三話「悩みの種」
「なんか……嫌な感じが……」
「そろそろ嗅ぎつけてくる頃だと思ったさ」
朱珠が低く唸り、弓月もきょろきょろとあたりを見回した。
今は学校から帰る途中なのだが、
山の近くの田んぼ道に差し掛かった時、辺りに不穏な気配が漂ったのだ。
朱珠の目に険が滲み、腰を低くして戦闘態勢を取る。
弓月が不安そうに尋ねる。
「嗅ぎつけてくるって、何を……?」
朱珠が山の方を睨んでいる。山は異界への入口。
心臓が全力疾走している。知らず知らず、冷や汗が流れ落ちたその時。
――ミツケタ・・・ミツケタ・・・!
鼓膜をざらりと舐めるような、総毛立つような声が聞こえると同時に、
山の中から黒い影が躍り出て弓月に飛びかかってきた。
「・・・ッ!!」
咄嗟に体が反応せず弓月は固く目をつむった。
しかし異形の鋭い爪が弓月の体を切り裂く寸前のところで朱珠によって蹴り飛ばされ、
もんどりうちながら転がって木に激突し、葉を散らせた。
飛ばされた先の異形を、鋭利な刃物のような朱珠の眼光が貫く。
上がった土煙の中にいるのは異形。
それは目の沢山ある獣のような姿であったり、牙や爪先が尖り、頭から角が生えていたりする鬼のような姿。
ぎらぎらと輝く目が舐めるように3人を見回す。
「な、何だよ、こいつら・・・!」
朱珠の強烈な攻撃と眼光に怯んだ異形が、一瞬身を引きかけたように見えたが、
今度は一斉に飛びかかってきた。
「ふん、まだ来るか・・・?相手してやる!」
不敵な笑を浮かべた朱珠が、神通力の風の刃を放ち目の前の異形を一掃すると、、
今度は後ろから襲いかかろうとしていた異形に蹴りを入れ、さらに回し蹴りで無造作に蹴飛ばす。
後ろにいた異形が巻き添えを食らって、転がるように飛ばされ土煙を上げた。
異形はどうやら弓月を狙っているようだ。
正確には弓月の持つ首飾り、霊力の石を狙って。
異形たちの四肢は後ろにいる弓月を捕らえようと伸ばされる。
一体が朱珠の攻撃を運良く逃れ、弓月に襲いかかろうとした。
弓月は逃げようと思い足を後ろに引いたが、ここで逃げてもすぐに追いつかれて殺される
そう思って足を止めた。
それならば。恐怖感に足がすくむのを自覚しながら足を踏ん張り弓月は叫んだ。
「僕だって・・・!バ、バンウンタラクキリクアクウン!」
切った印とともに五芒星の光が異形を阻む。
しかし慌てて印を切ったからか、異形を阻んだかと思われた五芒星はすぐに打ち砕かれてしまった。
砕かれた五芒星の光が美しくも無残に舞い散るなか、弓月は言葉もなくさっと青ざめた。
その時、強烈な神通力を感じ、弓月ははっと前を見た。
神通力を織り込んだ風を腕にまとわりつかせた朱珠が怒号する。
「異形の分際が!そこを!どけぇええ!!!」
ぐっと腕を引き、風を投げつけると地面を舐めるように疾風が走り、
弓月に襲いかかろうとしていた異形もろとも一掃した。
全ての異形が灰のように崩れて消えたのを見て、
命の危機を脱したと判断した弓月の体は急に支えを失い、ぺたりとその場に座り込んでしまった。
予想以上に緊張していたようだ。力が入らない。
それを見た朱珠がぎょっとして駆け寄った。
「大丈夫か?!弓月!」
「だ、大丈夫、ありがとう。・・・もしかしてこの首飾り狙ってたよね?」
「おお、そうだな」
弓月がついと目を伏せる。
「・・・・・・ごめん、僕の首飾りが原因なのに・・・なんの役にも立てなくて・・・」
何もできなかった。
何も。
「何言ってるんだ、俺はお前を守れる事が嬉しいんだ」
朱珠は目を細め、でも・・・と言い募る弓月の頭を朱珠がくしゃっと撫でた。
しかし弓月の顔は浮かないまま。
再びひんやりとした気持ちのいい風が吹き葉を吹き飛ばす。
しかし、心に残った霧までは吹き飛ばしてはくれなかった。
* * * *
弓月は手で口を隠しきれないほど大きくあくびをした。
教室の窓から流れ込む風とポカポカとした陽気。刻一刻と睡魔の手が忍び寄ってくる。
1時間目から数学……一番嫌いな時間割だ。
昨日は異形に襲われたりして身体的にも精神的にも疲れたのにほとんど寝られず、
自分は全く役に立つことができなかった、足でまといだ、そればかりが頭の中を堂々巡りしていた。
異形に襲われるなんて事人生で初めてだったのだから仕方がない、もし次に襲われた時こそはと、
ともすれば朝まで堂々巡りしそうな思考に無理矢理終止符を打ち眠りについたのだ。
頬杖と共にため息をついた弓月は、
いよいよ睡魔に襲われながら窓の外をぼんやりと眺めて考えた。
いつの間にか弓月の意識は眠りの淵に落ちていった。
それから何分経っただろうか。
「…ん…」
頬杖を付いたまま寝てしまった弓月が、ある者の声によって起こされた時には既に授業が終わっていた。
弓月が目をこすりながら重たい首をもたげ、声が聞こえた後ろの窓の方を見ると朱珠が教室の窓に腰掛けていた。
生徒は朱珠に目を向けることなく短い休み時間を各々で過ごしている、何故なら彼は人には見えない存在だからだ。
昨日弓月が異形に襲われ、またいつ何時襲われるかわからないと言うことで、
大丈夫だと言い張る弓月を、半ば押し切る形で朱珠はついてきたのだ。
再び大きなあくびを一つして弓月はだるそうに口を開いた。
「起こしてくれればよかったのに…」
「下手に起こすとお前が寝ぼけて俺の名前呼んだりしたらいけないだろ?」
「あー…確かに」
にっと笑って身軽な動作で窓から飛び降りながら朱珠が「だろ?」と言った。
しかし本音は違う。
昨日弓月がずっと寝られなかったのを知っていたから、あえて起こさなかったのだ。
寝不足だと体力的精神的にもまいってしまい心の余裕がなくなってしまう。
弓月が何を悩んでいるのかは昨日の様子を見れば何となく分かる。
自分が弓月を守るのだからそんな事で悩まないでいいと言いたい。
しかし朱珠にとっては“そんな事”でも弓月にとっては心を占める大きな事なのだ。
誰もが持つであろう悩みの種。悩むということは努力している証拠だ。
だが悩み過ぎると小さな種は大きく成長していつしか巨木となり、
そしてその根は深く深く心に根付き心を苦しめ、追い詰め、時には過ちさえも犯してしまう事だってあるのだ。
しかし何も知らない他人が勝手に踏み込むわけにもいかないし、
だから今はそっとしておこうと朱珠は決めているのである。
その時教室の外で、ばたばたという騒々しい足音がしたかと思えば、
勢いよく教室の扉が開き久しぶりにあの騒がしい声が聞こえてきた。
「ゆーづーきー!らーんーとー!しーろーきー!」
元気溌剌威勢のいい声に反射的に弓月と朱珠は振り向いた。
弓月が、入口でにんまりと笑う仁王立ちの玖遠を見てふわっと頬を緩めたのに対し、
朱珠はこれ以上にないほど目を瞠った。
しかしそれには全く気づいていないらしい弓月が、椅子から立ち上がりながらいつものように話しかける。
朱珠の事を何も触れないところをみると、どうやら玖遠は朱珠の事は見えていないようだ。
「乱兎も白輝もまだ家で休んでるよ。もうすぐ来られるとは言ってたけど…
それにしても何か微妙に久しぶりだね、玖遠。ここ最近教室に来なかったけど、どうしたの」
「へへ、実は家の方が忙しくてな~学校にも来られなかったんだ」
「え、そうなの?家の方って…何かあったの?」
「あ…いや~それは…」
弓月の前まで歩いてきた玖遠が妙に言い淀んでいたその時、
驚愕の眼で玖遠を凝視する朱珠が、これまた驚愕の声音で口を挟んだ。
「お、お前…?!」
一体どうしたのかと思ったらしい弓月が朱珠の方を見上げた隙に、
玖遠が唇に人差し指を当てて、朱珠に合図を送ってきた。
朱珠は目元に険をにじませた。
急に朱珠の顔が険しくなったのを見て、弓月が訝しんで首を傾げた。
とその時、弓月の首に勢いよく腕が回され、耳元で溌剌とした声が耳の近くでびりびりと響いた。
「まぁなんでもいいじゃねぇか~!とにかく弓月!ひっさっしっぶっりぃ~!」
「わわっちょっと!重いって!
ていうか久しぶりって言っても数日会ってないだけだって」
いきなり勢いよく寄りかかられた弓月は2、3歩よろけて机に手を付いて均衡を保った。
必死な弓月を気にせず、玖遠が顔をぐいっと近寄せる。近いったら近い。
「今日は久しぶりに一緒に帰ろうぜ!」
「もー僕の話聞いてないだろ…!だから、数日会ってないだけだって!」
玖遠を横目で見ながら、弓月は呆れた声音で言った。
朱珠はどうしているかというと、腕をがっちりと回したまま豪快に笑っている玖遠を、
何やら至極物騒極まりない目で睨めつけていた。
「な……」
何をしているのだこの男は。
無駄に煩くてへらへらとしていて、何より弓月に必要以上にべたべたべたべたと……
無性に腹が立つ、苛々する、あー気に入らないったら気に入らない。
弓月が嫌っているならともかく、どうやら玖遠とか言う奴は弓月の友だちであるらしい、腹が立つが手は出せない。
と言うより手を出せば、何が起こったのかと他の人間が騒いで騒動になって弓月を困らせてしまう。
手をぐっと握りしめ、俯いてわなわなと震えながら朱珠は叫んだ。
―――こ、こいつ、嫌いだ……ッ!
しかし心の中の叫びは当然ながら弓月には届かない。
玖遠が弓月にべたべたしてると腹が立つ、油断ならない…俗に言う嫉妬か何か。
弓月にとってはおそらく“そんな事”であろう朱珠の悩みの種が生まれた瞬間であった。
* * * *
◇ ◇ ◇ ◇
印を口元にそっとあてがう。
“陰陽師”と名乗った男の目に不穏な光が宿った。
頭の中で警鐘が鳴り響いている。
この男は危険だ、と。
大きく目を見張って身を翻し、この場を離れようとしたが時すでに遅し。
再び鋭い痛みが頭を駆け抜けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「やっぱり学校に行ってる方がいいな~!」
椅子にもたれながら、うーんと思い切り伸びをした乱兎が気持ちよさそうに言う。
「家ではずっと退屈退屈って…言ってたもんね」
鞄に教科書を入れ帰りの用意をしていた白輝が静かに笑いながら付け足した。
「そうなんだ~乱兎らしいね!でも本当、こうして学校来れるようになってよかった!」
「お前、よかったよかったって…それ言うの今日何回目だよ」
帰りの支度を始めた乱兎が半目になってぼやいた。
喜んでくれるのは嬉しいが、そう何回も言われるといい加減呆れてくる乱兎である。
「んー…ひぃ、ふぅ、みぃ…10回目かな」
「覚えてたんかい」
指折り数える弓月に軽やかな突っ込みを入れる乱兎。
そんな様子を見て、いつもの日常が戻ってきたと感じ、ふふっと笑をこぼす白輝である。
教室の壁にもたれて聞いていた朱珠も同じことを思ったのか、目を閉じて微笑んだ。
「さ、帰るか」
乱兎が立ち上がって鞄を肩に担ぎ、白輝と弓月を一瞥した。
白輝はこくりと頷き鞄を持ち、弓月もそうだねと頷きかけて、思いとどまった。
それまで目をつむって黙っていた朱珠が片目をうっすら開けて弓月の様子を伺った。
弓月がどことなく深刻な表情をしている。
なかなか反応を見せない弓月を変に思った乱兎が、片手を腰に当てながら不思議そうに訊ねた。
「弓月?どうした?」
「あっごめん!僕用事あったのすっかり忘れてた!さ、先帰るね!」
弓月は机に足をぶつけながら、逃げるように教室を出て行った。
その後を朱珠も歩いて追っていく。
「なんだ?あいつ…」
「さぁ…」
教室に残された双子は思わず顔を見合わせた。
* * * *
学校から出てすぐの大通りを
黙したまま早歩きで足を進める弓月は暗い顔をしていた。
後を追ってきた朱珠が一瞥し、弓月の面持ちを知ってか知らずか訊ねる。
「どうして一緒に帰らない?」
問いただすような声音の朱珠の声音に、弓月は立ち止まり目を伏せた。
今まで引き結んでいた口をようようと開き、改めて淡々と答える。
「異形に襲われたら…。
…乱兎たちを危険な目に合わすわけにはいかないから」
自分を含め誰も守ることもできないし、危険な目に合わせてしまうかもしれない。
自分のせいなのに、何もできなかったという思いがどうしても拭えない。
守られるだけは駄目だ。そう考えるとどうにも焦り、
無力な自分への苛立ちが募る。
『力が欲しいですか?』
瑪瑙の言葉が脳裏に浮かぶ。
強くなりたい。力が欲しい。
立ち止まる弓月を気にする人など居るはずもなく、人々は足早に過ぎ去ってゆく。
悩む弓月を残し、時間だけが先へ先へと進んでいく。
* * * *
山のふもとのとある一角。
「ふふ・・・何やら悩んでいるようだね」
黒い直衣姿に、白い狐の面をした男が木にもたれながら
さも面白そうに呟いた。
すると、男の近くに控えている者たちが口を挟む。
木の陰になっており姿はよく見えない。
『若いですね……』
『はっ、あの餓鬼が弱いのがいけねぇんだろ』
『そういうアンタも十分弱いわよ、知ってるかしら?』
『はぁ?!てめーに言われたかねぇよ!やんのか!』
『喧嘩は他所でやってください』
『お前は黙ってろ!』
「ごちゃごちゃと五月蝿いよ、君たち」
狐面の男が抑揚の無い声音で一言言うと、
その場は一瞬にして、指一本動かせない程に凍りついた。
『……申し訳ございません』
身を強ばらせながら、一人の式神が謝罪した。
しかし狐面の男は謝罪などには興味はなかった。
「少しちょっかい出してみようかな」
男はさも楽しそうに嗤うと山の奥へと消えた。
* * * *
ここ数日、異形や鬼に襲われる日々が続いている。
何回も襲われ過度の緊張で精神的に参ってしまいそうだ。
しかし弓月はそれ以上に自分が何もできないということに苛立っていた。
弓月と朱珠は晩御飯の材料の買い出しという事で、
近道をするべく山の近くの細道を歩いていた。
朱珠が山の方を眺めながら軽い口調で言う。
「そう言えば最近多いな、よくもまぁ毎日毎日襲ってくるもんだ」
そう言った直後に、朱珠はしまったと思い口を手で押さえたが、
口から出た言葉は取り消すことはできない。
朱珠のそんな様子など知るよしもなく、弓月の顔に影が落ちる。
鬼が襲ってくるのは自分の首飾りが原因。
そんなこと朱珠だって分かっているはずなのに。
――何それ嫌味……?
弓月は喉までせり上がってきた言葉を飲み込んだ。
どうしようもなく苛々してこのままでは酷いことを言ってしまいそうだ。
苛立ちを振り払うかのように頭を一つ振り、努めて明るく応えた。
「そうだね……!暇なのかな~ははは」
無理に笑う弓月を見た朱珠がたまらなくなって尋ねた。
「……弓月、最近悩み事とかないか?」
「……別にないよ」
弓月は一瞬動揺を見せたが、手を後ろへ回して組みなんでもない風に応えた。
別にない、と隠すことを選んでいるのだから、
詮索などできるはずもなく朱珠はそうかと小さく返した。
2人は民家が立ち並ぶ細道を過ぎ、山のふもとの道に突入した。
片方は山、もう片方は田んぼや畑が見える。
その時、朱珠はかすかな気配を感じ立ち止まり、警戒して辺りを注意深く見た。
道横の山の中に目をやったその時、きらりと何かが光った。
「あ、そ、そうだ。今日の晩御飯何だろう?久しぶりにカレーが食べたいなぁ~」
「危ない!!」
刹那、朱珠は何かが弓月めがけて飛来してくるのを察知し、咄嗟に弓月を庇い押し倒した。
突然の出来事に目を白黒させていた弓月は、朱珠の下敷きになったまま目を瞠った。
「朱珠・・・腕が・・・!!」
見ると朱珠の右肩に刃物で切ったかのような傷があり、血が流れ出ている。
朱珠は弓月から身を起こし片膝をついた。
手で傷を触ると、なんでもないと言う様に首を横に振り笑ってみせた。
「大したことない、大丈夫だ」
「どこが大丈夫なんだよ?!血がいっぱい出てるじゃん・・・!」
――僕のせいだ。
弓月がはっと顔をしかめたその時、ぞくりと悪寒が走り全身が総毛立った。
本能が危険を感じて心臓が早鐘を打ち出す。
四方八方から舐め回すような視線を感じ、背中に冷たいものが走った。
今まで襲われてきたが、こんなにもはっきりと気配を感じたりするのは初めてだ。
ねっとりと絡みつくような空気が流れ、息を吸う度に喉の奥に絡みつき息苦しさを覚える。
弓月がたまらなくなってむせ返った時、辺りが少し暗くなり場の雰囲気が変わった。
「・・・結界・・・?」
朱珠が怪訝そうに呟いたその時、山の奥から異形のものが溢れ出すようにぞろぞろと出てきた。
黒くて原型をとどめてない物体・・・怨霊のような輩もいる。
その数を目にした弓月は血の気が引き、朱珠もまた愕然とした。
今までとは比べ物にならないほど、数が多いのだ。
「え・・・こんなに・・・」
「何なんだこの数は……!二百はいるぞ?!」
異形は飢えた狼のような目をギラつかせ、襲いかかる瞬間を今か今かと狙っている。
弓月は首飾りを服の下にしまいこみ、上からぎゅっと握り締め、身を低くした。
朱珠もざわりと毛を逆立てながら身を低くする。
「こんなにも沢山の数が一体どこに……
俺が気づかないなど……どういうことだ?!」
これだけの数と邪気を発していればすぐに気づくはずなのに、
全く気付かなかったのだ。
そんな朱珠を嘲笑するようににたりと嗤う気配が伝わり、
そして1体の異形が2人の方へ躍り出た。
片腕を横に出し、弓月を後ろに下げながら朱珠は言い放った。
「弓月、お前は下がってろ。ここは俺が片付ける!はっ」
朱珠は襲ってきた異形を目にも止まらぬ速さで蹴り飛ばした。
後ろにいる異形の中へ飛ばされ、粉塵のように消滅する。
「弓月は俺が護る」
巻き添えを食らった異形はその様子をちらっと見ると、一呼吸後には一斉に飛びかかってきた。
朱珠が風を腕に纏わせ腕を振り一線すると、無数の風刃が四方八方の異形へ当たり、
切り裂かれた鬼が悶絶の声を上げながら粉塵と化していく。
かすり傷を負った鬼は痛みにもがき苦しみのたうち回り、憎悪に歪んだ声を上げた。
朱珠は鉄拳や回し蹴り、かかとで蹴り飛ばしたりして1体ずつ倒してゆく。
今度はくるりと向きを変えてなびいた髪の隙間から目をぎらりと光らせ、弓月の方へ襲いかかろうとした異形を捉える。
走り込みその鬼に蹴りを食らわそうとした瞬間、
背後から襲ってくる気配を感じて舌打ちをし、危機一髪のところで飛び退った。
「ちっ・・・キリがない・・・!」
朱珠は歯噛みした。
いつかのような巨大竜巻を作り出せば一気に片付くだろう。
しかし竜巻などの大きな技を使わないのは、山の木々を傷つけてしまう恐れがあるからだ。
朱珠は山の守り神。好きな山を傷つけるわけにもいかない。
弓月は朱珠が戦う様子を呆然とただじっと見ていた。
朱珠が闘っている。
誰のために?
僕のために。
朱珠があんなに闘ってるのに、僕はここで何もせずに立ったまま。
圧倒的に朱珠の方が強いが、どこか戦い辛そうなのは弓月がいるからだろうか。
服の上から首飾りを握る手に力を込めた。
異形に襲われるのも全て自分が持つこの首飾りのせいだと言うのに、自分ではどうすることもできない。
朱珠が居なかったらとっくの昔に殺されているだろう。
焦燥に駆られる。
――僕が、なんとかしなきゃ……!
駆け出し踏ん張って立ち、襲ってきた鬼をぎっと睨みつけ弓月は叫んだ。
「今度こそ…!バンウンタラクキリクアクウン!」
詠唱とともに五芒星を描くと、光る五芒星が異形を阻み切り裂いた。
一体の鬼が絶叫を上げながら倒れる。
倒したかと思った鬼は、しかしゆらりと立ち上がって歪な笑みを浮かべ、
弓月を馬鹿にするかのようにけたけたと嗤った。
弓月は全身総毛立った。
急かすように心臓の音がどくどくと頭に響いて五月蝿い。
足が竦むのを覚えながら、隙を見て太い木の枝を拾い、握りしめて構えた。
じりじりと地面を踏みしめ、ともすれば竦んで動かない足を
大声を上げながら気合で動かし、鬼に向かって枝を振り上げた。
「やぁあああっ!」
しかしそれは容易に止められる。
鬼が枝を握り締め、めきめきと音を立てながら指を食い込ませると、
再びにたりと嗤い、掴んだ枝を引き寄せて弓月の腕を乱雑に掴んだ。
心臓が凍りつく。
引っ張っても、引き剥がそうとしても脆弱な人間の力ではビクともしない。
「うっ・・・いた・・・っ!」
ぎりぎりと徐々に力が込められていく。
苦悶の表情を浮かべる弓月を楽しむかのように鬼はけたけたと嗤う。
弓月はぞっとして咄嗟に動けなくなった。
鬼が更に力を込めようとした刹那、その鬼の手は鋭利な刃物のような風によって切断された。
血が吹き出てあたりに赤い斑模様を描く。
弓月は小さく悲鳴を上げ、その握られたままの鬼の手を慌てて引き剥がした。
そっと後ろを見ると朱珠が緊迫した顔でこちらを見ていたが、
ふと弓月を睨めつけると残りの鬼の方へを目線を移してしまった。
「仕方ない・・・」
呟いた朱珠が袖をなびかせながら空へ飛びあがり、
片手を挙げると巨大な竜巻を作った。
「これで終いだ」
風に髪をうねらせながら、異形の群れめがけて叩き落とした。
少しの木々を傷つけながら、全ての異形を飲み込み中で神気の風が切り裂く。
異形の悶絶の声に弓月は思わず耳を塞いだ。
竜巻が消えたときには異形の姿は何処にもなかった。
消滅した際にできた粉塵のようなものが夕焼けを背にひらひらと舞い散る。
今まで立ち込めていたねっとりとした気持ち悪い空気が消え失せ
また時が動き出したかのように、いつもの空気が流れ出した。
辺はいつの間にか夕暮れへと変わっていた。
夕日に照らされた朱珠の背中は、暗くてどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
弓月の元へ寄ってきた朱珠が静かに、しかし厳しく言い放った。
「おい・・・今のは危なかったぞ・・・」
「だって・・・!」
弓月は朱珠から目を逸らして眉根を寄せ、悔しそうに歯噛みした。
そんな様子の弓月を朱珠が叱咤する。
「何故下がっていなかった!!お前に何かあったら俺は・・・!
俺がお前を守ると決めたんだ。お前は何もしなくていい」
朱珠の言葉に、弓月は目を見開いて呆然と立ち竦んだ。
そして、弓月の中で堪えていた何かが吹っ切れる。
「何それ・・・やっぱり僕は足でまといなんだろ!」
「違う!お前を危険な目に合わせたくないから言ってるんだ」
「今こうして襲われるのだって僕のこ首飾りが原因だろ?!」
「それはそうかもしれんが・・・だが、俺が護ると決めたんだから・・・」
「・・・守る守るって・・・!・・・僕が小さいから?弱いから?
結局は弱い者を守ってあげてるってことに対する自己満足だろ?!
僕のことを何も出来ないみたいに思わないでよ!!守られるだけなんて嫌・・・!!」
「弓月・・・」
呆然とする朱珠の顔を見た弓月がはっとして顔をしかめた。
守られるだけは駄目だ。
僕は弱い、強くなりたい、強く。
弓月の悩みの種はだんだんと大きくなってゆく。