02話 ふもとの村へ
鬱蒼と茂る原生林に、時折遠くで鳥が鳴いている。
木漏れ日でまだらに輝く踏み分け道を、ヤマトは音も立てずに進んでいた。
慎重な足運びは熟練の狩人そのもの、ヤマトが間近に来てはじめて気が付き、慌てて逃げ出す小動物も多い。
小鳥が一羽、ヤマトの前方に飛び出した。少し飛んでは道脇の枝にとまり、ヤマトが近づいては飛んで逃げる。逃げているつもりなのかもしれないが、道案内をしているようにも見える。
「……ふふ……」
ヤマトは思わず笑みをこぼし、少し歩みを緩めた。
小鳥はしばらく一緒に進んでいたが、やがて踏み分け道は少し開けた場所に着いた。そのまま木立の中へ飛び去っていく小鳥。
「……お昼に……するか」
小鳥が飛んで行った木立の奥から視線を外し、ヤマトは腰を下ろした。ここまで来れば、ふもとの村まで半分以上来たことになる。ヤマトは背嚢から干し肉を取り出した。
……ぼく、マレビト……だった?……
千年樹は力を授けたと言っていたが、特に何か変わった感覚はなかった。それより気になったのが、千年樹が言ったマレビトの仔、という一節。
マレビトとはソヨゴの住む町を含む西方を支配する人々であり、進んだ技術と独自の文化を持ち、魔法を使う。魔法はマレビトしか使えない不思議な力だ。ヤマトが魔法を使ったのは昨日の一回だけとはいえ、魔法が使えるならヤマトはマレビトということになる。
ただ、これまでヤマトは、自分がふもとの村の住民と同じコシの民だと考えていた。コシの民は茅葺きの竪穴住居で暮らす狩猟民族で、髪と眼の色合いが豊かで偉丈夫が多い。
マレビトにも偉丈夫はいるが例外なく黒眼黒髪、ヤマトは黒髪だが目が青灰色だ。端正な顔立ちは少女に間違われることもあったが、彫りが深くコシの民に近い。ふもとの村でも違和感なく受け入れてくれていた。
メレネとソヨゴはマレビトであり、そういえば黒眼黒髪でないヤマトに魔力があるのを初めて知ったときは驚いていたようだった。
魔法も使えたし、千年樹も言うなら自分はマレビトなのだろう、ヤマトはそう結論付け、顔も知らぬ本当の父母のことが少しだけ分かったことにどこか安心を覚えた。
……魔法……まぐれじゃ、ないよね?……
千年樹が授けてくれた力については、守りたい相手や信じる仲間が出来た時という言葉があったこともあり、まだ今はよく分からないのが実際のところだった。気にはなるがひとまず置いておき、今は魔法である。
父さんや母さんも使えたのだろうか。そんなことが頭をよぎるが、なにしろ昨日ようやく発動できただけなのだ。メレネも繰り返し練習するのが大事だと言っていた。
千年樹の加護があり、凶暴な生物がいないこの森の中ならヤマトに害をなせるような相手はいないが、その先を考えると魔法が使えるに越したことはない。メレネに報いるためにも練習してきちんと使えるようになっておくべきだろう。
ヤマトは口の中で機械的にかみ続けていた干し肉を飲み込み、額に垂れる黒髪を掻きあげて魔力を練り始めた。
……そんなに練らなくても……いいかも……
昨日成功したのは、結局のところ放出する魔力に霊力を混ぜたのが良かったのだと思っている。あの時放出していた魔力はほんの僅かしかなかったし、体の中の魔力も最後のひとかけらしかなかった筈だ。
ヤマトはそう考えると、魔力を練り始めてすぐ放出してみた。周囲の魔力を取り込み、ほぼすぐのタイミングである。相変わらず滲み出すようにしか放出できないが、そこに昨日と同じように少しだけ霊力を乗せてみる。
突風が髪をなぶり、ヤマトを中心とした小型の竜巻が形成された。
よし――風の強さに目を細めながら、ヤマトは小さくこぶしを握りしめた。
思っていたことは間違いではなく、感覚も掴めた。後はいかに素早く、そして安定して発動できるように練習あるのみだ。そう思うのだが、これは充分早いのではないだろうか、そんな疑問もヤマトの脳裏に浮かんでいた。
なにしろほとんど自分の中でほとんど魔力を練らずに、周囲の魔力を取り込み、ほぼ即座に魔法を発動できているのだ。
メレネは、魔法で一番大切なのは魔力を練ることだと言っていた。
周囲の魔力を取り込み、自身の魔力とよく混ぜ合わせながら増幅させる、これが魔力を練るということだ。魔力が見えたメレネが丁寧に教えてくれたことなので、ヤマトの方法は間違っていない筈だった。
……でも、メレネ、もう少し魔法に時間がかかっていたような……
ヤマトの記憶によれば、メレネはもう少し魔力を練るのに時間をかけていた。自分の魔法はどこか間違っているのだろうか、そんな不安もあったが、発動はしていることだし、数回の練習を経てヤマトは次の段階に進むことにした。
次は、魔法を形にすることである。今発動させていた魔法は単なる魔力の解放に近く、自らを中心として風を起こしただけだ。実際のところあまり役に立たない。形にして威力を持たせる必要があった。
メレネはいくつもの属性を使えていたが、ヤマトの属性は風。メレネが手から火の玉を出していたように、手を前にかざして集中する。
ゴオオッ!
手の平から風が迸った。意外に簡単に出来てしまった。手から風を生み出すのではなく、周囲の空気を手の甲から取り込み、手の平から押し出すイメージ。
難しいのは魔力を練るところであって、その先は簡単なはずなのよ――メレネの言葉も今なら納得できる。ヤマトの脳裏に、なかなか魔法を発動できない自分に首を傾げるメレネの困ったような顔が浮かんだ。
だったら――ヤマトは揺れる草むらに再び手をかざした。
ザンッ!!
今後は、取り込んだ空気をすぐ放出せずに、溜めて固まりにして投げつけるイメージ。前方右側の地面が蹴られたかのように弾け飛び、土と落ち葉が後方に吹き飛んでいった。
「……!」
予想以上の結果に、ヤマトは独り笑みを浮かべた。正直なところ狙ったのは正面の山桜の木だったのだが、魔法自体は形になっている。狙いの正確さはもっと練習するとして――ヤマトは天頂を過ぎた太陽を見上げ、荷物をまとめてふもとの村に向かって再び歩き出した。
ザッ! ドン! ガサッ!
ヤマトは歩く道すがら、継続して魔法の練習に勤しんでいた。徐々に思った方向に飛ばせるようになってきている。コツは、小石を投げるように手首を振って魔法を放つこと。ある程度モノになってきて、だんだん楽しくなってきていた。
「……羅刹風魔弾という名前にしよう……必殺技……」
珍しく調子に乗って、ひたすら魔法を繰り出すヤマト。この時点ではヤマトは知らないが、ヤマトの魔法は異常だった。今の時代のマレビトにとって魔法とは切り札に近いものであり、ここまで素早く放つことはもちろん、こんなに数を打つこともできない。霊力を持ち、千年樹の教えを受けたヤマトだからこそ可能なことであった。
そんなことはつゆ知らず、ヤマトは無尽蔵に魔法を放つ爽快感を満喫していた。
ヤマトの後ろでは、地面はボコボコに抉られ、折れてぶら下がった木の枝が何本も不自然に揺れている。
豊かな千年樹の森の中だったが、午前中と違って周囲に小動物の姿はない。ヤマトは気付いていないが、皆早々に逃げ出してしまっていた。
ドン! ザン! ズサッ!
ヤマトの放つ魔法の異常さにスーサの町のマレビト達が騒ぎ出すのはまだ先のこと。疲れを知らない小さな破壊者は、今はまだ上機嫌のまま歩みを止めることなく進んでいった。
ふもとの村の手前まで来たとき、ヤマトは妙な気配に足を止めた。
今までの上機嫌は影を潜め、一転して真剣な表情になる。森育ちのヤマトは、百歩ぐらいまでなら動物の気配を察知できる。それは、これまで感じたことのない異様な気配だった。この辺りは千年樹の加護がだいぶ薄れ、小さい兎型の魔物が出没し始める場所だ。赤兎と呼ばれるその魔物は肉が美味しく、村人はよくこの辺りで狩りをしているそうだ。ヤマトもちょくちょく狩りに来ているが、こんなに邪な気配は初めてだった。
ヤマトは自らの気配を消し、木立を縫って音もなく流れるように異様な気配に近づいていった。
どうやらその気配もこちらに近づいてくるようだった。妖しく猛々しい気配が複数と、小さく消えそうな気配がひとつ。
ヤマトは手近にあった桜の木の陰にするりと身を隠した。
漂ってくる微かな血の匂い、理解不能で耳障りな話し声の合間に、消え入りそうな少女の呻き声がひとつ。
明らかな異常事態に、ヤマトは背負っていた弓を手に取り、深呼吸をひとつして心を落ち着かせた。桜の陰からそっと様子を覗う。木立の向こう、五十歩ほど先に見え隠れする光景にヤマトは息を呑んだ。
猛々しい気配は、おそらくふもとの村では悪鬼と呼ばれ、マレビトのソヨゴとメレネがゴブリンと呼ぶ魔物。全部で六匹、ギャイギャイと仲間内で喋りあっている。
その姿は醜悪のひと言、赤黒い肌で半ば禿げたザンバラ頭に膨れ上がった太鼓腹を持つ半裸の小男。矮躯に似合わぬ長く逞しい腕と、忙しなく周囲を覗う小さな藪睨みの眼がその危険性を物語っていた。
そんな群れの中央で歩くひときわ大きな個体は、黄金色の毛皮をまとった少女を軽々と肩に担いでいた。魔物の前で力なく揺れる裸足の華奢な足。
ヤマトはメレネに聞いていた。ゴブリンは人を襲い、女の人をさらって酷いことをすると。さらわれた女の人は最後には殺されてしまうと。
少女を担いだ悪鬼が隣の悪鬼に喋りかけた拍子に見えた、少女の白金色の髪は見覚えがあった。
買い物で村に降りた時に見かける、ルノという同い年の少女。いつからか村で見かけるようになった、白金色の髪に真っ白な肌で、体中の色素が薄いような特異な風貌の子。いつも子供の輪から外れて寂しそうな、透きとおった空色の瞳。後でメレネに聞いたら「珍しいわね、白子よ、その子」と言われた。その後何度か見かけたが、向こうもヤマトを見ていた気がする。話したことはないけれど、何故か印象に残っている少女だった。
あ……あ……
担いだ悪鬼が横を向いた拍子に揺れたのか、ルノが小さな呻き声を上げた。
ちらりと見えた上下逆さまの横顔は青痣で覆われ、口の端から血がひと筋、耳まで垂れていた。
助けなきゃ。
止まっていたヤマトの頭に、堰を切ったように猛烈な切迫感が押し寄せた。
世の中では魔物と熾烈な生存競争を繰り広げている時代だったが、ヤマトは千年樹の庇護の下、これまで比較的安全に生活をしてきていた。メレネと二人分の食を確保するために狩りをする程度で、魔物と戦った経験などない。戦う術は持っていたが、打ちのめされた少女の顔を見た途端、冷静さは跡形もなく吹き飛んでしまっていた。
「うおおおおおおおお」
ヤマトは切迫感に追われるまま、後先を考えずに雄叫びを上げて悪鬼の群れに突っ込んでいった。