24話 暗雲
先程まで無人だった訓練場には、ギルドの営業開始と共に何人かの自由民が入ってきていた。膝の曲げ伸ばしなどをして体をほぐしている者、武器を手に型の練習をしている者など、朝のひんやりとした空気の中にも、それぞれ真剣な表情で体を動かしている。先程より日は高くなっているが、遠くに黒灰色の雲がかかり、気温はほとんど変わっていない。
「ルノさん、私たちはこの辺りでやりましょうか」
アオイがルノを引き留め、ルノの得物を脇に置いて準備運動を始めた。
「薙刀はね、少し癖があるけど、慣れさえすればとっても使いやすい武器なの――」
「ヤマトはこっちだ」
ついさっきまでは無かった筈の、どんどん勢力を広げているかのような真っ黒な雲に気を取られていたヤマトは、ソヨゴに肩を引っ張られて我に返った。
「ごめん……」
「ヤマト兄ちゃん、ぼーっとしてるとセタがやっつけちゃうよ?」
セタがクスクス笑いながら、手刀でヤマトを切るふりをした。ソヨゴの向こうでサナイが笑顔で待っている。
「私たちはもう少し奥の広いところでやりましょう。それにしても皆さん初々しくて、私が自由民になった頃のことを思い出してしまいますね」
「ほう、サナイ殿は自由民からギルド入りか」
「ええ、怪我をしてどうしようもなくなったところを、ナガテ様に拾われまして――」
話しながらどんどん進んで行くソヨゴとサナイ。ヤマトは、もう一度ちらりと黒灰色の雲に目を遣り、小さく首を振って小走りで皆を追いかけた。
「よし、この辺でいいだろう」
ソヨゴが立ち止まった。
「まず、防具をつけた状態での動きの確認だ。サナイ殿と二人で打ち掛かるから、それぞれ自由に躱してみろ」
そう言うなり、ソヨゴはヤマトに殴りかかった。咄嗟に上半身を引いて躱すヤマト。隣ではサナイが手にした杖をセタに振り下ろしている。セタもうまく避けたようだ。
「よそ見するな。どんどん行くぞ」
蹴りも交えて怒涛の攻撃を仕掛けてくるソヨゴ。その大きな体からは想像もつかない敏捷さで、何より動きに無駄がない。ヤマトはだんだんと追い詰められていくのが分かった。着慣れない防具は動きに少しだけ予想外の抵抗がかかり、その少しが徐々にヤマトの余裕を奪っていく。
体勢を崩したところに襲い来るソヨゴの回し蹴りを、ヤマトは貰ったばかりの両手杖の中央部で下から跳ね上げた。両手に、じいん、と強烈な手ごたえがあったが、なんとか軌道をそらすことに成功した。そのまま後ろに飛びずさり、ヤマトはソヨゴから距離を取った。
「どうだ、動けるか?」
ソヨゴが尋ねた。あれだけの動きをしたのに、息ひとつ切らしていない。隣ではサナイとセタも動きを止めていた。
「体を大きくひねる時とか、少し違和感……」
ヤマトが息を整えながら身振りで説明すると、ソヨゴは大きく笑った。
「それだけひねればどんな鎧だってついてこれない。仕方がない部分だな」
「そっか……慣れれば大丈夫、だと思う」
セタも大きな問題はないようで、ソヨゴが、じゃあ次は武器の練習に入る、と宣言した。大きな声で「はいっ、ししょー!」と返事をするセタ。
「サナイ殿、ライトの魔法は使えるか?」
ソヨゴの問いに、サナイは不思議そうな顔をした。
「え、まあ、使えますが……?」
「なら、ひとつ出してもらえると助かる」
ソヨゴはそう言うと、自らも魔法の集中を始めた。間もなく光り輝く球体が宙に出現し、ヤマトの目の前、胸の高さでふわふわと漂い出した。夜なら充分な明かりになるのだろうが、朝のこの時間だとただの光る球に過ぎない。サナイもソヨゴに促され、セタの前にライトを浮かべた。ゆらゆらと揺れるその光玉を、首を傾げ気味に見守るセタ。
「ヤマト、その両手杖で攻撃してみてくれ」
ヤマトは意味が分からないながらも、すっと息を吸い、目の前の光玉を狙って慎重に漆黒の両手杖を一閃させた。狙いどおりに命中、光玉は微かな手応えと擦過音を残して消散していく。
「そう、ライトの魔法は物理的な衝撃で簡単に消滅する。だが――」
理解が追い付いていないヤマトとセタをそのままにして、ソヨゴは再びライトの魔法を浮かべた。そして背中の斧を手にし、豪快に一振り。ぶおん、という音と共に斧は光玉をかすめた。輝く球は一瞬暗くなり、またすぐに光を取り戻していく。
「――ほんの少しかするだけなら、こうやってすぐ光り出す。これを狙って練習だ。出来るだけ武器の切っ先でかするようにな」
なるほど。サナイが大きく頷いた。
「まずは武器を自分のモノにする、そういうことですね。そして、極めれば、武器の切っ先の見切りへと繋がっていく。さすがソヨゴ様、いやいや奥が深い……」
「ねえ? やってもいいの?」
セタが、腕組みをしてウンウンと一人頷いているサナイに催促した。
「はっ! 申し訳ありません。どうぞどうぞ」
「ヤマトもやってみろ」
「……うん」
ヤマトは両手杖を渡された時のことを思い出していた。言われるがまま魔力を通し、まるで自分の手のように杖の先端の微妙な動きを意識できた、あの感覚のことだろうか。それなら出来る気がする。
よし――ヤマトは両手杖に魔力を流し込んだ。ヒヒイロカネのズシリとくる重さが半減し、手に吸い付くように馴染む感触。
ヤマトはふわふわと揺れ動く光玉に意識を集中し、矢を放つ時のように呼吸を整える。そして――狙いすました一撃。漆黒の杖が描く弧の先端が、見事に光玉をかすめた。一旦暗くなり、また輝きだす光玉。
「へ?」
まさか一発で出来るとは思っていなかったのだろうか、ソヨゴが珍しく間の抜けた声を出した。隣では、サナイが新しい光玉を作り出している脇で、セタが悔しそうに、しかし楽しそうに素振りを繰り返している。
「たぶん……この武器のお陰。魔力を通すと……すごくいい」
「そ、そうか。それなら次の段階、やってみよう」
ソヨゴはライトの玉を地面すれすれに移動させた。と思いきやそのまま浮上させ、上下左右にふらふらと複雑に動かし始めた。
「本当は低い位置、高い位置と練習をしていくんだが、それは飛ばす。ヤマトはこの動くライトでの練習だ」
ヤマトは腰を落とし、槍を構えるように、半身になって両手杖を構えた。集中し、呼吸を整えつつ、気ままに漂う光玉をうかがう。一閃、外れ。少し遠かったようだ。次の一閃、外れ。まだ僅かに遠い。そして三回目は強く当たって、光玉は消滅した。なかなか難しい。
時の経つのも忘れ、夢中になって練習をしていると、セタの相手をしていたサナイからストップがかかった。魔力切れ間近らしい。
「よし。ちょうど良い。昼にしよう」
そういうソヨゴも少し疲れた顔をしている。魔力を使わせ過ぎたのだろうか、ヤマトは歩み寄って「ごめん、でもありがとう」と声をかけた。ツゲは何も言わず、優しい微笑みをヤマトに返した。
「ね、ヤマト兄ちゃんは何回できた――」
セタが駆け寄ってきたその時、近くで鐘がけたたましく連打された。カンカンカン、カンカンカン、春のうららかな空気を切り裂くように、素早く三回ずつ区切って叩かれている。ギルドの大屋根の中央にそびえ立つ尖塔で、誰かが激しく鐘を叩いていた。遠くに見えていた黒灰色の雲はいつの間にか大きく広がり、それを背景に打ち鳴らされる鐘の音には異様な緊迫感が込められている。
何事かと尖塔を見上げるヤマトの脇を、サナイが凄い勢いで駆け抜けていった。その先にあるのはギルドへの入り口。見渡すと、周囲で訓練をしていた人達も一斉に走り出している。
肩越しに叫ぶサナイの声が訓練場内に響き渡る。
「魔物襲来! 第三種警報!! 自由民の皆さん、ギルドにお集まりを!」
「ヤマトッ! セタッ!」
呆然としているヤマトとセタの腕をツゲが掴んで走り出した。
「町に魔物が押し寄せてくるぞ! ギルドの受付前で情報を教えてもらえる。急げ!!」




