二話「氷花神社」
凛と張り詰めた空気の中、全神経を集中させて狙いを定める。
ぎりぎりと弓を限界まで引っ張って矢を放つと、
風を切って飛んでゆき、的の中心近くにさくりと刺さった。
弓月は次の人のために場所を空けると、壁にもたれて座り込み、ふぅと息をついた。
実は弓月は弓道部なのだ。
時計を見るともう部活終わりの時間だった。着々と片付けを進めていたその時、
知っている風がふわりと入り込んできたので見上げると、案の定彼がいた。
風を操って空中にふわりと浮き、風に翻弄された長い金髪がうねる。
「あ、朱珠」
弓月は手を振りそうになったが、はっとして手を引っ込めた。
朱珠は他の人には見えない存在だ。
ここで手を振って他の部員に気付かれでもしたら、不審がられる。
対する朱珠は、弓月が自分に気がつくと嬉しそうに頬をほころばせて、
長い金髪と紫の袖を大きくなびかせながら、ふわりと弓月の元へ降り立った。
昨日は授業中に話しかけまくられ邪魔されてしまったので、とりあえず学校には来ないでくれと弓月が懇願したのだ。
しばらくは食い下がって聞かなかった朱珠だったが、学校が終わる頃に迎えに行くだけならいいだろう、
と頼み込まれ仕方なく弓月は承諾したのだった。
片付けを進めながら弓月は朱珠に小声で話しかけた。
「今日はちょっとスーパーで買い物して帰るから」
「おお、そうか。付き合うぞ」
「ありがと。晩飯の材料だろ思うけど、今日は何作るんだろ?」
想像していると、お腹がすいてくる。
部活終わりの挨拶をしてから学校を出て、電車に乗って霊白村に降り弓月は深呼吸した。
隔てるものは何もなく広い空が一面に広がり、蒼い山々が見える。
便利な都会も好きだが、やはり田舎の方が落ち着くのだ。
都会では皆が皆せわしなく忙しい印象を受ける。
「忙しい」の「忙」という漢字は"心を亡くす"と書くのだ。
都会の生活は便利だが、心は幸せではないのかもしれない。
閑話休題。
帰りに寄ったスーパーは霊白村で一番大きいのだが、
結構前から建っているらしくお世辞にも綺麗な建物とは言えない。
頼まれた買い物と、ついでに甘いお菓子を買ってスーパーの外へ出ると、
まだ明るかったはずの空は、夕焼けに包まれようとしている。
ここからはあれよあれよと言う間に、夜へと成り代わる。早く帰ろう。
弓月は歩きながらちらっと買い物袋を覗いた。
中には肉にキャベツにとうもろこし・・・・・・焼肉でもするのだろうかと、考えを巡らす弓月である。
今日の晩御飯の予想を立てながら田んぼの横の道をさくさくと歩いていると、
道端の岩に腰掛けたお年寄りが、刻まれた皺を深くしてにこにこしながら話しかけてきた。
「あら、おつかいかい?偉いねぇ。気をつけておかえりよ」
「まぁそんなところですね。ありがとうございます、さようなら~」
若干子供扱いされたような気がするがそれはさておき。
弓月はにっこり笑ってお年寄りに手を振ると、
緩く巻いた山吹色のマフラーをなびかせながら再び歩き出した。
弓月に続いて歩き出そうとした朱珠は、ふと妙な気配を感じて後ろを振り返った。
しかし背後には誰もいない。
ざわざわ。
風が朱珠をからかうかのように、木々を軽く揺らして走り抜ける。
「・・・気のせいか・・・?」
怪訝そうに首をかしげながら前を向き、
すっかり小さくなってしまった弓月の後をふわりと飛んで追った。
* * * *
壁には霊白町の小学生が描いた絵や、子供が喜びそうな季節の装飾をし、
カウンターの隣には地域のイベントに関する無料広告が置かれている。
そして、子どもがカーペットに座って絵本を読んでいたり、
大人が趣味の本を読んでいたり、学生が勉強をしていたり。
そんな図書館は平日休日問わず静かだ。
ページをめくる音と、館内を歩く音と、子どもの声だけがただ聞こえている。
そんな図書館に弓月の疲れきった呟きがまぎれた。
「な、何について調べよう・・・」
弓月は机に両肘を付き、頭を抱えて唸りにも似た声を漏らした。
今日は図書館で調べ物の宿題をしているのだ。
朱珠が弓月の隣に座り、片手で頬杖をついて弓月をぼんやりと眺めている。
かれこれ30分以上こんな調子だ。ちょっと調べては唸り、調べては唸り。
いい加減何を調べるか決めて欲しいものだ。
朱珠はだるそうに頬杖をついたまま嘆息し、それから一つ大きな欠伸をした。
肩にかかったなめらかな金髪がさらりと落ちる。
朱珠は腕を伸ばして凝った筋肉を伸ばしながら、不満混じりに口を開いた。
「おい・・・さっさと何について調べるか決めろよなー・・・」
「だってさぁ・・・何か一つ、自分の興味のあることについて調べてこいなんて・・・アバウト過ぎて・・・
これについて調べなさい、って先生が決めてくれた方がやりやすいのになぁ」
弓月は腕組をして背中を背もたれに預けると、
声を潜めながら不満げに口を尖らせた。
そして顔の前で手をあわせて懇願する。
「頼む、朱珠が決めて……!」
「はぁ!?なんで俺が……」
「ええ……じゃあまだ1時間悩む」
これから1時間だと。
冗談かと思ったが、このまま決まらないと本当にそうなりそうな気がしてならない朱珠である。
首筋をかき、今度は朱珠が腕を組んで唸った。
「むぅ・・・。なら・・・折角こうして俺たちが出会ったわけだし、
この町に伝わる妖怪や神様や神社のことについてとかどうだ?」
それを聞いた弓月が手のひらをぽんと叩いて、ぱっと表情を明るくした。
「あっそれいいかも!妖怪のこととか朱珠に聞けば分かりそうだし」
「俺はあんまり知らないぞ」
「ありがとう!それっぽい本探してくるよ」
早足で本棚の方へ行ってしまった弓月の背を見送って、朱珠は小さく溜息をついた。
――人の話を聞け。
少しして数冊の本を抱えた弓月が戻ってきた。
机の上にどざっと本を置いて椅子に座ると、意気込んで本を開いた。
「さ、調べるぞー!とりあえず神社からいってみよう」
みんなが知っている神社・・・八幡神社から調べてみようということで、適当に目を通しながらページをぺらぺらとめくった。
日本には神社が多い。有名な神様を奉る神社から氏神を奉る神社まで様々で、
この霊白町もまた神社が数多く存在し、今でもまだ篤く信仰されているところもあるのだ。
ページをめくっていた弓月はふとページをめくる手を止めた。
海に浮かぶ小さな島の神社。
その島は朱色の橋でつながれており、厳かで妖しい印象を受ける。
「氷花、神社・・・?」
写真に惹かれ、弓月はページに記された文章を目で追った。
+++
氷花神社には神剣が祀られている。
ただし普通の神剣ではなく、厄を帯びた神剣だ。
その昔、黄泉の国から現れた凶悪な悪鬼が暴れ、人々を襲っていた。
そこらの陰陽師では手がつけられないほど、悪鬼は他の妖怪を吸収し力を倍増させている。
討伐のために用意された神剣は悪鬼に奪われ、
悪鬼は奪った神剣で更に人々を襲い始めたのだ。
その一番の被害にあった村が花鏡村で、村一つが消滅してしまった。
やがて悪鬼は神童と呼ばれていた陰陽師によって地に封印され、
また悪鬼によって多くの血を浴びた神剣は祟を恐れ、祀られたのだ。
その時、氷が張り付いたことから氷花神社と命名されたのです。
+++
「・・・!」
弓月は文中に出てきた“花鏡村”という単語に驚きを隠せずにいた。
花鏡村とは弓月が生まれた村なのだが、千年以上前にも同じようなことがあったらしい。
弓月は服の下にしまった首飾りを、首元から引っ張り出した。
丸い枠の中に橙色の石がぶら下がっており、枠の周りには菱形の飾りが3つついた不思議な形の首飾りだ。
これは弓月の霊力の半分を封じ込めたもので、今までは完全に封印されていたが、
弓月が見えるようになったことで封印が破れてしまった。
家に置いておくより、自分で持って守る方がいいだろうというおじさんの提案により、
弓月は肌身離さず首飾りを持つようにしているのだ。
一緒に文を読んでいた朱珠が独り言のように口を開いた。
「確かに……あったな、こんなこと……」
「そっ、そうなの?!」
朱珠がこくりと頷く。
「へぇ……朱珠は悪鬼と戦わなかったの?朱珠強いのに」
「いや、あの頃はまだ子どもだったからな。
……それに俺はお前が思っているほど強くはない」
朱珠は少し困惑したような苦笑いを浮かべた。
力は強くても心は弱かった。そのために朱珠は怒りにのまれそうになり、人を傷つけてしまったのだ。
それでもまだ、強いじゃん!それに背も高いし!
と言い募る弓月の頭を、朱珠はわしゃっとかき回した。
* * * *
弓月と朱珠は図書館での宿題を終え、電車に乗って霊白村まで帰ってきた。
今歩いている木陰道はとても涼しいし、静かで落ち着く。
誰も住んでいない民家の古いブロック塀が苔むし、それもまたいい雰囲気を出している。
山吹色の首巻きをなびかせながら歩いていた弓月が口を開いた。
「ほんと、なんとか終わったねー!よかったー」
「ああ、本当によかった。あのまま1時間2時間と図書館に居ることにならなくてな」
「とか言いながら、朱珠は付き合ってくれることを僕は知っている」
否定できない朱珠である。
確かに、なんだかんだで付き合いそうだ。
「知っているって……もう今度は先帰るからな」
「とか言いながら、終わって外に出ると入口で待ってくれている」
「……っ」
可愛い顔してこの弓月。なかなかに鋭い。
弓月は俺が守ると決めている朱珠が、弓月を残して家に帰れるはずがない。
ぐうの音もでない朱珠である。
小さな池の周りの細道を歩き、山近くに差し掛かった時だ。
少し先で小さな子どもが座り込んでいるのが目に入った。
しかし、子どもの目の前には今にも襲いかかりそうな異形がおり、
弓月と朱珠は考えるまもなく、同時に地をけり駆け出していた。
異形が襲いかかる瞬間、弓月が子どもを抱えて庇うようにして転がり、
朱珠が神通力の風で異形を引き裂き、消滅させる。
「君、大丈夫?!怪我はない……?」
子どもを抱え起こして改めて子どもの姿を見た弓月は目を丸くした。
白髪なのだ。右目は髪で隠れており、見える左目は憂いの見え隠れする瑪瑙色。
背中に届く白髪を左肩のあたりで一つに束ねてある。前髪の両はしには一筋だけ毛が赤い。
目立つ容姿だが、着ている服は霊白小学校の学生服だ。
立ち上がった子どもが服についた土を手で払いのけた。
「はい、ありがとうございます」
抑揚に欠けた声音で礼を言い、小さく一礼した。
しかし転んだためか膝は擦り剥け、少し血がでていた。
「あっ、膝すりむいてるよ!駅近いし、傷口洗いに行こう?」
「いえ、大丈夫です」
「駄目だよ。ばい菌が入っちゃうからちゃんと洗わないと」
子どもの手を引いて歩き出したところで、朱珠が子どもを指さした。
「こいつだ!」
「え?」
「最近、俺たちの後をつけていたやつだ!!」
朱珠は気づいていたのだ。
先日から白髪の子どもが自分たちの後をつけたり様子を伺っていたりすることに。
初めは気のせいかと思ったが、気を集中させると確かに子どもが静かに後をつけてくるのだ。
雰囲気も気も確かに人間なのだが、何故だか違和感を覚える。
殺気こそはないが、覚えた違和感が気にならずにはいられない。
弓月は問いかけるように、子どもを見る。
「そう、なの?」
すると、返事の代わりに、腹が鳴る音が聞こえてきた。
3人は村の駅の近くにある小さな飲食店へと向かった。
店のトイレにある水場で傷口を軽く洗い、絆創膏をはってから席に座った。
席に座ると、子どもはゆっくりと周りを見回している。
店の人も、弓月と子ども、二人の奇抜な色合いの髪と目をちらちらと見ている。
初めて来たのだろうか。不思議な子どもだ。小学2,3年生くらいだろうか。
どうやら、この子どもも人ならざるものが見えるらしい。朱珠にも一礼していた。
霊白小学校の制服を着ているが、本当にそうなのだろうか。
こんなに目立つ子どもなら、一度くらい見たことや聞いたことがあってもいいのに。
考えを巡らせていると、店の人がやって来た。
なんでもいいと言うので、弓月が適当に注文を済ませると、弓月はもう一度同じ質問をした。
「それで、僕たちをつけていたって、本当?」
「勝手に後をつけ回して、すいません」
瑪瑙色の目を少し伏せた。
子どもにしては妙に冷めている様子に、朱珠はテーブル越しにずいと詰め寄り問いただした。
「お前、一体何者だ?」
「……」
「黙り込むのか」
無視されたことに、少し気分を害した朱珠が眉間にしわを寄せる。
そこへ弓月が割って入った。
「まぁまぁ、誰にも、話したくない事だってあるし、無理に聞かなくてもいいんじゃない?
それにしても、なんで僕たちをつけてたの?気になるし、教えてくれると嬉しいな」
弓月の顔を見て一瞬躊躇うように視線を泳がせ、子どもは静かに口を開いた。
「あなたと、喋ってみたくて」
「そうだったんだ。そうならそうと、早く言ってくれたら良かったのに」
「すみません」
ぺこりと頭を下げる子どもに、もう一つ弓月は質問する。
「あと、その制服……霊白学園近くの霊白小学校の生徒?」
「はい」
そこへぶっきらぼうに朱珠が腕を組んだまま割って入った。
「お前、名前はなんという?」
「……瑪瑙です」
「僕は弓月だよ。この大きいのは朱珠。ごめんね、さっきから怒ったような態度で」
朱珠が横に座っている弓月をちらりと見た。
この大きいの。些か紹介が雑すぎるのは気のせいだと思いたい。
その時、注文していた料理を持ってきてくれ、子どもの目の前にお子様ランチが置かれた。
お子様ランチに視線を落とした子どもが手を膝に置いたまま、
少し驚いたように目をぱちくりとさせる。
「旗が……乗っていますね」
何となく気まずい空気が流れる。
「……も、もしかして、こういうの苦手だった……?」
「……いえ」
お腹がすいていたのか瑪瑙はぱくぱくと食べ、食べ終わるとふうと息を付きながら
手拭きで口を上品に吹いて、口を開いた。
「あの、一つお聞きしてもいいですか?弓月さんは力が欲しいですか?」
子どもの唐突すぎる質問に、弓月も朱珠も目を瞬かせる。
「え?どうしてまた急に……」
「いえ、ひとつの質問をしてアンケートを取ってきなさいという宿題が学校で出てて」
「どんな宿題だ。しかも、どんな質問してるんだ」
軽くつっこみを入れる朱珠である。
「宿題か~頑張ってね。で、力が欲しいかどうかって?」
「はい」
「力って言っても色々あるけどー……」
瑪瑙が少し目を細める。
「では、戦うための力ならどうですか?」
弓月と朱珠が同時に口に指をあてて思案する。
「戦うための?ん~僕はいらないかな。そんな必要もないしね」
「俺も今のままで十分だな」
「……そうですか。わかりました、協力ありがとうございます」
無表情だった瑪瑙が僅かに微笑んだ気がして弓月は目を瞬かせた。
朱珠が前髪をかきあげながら、弓月に言う。
「さ、そろそろ行くか?お前今から氷花神社に行ってみるんだろ」
「あ、そうだった。僕もさ、学校の宿題でー……」
「……!」
弓月が瑪瑙の方を見ると、先ほどの冷めた表情とは違って、
驚いたように僅かに目を丸くしている。
はっと我に返った瑪瑙は再び感情の乏しい顔へと戻った。
「いえ、なんでもありません。ぼくももう帰ります。
ご馳走していただき、ありがとうございました。
美味しかったです。それから、絆創膏もありがとうございました。では」
立ち上がり、少し深く一礼すると、店を出て行ってしまった。
弓月と朱珠は顔を見合わせ、同時に首をかしげた。
つかみどころのない、不思議な子どもだった。
****
店を出た瑪瑙は、そっと店をかえりみた。
瑪瑙色の瞳が弓月の後ろ姿をを映す。
「あなたなら・・・」
無表情に呟いてその子どもはその場を後にした。