36話 白魔石の泉
夕刻、日が落ちる前にヤマト達は合流予定の白魔石の泉に辿りついた。
前回スーサの町を目指していた時に宿営した川沿いの崖の窪みを大きく通り過ぎ、その川に合流するとある流れを伝って登って行った終点にその泉はあった。泉の直径は二十歩ほど、木立に囲まれ、奥の岩場からチロチロと清水が染み出している。とりわけ目を惹くのが泉を縁取る砂岩の白さで、泉の中央、深い場所では澄んだ水が青い透明感を持って湛えられている。
泉のほとりでは、先行していたアオイやツバキらが着々と野営の準備を進めていた。急ぎ足で歩き通した甲斐あって、ヤマト達はどうやらさほど遅れることなく到着できたようだ。ユウスゲとキスゲが腕一杯に焚き木を抱え、魔法で火を熾しているナミの脇に積み上げている。
テキパキと作業を進める一団に、おいーす、とツゲが声をかけると、真っ先に反応したセタが「遅いよー」と駆け寄ってきた。
「お待たせさん」
「デスアントは無事に?」
野営地の入り口でブータローを荷車から解放していたナギが、心配そうな顔で一行を出迎える。そんなナギの頭をツゲは軽く小突き、ガハハ、と笑った。
「モチのロンだぜい。そっちも問題なかったか?」
「はい、魔物との遭遇もなく、順調に」
「そうか、よかった」
「晩飯だ」
イメラが背負っていた猪をポンっとナギに放った。イメラはここまでの道中ずっとヤマトに双極廻舞の指導をしていたのだが、途中でこの猪をみつけ、実践練習としてヤマトに素手で狩らせていたのである。
ナギがひと抱えもある獲物をわたわたと受け止めていると、その脇をすり抜けるようにアオイがツゲの元に駆けつけた。
「おかえりなさい! みんな、怪我はない?」
そう言ってヤマト達の顔をぐるりと見回すアオイ。若干ツゲとの距離が近い。最後に目が合ったルノがにっこり笑って答えた。
「ふふ、魔物との戦いより、皆さんに追いつく方が大変だったかも。ツゲさんが誰かさんのことを心配し始めて――」
「わわわ、ば、ばか! お、俺はだな、この隊の隊長として――」
「はいはい」
アオイが切れ長の瞳を嬉しそうに踊らせつつ、用意が整いつつある野営地を振り返った。
「もうあらかた設営は済んでるわよ。ルノちゃん、料理を手伝って貰える?」
「はい、もちろん! また色々と教えてくださいね」
ナギ君、それはこっちへ――アオイがてきぱきと差配を始め、野営地は一段と活気を増していったのだった。
「これが白魔石?」
食事を終えたヤマトは、ナミから受け取った結晶を焚き火の明かりにかざして観察していた。イメラに言われたとおり、霊力の循環を弱めつつも維持し続け、双極廻舞の修練を継続させている。
「あ、あの、よかったらあげまふ……」
ヤマトに白い結晶を渡した拍子に軽く手が触れたナミが、柔らかい曲線を描く小柄な体をビクリと縮こませ、顔を真っ赤にして口ごもった。
「はは、まあそこら中に落ちてるんだけどね」
兄のナギが妹のナミに微笑ましい視線を向けつつ、足元から小振りの白い結晶を拾い上げた。
「この泉で拾える魔石はなぜか白くて、とても質が良いので有名なんだ。僕たちも何度かギルドの依頼で拾いに来てるよ」
ナギは拾ったばかりの結晶を、ふくれっ面の妹越しに泉へ投げ込んだ。水音と共に、鏡のような水面に綺麗な水紋が広がっていく。
食事の後、満ち足りたこの時間は、皆が散らばって思い思いに過ごしていた。
ヤマトは双極廻舞の修練をしつつ焚き火の傍でナギとナミとお喋りをし、泉の向こう側では、結局イメラがセタに霊力循環の手ほどきをしている。
アオイとツバキは、余った食材を燻製する方法をルノに実演しながら教え込んでおり、ツゲはブータローの背を撫でながらユウスゲ、キスゲと何やら話し込んでいるようだ。時折笑い声が上がり、ゆったりとした時間が流れていく。
「ヤマト君の得意属性は風だっけ? ちょっと珍しいよね」
ナギが興味津々といった目をヤマトに向けた。魔法の属性は大きく分けて火・水・土・風の四系統があり、自由民には戦闘に役立ちやすい火か水の系統が人気だ。ダブルであるソヨゴは火の上位である炎を、双子のユウスゲとキスゲは水の上位である氷を得意としている。
ヤマトが使う風の系統はそれなりに戦闘にも使えるものの、火と水の人気には遠く及ばない。ほとんどの人が副属性として初級のエアショットを修める程度だ。
ちなみに、土の系統は城壁を始めとした建築関係や、刀などの精錬などといった方面で活躍しているマレビトが盛んに追い求めている。
「僕は水を、ナミは火を中心に伸ばしていってるんだ」
ナギはそこまで言って口をつぐみ、少しして手の平の上に水の玉を出現させてみせた。
「わ、私も…………ほら!」
ナミも手から炎を出してみせた。兄のナギより発動時間が随分と短い。そんな妹の魔法をナギは誇らしげに眺めた。
「うん、兄バカもちょっと入ってるけど、ナミは魔法の才能があるんだ。四系統どれもスムーズに使えるし、このまま練習して行けばきっと凄い魔法使いになれると思うんだ」
「僕が使えるのは風だけ……四系統使えるって、すごいね」
「そ、そんなことないです!」
二人に真顔で褒められ、ナミがあたふたと両手を振った。肩口で切り揃えられた黒髪がサラサラと踊る。
「で、でも、いつかはミツバ様みたいな魔法使いになりたいなー、なんて……」
「ミツバ様?」
小首を傾げたヤマトに、ナギがにこやかに笑った。
「あはは、ミツバさんてのはね、スーサを拓いた原初のマレビトのうちの一人さ。偉大な女性魔法使いにして僕らの直系のご先祖様。ナミの憧れの人なんだ」
「すごい人なんですよ、ミツバ様って」
ナミが身を乗り出して説明を始めた。
「例えば、スーサの城壁を作ったのはミツバ様なんですよ。あんなに大きいのに一人で作っちゃったんですって。それに――」
「おーい、みんなそろそろ寝るぞー」
荷車の脇で、ツゲが立ち上がって手を叩いた。
「明日は早く出発するからなー。寝ずの番はブータローに任せて、しっかり寝とけよー」
ツゲのその声で、ヤマトに対して熱く語り続けていたナミがハッと我に返った。
「と、とにかく、すごい人なんです……」
急に恥ずかしさが盛り返したのか、尻すぼみに話を終える。微妙な沈黙にナギが「そろそろ寝ようか」と切り出し、ヤマト達三人はそれぞれ寝支度を始めた。周りもそれぞれがしていたことを切り上げ、数人ずつ固まって眠る体勢を作っていった。
夜半、ヤマトは誰かの声で目を覚ました。
小さな子供のくすくす笑いが聞こえた気がしたのだ。
眠たい目をこすりながら体を起こし、月明りに照らされた周囲を見回す。すぐ隣には、ひとつの外套にくるまり眠るルノとセタ。反対側にはナギとナミの兄妹が行儀よく寝ている。静かに煙たなびく焚き火の向こうには、付かず離れずで眠る大人たち。
荷車の脇でむくりと顔を上げたブータローと目が合った。が、ヤマトと分かったのか、ブータローはあごをどさりと前足の上に落とし、小さくため息のようなものを吐いて再び元の体勢に戻ってしまった。
――気のせいだった?
ヤマトは再び体を横たえようとして、ルノの外套から大きくはみ出しているセタの足が目に入った。そっと自分の外套をかけてやるヤマト。
と、その拍子に、ヤマトの視界の奥で何かが動いた。
視線を上げると、泉の上で、微かに光るかたまりが三つほどふらふらと浮遊している。
狩人として鍛えたヤマトの気配察知には何もひっかからなかったが、ふいにそのかたまりから子供のくすくす笑いが聞こえた。チラリとブータローを見たが、ブータローは気付いていない。
ヤマトが目を凝らしていると、その光るかたまりはヤマト目指してふらふらと飛んできた。
聞き取れるかどうかの小さな声で、それぞれが盛んに喋っているようだ。ヤマトの中に、昔からこの光るかたまりを知っているような、どこか懐かしい気持ちが込み上げてきた。
「せんねんじゅさま、おきた」
「くすくす、あったかいね」「くすくす、きもちいいね」
「ここにいたんだね」
「みんなにもおしえてあげよう」
「くすくす、それがいい」
「でもそのまえにもっとあたたまろうよ」
「そうだねひさしぶりだから」
「せんねんじゅさまのなかであたたまろうよ」
「くすくす、それがいい」
光るかたまりは呆然と見守るヤマトにふらふらと近付き、ぽん、と次々にヤマトの胸に吸い込まれていった。
ヤマトはびっくりして胸に手を当てるも、そこには何もない。あたかも本当にヤマトの中に入ってしまったようだった。
周りは白い月明りに照らされ、動くのは鎮火しつつある焚き火の煙だけ。気配に敏感なブータローは相変わらず何も気付いていないようだ。
ヤマトは狐につままれたような、でもどこか懐かしくて嬉しいような、そんな不思議な気持ちを噛みしめながら再び体を横たえた。
夢かもしれないな。
そんなことを思いながら、ヤマトはもう一度眠りに引き込まれていった。




