17話 ギルドカード(後)
「お待たせしました」
アオイがノックをして部屋に入ってきた。何やら微妙な顔をしている。後ろから、足音も荒くツゲも姿を現した。
怒ってる?――ヤマトは不思議に思った。ギルドのどよめきの理由は分からないが、珍しくツゲの表情が固くなっている。
「えーと、ギルドカードは出来たんだけどね――」
「おい、じいさん、一発殴っていいか?」
仏頂面のツゲが、アオイを押しのけるようにして一枚のカードを机の上に滑らせた。クルクルとカードは回りながら、ナガテの前で止まった。
「サナイとの話も大体終わったからよ、ヤマト達のカードが出来そうだってんで見に行ったんだよ。ついでに俺のカードを更新してみたら――」
ブッ。
カードを手に取ったナガテが吹き出した。カッカッカッと盛大に笑う。
「ちょ、笑いごとじゃねえっ! そもそもだな、じいさんが変な呼び方するから――」
「どうしたの?」
疲れたような顔で笑いを堪えてるアオイに、セタが小さな声で尋ねた。
「……あのね、カードには称号って欄があって、その人を表わす呼び名が自動的に表示されるの。駆け出し自由民とかね。で、ツゲさんは『白龍の朋友』って凄い称号で有名なんだけど、さっき更新してみたら――」
堪えきれずに吹き出すアオイ。
「おいっ、アオイまで!? このカードもこのギルドも、絶対おかしいっ」
「かかか、間違ってはおらんわい。そのとおりではないか」
「うるせーじじい! 俺が向こうでどんだけ笑われたと思ってんだよ? 歯を食いしばれっ! ぜってー殴る!!」
笑いの発作をなんとか抑え込んだアオイが、ツゲのカードを手に取ってヤマト達に見せた。
カードにはこう書かれていた。
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氏名 埜村 ツゲ
称号 永遠の腕白坊主
自由民ランク B
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「えいえんのわんぱくぼうず?」
アオイに読んでもらったヤマト達は一瞬意味が分からなかったが、すぐにセタがきゃーきゃー笑い出した。
「永遠のわんぱく坊主だってっ! あはは、おじちゃんなのに、坊主っ!」
「嬢ちゃんまで……」
がっくりと肩を落とすツゲ。
ヤマトは、ツゲに悪いと思いつつも少し安堵してしまった。どうやら先ほどのギルドのざわめきの原因はこれだったらしい。
ヤマトとしては、ツゲの新しい称号云々よりも、元々の白龍の朋友という称号の方が気になる。町に入る前、白龍に気配が似ていると言われた時も引っかかっていたが、胸の奥の方で何かが白龍という言葉に反応している。後で詳しく聞こう、そう心に決めた。
「あの、コレって何ですか?」
場が落ち着いたタイミングで、ルノがツゲのカードの、埜村、という部分を指して尋ねた。
「苗字、というものじゃな。今はこうして稀にカードに表示される者がおるだけじゃが、昔のマレビトの名残りだと言われておる」
「こうして苗字が表示される人は、初代のマレビトの直系の子孫らしいの。凄い事なのよ?」
アオイがツゲを慰めるように補足した。顔もちらりと覗っていたが、ツゲの視線は捉えられなかったようだ。
「そうそう、今回はこんなことになっちゃったけど、ギルドカードは月に一回、更新が必要なの。カードに込められた魔力を補充する意味合いが強いんだけど、みんなも忘れないでね」
「あれ、そういえばセタのカード、出来たの?」
はっとしたアオイの顔に、部屋に入って来た時の困惑したような表情が戻った。
「そうだったわね。出来たんだけどね……マスター、ちょっと見てください」
アオイは手に持っていた三枚のカードをナガテに渡した。
「ほう、どれどれ…………」
ナガテは一言も発しないでカードをためすがめつ眺め、小さく首を振った。そしてため息をひとつ、それからようやくセタを手招きした。
「ほれ、まずはお嬢ちゃんのじゃ」
「ありがとうっ!」
セタは小躍りしてカードを受け取り、飛び跳ねるようにしてヤマトとルノに見せに来た。黒地に青い縁取りがしてあるそれは、光を反射してピカピカと光っている。
「かっこいいねっ!」
目を輝かせるセタの頭を撫でながら、ルノがアオイに視線を送った。アオイはセタからカードを受け取って、読み上げた。
「氏名、セタ。自由民ランク、F。そして称号が……精霊の祝福を受けし者」
「精霊の祝福?」
ヤマトとルノ、ツゲが揃って声を上げた。
「そうなの、Fランクなら普通は駆け出し自由民とかなんだけど……セタちゃんは精霊に好かれているみたい」
「ホントっ? ありがとう精霊さんっ!」
どこにいるのか分からない精霊に向けて、四方八方へお辞儀を繰り返すセタ。ヤマトはルノが微笑みを浮かべて自分を見ているのに気が付いた。精霊の祝福など滅多にあることではなく、これは確かに喜ばしいことだ。ヤマトは大きく頷き、同じ微笑みを返した。
「次は、ルノじゃな」
「ありがとうございます」
ルノはお辞儀をしてカードを受け取り、そのままアオイに手渡して読み上げてもらった。
「氏名、流野。自由民ランク、F。称号は……精霊の巫女、となっています」
「おう、ルノって本当に精霊の巫女だったのな。疑っていた訳じゃねーんだけどさ」
「ふふ、これで何かが変わる訳ではないですが、ギルドに認めてもらったみたいで嬉しいです」
「ルノ姉ちゃん、おめでとーっ!」
「最後に……ヤマトじゃ」
ため息交じりのナガテに胸騒ぎしつつ、ヤマトはカードを受け取り、そのままアオイに渡した。アオイは少しためらい、そして読み上げた。
「氏名、椎名 ヤマト。自由民ランク、F。そして称号が…………精霊の森を継ぐ者」
「はああ?」
ツゲが素っ頓狂な声を上げた。
「おいおいおい、何だよそれ? 苗字持ち? 椎名なんて聞いたことないぞ? それに、精霊の森って何だよ? それを継ぐ者って――」
「私に聞かないでください! 私だって分からないんですから」
ほら、そう言ってアオイはヤマトのギルドカードをツゲに手渡した。ツゲはまじまじとカードを見詰め、ヤマトに返してきた。
「ね、ヤマト兄ちゃんのって、すごいの?」
セタがアオイに尋ねた。アオイは少し落ち着いたようで、長い黒髪をかき上げ、丁寧にセタに答えた。
「ええ、こんなに権威に満ちて不思議な称号なんて、少なくとも私は初めて。ギルドのカードはね、初代のマレビトが作った強力な魔法が元になっていて、真実しか表示しないの。精霊の森のことは知らないけど、言葉の響きからして、きっと凄いことよ」
やったー、と素直に喜ぶセタ。ルノはどこか納得したような顔をしている。
「ヤマト、精霊の森とは儂も聞いたことがないんじゃが、心当たりはあるかの?」
「……僕も知らない……知らないけど……」
皆は驚いたりそれぞれの反応をしているが、ヤマトはただただ困惑していた。
千年樹の森ならよく知っているが、精霊の森。
登録の水晶に触れた時の懐かしい声が頭に甦る――まずは精霊の森ですよ――あの声は、幻覚なんかではなかった。ギルドカードの記載とも言葉がつながり、急に現実味が濃くなってきた。が、結局意味は分からない。ヤマトは力なく首を振った。
その時、ヤマトの頭にひとつの思いつきが浮かんだ。精霊の森は知らなくても、ひょっとして――。
「あの……龍の玉とか……始まりの高原とか……シャラとか、知ってますか?」
それは、例の懐かしい声が言っていた言葉だった。
力が足りないと思ったら、龍の湖で龍玉を探せ。知識が足りないと思ったら、始まりの高原でシャラを呼べ。
今のヤマトには何を言っているか分からないが、ひょっとしたら何か分かるかもしれない、そう期待したのだ。
何を言い出すと目を丸くした一同だったが、ナガテがおもむろに口を開いた。
「他の二つは知らぬが、始まりの高原は聞いたことがあるのう。確か、原初のマレビトがこの地に降り立った、伝説上の場所だった筈じゃ」
なぜそんな言葉を知っている、言外にそんな含みがあるようにヤマトは感じ、思わず視線を外してしまった。
「へえ? 良く知ってたな、そんな場所。俺は知らなかったぞ?」――ツゲがのん気にそう言って、そしてニヤリと笑った――「でもな、俺は龍の玉ってのは聞いたことがあるな」
「……翡翠の玉とか黒曜の玉とかじゃなくて?」
ぼそりと漏らしたアオイのひと言に、ツゲはバッサリと切って返した。
「当たり前だっつーの。俺を誰だと思ってる? 白龍の…………あ、いや……その称号は違うのに変わっちまったけどよ……」
尻すぼみに小さくなるツゲの言葉に、ルノがクスリと笑った。
「ツゲさんはツゲさん、頼れるお兄さんです。そんな珍しいものを知ってるなんて、さすがは一流の自由民ですね」
「あ、いや……聞いたことがあるだけで……良くは知らねえ……」
これまで見たことがないぐらい小さくなるツゲを見て、おじちゃん元気出して、とセタが慰めた。ヤマトとしても、実際にあると分かっただけでも収穫だ。素直に礼を言った。
「おう、落ち込んでても仕方ない、か……。よおし、俺のカッコ良さが誤解されるのは今日に始まったことじゃないし、ヤマトが色々とおかしいのも今日に始まったことじゃない。うむ、今日のところの用事は済んだ。いつまでもここに居てもしゃあないし、ぼちぼち行くとするか」
自分に言い聞かせるように勝手に話を進めるツゲに、ナガテは苦笑いを浮かべつつ肩をすくめた。
「まあ、ヤマトの称号については、いずれ意味が分かってくるじゃろうて。ひとつ言えるのは、登録の時の内なる光の強烈さといい、この称号が相当のものだろうということじゃ。アオイの専属は間違っておらんかったの。このまましっかり補佐するのじゃぞ」
アオイは、はい、と気持ちのこもった返事をし、ヤマト達三人に柔らかい微笑みを投げかけた。
「よろしくね。これから何でも遠慮なく聞いてね」
「はいっ!」
元気の良いセタの返事に一歩遅れて、ヤマトとルノがよろしくとお辞儀をした。
「そうそう、ついでにツゲさんも私の専属になる? 色々と面倒見ても良くてよ?」
アオイがいたずらっ子の目でツゲを見上げた。長い黒髪がさらりと流れ、整った口元からは隠しきれない笑みが零れている。
「ば、ばか言ってんじゃねえ。い、行くぞ」
ひとり踵を返して部屋を出ていくツゲの背中に、アオイが小さくため息をついた。その顔からは、今しがたの生き生きとした表情がすっかり剥げ落ちている。ルノが近づき何かを囁くと、二人はひそひそと小声で話し始めた。
ゴホン、ナガテが軽く咳払いをし、ヤマトに向かって声には出さずに「では明日の朝」と口を動かした。
アオイとルノは気付いていないようで、ヤマトは小さく頷いた。
「おーい、やーまーとー」
廊下の向こうからツゲの呼ぶ声がした。その声にいつもの陽気さはなく、疲れが滲み出ている。
「……じゃあ、また……」
「これからもよろしくお願いします」
「ギルドカードありがとねっ!」
ヤマト達は慌ただしくナガテとアオイに暇を告げた。廊下の先で肩を落として待つツゲと合流し、言葉少なにギルドを後にした。
「はあ……なんか今日のギルド、きれいさっぱり忘れちまいたい……」
夕暮れの街にツゲが呟いた。
セタがクスクス笑い、ししょー、と叫んでその背中に飛び乗った。ぎょええ、と声を上げるツゲ。
そのままセタを肩車し、少し元気が戻ったツゲを見て、ヤマトはほっと胸を撫で下ろした。ルノを振り返ると、目が合ったルノがそっとヤマトの手を繋いできた。少し照れくさそうな微笑み。
正面から夕陽を浴びたルノは輝かんばかりに美しく、その空色の瞳はまっすぐヤマトを見詰めている。
大袈裟な称号や、幻覚とは思えない不思議な声のことで混乱していたヤマトの心が、嘘のようにスーッと落ち着いていった。
これもルノの癒しの力なのかな、ヤマトは感謝の気持ちを込めてルノの手を微笑みと共に握り返した。
「ま、日が暮れる前にソヨゴのところに行きますか」
セタを肩車したツゲに率いられ、ヤマトとルノは夕陽をいっぱいに浴び、手を繋いだまま歩き出した。




