまの中であったまってたんだ」
「せんねんじゅさまかとおもってたら、ヤマトさまだったんだよ。おかしいね、くすくす」
「ヤマトさまもせんねんじゅさまとおなじ、あったかくてきもちいい」
「それになんだかちからがわいてくる、ふしぎなかんじ」
「くすくす、ほんとにふしぎ」
光るかたまりはオキクルミの周りをくるくる回りながら、草花が揺れるような可愛らしい声で賑やかに話し始めた。その声は儚くも楽しげで、ヤマトは理解が追いついていないながらもつられて微笑んだ。ツゲを始めとしたマレビト一行はその光るかたまりが見えていないのか訝しげな表情だが、ルノとセタ、イメラはポカンと口を開けている。オキクルミは何とも優しい眼差しでそれら光るかたまりをそれぞれ鼻先でつつき、やがてヤマトに視線を戻した。
――この子たちは風の子供たち、生まれたての精霊だ。世の万物は年経るについて周囲の霊力を吸収し、神性を増して、やがて知性と力を得る――千年樹や我、そしてこの子たちのようにな。我のように元が自我を持つ動物と違い、無垢なるものがこうして知性を持つのはなかなかに稀有なことなのだが……しかしヤマト、お主はやはり無垢なる精霊に好かれている様子……血は争えぬものよのう。
感慨深そうにヤマトを眺めるオキクルミ。
――で、だ。ここから北に離れた地に、この子たちと同じ、多くの精霊が集う森がある。その森に漂う霊力は一際強く、今の殆どの若い精霊たちはそこで生まれたと云っても過言ではない。ヤマトよ、お主はその森を継ぐ資格がある。いや、義務というべきか。細かいことは追々話すが、ともかく、我と一緒に一度来てはくれぬか?
「え……? いや、でも……」
ヤマトは口ごもり、ちらりと皆に視線を巡らせた。
ルノとセタは何故か畏怖の眼差しでヤマトを見詰めていて、ユウスゲとキスゲ、そしてナギは緊張に身を固めたまま圧倒的強者であるオキクルミの一挙一動を凝視している。ナミはアオイとツバキの背後に隠れるように顔だけ覗かせており、三人共に話の内容云々どころか怯えの色を隠しきれていない。
イメラと目が合うと、イメラは問題ないとばかりに力強く頷いてきた。彼にとってはオキクルミは崇めるべき偉大な存在であり、その言葉は絶対なのだ。
「あー、ちょっと言い辛いんだけど」
答えを出しきれないヤマトをフォローするように、苦り切った顔をしたツゲが一歩前に進み出た。
「えーと、俺たち、この先の村を襲ったゴブリン――いや、悪鬼って言った方が通じるか――まあとにかくその群れを殲滅しようと、奴らの巣を探しに行くところなんだけどさ……」
口調は丁寧ではあるが普段と変わらぬツゲの物言いに、イメラが小さく眉をしかめた。ツゲらしいといえばツゲらしいものの、今は相手が相手だ。が、ツゲはお構いなしに言葉を続けていく。
「これ、スーサの町からの正式な依頼でさ、ヤマトの自由民としての初仕事な訳よ。きちんと達成させてやりたいし、戦い方を含めて色々と教えたいこともあったりで、出来ればひと段落するまで待ってほしいなー、なんて」
そう言ってツゲは言葉を切ったが、オキクルミは何かを思案するように何の返答も返さない。初めて知るツゲの心の裡にヤマトは驚くと同時に、これまでのことを思い返して納得もした。感謝の気持ちは当然あるものの、この場は結果として圧倒的強者の意向に逆らう形になっており、周囲は痛いぐらいの沈黙に包まれている。ヤマトの手のひらに嫌な汗が滲んできた頃、ようやくオキクルミが念話を返してきた。
――ふふふ、お主は変わらぬのう。
のしかかるような威圧感が緩み、オキクルミはグルグルと愉快そうに喉を鳴らす。
――言いたい事は判った。筋も通っておる。うむ、約束は守らなければならぬし、お主がそうしてヤマトを育てようとしている事自体、我らにとっても歓迎すべきこと。それにコシの村の加勢に行く途中とな。ならば急いだ方が良い。このところ魔物どもが群れをなして妙な動きをしておる。悪しき存在の気配も見え隠れしておるし……千年樹が眠りに就いたのをいいことに、奴ら好き放題始めだしたかもしれぬ。ならば、ここは少しばかり助力するのが筋というものだろう。イヅナ!
オキクルミが振り返ると、一陣の風と共に、そこに尋常ならざる獣の一団が現れた。全身が烏の濡れ羽色をした狐を筆頭に、緋色の剛毛に覆われた大猪が十頭ほど。いずれもただならぬ気配をまとっている。
イ、イヅナ様?――ヤマトの背後でルノが小さく驚きの声を上げた。
「呼んだかえ? 全く人使いが荒いことよ。――おや? ほうほう」
先頭の漆黒の狐がオキクルミに向けて流暢な人声を発し、それに驚く一同の中からピタリとヤマトにその金色の瞳を止めた。
「ほうほうオキクルミよ、そなたもようやく重い腰を上げたようじゃのう。もっと早く動いてあげればよかったのにのう」
漆黒の狐が艶のある女の声でオキクルミを揶揄するように言う。
――何を言うか。イヅナ、お主と違い我は暇ではないのだ。他人の頼みばかり聞いている訳にはいかぬ。
「うふふ、素直じゃないことじゃ。……おや、そなたクシナダの血筋かえ?」
オキクルミを鼻であしらいながら、漆黒の狐はヤマトの背後で固まるルノにするすると歩み寄った。先ほど驚きの声を上げたルノはそのままの表情でぎこちなく頭を下げた。
「妾はイヅナじゃ。昔、深野に請われて力を分けてやった時期があったが――かの娘はなかなかに見どころがあった故に」
かつてスーサの町のギルドマスター、ナガテの傷を癒した精霊の巫女、深野。ルノの曾祖母にあたり、スーサの町では未だにその名が語り継がれている存在だが、もう数十年も前の話で今ではその名が滅多に人の口に昇ることはない。が、唐突にその深野の名前が出され、しかもこのイヅナと名乗る漆黒の狐と縁があったという。一同は一斉にルノを見るが、ルノの表情は驚愕こそあるものの真剣そのもの。その空色の瞳は大きな緊張と共にまっすぐイヅナに向けられている。
「わ、私は……その深野のひ孫にあたる、ルノと申します。曾祖母よりお話は伝わっております。深野が仕えた大精霊、イヅナ様に我らが一族、とこしえに感謝を忘れることはありません――」
「そんなことは良いのじゃが、そなた、かの娘より巫女としての素質が――いや、既に誰ぞに巫女として仕えておるのか? これはまた途方もない力を与えられているようじゃ――」
「話が逸れまくっているぞ、イヅナの姐御よ」
イヅナと共に現れた緋色の剛毛に覆われた大猪たちが、後ろから次々と会話に割って入ってきた。
「お久しゅう、オキクルミ殿。こうして我らに声を掛けてもらうのは嬉しい限りだが、さて我らにどんな用事なのかな?」
イヅナが艶のある女性の声色ならこちらは渋い男性の声色で、やはり同様に人の言葉を流暢に操っている。
――うむ、悪いがちと手伝って欲しくての。そこの者たちは例の森の新しい主とその一行なのだが、この先のコシの民の村に加勢に行く途中らしくてな。森に連れて行くにも、それを片付けてからになる。おぬし達でしばしの間、助力してやってくれまいか?
「おや、それしきのことで良いのかな?」
先頭のひときわ大きい猪が鼻をひくつかせた。
――うむ。何やら魔物たちの動きがきな臭いのでな、我は少しそちらを探ってくる。時間がかかるかもしれない故、村の方が片付いたら、そなた達でそのままこの者たちを精霊の森まで連れて行ってくれると助かる。
「そういうことなら、確かに承った。まあ、確かに最近の魔物は妙な動きをしておるわ」
「オキクルミ殿が動いてくれるのなら安心というもの、こちらは任せてくれ」
「久しぶりに暴れることができそうだな、腕が鳴るわい」
口々に了承の意を示す大猪たち。
「ま、妾も手伝うとするかのう……ちょっと興味のある子もいるしの」
黒狐のイヅナがルノとヤマトをちらりと見遣り、艶然と口の端をつり上げた。




