09話 出発
ヤマトがパピリカの家に戻ると、セタはいなかった。
ルノが町に行くのが本当だと分かると、話も聞かずに飛び出して行ってしまったらしい。他の子達は、ルノが時々お土産を持って帰ると話すと、コロリと機嫌が直ったようだ。
「まあ、時々あることなんだけどねえ」
パピリカが若干の心配顔で言うのはセタの事だ。
「ヤマト様、あの、ひと回りだけ探しに行ってもいいですか?」
「……もちろん……僕も行く」
ヤマトの言葉にルノは嬉しそうに立ち上がった。パピリカがため息をつく。
「しょうがないねえ。支度も終わったことだし、ひと回りだけ行っておいで。その間にもしセタが顔を見せたら、しっかりとふんづかまえておくよ」
ヤマトとルノはあちこち覗き込みながら村を歩いたが、セタを見つけることは出来なかった。遂に一周して戻ってくると、家の戸口でパピリカが立っているのが見えた。
「いたかい?――って、その顔はいなかったみたいだね」
ルノが悲しそうに頷く。
「まったく、しょうがない子だね。ツゲを待たせるのも悪いし、もう行くとしようか。ひょっこり顔を出すかもしれないし」
ルノの荷物は少なかった。肌着が数枚と外套にもなる大きめの鹿皮が一枚、生活の小物と併せて使い古した背嚢に入れてあった。ルノがパピリカに背嚢の背負い方を教わっている間に、ヤマトは家の火床から火種をもらって火筒に収め、自分の身支度を済ませた。
行ってきます――家に向かってルノが厳かに別れを告げ、ヤマトとルノは歩き出した。パピリカと子供達も村を出るまで一緒に来てくれるらしかった。
歩きながらパピリカが旅の注意点をくどくどとルノに説明していると、あっという間に村長の家に着いてしまった。家の前では人が荷車の周りに群がり、点検をしていた。
「あれまあ、これを引っ張り出したのかい?」
パピリカが年代物の荷車をまじまじと見詰めていると、荷車の下からツゲが顔を出した。
「おう、来たかい」――ごそごそと荷車の下から這い出し、高らかに宣言した――「こいつを借りてく!」
「大丈夫なのかい?」
「だいぶ年は喰ってるが、まだまだ元気みたいだね。スーサへ荷物を持ってかなきゃいけねえし、いざとなったら嬢ちゃんも乗せられるだろ?」
ツゲはニヤリと笑った。
「それで、だ。誰がこいつを曳くかってことだけど――」
ツゲはニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けたまま、何やら呪文のようなものを唱え出した。
「じゃじゃーん、俺様の忠実なる使い魔くんの登場だあ!」
道の中央の空間が揺らめいたかと思うと、そこには奇妙な獣がうずくまっていた。猪ぐらいの大きさで、白い産毛越しに桃色の肌が見えている。なんというか、愛らしさが先に立つ獣だった。
「俺の有能なる使い魔、その名もブータローだっ!」
場に微妙な空気が漂った。確かにスーサの自由民には使い魔を使役する者がいるということは聞いていた。初代のマレビトが竜を使役しているのが有名だ。その他にも、大鷹や大狼など、強力な使い魔の話は良く耳にする。が、今目の前で召喚されたこの使い魔は、つぶらな瞳でブヒブヒ鳴いて何とも可愛らしい。
「こいつはなあ、飯は何でも食うし、おとなしくってキレイ好き、何より力持ちなんだぞっ!」
一同が沈黙に包まれていると、ルノが「かわいいっ!」と言って抱きついた。頭を撫でられてフガフガ満足げなブータロー。
ヤマトもおずおずと近寄り、よろしくね、と挨拶すると、ブヒッと返事をしてくれた。そんな二人を見て、ツゲは誇らしげに何度も頷く。
「……スーサへ荷物を持っていくって言ってたけど、何を持っていくんだい?」
我を取り戻したパピリカがツゲに尋ねた。
「おう、毛皮を二箱ばっかり借りていくぜ。ギルドへちょっとした依頼の前金と、当座の食糧を貰ってこようと思ってな」
ツゲは村長と相談して、近くにあると思われる悪鬼の大規模な巣の討伐団を編成してもらうようスーサのギルドに依頼することと、奪われた食糧の援助を求めることを決めたらしい。ツゲが顎で指した先には、既に二箱の木箱が準備されていた。
「みんな揃ったってことは準備も良いのかな? おーし、じゃ、そろそろ出発しますかねー」
ツゲは木箱を二つまとめて持ち上げ、「意外と重っ!」と小さな声をこぼしながら荷車に載せた。次いでブータローに革帯をまわして荷車に繋ぐと、一同を振り返った。
「ツゲ様、上手い交渉を頼みますぞ」
「ルノとヤマトをよろしく頼むよっ!」
村長とパピリカの言葉にツゲは笑顔ではいはいはいーと返事をし、ふとパピリカに目を止め、一瞬考えた後でパピリカの耳に口を寄せて何事か囁いた。パピリカは驚いたようで、二人はこそこそと道端に移動し、手振りを交えて相談を始めた。最後にパピリカが大きくため息をつき、ツゲに頭を下げてささやかな密談は終わったようだ。パピリカは首を振り、あきれた顔をして戻ってきた。
ツゲはニヤニヤと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ヤマトとルノの頭を大きな手でボフンと撫でて、楽しそうな声で言った。
「じゃ、行きますかね?」
「はいっ」
「お願いします」
ヤマトとルノは大人の話は分からないままだったが気を取り直し、元気よく返事を返した。
そして三人は見送る村人達に手を振り、スーサの町に向かって歩き出した。
村を出て、しばらくは順調な旅路が続いていた。
柔らかい春の日差しを浴びる木立まばらな草原の一本道を、三人は周囲を警戒しつつも和気あいあいと進んでいく。三人の後ろではブータローが力強く荷車を曳いていて、余力がありそうなので三人の荷物も荷台に載せてしまっている。
ヤマトにとっては初めての道だし、ルノにとっては目にする物全てが新しい。日差しを浴びたルノの白金の髪がきらきらと輝き、村にいた時とは比べ物にならない位に生き生きとした表情を浮かべる清楚な顔を彩っている。ヤマトも珍しく饒舌になっており、そんな二人と一緒のツゲも上機嫌でガハハと笑っている。
「――そろそろ昼メシにするかねえ」
緩やかな丘を登り切り、見通しの良い場所でツゲが足を止めた。ブータローを荷車から放し、道ばたの瑞々しい草を食べさせる。
「しっかし、こんな賑やかな旅は久しぶりだぜ――ん? ヤマト、お前アレいけるか?」
ツゲの視線の先には一羽の雉がいた。丘の下の木立の地面を嘴で突いている。
「……任せて」
ヤマトは荷車から静かに弓を取り、滑るように数歩進んで矢を番えた。
ひょうっ。
ヤマトが放った矢は綺麗な弧を描き、あやまたずに雉の胴体を射抜いた。
「おおう、やるねえ。ソヨゴの言うとおりだわ」
「ヤマト様、すごいです!」
「やっぱり狩りの心得があるのがいると、メシが豪華になるなあ。俺、干し肉嫌いなんだよね」
ヤマトが捌いた雉を焼こうと枝を集めて火筒を取り出すと、ツゲが笑った。
「おっと、そいつはマレビトの流儀じゃないねえ。ちょっと待ってな」
ツゲが真剣な表情をして黙り込んだかと思うと、しばらくして枝が音を立てて燃えだした。火の魔法だ。
「俺はあんまり魔法は得意じゃないんだけどな、これぐらいなら出来るぞ」
得意げなツゲに、目を丸くしたルノがパチパチと拍手をした。ヤマトは同じことをしていたメレネを思い出して少し胸が痛んだが、そのまま調理を続けた。
雉が焼ける香ばしい匂いが辺りに立ち込めると、ルノがぽつんと呟いた。
「――結局、セタに会えなかった」
セタは雉が好物だったらしい。その焼ける匂いを嗅いで、セタの事を思い出してしまったようだ。
「……仕方ないよ。今度、いっぱいお土産買っていこう……」
しんみりした空気を無視して、ツゲが嫌に陽気な声で言った。
「なあ、セタって、これぐらいの」――手で背の高さを示した――「赤毛のお嬢ちゃんかい?」
顔には何故か悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。ヤマトとルノは意味が分からず、コクリと頷いた。
「あー、丸々と太ったうまそーな雉だけどー、三人で食べたらあっと言う間になくなっちゃうなー」
なぜか棒読みで大声をあげるツゲ。
「いい匂いだなー。おじちゃん、一口で食べちゃおーかなー」
バタン。
荷車に積まれた木箱の蓋が勢いよく開き、中から真っ赤な顔をしたセタが顔を出した。
「「セタ?」」
同時に素っ頓狂な声を上げたヤマトとルノを尻目に、セタはつかつか歩き、ルノの隣にどすん、と腰を下ろした。
「「セタ?」」
状況が掴めないヤマトとルノを見て、ツゲがガハハと笑った。
「この嬢ちゃんは朝から木箱の周りをウロウロしててな、急に姿が見えなくなったと思ってたら木箱が重くなってるから、もしやと思ってな。ま、悪気がある訳じゃなさそーだから放っておいたんだ。さっきまで毛皮にくるまれて気持ち良さそうに寝てたし」
愉快そうに高笑いするツゲ。セタは頬を膨らませ、涙目で黙り込んでいる。
「そうか、そうか。お姉ちゃんと一緒に町に行きたかったか。ま、何はともあれ昼メシ、食べようぜ?」




