27話 スーサ防衛戦(後)
戦闘描写があります。苦手な方はご注意ください。
目の前には獰猛なグレイウルフの大群、背中には手負いのフェンリル。
砂煙の向こうには、獅子奮迅の前進を続けるソヨゴ達がチラリと見える。
あそこまで!
ヤマトは両手杖を振り回し、正面のグレイウルフの横面に叩き込んだ。そのまま脇を駆け抜け、次のグレイウルフの爪をかいくぐって下腹に突きの一撃。左足を踏ん張って右側に飛び出し、抜いた杖の勢いのまま、今度は逆の端でもう一匹の喉を貫く。
絶命した魔獣を間髪入れずに蹴飛ばし、手元まで突き刺さった杖を抜きざまに一閃させて、更に二匹を弾き飛ばす。
「――ッ!」
刹那の危険察知。ヤマトは背後から突進してきたフェンリルの牙を横っ飛びで躱した。
うっすらと赤い光を身にまとったフェンリルの巨体が、地面を転げるヤマトのすぐ脇を通過する。視界の端には好機とばかりに真っ赤な口を広げるグレイウルフ。
ヤマトは咄嗟に霊力を手に集め、杖を握った両手で地面を弾いた。砕け飛ぶ土くれ、反動で宙に浮く体。
空中で体を捻り、手近にいたグレイウルフを踏み台にして跳躍する。
ヤマトが空中でちらりと見ると、フェンリルは味方のグレイウルフを弾き飛ばしながら、驚くほどの俊敏さでヤマトに向かって方向転換を済ませつつあった。ヤマトは両手杖を振り回して身近なグレイウルフを黙らせると、さらにグレイウルフを踏み台にして距離を稼いだ。
敵が多すぎる!
ヒヒイロカネの両手杖で痛撃を与えたはずのグレイウルフの半数が、すぐまた起き上がって向かって来ている。相手が多すぎ一撃に力を込めきれていないせいだ。
既にヤマトの息は上がり、滝のように汗をかいている。このままではじきに魔獣の数に呑まれてしまう。
ヤマトの脳裏にソヨゴ達マレビトの戦いぶりが横切った。彼らは――彼らの武器は、ヤマトの両手杖のように打撃ではなく、斬撃だった。同じ一振りでも戦闘不能にできる率が高い。しかし、昔のマレビトはこの両手杖を使って強大な力を発揮したとナガテは言っていた。昔のマレビト――。
そうかっ!
ヤマトは着地するなり、ヒヒイロカネの両手杖をがむしゃらに一閃した。ただ魔力を込めて振るのではなく、両手杖を通じて魔法を発動させるイメージ。
シュンッ!
鋭い音と共に、ヒヒイロカネの水平な軌道に沿って大きなカマイタチが発生した。空気の刃は瞬時に半円状に広がり、進路上にあるグレイウルフを片端から切断した。一瞬で命を刈り取られた魔獣がヤマトの目の前で何匹も崩れ落ちていく。
これだっ!――有効距離は十歩に届くかどうかといったところだが、ヤマトの胸に希望の光が灯った。
そして、このひと振りで、猛り狂っていたグレイウルフの大群に怯えが走った。目に迷いの色を浮かべ、理解を超えたものを見たかのように動きを止めている。
ヤマトはすかさず向きを変え、巨大なフェンリルに向き直ってもう一度両手杖を振るった。
ヤマトに向かって突進しようとしていたフェンリルは強靭な前足で踏みとどまり、そのまま力を溜めるように瞬間的に身をこわばらせた。体にまとった赤い光が強くなり、ヤマトの放った空気の刃がその光の上を滑るように後ろに逸れていく。妖しく輝く瞳がヤマトをあざ笑うかのように揺れている。
さすがに効かない――。
ヤマトとフェンリルが視線を絡ませ睨み合ったその時、フェンリルの背後から斜めに炎の帯が走った。
「ヤマトッ!」
ソヨゴだった。フェンリルが怒りの咆哮を上げ、振り返ろうとするその死角からツゲも忽然と姿を現し、痛烈な一太刀を浴びせる。
「ヤマトッ!」
同じ背格好、同じ装備の二人組も駆けつけ、青白い光を放つ大剣でそれぞれフェンリルに斬撃を入れた。その後ろからマレビトの自由民部隊が次々に現れ、暴れまわる巨大なフェンリルに傷を負わせていく。
なんとか、なった――。
無謀ともいえる危険な思いつきだったが、フェンリルを城門から引き離し、ソヨゴ達のところまで誘導することができた。ヤマトは息を弾ませたまま、顔の汗を手のひらでぬぐった。
「ヤマト、無事かっ?」
ツゲがヤマトの傍に走り寄ってきた。頼れる顔を見てヤマトの内に安堵が湧き上がった。危うく膝から崩れ落ちるところだったが、ぎょっとして踏みとどまった。ツゲの脇腹の防具が大きく剥がれ、血がにじんでいる。
「ああ、これか。俺としたことがちょっと不意を突かれちまってな。もう回復魔法はかけてもらった。どうってことない」
そういうツゲの顔にはいつもの精彩がなかった。一気に十も年を取ったかのようだ。出血は止まっているようだが脇腹の傷は深そうで、太ももまでぐっしょりと血で濡れている。
ヤマトの胸にえぐるような痛みが走った。
魔物が人に抱く憎しみは、つまりはこういうことだ。人が平和に暮らすためには、魔物を憎しみごと跳ねのけなければならない。マレビトの歴史は魔物との戦いの歴史。ヤマトもマレビトだ。深い決意が腹の底から湧き上がり、カチリ、と音を立ててヤマトに戦いの覚悟が定まった。
「……ちょっと休んでて」
ヤマトはそう言うなり振り返り、近付きつつあったグレイウルフの群れに向かって、ヒヒイロカネの両手杖を力の限り振るった。先ほどの倍の範囲のグレイウルフが切断される。
向きを変えてもう一閃、さらにもう一度。
戦場に魔獣の断末魔がこだまし、周囲のグレイウルフは文字どおり一掃された。残ったグレイウルフは怯えたような唸り声を漏らし、遠巻きに尻込みをしている。
「ちょ、お前、今のまるで古の――」
ツゲの慌てた声がヤマトの耳に入ってきたが、ヤマトは急激な目眩に襲われ、その場に片膝をついた。全身にどっと疲れが出て、うまく力が入らない。
――魔法、一気に使い過ぎた?……
ヤマトは無理矢理に霊力を循環させ、頭を振って立ち上がった。周囲の魔力を取り込み、霊力と混ぜ合わせながら増幅させる。大丈夫、まだ行ける。
チラリとフェンリルの囲みに目を遣ると、暴れに暴れる巨大な黒狼が為す術もなく集中攻撃を受けていた。身にまとう赤い光も弱くなってきている。だが、よく見てみると囲む自由民たちも満身創痍だった。味方を鼓舞するソヨゴの太い声が戦場に響く。
「……ヤマト、まずはあの犬ころを潰すぞっ!」
負傷を露ほども感じさせない俊敏さでツゲが走り出した。ヤマトも負けじと後を追う。
そんな二人の目の前で、囲みの自由民が数人まとめて弾き飛ばされた。フェンリルの捨て身の攻撃を堪えきれなかったようだ。絶叫する男達がきりもみしながら地面を転がる。
巨大な狼はそのままツゲとヤマトに向かってまっしぐらに突進してきた。真紅の瞳が狂ったようにギラギラと輝き、血塗られた巨大な口の端には涎が泡となってこびりついている。暴走する巨大な憤怒の塊り――身の毛がよだつほどに強烈な憎しみがヤマトにのしかかってくる。
ヤマトは奥歯を噛みしめ、並走するツゲと目配せを交わした。
フェンリルが目前まで迫ったその瞬間、二人は示し合わせたようにぱっと左右に分かれた。ヤマトは左に流れ、跳び上がると同時に両手杖を振りかぶった。
全力で駆けてきた勢い、練りに練った暴発寸前の魔法、そして体内で無尽蔵にたゆたう霊力、全てを両手杖の鋭い切っ先に集中させる――
「うあああああ!」
猛烈な勢いで突進するフェンリルの横面に、ヤマトは全身全霊の一撃を叩きこんだ。
驚くほど軽い手応えで、両手杖は易々とフェンリルの強靭な身体を――強烈な憎しみの塊りを――切り裂いていく。
ヤマトが切り裂く傷が一文字に長く伸びていき、もう少しで脇腹に差し掛かろうとしたその時、フェンリルが体を捩りつつ大きく跳んだ。目の前に真っ黒な巨体が迫り、次の瞬間ヤマトは弾き飛ばされた。
そのまま空を飛び、地面に激突する。衝撃で肺の中の空気を全て叩き出され、そのまま二回、三回とバウンドしていく。
一瞬意識が暗転していたヤマトが地面の上に不格好に転がったまま視線を上げると、視界の先には途方もない雄叫びを上げるフェンリルがいた。
深手は負わせた……はず。
ヤマトは悲鳴を上げる体に鞭を打ち、無理やり引きずり起こした。怒り狂うフェンリルの右眼が潰れている。先ほどのヤマトの一撃が、そこから脇腹まで続く長い傷を負わせていた。片目のフェンリルはヤマトと目が合うと、巨大な牙を剝き出しにして獰猛な唸り声を上げた。
ソヨゴたち自由民がばらばらと駆けつけ、ヤマトを中心に、深手を負ったフェンリルを取り囲むように散開する。
「大丈夫か? 無理すんじゃねーぞ!」
ツゲがヤマトを庇うように前に出た。ソヨゴもその隣に進み出て、太い声で指示を出す。
「ユウスゲ、キスゲ! 魔法で注意を引きつけてくれ! ヤツはもう終わりだ、残りは俺の合図で一気に畳み掛けるぞ!」
応! と自由民たちから一斉に返事が返った。
ユウスゲ、キスゲと呼ばれた同じ背格好、同じ装備の二人組が、氷の魔法を同時に放った。
二本の輝く氷の槍がフェンリルの肩に音を立てて突き刺さる。命中と同時に自由民たちが半歩踏み出しかけたが、フェンリルの様子が普通ではない。皆が示し合わせたようにその場で踏みとどまった。
フェンリルは二本の氷の槍が深々と突き刺さったにもかかわらず、何事もなかったかのようにヤマトを睨みつけ続けている。剝き出しにした巨大な牙から涎を滴らせながら、低い唸り声を上げ、煮えたぎる憎しみの視線をヤマト一人にぶつけている。
ツゲとソヨゴがヤマトを守るように更に一歩前に出るが、全く効果はない。
「……僕にやらせて」
ヤマトが、ツゲとソヨゴをそっと押しよけ、間をすり抜けて一番前に進み出た。途端に高鳴るフェンリルの唸り。
ヤマトは負けじとフェンリルを見据え、視線を固定したまま静かに深呼吸をした。ゆっくりとヒヒイロカネの両手杖を引き寄せ、体を捩じるように構えを作っていく。
瀕死のフェンリルから押し寄せる尋常ではない威圧感と狂おしいまでの巨大な憎しみが、ヤマトにこれでもかとのしかかってくる。
フェンリルが高らかに吼えた。
そして次の刹那、雷の速度で飛びかかってきた。死期を悟った誇り高い魔獣の、最後の力をふり絞った攻撃。巨大な憎しみが津波のようにヤマトに覆いかぶさってくる。
――だけどッ!
ヤマトは両手杖を一気に振り抜いた。魔獣の憎しみを跳ね返さんばかりの、裂帛の気迫が籠った一閃。両手杖に込められた魔法はトルネード、ヤマトが現在使える最大の魔法だ。
ヤマトの両手杖から荒れ狂う竜巻が迸った。
目にも止まらぬ螺旋を描きながら、轟音を立ててフェンリルを飲み込む。
フェンリルは暴風に翻弄され、無数の風の刃に切り刻まれていく。
戦場に響き渡る魔獣の絶叫。
ヤマトはそれ以上 魔法の維持ができなくなって、両手杖を下ろした。
ドサリと地面に落ちるフェンリル。絶命していた。あれほど燃え盛っていた憎しみが綺麗さっぱり消えている。ヤマトに押し寄せる解放感と安堵。
体中から力が抜けたヤマトは、すとんと地面に両膝をついた。満身創痍の自由民たちが歓声を上げながら駆け寄ってくる。
「おおい! よくやったなヤマト!」
ツゲがヤマトの脇を掴んで引っ張り上げた。他の自由民たちも次々に声を掛けてくる。
「ありがとう少年! 大手柄だぞ!」
「坊主、ヤマトっていうのか? よくやったぞ」
「今の技、まるで話に聞く昔のマレビトじゃねえか! 今までどこにいた――」
「まだ戦いは終わっていないぞ!」
鋭くひと声、ソヨゴが沸きかえる自由民たちに喝を入れた。我に返り、すぐさま厳しい顔に戻る自由民たち。
「ヤマト、もうひと踏ん張り、できるか?」
「……まだ、いける」
フェンリルを失って混乱しはじめたグレイウルフの大群を見遣り、ヤマトはこくりと頷いた。ソヨゴの厳しい指揮官然とした目の奥に、いつもの優しいソヨゴがいる。ここで甘えて、荷物になってはいけない。背筋を伸ばしたヤマトの肩を、ソヨゴの大きな手が優しく叩いた。
「よし、最後の仕上げだ! まずは城門前から掃討を始める! 皆、気合を入れ直せ!」
ソヨゴが巨大な斧を軽々と片手で頭上に掲げ、炎を斧身にまとわせた。
応! と自由民たちが一斉に答え、ソヨゴと同じようにそれぞれの武器を頭上に掲げた。ヤマトも一緒になって声を張り上げ、高々と両手杖を掲げる。一瞬だけ目が合ったソヨゴが、目の奥で優しく微笑んだ。
「いくぞ!」
ソヨゴの掛け声に、ヤマトは自由民たちと並んで力強く走り出した。




