16話 ギルドカード(前)
……ここはどこ?
気が付くとヤマトは広大な草原に横たわっていた。石造りのギルドの部屋は消え失せ、ルノもセタも、ツゲもナガテもアオイもいない。
濃淡をつけた霧が辺り一面にゆっくりと流れ、奇妙に捩れた巨木のシルエットがひとつ、遠くに見え隠れしている。水気を大量に含んだ空気が、ヤマトの顔をひんやりと撫でて行く。
そして、目の前には、淡く脈動する水晶球が音も立てずにぽつんと浮かんでいた。
ヤマトは訳が分からず、草露に濡れた手で水晶球に触れてみた。
……マト……
すると、水晶球から聞き覚えはないが不思議と懐かしい声が聞こえてきた。
――ヤマト、聞こえますか?
千年樹と話している時のような、頭の中に響き渡る声。とても優しい女性の声で、こちらを労わるような雰囲気がひしひしと伝わってくる。何故だかヤマトは涙が出そうになった。
――大きくなりましたね、ヤマト。あなたは……いえ、時間がありません、今はやめておきましょう。
女性の声には幾許かの哀愁が感じられ、少しの間を置いてまた語り始めた。
――今は、三つだけあなたに伝えます。よく覚えておくのですよ?
「え……?」
あまりに唐突な展開に、ヤマトは思わず声を漏らした。
――まずは精霊の森へ行きなさい。全てはそこからです。
――そしてその後、力が足りないと思ったら、ここから遥か西、龍の湖で龍玉を探しなさい。
――次いで、知識が足りないと思ったら、始まりの高原でシャラを呼びなさい。
「え……? え……?」
知らない言葉ばかりが並び、ヤマトは困惑した。必死に記憶に刻みつけるので精一杯だった。
――私はいつもあなたと共にあります。自信を持って進みなさい……まずは精霊の森ですよ……
声は慌ただしく一方的に語り、現れた時と同じように唐突に消えて行った。
「……待って! 行かないで!」
ヤマトは思わず叫んだ。行ってしまったらまた会えるとは限らない、もっと話がしたい、そんな焦燥感がヤマトの胸に芽生えていた。
しかし、声が戻ってくることはなかった。水晶球の脈動が弱まり、ヤマトの意識は再び暗転した。
「……行かないで、って言ったのに……」
ヤマトが目を開けると、ギルドの部屋に戻っていた。ルノもセタも、ツゲもナガテもアオイも驚いた顔でヤマトを見ている。光は収まっており、ヤマトはゆっくりと水晶球から手を離した。
「何だよ、今の光――」
ツゲが震える声で呟いた。
……今のは幻?……だけど――ヤマトは濡れた手をまじまじと見詰め、そっと服で拭った。
龍の湖で龍の玉……? 始まりの高原……シャラ??
知らない言葉だらけだった。
誰も何も言わず、部屋が妙な沈黙に包まれていると、扉が勢いよく蹴り開かれた。
「ナガテ様っ! ご無事ですかっ!!」
黒髪の偉丈夫が部屋に躍り込んできた。が、室内の落ち着いた空気にピタリと足を止めた。訝しげな顔でツゲと視線を交わし、おずおずとナガテの前に膝をついた。
「大丈夫じゃ、サナイ。まずはその杖をしまえ」
「今の衝撃は――」
「問題はない。少々驚いたがの。そうじゃ、この三人を紹介しておく」
ナガテはそう言ってヤマト達を順に紹介した。腑に落ちない顔をしたその男はギルドの副マスターで、サナイというらしい。ツゲと同年配ぐらいで、切れ長の黒眼に研ぎ澄まされたかのような鋭い顔立ちの壮年の男だった。
「で、この三人じゃが、アオイの専属とした」
視線を向けられ、アオイがまだ少し呆けた顔でコクリと頷いた。
「アオイ殿の……しかも、専属ですか。それはまた異例な」
「この三人は少々特別での。先ほどの騒ぎも、種を明かせばこのヤマトがその登録の水晶に触れたのが原因じゃ」
「……まさか、あれが内なる光だったと――?」
信じられない、といった顔でヤマトを見るサナイ。ヤマトはあいまいに笑い、サナイの強い視線を逸らした。
「それがそうなんだな。俺もあんなのは初めてだけどよ、こいつと居ると退屈しないぞ」
ツゲが話に割って入り、ヤマトの頭をボフボフと叩いた。その思わぬ強さにヤマトがたじろぐと、ルノがすっと脇に寄り、ヤマトの肘を後ろからそっと支えた。ヤマトはその顔を見て、水晶に触れていた先ほどの瞬間、自分がどこかに行っていたことを少なくともルノだけは気付いている、そう直感した。
「そうそうサナイ、じいさんには軽く言ったが、ゴブリンの巣の討伐隊を組んでもらいたい」
ツゲの言葉に、サナイの顔が途端に引き締まった。元々鋭い顔立ちが真剣な色に染まる。
「ゴブリンの巣! どこですか?」
「東の村に大規模な襲撃があった。巣は見つかってないが、ちょっとヤバい規模かもしれん。村長さんから俺がギルドの代理手続を頼まれてな、依頼料として上等の毛皮を二箱預かってきた」
サナイとツゲは細かい内容を早口で話し合い、入り口で荷と共に待たせているブータローの所へ向かった。そのまま討伐隊の募集手続きをしてくるらしい。ヤマト達はこのままここで、アオイにギルド登録の自由民としての説明をしてもらいながら待っていることになった。ナガテもここに残るようだ。
「さて、と。三人とも、水晶の登録は済ませたから、簡単に町とギルドの仕組みについて説明するわね」
「ね、本当にセタも自由民になれるの?」
セタが目をキラキラさせて尋ねた。
「もちろん。セタちゃんみたいなコシの人達は身体能力が高いから、そのうち自由民のいろんなパーティーからお誘いがくるわよ? まずはヤマト君とルノさんの言うことをしっかり聞いて、怪我をしないようにしっかりとお勉強してね」
「やたっ! セタ、お勉強するっ!」
そんなセタをルノは微笑みを浮かべて見守りながら、
「私も初心者だから、一緒に頑張ろうね。ヤマトさん、どうぞよろしくお願いします」
ヤマトに頭を下げた。
「こちらこそ……よろしく」
ヤマトも慌てて頭を下げた。
そんな三人の初々しさに口元を弛めるアオイだったが、同じ顔をしたナガテと目が合い、仕事の顔に戻って手慣れた様子で説明を始めた。
スーサの町にはたくさんの人が住んでいる。その中では、自分で商売をしている者は別として、町の警備や共有の水田などで町に雇われて働くか、自由民としてギルドの依頼をこなして稼ぐか、どちらかの選択が一般的だ。町からの報酬もギルドからの報酬も、スーサ独特の制度に則って貨幣で支払われる。その貨幣は町の倉庫に持って行けばいつでも穀物と交換できるが、市場の買い物でも使える。大抵の人は市場のお店で様々な食材も追加で買って、食卓を豊かにしているらしい。美味しい食事を提供する専門の店もあるし、服や雑貨など色々な物品を売る店もあるので、報酬としての貨幣を充分に持っていれば生活に困ることはない。
「セタ、お店でお買い物したいっ!」
憧れのスーサの町、憧れの自由民の説明に目を輝かせていたセタが、椅子から飛び降りてアオイに詰め寄った。
「ふふふ、まずは依頼をこなしてお金を稼がないと。それにね、お金は毎日の食べる物を買うのに必要なのよ? まずはそこにお金が必要なの。くれぐれも無駄遣いしちゃ駄目なんだからね」
「はいっ! じゃあ食べる物をお買い物するっ!」
アオイは微妙な顔でセタの頭を撫で、ルノに目線で、頑張ってね、と伝えた。
「次にギルドだけど、ある程度は噂で聞いてると思うの」
ギルドに登録したものは自由民と呼ばれ、自分の好きな時に好きな依頼を受けて暮らしていくことができる。文字どおり自由な暮らしができるが、危険度が高く、全ては自己責任という厳しさを持つ職業だ。
依頼は危険なものが多いが、危険度を事前に知るため、ランクというものが設定されている。
「Fから始まって、E、D、C、B、A、Sと危険になっていくの――エフとかイーとか初めて聞く言葉だと思うけど、ギルド特有の言葉ね。初代のマレビト達が使っていた伝統ある言葉なのよ――あなた達のような新人さんはFから始めて、徐々に慣れていってね」
一斉に頷く三人。そのタイミングで、それまで沈黙を守っていたナガテが咳払いをした。
アオイはナガテの目配せを受け、小さく頷いて先を続けた。
「そして最後に、依頼にランクがあるように、自由民にもランクがあるの。ここから先はおじいちゃん――コホン、ギルドマスターが説明したいみたい」
ナガテがアオイにひとつ頷き、椅子から立ち上がってテーブルに手をついて喋りはじめた。
「ここまでは大体アオイの言ったとおりじゃ。やってみて分からんことがあれば、都度聞いてもらえれば良いが、今、何か質問はあるかの?」
ヤマトは小さく首を振った。今は分からないことが分からない状態で、何ひとつ質問が思い浮かばなかった。他の二人も同じ様子だった。
「うむ。ではここから先は儂が説明するが、アオイ、その間に三人のギルドカードを作ってきてくれんかの。どんな記載になっとるか、儂もちと見たいのじゃ」
アオイはちらりと心配そうな色を浮かべたが、何も言わずに登録の水晶を抱えて部屋から退出した。
分厚い木の扉がきちんと閉まり、一呼吸おいてからナガテは説明を始めた。
「さて、自由民のランクについてじゃったな。世間はどう言うか知らんが、これはただの目安のようなもんじゃ」扉の方を見遣り、クックッと笑うナガテ。
「での、初めはみなFランクから始めて、Eの依頼でも安全にこなせるとギルドが判断すればEランクに昇格する。そうやって徐々にランクが上がっていき、Dまで行けば一人前じゃ。C、Bとランクが上がって行けば行くほど人数は少なくなって、Aランクはわずか数人しかおらん。ちなみに、ツゲの坊主はBじゃ。ま、一流と呼ばれる部類じゃの」
おじちゃんすごいんだね、小声でセタがルノにささやいた。頷きを交わす三人。
「ランクが上がったからと言って特に何かある訳ではないのじゃが、何でそんなものがあるかと言うと、ギルドの都合じゃ」
ナガテが再びニヤリと笑った。
「例えば、大きな魔物の群れが現れたとする。ギルドは被害が大きくなる前に依頼を出して討伐隊を組むのが常だがの、その討伐隊の戦力の目安にするのが参加する自由民のランクじゃ。集まった自由民だけで足りるのか、足りないとしたらどのくらいのランクの自由民を何人ぐらい追加で集める必要があるのか、ランクがあるとそれが見積もりやすい、という訳じゃ」
ヤマトは、頭の中でナガテの言葉を咀嚼しながらゆっくりと頷いた。自由民を無駄に危険に晒さないよう、ギルドも配慮してくれているのだろう。心強いな、と思った。
「で、ここからが本題じゃ。今言ったようなことで、自由民の戦力の把握はギルドにとって大切なこと。お主たちのランクは当然一番下のFとなるがの、先ほどの内なる光を見て確信した――お主たちは少しばかり普通とは違うようじゃ。もし良ければ、参考までに少しだけお主たちの力を試させてもらえればありがたいんだがのう。もちろん、これは儂とお主たちだけの秘密じゃ。特別扱いすると五月蠅い衆もおるでの、どんな結果となっても表向きはごく普通のFじゃ」
ヤマトは思わずルノと顔を見合わせた。
ナガテの言うことは理解できる。ただ、歴戦の自由民たちがこんな新米をやっかむなんてあり得ないと思ったが、ナガテが内々で見たいと言うなら良いのではないだろうか。ルノも頷いている。
「良いかの。といっても今日はちと都合が悪い。明日の早朝、ギルドが開く前にまた来てくれんか。なに、ツゲの討伐隊なら早くてもあさっての出発じゃ。そっちの心配はせんでええ」
その時、扉の向こうから、抑えきれないどよめきが漏れ聞こえてきた。
「うむ、お主たちのギルドカードが出来たのかもしれん。ちょっとした騒ぎになっているようじゃのう」
ナガテは観察するような視線をヤマト達から逸らさず、淡々とそう言った。
何かまた嫌な予感がする――ヤマトはゴクリと唾を飲み込んだ。




