25話 スーサ防衛戦(前)
ヤマト達がギルドに駆け込むと、カウンターの前は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。大声で説明を求める武装した者、声を張り上げる職員、外から駆け込む者と外へ走り出す者。
ヤマトは呆然と立ち尽くすルノと合流し、左手でセタ、右手でルノの手を引っ張って、ソヨゴの背中に隠れるように進んで行った。
「南門にグレイウルフの群れが近づいています! その数三百! フェンリルに率いられている可能性があります!!」
サナイがカウンターの前で叫んでいた。外から駆け込んできた長髪の男が怒声をあげる。
「フェンリルだと? 調査隊が出てるやつか! 何してんだよ!」
「今のところ調査隊から連絡はありません! まずは防衛をお願いします!」
口々に罵声を浴びせる自由民達を、サナイが必死になだめ、動かそうとしている。
「こっちの戦力は? 留守役は誰だ?」
「――俺だ」
ソヨゴがサナイの前にその巨体を割り込ませると、武装した二十人ほどの自由民が、しいん、と静まり返った。後でヤマトが聞いたところでは、こういった事態に備えて留守役というものがいるらしい。腕利きの自由民数人にギルドが報酬を払って、誰か一人は町で待機するようにしてもらっているとのことだった。
「留守役、ソヨゴさんでしたか!」
「ありがたい!」
「後は誰かいますか?」
殺気立った喧騒から一転、落ち着きを取り戻す男達。ヤマトは荒くれ者たちのソヨゴへの信頼に驚きつつ、ルノとセタの手を握ったまま、人垣の隙間から自由民とのやり取りに聞き耳を立てた。ソヨゴがいつもと変わらぬ口調で淡々と言葉を継いでいる。
「ツゲが帰ってきている。今は町長のところだ」
おおお、と周囲からどよめきが起きた。ギルドの副マスター、サナイが脇から口を挟む。
「留守役ではありませんが、キスゲ様とユウスゲ様がもう南門に向かっています。さあ、皆さんも早く!」
「よし、準備ができてる者から南門へ走れ! 俺もすぐに行く!」
「おうっ!」
屈強な男達が一斉に声を上げ、ばらばらとギルドから走り出していった。先程までの騒ぎが嘘のように、静寂を取り戻すギルド。
その場に取り残されたヤマト達に、ソヨゴが声をかけた。
「済まないが手を貸してくれ。フェンリルとグレイウルフの――コシの民風に言うと黒狼と灰色狼の――群れだ。今ちょうど自由民は手薄、少しでも手伝いが欲しい」
「黒狼!」
ルノとセタが同時に驚きの声を上げた。
灰色狼なら二人が育ったふもとの村でも時々狩人が仕留めているし、ここに来る途中でツゲとヤマトで撃退もしている魔物だ。危険はあるが、腕の確かな者なら充分に対応できる。
だが、黒狼――小屋ほどの大きさがあり、力と素早さと狡猾さを兼ね備えた危険極まりない魔物――となると話は別だ。数年前にふもとの村を襲った時には甚大な被害をもたらし、ルノやセタもその恐怖をさんざん聞かされている。
「まあ、そんなに怖がらなくても大丈夫だ。ここはマレビトの町、ちょっとやそっとではビクともしない。そもそも第三種警報だしな」
「……第三種警報?」
ルノがオウム返しに尋ねた。
「ギルドの自由民だけで撃退可能な襲撃のことだ。第二種は一般の町民も総出で防衛に当たる重大な襲撃で、一種は――考えたくもないが、これまで発令されたことはない。まあ、ともかく、今回の襲撃は第三種警報、留守役と町に残ってる自由民で対応可能な範囲だってことだな。だが――」
ソヨゴが真剣な眼差しで三人の目を順に覗き込んだ。
「正直、何が起こるか判らない。今回の狼どもは基本的に城壁を超えられないから、俺も含めた自由民で城壁の外で殲滅させれば済む話だ。だが、何頭かは城壁に飛び乗ってきてしまうだろう。余裕があれば念のために城壁の上にも何人か自由民を配置するんだが、今回は町の衛兵達だけでそこの対応をしなければいけない。戦力的には充分だが、なにしろ範囲が広い。後ろの心配をしながら戦うのは嫌だからな、城壁の上で衛兵達を手伝ってくれればありがたい」
「……それで大丈夫なの?」
ヤマトが、黒狼という名前に対するルノとセタの反応を意識しつつ、ソヨゴの目を正面から受け止めた。
「ふふ、自由民の力を舐めちゃいけない。じきにツゲも合流するだろうし、さっきここにいた顔ぶれを見ても、戦力的には充分だ。それに、お前たちは新しい武器を手にしたばかりだろう? 城壁の上に待機して、たまによじ登ってくる魔物を殲滅する衛兵達を手伝ってくれれば、それで充分助かるんだ。頼めるか?」
ソヨゴの目には不安や迷いの色が全くなかった。無骨で大きな体からは静かな自信が滲み出し、暖かい眼差しはヤマトを包み込むようだった。背中の巨大な斧が窓からの朝日を受け、頼もしい光を放っている。
「……分かった」
ヤマトは一度ルノとセタを見やり、小さく頷いた。
「よし。そうと決まったら急ぐぞ」
「よろしくお願いします! 我らも後から駆けつけますので」
サナイの声に背中を押され、ヤマト達はソヨゴについて南門へ向かって小走りに走り出した。
軽く息を切らしながら南門に着くと、武装した数十人のマレビトでごった返していた。もう戦闘は始まっているらしく、閉じられた門の向こうから轟音と魔獣の咆哮が聞こえてくる。こちらを認めた自由民達が、口々にソヨゴに叫びかけてきた。
「ソヨゴさん! ついさっきグレイウルフの先陣が城壁にやってきたところです!」
「今は衛兵さんが城壁から魔法で迎え撃っています!」
「さあ、自由民の力を見せつけてやりましょうぜ!」
ソヨゴは彼らにいちいち返事をしながら、近くを走っていた衛兵をつかまえ、慌ただしくヤマト達を託した。ウツギの指揮下に入ることになるらしい。ウツギとは昨日、ツゲと町に入った時に挨拶をした衛兵の隊長だ。
「俺が面倒を見てる大事な子たちだ。ウツギ殿にはくれぐれもよろしくと伝えてくれ」
了解しました! ビシッと敬礼をする衛兵。その脇をすり抜け、セタがソヨゴの手をそっと握った。
「おじちゃん、ケガしないでね?」
ソヨゴの巨体を見上げ、いつになく小さな声を出すセタに、ソヨゴはかがんで優しくふわりと笑った。口を開きかけてヤマトと目が合ったソヨゴは、ルノにも視線を移して困ったような表情を浮かべた。
「こらこら、お前たち、そんな目で見るな。この規模なら日常茶飯事。大丈夫だ」
「ほんと? 約束だよ?」
「――分かった。約束しよう」
ソヨゴはその大きな手でセタの頭を撫で、すっくと立ち上がった。肩を揺すって背中の斧の位置を直し、後でな、そう言って武装した自由民の輪に入って行った。
「よし、行こうか」
急ぎ顔の衛兵に連れられ、ヤマト達は狭い階段を抜けて城壁の上に出た。扉を抜けた途端、土埃と怒号がヤマト達を包み込んだ。通路の向こう側では、揃いの革鎧で身を固めた衛兵たちが、外側に身を乗り出すように胸壁に張りついている。右端の衛兵が掲げた手が光ったかと思うと、次の瞬間、城壁の外から大音響が響いた。巻き上がる土埃。押し寄せる濃厚な土の匂い。
「こっちだ!」
ヤマト達を連れて来てくれた衛兵が、片手で顔をかばいながら叫んだ。ヤマトがルノとセタの手を引っ張って衛兵について行くと、見知った顔があった。隊長のウツギだ。時折轟く爆音にも眉一つ動かさず、腕組みをして戦況を睨み付けている。
そんなウツギに衛兵がヤマト達を引き合わせてくれ、テキパキとした口調で報告をした。
「お主たちか。助かる」
ウツギは厳しい表情を崩さず、ヤマト達に小さく頷いた。
「基本的には我が衛兵隊でこの城壁の上を守るが、いかんせん人数に対して範囲が広い。お主たちは遊撃として、手薄なところを補助してもらえればありがたい――」
「報告!」
ヤマトが返事をしようとした時、階段から衛兵が飛び出してきた。
「自由民部隊、出撃の用意が整ったとのことです!」
「よし、開門の準備を進めろ! 手が空いている者は城門前の魔物を駆逐する! ついて来い!」
ウツギは十人ほどの衛兵を引き連れ、城門の真上まで駆け足で移動した。ヤマト達も後ろからついて行く。
城門部分は一段高くなっており、そこに上がって初めてヤマトの目に戦いの場が飛び込んできた。城壁前の地面はあちこちがえぐられ、ちらほらと魔物の死骸が転がっている。襲撃の第一波は撃退したようで、動くものと言えばうっすらと立ち込めている土煙だけだ。その先は大きく草地が広がり、道が蛇行しながら奥の森まで伸びている。そして森の手前、低木が茂みを作っている辺りに、グレイウルフの巨大な群れがあった。距離にしておよそ五百歩。
「今が好機だ! 城門を開けろ!」
城門前に魔物がいないことを見て取ったウツギが、周囲の喧騒を押しのけるような力強い声を張り上げた。城門を開けろ!――衛兵たちが次々に復唱の叫びを上げ、輪唱のように指示が伝わっていく。何本もの叫びが空に吸い込まれた頃、ヤマト達の足元から擦れるような鈍い音が響いてきた。鉄製の大扉がゆっくりと開かれているのだ。
その時、草地の向こうで、大地を揺るがす遠吠えが上げられた。耳に聞こえるのではなく、体で感じるような凶暴な遠吠えだ。次々に幾頭もの遠吠えが追従し、耳を塞ぎたくなる合唱へと変わっていく。
セタが小さな悲鳴を上げ、ヤマトの手を握ったルノの手にぎゅっと力が入る。ヤマトは無意識に二人の肩を抱き寄せ、草地の向こうに目を凝らした。
一斉に遠吠えを上げるグレイウルフの群れの前で、手本を見せるように一頭の巨大な魔獣が猛々しく天に向かって吼えていた。あれが黒狼――ヤマトは腹の底が締め付けられる感覚を覚えた。グレイウルフが熊の大きさとすれば、禍々しい気配を放つフェンリルはその三倍はゆうにある。ヤマトが見詰めるうちにフェンリルは遠吠えを止め、こちらを振り向いた。背後のグレイウルフの群れも、ピタリと遠吠えを止める。
行け。
あたかもフェンリルがそんな号令をかけたかのようだった。グレイウルフの群れが一斉に動き出した。あっという間にフェンリルを追い越し、ぐんぐん速度を上げ、土煙を巻き上げて城門へ向けて突進してくる。
その迫力に、ヤマトは思わず一歩後ずさった。眼下では武装した自由民が城門の前で陣形を整え始めている。ソヨゴが先頭にいる。ツゲも駆けつけたようだ。
「門を閉めろー!」
ソヨゴが胴間声を上げ、迫りくる魔物に向き直った。
猛り狂うグレイウルフの群れはあっという間に二百歩の距離まで迫り、逞しい四肢が地面を蹴る無数の音が地鳴りのように押し寄せてくる。
「放て!」
ウツギが叫び、城門の上から衛兵たちの魔法が放たれた。何十もの氷の槍や炎の玉が一斉に飛んでいき、勢いに乗ってなだれ込んでくる魔物を正面から薙ぎ払った。爆音と共に何匹ものグレイウルフが宙に巻き上げられる。
しかし、立ち込める土煙の中から後続のグレイウルフが次々と姿を現し、何事もなかったかのように押し寄せてくる。まるで灰色の津波のようだ。
「撃て!」
今度は城門前の自由民達が一斉に魔法を放った。強烈な打撃を二回も受けた魔物の群れの中央部が崩れ、そこだけ僅かに勢いが弱まった。
「よし! 我らマレビトの戦いを見せてやれ! 行くぞ!」
ソヨゴの叫びに五十人からなる一団の雄叫びが応え、自由民の戦闘部隊は殺到する灰色の奔流に向かって突っ込んで行った。




