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マレビト ~少年ヤマトの冒険~  作者: 圭沢
第二章 精霊の森

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32話 時代のうねり

 第二章 ―精霊の森―



 春の薫風が新緑の草原を渡っていく。

 空はどこまでも青く、真っ白なちぎれ雲がゆったりと流れている。上空で狗鷲イヌワシが風を捉え、ようやく中天に昇った太陽を軽やかに横切っていく。


 ピイィィィー。

 穏やかな大気を切り裂くように、高らかに指笛が吹き鳴らされた。

 その合図に呼応するように上空の狗鷲が鋭く転回し、広大な草原の一点に向けて矢のように滑空を始めた。

 狗鷲の向かう先には、荷車を中心に十人ほどの一団が東へ向かって歩いている。草原を縫うように延びる街道のほとり、スーサの町からひと歩きほどの場所だ。季節外れの強い日差しが旅人をじりじりと照らしている。歩みを止めて一人だけ一団から外れた若い男が、狗鷲に向かって腕をすっくと差し出した。


 バサバサバサッ。

 狗鷲は大きな翼を羽音も荒くはばたかせ、勢いを見事に殺して差し出された腕にとまった。大人の上半身ほどもあるその猛禽は、身を屈めて腕の主に嬉しそうに頭を擦りつけている。


「見事なものだ」

 前方を行く一団の最後尾で、燃えるように赤い髪の大男がまばらな拍手をした。冷酷にも見える冷たく青い目には、今は賞賛の色が浮かんでいる。

「あはっ、イメラさん、ありがとうございます!」

 腕にとまったひと抱えもある猛禽の使い魔の陰から、ナギがひょこりと頭を下げた。


 ゴブリンの巣の討伐隊は、今朝スーサを出発したばかりだ。先頭でユウスゲとキスゲが周囲を警戒し、その後ろにツゲやヤマト達が中央の荷車を囲むように位置取っている。荷車にはゴブリンの襲撃を受けたふもとの村へ支援食糧が満載され、その端にセタとナミがちょこんと腰掛けて、足をブラブラさせながらお喋りに興じている。荷車を曳くのはツゲの使い魔、ブータローだ。雷光とも呼ばれる赤毛の大男、イメラは最後尾で独り黙々と殿しんがりを守っていた。


 スーサを出発してひと歩き、振り返っても町が見えなくなったあたりで、ナギが自分の使い魔である狗鷲を一度呼び戻したいと最後尾に下がった。今日の日の出と共に空に放ち、今回の討伐の目的であるゴブリンの巣の捜索に出していたらしい。

 猛々しい猛禽が上空から舞い降りる光景に、全体が足を止めて最後尾に集まってきた。


「どうでしたか、ナギ君」

 ユウスゲが軽やかに歩み寄り、狗鷲の顔を覗き込んだ。双子の弟、キスゲも一緒だ。強い日差しの中を歩いてきたにもかかわらず、細面の顔に浮かぶ涼しげな表情はいつもと変わっていない。

 ツゲや他の面々もナギと使い魔をぐるりと囲んだ。ヤマトも見慣れない狗鷲と捜索の結果に興味を引かれ、ルノやセタと輪に加わっている。


「たいして広い範囲は見れていませんが、今のところゴブリンの巣は見つけられませんでした。この草原を歩いている間は、このまま探させておきますね」

 ナギはそう言うと、使い魔を再び空に放った。狗鷲は力強く羽ばたいてぐんぐんと上昇し、風を捉えて優雅に飛び去っていく。

 いってらっしゃーい、セタとナミの陽気な声が東の空に響いた。



「あなた、町の衛兵隊に入る気はないですか?」

 再び歩き始めた一行の中で、スーサの町長であるオウレンの助手、ツバキがナギに尋ねた。今回のメンバーの中で唯一、自由民ではない市井の人間だ。若い才媛といった風情で、マレビトにしては肌が白く、質素ながらも品の良い平服を着ている。賢そうな顔にはシミひとつなく、ナギを見る目は真面目そのものだ。

「今、衛兵隊では周辺偵察に使える鳥の使い魔が底をつきかけています。昨日の戦いで、魔物の数が少なく報告されていましたよね? 自由民の皆さんの活躍で大事には至りませんでしたが、あれは偵察力不足が原因なのです。今のうちに手を打っておかないと、いつか必ず由々しき事態に――」


「はいはい、そこまでー」

 アオイが手を打って話に割り込んだ。整った顔にいたずらっぽい表情を浮かべ、ツバキに軽く人差し指を振る。

「ナギ君はもう立派な自由民よ。衛兵隊にはあげません。それにツバキちゃん、町のこととなると目が怖いわよ?」

「ちょっと、怖いとはなによ。ナギ君にはもっと大きな目で町全体を見て欲しかっただけ――ね、ナギ君?」

 生真面目な顔からはちょっと想像できない、妖艶な微笑みを浮かべるツバキ。大人の女性達の艶やかな応酬に、多感な年頃であるナギはしどろもどろに言葉を返した。

「あ、いえ、はい……」

 泳いだ視線がヤマトと絡み、荷車越しに目でヤマトに助けを求めるナギ。


 こんな場面の助け舟なんてヤマトには荷が重い話だったが、察したルノがツバキにさらりと質問を投げかけた。

「あの、いつもスーサの上を飛んでいるトンビ、あれはひょっとして偵察のための使い魔だったんですか?」

「あら、良いところに気付いたわね。あれはウツギ隊長の使い魔の子供たちです。残念ながら使い魔本体ほどの情報は得られないけど、苦肉の策ってところね」


「ほえ、使い魔に子供って出来るの?」

 ツゲが荷車を曳くブータローを指差した。当のブータローはセタとナミに背中を時々撫でられながら、機嫌よく重い荷車をけん引している。

「同種のメスが自然界にいれば可能です。ですが、ブータローはちょっと特殊ですので……」

「だよなあ」


「ブータローがどうかしたの?」

 セタが振り返った。

「いやな、ブータローにお嫁さんが来ないかなって話」


「お嫁さんっ!?」

 セタとナミが同時に声を上げた。二人ともそういったものに興味を持つ年頃だ。が、その後の反応は二人バラバラだった。

「セタ、応援するよ! ブータローはちょっと不細工だけど、そこがいいってひともいるはずだからね、一緒にお嫁さんを探してあげるっ!」

 がんばるぞー、とセタが一人で盛り上がり、ナミは顔を真っ赤にしてちらちらとヤマトを見ている。


 ヤマトがナミの視線にいたたまれずに話題を変えようと頭を絞っていると、ツバキがあっさりと話を変えてくれた。

「そうだ、ルノさんとセタちゃんは、ふもとの村の人よね?」

 ルノとセタはこくりと頷く。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど――村の人みんなでスーサに引っ越して来てくれって言ったら、どう思う?」


 え?

 突然の内容に、ルノもセタも固まっている。ヤマトも吃驚して言葉が出なかった。

 急に静かになった一行の中で、ゴロンゴロン、という荷車の車輪の音が時を刻んでいく。

 列の先頭のユウスゲとキスゲが何事かと振り返り、殿しんがりのイメラは興味を引かれた顔で見守っている。



「あは、突然そんな質問をされたら、そりゃびっくりするよな」

 ツゲがフォローするようにセタに笑いかけた。そしてツバキと視線を交わし、真顔で語り始めた。

「実はな、今、そういう話を村長さんとしてるんだ」


 昨日も町に魔物が押し寄せたように、ここ最近、魔物の勢いがかつてないほどに盛んになっている。スーサは堅固な城壁とマレビトの魔法によって強大な防衛力を誇っているが、それらを持たない普通の村々は、魔物の勢いに徐々に押され始めているという。

 ルノやセタが育ったふもとの村でも、狩人達が日常的に魔物を狩り続けているのだが、狩りきれずに村に押し寄せることが多くなっていた。

 先日、ツゲも一緒になって撃退したゴブリンがいい例だ。


「そこでヤマト達に会ったんだよな。あの時俺はオウレンばあさんに頼まれて、まだ余力があるうちに村ごとスーサに来ちゃどうよ、って村長さんに軽く聞きに行ってたところだったんだ」


「スーサとしては、城壁の中の安全な住居と、働く場所を村人全員に提供する用意があるのです」

 ツバキが生真面目に宣言した。町長の助手が言うことだ。本当なのだろう。


「だけどまあ、予想外の話だろうし、すぐに決められることじゃないよな。俺たちと同じように危機感は感じているだろうけど、代々住んできた村を捨ててくれ、と言ってるんだから」

 ツゲは未だ目を丸くしているルノとセタに微笑みかけ、肩をぐるりと回した。

「ま、この話、実はスーサの町としても助かる話なんだよ」


 元々マレビトは魔法に秀でている集団だ。遠距離の攻撃は強力無比だが、実は、獰猛な魔物と直接対峙できる程の身体能力を持つ者は少ない。いわば後衛専門。城壁の上から魔法を放っていた今日の防衛戦のように、そもそもマレビトとは、後方から魔法で敵を屠る戦い方を主とする集団なのだ。


 例外がソヨゴやツゲなどの自由民。彼らは魔法の力が身体能力にも加算されているひと握りの存在で、そういった者がギルドに登録し、自由民として危険な仕事をこなしたり、戦いで前衛を務めたりしているのだ。


「昔は自由民も多かったらしいんだけどな。最近はその素質を持ってるのが少なくなっちまってさ、おかげでいっつも人手不足さ」

 ツゲが大袈裟に肩をすくめた。アオイも大きく頷く。ギルドの職員としても苦労が多いのだろう。


「魔物の討伐もままならず、徐々にスーサは自分の城壁の中に閉じ込められつつあるのです」

 暗い目をしたツバキがぽつりと呟いた。

 事実だった。

 周辺の村々との交易は途切れがちで、共有水田は今や城壁の中だけとなっている。

 誰も口を開かず、荷車の車輪の音が、低く重く延々と繰り返されていく。



「そこで、コシの民の登場だ」

 雰囲気一転、ツゲが明るい声を出してセタの頭を撫でた。


「コシの民の狩人達なら、充分に前衛戦力として戦えるだろ? イメラだってそうだし、嬢ちゃんもそうだ。マレビトの自由民のように魔法は使えなくても、後衛として町のマレビトを付ければバランスが良い強力な自由民部隊の出来上がりってわけ」

 ツゲの言葉にセタは元気を取り戻し、身を乗り出してうんうんと頷く。戦いの民であるコシの血が騒ぐのか、マレビトの前衛としての役割に心惹かれるものがあるようだ。


 ツゲはそんなセタに優しい微笑みを浮かべ、やや真剣な顔になって一同をぐるりと見渡した。

「つまり、町としてもコシの民の戦力は欲しい。このままじゃお互いにどん詰まりだ。だったら身動きが取れるうちに、思い切って村ごと来てもらって一緒に魔物と戦うってのはどうよ、って提案をしてるという話なのさ。村を捨てなきゃいけないが、城壁の中の安全な暮らしと、魔物に負けない未来がある。悪い話じゃないと思うんだよな」


 ツゲが長い話を終え、腰の水筒から水を飲んだ。

「ま、そんな話でな、今回の交渉役としてこのツバキが行く訳だ。とっとと決めないと手遅れになりそうな、嫌な予感がするからな、よろしく頼むぜ」

 ツゲの真剣な視線に、ツバキもまた真摯な表情で答えた。


 ひんやりとした一陣の風が一行の中を通り抜け、去って行く。


 あまりに規模が大きい話に、ヤマトとルノは無言で目を見かわした。

 ヤマトとしては、強大なスーサですらここまで魔物に押し込まれている、というのが大きな驚きだった。

 千年樹の元で暮らした日々は平和だった。千年樹が守ってくれていたことを実感し、今更ながら頭が下がる思いもある。

 しかし、そのすぐ外側では、魔物が人の暮らしを圧迫しつつあったのだ。圧迫されつつも、スーサのマレビト達はここで民族の枠を超えてコシの民と手を握り、魔物を押しのけようと動き始めている。時代の大きなうねりが今まさに起こされようとしていた。

 相手取るのは、昨日の戦いで痛いほど実感した、人に対する魔物の根源的な憎悪。ヤマトはぶるりと体を震わせ、固く顎を噛みしめた。


 草原は終わりを迎えつつあり、眼前には、ふもとの村へと続く大森林が近付いていた。

 ――まずは精霊の森へ行きなさい。

 森という言葉の連想で、ヤマトの頭にいつかの声が甦った。精霊の森。どこにあり、そしてそこで何がヤマトを待っているのだろうか。

 ふと気付くと、ルノが前方で心配そうな顔でヤマトを振り返っていた。いつの間にか歩みが遅くなっていたようだ。

 まずは出来ることからこなしていこう。ヤマトはルノに向かって歩みを速めた。




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