21話 ギルドマスターの試験(後)
「じいさん、こりゃやり過ぎだ――」
抗議の声を上げたツゲを、ソヨゴが抑えた。
「黙ってみてろ。ここまでしないとヤマトの底は見えない」
ヤマトはひとつ大きな息をつき、油断なく顔を上げたまま、腰の矢筒からゆっくりと矢を引き抜き、下向きの弓にそのまま添えた。霊力の循環を強化し、全身の感覚を研ぎ澄ましていく。
双玉の炎が徐々に輪を狭めてきた。空中に灼熱の軌跡を残し、踊るような、惑わすような不規則な曲線が徐々にヤマトに近付いている。ヤマトは目で追うのを諦め、瞳を閉じて炎の気配を感じとることに集中した。
「どうしたッ、降参か!」
ナガテの叱咤がヤマトを揶揄する。
ヤマトは更に目をきつく閉じ、漠然と感じる炎の気配に神経を集中した。
右から左にひとつ、交差するようにもうひとつ。音と魔力の流れ。徐々に要領が分かり、ふたつの動きが把握できるようになってきた。
後ろに回って上、正面から右、鋭角に曲がって背後。
ヤマトの脳裏に、高速で飛び回る二つの光が映し出されていく。
「――ッ!」
ヤマトは体を反らし、左から突っ込んでくる炎の玉を寸前で躱した。ヤマトの顎のすぐ先を強烈な熱気が右へかすめ飛んでいった。鼻に残る金臭い匂い。
「くふふ、そうこなくてはの」
額に汗を浮かべながらも集中を保つヤマトに、ナガテが満足そうな声をかけてきた。
「そうしたら、これはどうじゃ?」
今度は背後から――ヤマトは咄嗟に斜め前方に飛び出し、辛くも躱した。崩れかけた体勢をすぐさま立て直し、次に備える。息が荒くなってきている。ヤマトは循環する霊力量を最大限に増やし、弓を握る手に力を入れた。自分の心臓がドキドキと音を立てているのが聞こえる。
「さあ、どんどん行くぞ」
「――ッ!」
足元を抉るように跳ね上がってきたものを半身になって躱すと、続けざまに右から。そして斜め後方から、次いで正面から――。霊力循環による反射速度の向上を最大限に活かし、ヤマトは次々に躱し続けた。
無心になって、どのくらい躱し続けただろうか。
息が上がってきている。喉が焼けるように熱く、肺が更なる空気を求めている。
このままだと!
ヤマトの脳裏に嫌な考えがよぎった。こんなに連続して来られると、いつか――え、連続して?
一瞬の閃き。
ヤマトは縦横無尽に身を翻しながらも、炎の玉が身に迫る時の気配だけでなく、躱した後の動きにも注意を向けた――ここだッ!
ヤマトに躱された炎の玉が向きを変えすぐさま折り返してくる、その速度が緩んだ瞬間――ヤマトが放った矢がその中心を貫いた。
迸る閃光。鼓膜を揺らす爆音。襲いかかる熱気。
ヤマトは双玉の炎のうちのひとつを、見事に射止めた。
うおおおーーー!
ツゲが絶叫した。
ソヨゴやルノ、セタも声の限り歓声を上げている。
残る炎の玉は距離を置き、遠巻きに回り出した。
ヤマトは油断なく構えながら、ゼイゼイと荒い呼吸を落ち着かせ、次の矢を手に取った。その感触に、疲れた頭でふと単純なことを思いついた。
心を落ち着かせ、動きのイメージをなぞる。
炎の玉が左後方から突っ込んできた。ヤマトは体を捻って振り返りつつ、右手に握りしめた矢で炎の玉を殴りつけた。
至近距離で起こる爆発。
ヤマトは吹き飛ばされ、もんどりうって地面に転がった。衝撃と激痛。そしてヤマトの意識は途切れた。
気が付くと、ヤマトはルノに膝枕をしてもらっていた。体に痛みはない。
「……あれ?」
身じろぎすると、真上から覗き込むルノと目が合った。少し目が赤くなっている。
「あれ、じゃねーよ!」
顔を起こすと、心配と怒りが一緒くたになった顔をしたツゲがいた。皆がぐるりとヤマトを取り囲んでいる。ツゲが大袈裟に天を仰いだ。
「おま、馬鹿か? 爆発するの見てるだろーが。あんな近くで叩いてどうするつもりだったんだよ!」
「……考えてなかった」
「考えてなかったって――」
ヤマトの肩を揺さぶろうとするツゲをナガテが抑えた。
「待て、儂もやり過ぎた。すまんかったの。精霊の巫女殿が癒してくれたとは言え、怪我をさせてしもうた」
「……あ、いや……」
「結果としては良かった」
ソヨゴが口を開いた。
「ナガテ殿があそこまでやってくれたお陰で、ヤマトの底力が見れた。あの躱しっぷりは凄まじかったし、弓を教えた者として、あの一射目は鼻が高い」
「ヤマト兄ちゃん、びっくりしたよっ」
セタがヤマトに抱きついてきた。目尻に少し泣いた跡が残っている。そんなにひどい状況だったのだろうか、体を起こしながらヤマトは心配になってきた。
「おう、確かにあの身のこなしは尋常じゃなかったけどな。尋常じゃなかったけど、考えの足らなさも尋常じゃないぞ? ルノがいなかったらどうなってたか」
「これ坊主、そんなにしつこく言うもんじゃない。儂にも非がある」
なおも眉をしかめて詰め寄るツゲを、ナガテが再び諌めた。
「そうじゃ、巫女殿に礼を言わねば」――ナガテは深々と頭を下げた――「本当にありがとう。ルノ殿は精霊の巫女の中でもずば抜けた力をお持ちのようじゃな」
「あの、ルノ……そんなにひどい怪我だったの?」
思わぬ事態の展開に、ヤマトは振り返って恐る恐る聞いてみた。ルノは少し充血した目を一瞬丸くして、
「知りませんっ」
そっぽを向いた。
「ヤマトには少し聞きたいこともあるのじゃが、お主は少し休んでおれ。その間に、お嬢ちゃん、少しやってみるか」
ナガテがセタの肩をポン、と叩いた。
「え、あ、うん?」
「おーし、セタ。ヤマトの馬鹿はほっといて、今朝教えたとおりにぶちかましてやれ!」
ツゲの顔から険が取れ、いつもの洒落っ気が戻ってきた。つられてセタもやる気が出てきたようだ。
「よおし、ぶっちかますっ!」
立ち上がり、準備運動とばかりに手をグルグル回しだした。
ナガテは孫を見守るような笑みを浮かべ、セタを連れてヤマト達から少し離れた場所へ移動した。手を後ろに組んでにこやかに言う。
「儂は手を出さんからの、好きにかかってくるが良い。お嬢ちゃんががどのぐらい動けるか、見せておくれ」
「わかった。じゃ、いっくよー?」
セタは半身になって構えた。しっかりと形になっている。
行けーーー、ツゲが叫んだ。
小さな体からは予想も出来ない速さで打ちかかるセタだったが、ナガテは最低限の動きでひょいひょいと躱していく。
ルノにそっぽを向かれ、微妙な空気の中でヤマトがそんな二人を眺めていると、肩に手が置かれた。ソヨゴだった。
「成長したな。驚いたぞ」
いかつい巨体に似合わない、優しく誇らしげな顔だった。
「だが、最後のは駄目だ。ちゃんと考えてから動くんだ。次はするなよ」
「……うん」
「で、ルノにきちんとお礼を言え。結構な怪我だった」
「…………うん」
ヤマトがルノを見ると、つい、と視線を逸らされた。
「あの……ありがとう。次からは怪我しないように……考えて動くから」
ルノがゆっくりと視線を戻し、ヤマトの真意を探るように見詰めてきた。すこし充血した水色の瞳に非難の色はなかったが、ヤマトはしっかりと視線を受け止めた。
「もう無茶はしないでくださいね?」
ルノの少し掠れた声に、大きく頷くヤマト。そのまま、ごめんね、と謝ると、
「ヤマトさんが謝ることじゃないです。私こそ取り乱しちゃって、すみませんでした」
少し照れながら、ルノも頭を下げてきた。
「私、実際に人が怪我をして血を流している光景、初めてだったので……そして、それがヤマトさんで……」
「次から気を付けろ。それでいい」
ヤマトがどう言葉を返せばよいか分からずにもじもじしていると、ソヨゴが救いの言葉を入れた。
「それに、ルノ。お前には驚かされたぞ。精霊の巫女――クシナダの癒しの手ってのは、皆あんなに凄いのか?」
「私も初めてで……。私のひいおばあさんは、その時々で使える力の量は違ったと」
「マレビトにも治癒魔法はあるが、とても及ばない。……そういえば、体に負担はあるのか?」
はっとした顔でソヨゴが尋ねた。ヤマトも吃驚してルノを見詰める。
「ちょっと疲れてますね――ふふふ、大丈夫です」
ありがとうございます、とニッコリ微笑むルノ。
「それに、今の私はすぐに力を貰えますから」
ルノの微笑みが、謎めいた、しかし幸せそうな笑みに変わった。
三人から離れた場所では、セタが肩で息をついていた。いつのまにか両手に訓練用の短剣を握り、稽古を受けているような様相に変わっている。
「ほれ、今の一歩が無駄じゃ。勢いを止めず、次の一撃に繋げるのじゃ」
「セタ、この体勢からだったら、こういう攻撃も――ほら、こう体を捻って――こんな具合に――」
ツゲも一緒になって脇で熱心に実演している。
セタは顔を真っ赤に火照らせ、大きく肩で呼吸をしながらツゲの手本をじっと見詰めた。そしてコクリと頷き、ナガテに飛びかかって流れるような四連撃を放った。
カンカンカンカン!
全てをナガテが手にした鉄の棒でいなし、甲高い四連音が響いた。セタの後半の二撃はツゲの手本を正確にコピーしている。ツゲが喝采した。
「そうだ! 今の動きだッ! やっぱ嬢ちゃんは天才だ!」
「四回で終わりか? まだ続けられる筈じゃぞ」
セタは無言で頷き、再びナガテに斬りかかっていった。
「おお」
ソヨゴが感嘆のため息を漏らした。
「セタも凄い。お前達三人、三人とも尋常じゃない……」
「え……セタ、いつの間に?」
「セタ、すごい……」
ふもとの村では武器など持ったことがない筈のセタ、そのあまりの進歩ぶりにヤマトとルノも顔を見合わせていた。
「ここまで!」
ナガテの声が訓練場に響き渡った。
ふへええーーー、ふ抜けた声を上げて地面に寝転がるセタ。
「嬢ちゃん、また強くなったな!」
ツゲが駆け寄ってセタの顔を覗き込んだ。遅れてヤマトとルノもセタを囲む。セタは大きく胸を上下させながら上体を起こし、火照った顔でニカッと笑った。
「へへへ、二人とも、見た? セタね、特訓、してたんだよ?」
「セタ、あなたってば――」
「凄い……びっくりした……」
「たいしたもんだろ? 教えた端から出来ちまうんだよ。天才ってやつかもな」
ツゲが賞賛の眼差しでセタを眺めた。
「ヤマト兄ちゃんに、教えてもらってからね、体が思うように動いて、楽しいの」
「お嬢ちゃんや、両手に短剣はどうじゃった?」
ナガテがソヨゴと共に歩いてきた。
「うん、ちょっと重いけど、あの位なら大丈夫。剣二本て、かっこいいもん」
「うむ、お嬢ちゃんはやっぱり双刀が合ってるのう。速さと手数で敵を圧倒するのじゃ。お嬢ちゃんと同じコシの民、イメラと同じじゃわい」
「雷光のイメラ? やったー! セタ、ずっとこれで練習するっ!」
「ツゲに教えてもらっているようじゃが、まだまだしっかりと鍛錬するのじゃぞ」
「はいっ!」
セタはぴょん、と立ち上がった。
「これで試験は終わりじゃ。そしてヤマト――」
ナガテが向き直り、突き刺すような眼差しでヤマトを見据えた。
「お主、何者じゃ?」




