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今昔人妖雑記帳【少年と守神】  作者: 蒼すだま
心影編~氷の莟よ花開け~
7/32

一話「兎にも角にも慣れは大切」

ざわざわ、ざわざわ




どくん、心臓が蹴り上げられた。


どくどくと早鐘を打つ鼓動が五月蝿い。




ざわざわ、ざわざわ




責め立てるかのような木々のざわめきが鼓膜を絶え間なく叩く。





その場にいた誰もが瞠目した。



自分のしてしまったことが、どういうことなのか。







僕は、倒れゆくその体をただ見ていることしかできなかった。







ひょんなことから人ならざるもの、霊や妖怪の類のものが見えるようになってしまった弓月であったが、

見えるようになった事以外は何も変わらず、ごく普通の生活を送っている。…と言いたいが、実際そうでもない。

今は1時間目、ごく普通の授業中で、教科書とノートを広げ授業をしっかり聞いてノート書いている者もいれば、

机の下でばれないように携帯を弄っている者もいる。

爽やかな朝の風が窓から入り込み、とても気持ちがいい。昼ごはんを食べたあとなら確実に寝る自信がある。

そんなごく一般な授業風景に、弓月の場合はもう一つ付け加える事があるのだ。

弓月はちらりと横目で隣を見た。皆には見えないだろうが、隣には紫の着物を身にまとった2m近くの大男、朱珠が立っているのである。

腰より長い黄髪は流れるように美しく、空色の双眸は教室に差し込む光を受けて輝いている。

耳は尖っており人では無い事をうかがわせる。そして彼の名前"朱珠"は名前のない彼に弓月がつけたものであった。

そんな朱珠がひっきりなしに話しかけてくる。

今日の授業は日本史で、この時はこうだったのああだったの、この名前は聞いたことがあるだの……五月蠅い。

視線を黒板に戻し、軽くため息をつく。

やっぱり連れて来るんじゃなかったと弓月は内心後悔しながら無心で授業を受けていた。

どうしてこうなったかと言うとそれは数時間前にさかのぼる。



朝、いつものように弓月は学校に行く準備をしていた。

今日もおじさんおばさんは居なくて弓月と朱珠だけなので、自分でご飯をついでインスタントの味噌汁を作った。

遅刻しそうになって食べられない時もあるけれど、なるべく朝ご飯は食べるようにしている。

1日の活力を養うためにも朝ごはんは大切なのだ。

お盆に乗せて畳の居間に持って行き食べ始めると、

朱珠が不思議そうな顔をして壁にかかっているものを指をさしながらようよう声をかけてきた。


「ずっと気になっていたんだが…あれは何だ」

「え?ああ…あれは時計。今何時かっていうのが見たらわかるんだよ」

「ほう…ならこれは」

「携帯電話。メールとか電話とかできて便利なんだよ」

「めーる?でんわ…?よ、よくわからん。また教えてくれ。…あ、ならこれは」

「ん?これはシャーペン。文字を書くものだよ」


朱珠がシャーペンをまじまじと見つめたりいじったりしている。

弓月が上を押して芯を出して紙に書くと、感嘆の声をあげた。

無理もない。永い間ずっと山の中で過ごし、人間の生活の様子など傍目にしか知らなかったのだから。

聞いたところによると平安時代の前から生きていてかれこれ1500年以上は生きているらしい。

1500年という想像もできないくらい長い時間を朱珠は過ごしてきたのだ。それも他の魑魅魍魎に避けられ独りで。

不信、寂しさ、理不尽さ、その気持ちは想像こそできるが、本当の意味で理解などできないと弓月は思っている。

他人の気持ちなど、その人でないのだから違わずに理解するなど到底不可能なのだ。

だからせめて共感し、そして朱珠と友だちになりたい。

当人はというと、当然今まで笑う事も少なかったのだろうが、弓月に会ってからはよく笑うようになった。

弓月を護るのだと意気込み過ぎて少し硬くなりすぎている気もするが、彼の荒んだ心は確実にほぐされている。

朝ごはんを食べていた弓月が朝のニュースでも見ようとテレビをつけた瞬間、朱珠が驚愕を隠せず叫ぶように言った。


「?!なっ…なんだこれは…!」

「テレビだよ」

「てれび?こんな薄い箱の中に人間が…どうやって入っているんだ…?」

「いや、人間が入ってるわけじゃないよ」

「そうなのか?」


テレビの画面に近づいてしゃがみ込み、怪訝そうに眉根を寄せながら食い入るように見つめたり、

恐る恐る画面を手で触ろうとするその姿は、どこか可愛らしい。

一応これでも由緒正しい山神、大山祇神の息子で辻山の守り神でもある。つまり神様に近い存在なのだ。

弓月がニュースにチャンネルを変えると再び驚いて後ろに退くが、また近寄って食い入るように見つめる。

初めて出会った時の冷酷で残忍な彼とは大違いで、今は何も知らない無邪気な子どものようだ。

朝ごはんを食べ終わり片付けているとすぐに家を出る時間になった。

弓月が鞄を持って玄関で靴を履いていると、後をついてきた朱珠が今度はいぶかしむように声をかけてきた。


「どこへ行くんだ?」

「どこって…学校だけど?」


爪先をトントンと地面に打ち付けてかかとを入れながら弓月は答えた。


「がっこう…?なんだそれは。危険なところか?」


真面目な顔をして学校は危険なところかと聞いてくるので、弓月は少し笑いそうになりながら首を横に振った。


「ううん、危険じゃないよ。勉強をしに行くんだ」


その言葉を聞いて、朱珠は目を逸らし指を口に当てて考えるそぶりを見せ、ひとつ頷くと決めたというような顔で弓月を見た。


「俺も一緒に行く」

「えぇっ」


まさかの展開に弓月は驚きの色をたっぷり含んだ声をあげた。


「弓月は俺が守る。そう決めたんだ」


あ、確かにそう言ってたな、と弓月は無言で続きを促す。


「危険なところではないと言うが…何があるかわからん、心配だ。ついて行く」

「ありがとう、でも大丈夫だよ。そんな何も無いし、6時ごろには帰るしさ、家で待っててくれたら…」


気持ちは嬉しいが正直そこまでしてもらわなくてもいい。皆に見えないのは分っていても何だか照れくさいというか。

それに自分を護るためだけに全ての時間を使ってほしくないからだ。縛られることなく、自由に、思うがままに生きてほしい。

しかし更に朱珠は弓月に押し迫る。朱珠の迫力に少し後ろにのけぞりながら、弓月は拒否の意を見せるように両手を顔の近くに持ちあげた。


「駄目だ。もしもの事があったら山を離れる事を許してくれた親父にもあわせる顔が無い」

「いやいや本当、そんな心配しなくても大丈夫だって」

「俺にとってお前は大切な人間なんだ…!頼む!」


弓月があげていた両手をがっしりと掴み、ぐいと顔を近づけ頼み込んだ。

弓月を映す朱珠の空色の瞳は澄んでいてとても綺麗で、力強い。長い睫毛もまた印象的だ。

そんなに綺麗な瞳で見つめられると何故か鼓動が早くなる。

しばらくこの状態が続いたのち、弓月の方が折れて口を開いた。


「…仕方ないなぁ…じゃあひとつ約束してくれるならいいよ」

「何だ?」


握っていた弓月の手を放して少し首を傾ける朱珠に、弓月は腰に片手を当て、そして人差し指をたてて言い聞かせるように言った。


「ひとつ、授業中はうろうろしない。ふたつ、勉強してるからあまり話しかけない、以上」

「ひとつと言ったのに、ふたつじゃないか」

「そういう突っ込みはいいの!とにかく、守ってよね」

「ああ、わかった」


弓月の反応にくすりと軽く笑みをこぼしながら朱珠は了承した。

と、まぁ・・・そんな約束を交わして、今に至る。

いくら周りの人に見えないからと言ってあちこち動き回られたり、喋りかけられると授業に集中できない。

そういう理由で約束をしたのに。

我慢していたが、朱珠がぐいっと思い切り教科書を覗き込んできたことにより、その無心はもれなく消滅した。


「ほう…!そんな事があったのか…!それでどうなったんだ?なぁ」

「もう!ちょっと五月蠅い!」


授業中なのも忘れ思わず声をあげてしまい、教室中の視線が一斉に弓月に突き刺さった。

弓月ははっと我に返って状況を理解し、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「那由他さんが五月蠅いですよ?」


先生に呆れ顔で注意され、弓月はばつが悪そうな顔をした。

弓月に一喝された朱珠はというと目を丸くして同じくばつが悪そうな顔をし、そして悟った、弓月はキレたら怖いのだと。

弓月が横目で朱珠をねめつけ、声をひそめてさらに抗議の声をあげた。


「もう!大人しくするって約束だったのに!」

「す…すまん…」


本当に悪いと思っているのか、朱珠はしゅんとうなだれた。




    *  *  *  *




今日は乱兎も白輝も居ないので一人、もとい2人で昼ごはんだ。

教室で朱珠とはあまり話せないし久しぶりに屋上で食べようかなと思案しながら

鞄から弁当を取り出そうとして、弓月ははたと手を止めた。

一つ瞬きをして呟いた。


「あ・・・お茶忘れた」

「俺が取りにもどろうか?風で飛べばすぐだぞ」

「ありがと、でもいいよ。下に自販機あるから買ってくる」


じはんき、という聞き慣れない単語に再び頭の中に疑問符が飛びまわる朱珠である。

じはんき、じはんき…考えてもそれが何なのかがさっぱり想像できない。

今までほぼ山の中で過ごしてきたので人間の生活など山の上から見る程度だったのだ。

平安時代の頃は少しは村や町を見に行ったりしていたがその後は見に行くことも無く、

一体いつの間にこんなに変わったのだろうかと感じ、そして同時に切なく虚しくもなる。

思い返しても今までろくなことが無かったが、昔の風景や雰囲気と言うのが朱珠はそれなりに好きであった。

人と人との関わりというのが盛んで、子どもだって村の人全員が育てていると言っても過言では無いほどだ。

そんな昔と違って現代の人間の生活と言うのは、車という乗り物が高速で走って大気を汚染し、人々はせわしなく動き回り、

建物は厚く硬く冷たい壁に阻まれ、それはまるで人と人の心の壁のようにも感じる。これが今日町に来た朱珠が感じたことだ。

とりあえず弓月は財布だけ持って教室を出て階段を下りて行く。

途中で何人もの生徒とすれ違うが、やはり朱珠のことは見えていない様で何事もなかったかのように話をしながら去っていった。

本当に朱珠は見えない存在なんだなと実感して、弓月は朱珠を見上げた。身長差実に30cm以上。ずっと見上げていると首が痛くなりそうだ。

何やら視線を感じて朱珠が下を見るとぱっちり弓月と目が合った。


「どうやったらそんなに大きくなれるの…?」

「特に何もしてないけどな…何でそんなこと聞くんだ」

「だって、僕149センチだよ…」


どう見ても、どっからこっからそっから見ても、低い。身長が低い事が悩みの彼からしたら、朱珠の身長は憧れなのである。


「背が高くても別に得する事は何もないと思うがな」


そんな風に切り返されて、弓月はちっとも分かってくれないと言うように拗ねたような顔をした。

他愛無い話をしているとすぐに校舎の外にある自動販売機に辿り着いた。大きめの砂利が敷き詰められ、歩くたびに音が鳴る。

自販機は校内にここを含め五箇所ほどある。正門や裏門を出たところにもあって、欲しい時にすぐに買いに行くことができる。

じはんき、というものを初めて目の当たりにした朱珠は、しかしどういうものかよく分らず自販機に手を当て首を傾げて訊ねた。


「これがじはんき…この中にお茶が入っているのか…?どうやって取り出すんだ?」

「まぁ見てて」


面白そうににこっと笑って片目を瞑って財布を取り出した。

いつものように財布からお金を取り出して入れるとチャリンとお金の落ちる音が聞こえる。

その様子を朱珠は、何が始まるのだろうと期待するような目でじっと見つめた。

弓月が欲しい飲み物を選んでボタンを押すと、ピッという電子音のすぐあとにガッコンという音がして、

朱珠は弾かれるように音がした方を凝視した。

弓月はよいしょとしゃがんで手を突っ込み缶を取り出して朱珠に見せた。

朱珠は目を見張った。


「…!金を入れなければ出てこないのか」

「そうそう。あ、そうだ朱珠もいる?コーラとか絶対飲んだ事ないよね」


そう言って弓月は返事を待たずに朱珠のコーラも買って手渡した。


「お…すまんな」


コーラを手渡された朱珠はと言うと、どうやら缶が冷たいことに驚き目を丸くしているようだ。

初めて手にする缶ジュース。どこから開けていいのやら分からず、

難しい顔をしながら隅々まで見回している。

朱珠が苦戦していることなどつゆしらず、弓月は上に指をかけて開けた。

お茶を飲もうと缶を口に持っていったその時。


ブシューーー!!!!


近くである特有の音がし、弓月は驚いて振り向いた。


「・・・?!」


ただただ呆然と目を丸くしている朱珠と目が合った。

弓月も呆然と見つめ返し、そっと訊ねた。


「…振った…?」

「…振った…」

「…。」


顔を見合わせ、妙な沈黙が流れる。沈黙を破ったのは弓月の笑い声だった。


「……ぷっ…あははははっだ、大丈夫?!ごっごめんね…っ炭酸飲料は、振っちゃいけないって言ってなかっ…あははは」

「こ、こら!笑うな!」


さも面白いという風に腹を抱えて笑い出す弓月に反論し、渋面になる朱珠である。

顔にかかったコーラを手で拭ってコーラを一口飲んでみたが、今までにない感覚に朱珠は噴き出しそうになり、

これ以上ないくらい怪訝な顔をして缶の中を覗き込んだ。口の中が痛いというかなんというか。


そんな朱珠の様子に弓月は再び笑った。


「しゅわしゅわして美味しいでしょ。初めは慣れないかもね~」


そう言って弓月はお茶を一口飲んだ。


そんな弓月を見ながら朱珠は思った。

この現代文明というものは分からないことだらけだ。いや、分から無さ過ぎる。

永い間山で過ごしてきたから慣れるのにも相当時間が・・・その前に慣れることができるのか。

しかし弓月が言うのだからいつかは慣れるのだろうか、いやそうなるものなのだろう。

そうとりあえず結論づけて再びコーラを一口口に含み、妙な感覚にまた吹き出しそうになった。


お茶を飲みかけた弓月が思いつき声をあげる。


「そうだ、今日乱兎退院って言ってたよね、帰り乱兎の家にお見舞いに行かない?」

「・・・すまなかった・・・」


複雑な気持ちになった朱珠が少し頭を下げた。乱兎の足を傷つけてしまったのは自分なのだ。

朱珠の言わんとするところを察して、弓月は軽く笑って首を横に振った。


「ううん、いいよ。と言いたいとこだけど・・・本人に直接謝ってくれるかな」


弓月に真剣な表情で見据えられ、思わず姿勢を正して「はい」と返した朱珠であった。


「大丈夫!乱兎ああ見えて優しいし。絶対許してくれるよ」


朱珠を励ますように、弓月は笑ってみせた。

早く教室に戻って昼ごはんを食べないと時間がなくなってしまう。

2人は急いで教室へと戻っていった。




  *  *  *  *





見慣れた風景が段々と近づき、心なしかほっとした表情を乱兎は浮かべた。

さくさくと歩を進める彼女の左ふくらはぎには包帯が巻かれている。痛み止めの薬を飲んでいるので今は全く痛くない。

薬が切れるとそれなりに痛いのだが、我慢できないほどではないので生活に支障はないだろう。

乱兎は先日風が強くて電車が止まってしまった日に弓月と共に歩いて帰った際、

謎の突風により足を負傷してしまったのである。

風のなかに何か木の枝など鋭いものがあったのだろうか、それともよく言うかまいたちというものだろうか。

一見怖いものがなさそうな乱兎。

しかし何を隠そう、実はおばけが大の苦手なのである。

あの時は平気なふりをして強がっていたが、あの薄暗い中風がびゅうびゅうと吹いているという状況、

誰もいなかったら脇目もふらず全力疾走して帰ったに違いない。

兎にも角にも散々な目にあった。


その時ふとあることを思い出し、乱兎は鬱陶しげに眉間にしわを寄せて足元に視線を落とし、目をすがめた。

段々と歩く速度が遅くなり、立ち止まってしまう。

折角忘れていたのに思い出してしまい、乱兎は無性に苛立ち思わず舌打ちをしてしまった。

何を思い出したかって、弓月に助けられてしまったということだ。

しかも背負ってすぐ近くの病院にまで行ったというではないか。

気を失った自分を病院に連れて行ってくれたのだ、勿論そこはお礼を言わなくてはいけないところだと頭ではわかっている。

しかし病院では、自分でなんとかできた余計なことをするな、と嫌われても仕方のないようなことを言ってしまった。

だが本当のことだ。誰も助けてくれなどと言ってない、頼んだ覚えもないのだから。

それに自分は誰の助けも借りたくないし、助けられたくもない。ついでに情けもかけられたくない。

乱兎は絶対誰にも頼らず自分の力で生きていくと決めているのだ。助けられるなど悔しくて腹立たしくて仕方がない。

助けられるのは弱いと見られている証拠。

それでも弓月は自分の性分をわかってくれているのか、別に気分を害するわけでもなく流してくれるのだった。

険しかった顔の表情を解き、乱兎はわだかまっていた物を吐き出すように大きくため息をついた。


「終わったことにイラついても仕方がない、か・・・・・・」


気持ちを切り替え再び足を踏み出した。

そこの角を曲がると乱兎の家はもうすぐだ。すぐに大きな鳥居と階段が視界に入った。

鳥居には"霊白八幡神社"と記されており、

石の鳥居に彫られたその文字は所々見えにくかったりして時の流れを感じさせる。


鳥居をくぐり石階段を一段一段踏みしめるように登っていくと、一気に視界がひらけて神社の境内が広がった。

境内にはこじんまりとした本殿に狛犬、灯篭、

そして樹齢1000年近くの楠の神木が太い根を生やし、神社にどっしりと座っているのだ。

周りには桜や紅葉の木が生えている。春や秋には桜や紅葉が咲き誇って日本の美しい四季を感じさせ、

また春祭り秋祭りなどでは霊白村の人々が集まって賑わいをみせる。

桜山の桜に比べればまだまだだが、負けず劣らず春めく匂いを風に乗せて村に届けてくれるのだ。


そんな霊白八幡神社の神主が白輝と乱兎なのだ。もとい、神主代行である。

というのも、父も母も出張や単身赴任でほとんど家におらず、

乱兎が小さい時から出張ばかりで、帰ってきたと思えばまた出て行く繰り返しだった。

当然彼女の父親がこの神社の神主を継ぐはずだったのだが

本人にその気はないらしく、子どもを作って継がせようとしたらしいのだ。

そんな話を小学生の時に聞かされ、唖然としたのを今でもはっきりと覚えている。

自分たちの都合のために自分は生まれたのか。そう思うと同時に憤りを感じ、そんな奴に絶対助けられたくなどない、

誰にも頼らず助けられず1人で生きていくんだ、そういつしか乱兎は心に決めた。

初めは親に対する不満と反抗であったがいつしか誰にも助けられたくない、そう思うようになり今の乱兎がある。


そんな乱兎の家は境内の少し離れたところにこじんまりとあった。

育ての親である祖父祖母が心配して待っているだろう、乱兎は足早に家へと向かった。





    *  *  *  *




今日は乱兎の様子を見に行くということで、部活を休ませてもらい早めに帰った弓月である。

電車を降りいつもとは違い、乱兎の家の方に向かって足を運んだ。

奥の方へ進むにつれて舗装された道も少なくなり、昔ながらの土むき出しの道が続いた。

そして今はまだ春であるというのに、思ったより日差しがきつい。しかし気持ちの良い風が吹いているので、そこまで暑いとは思わなかった。

もう1ヶ月もすれば梅雨の季節がやってくるだろう。

乱兎の家は神社の境内にある。ひたすら歩き角を曲がって神社の鳥居と階段が見えた。

境内の中にある家の玄関に立つ。


「ここだよ」


弓月が朱珠を見上げてから、チャイムを鳴らす。

インターホンから乱兎の「はい、どなたですか」という声が聞こえる。


「弓月だよ。乱兎、ちょっといい?」


少ししてジャージに白いTシャツ姿の乱兎が玄関の戸を開けて出てきた。


「弓月、どうしたんだよ。部活は」

「乱兎のとこ寄りたくて仮病使って休んだ」

「おいおい……で、そっちの人は……?」


乱兎はすぐに弓月から視線をそらして、今度はその隣を凝視した。隣に立っているのは朱珠。

指を差し、剣呑に目を細めながら乱兎は言った。

長い金髪に着物姿。どこからどう見たって、変な人だ。


弓月は瞬きをして首をかしげた。朱珠を見上げて訊ねる。


「朱珠、乱兎にも姿が見えるようにしてるの?」


弓月の質問に対して、朱珠はふるふると首を横に振った。


乱兎にも朱珠が"見えている"?

弓月は朱珠を指差しながら確かめるように訊ねた。


「これのこと・・・?」

「おい、これ言うな」


弓月につっこみを入れる和服の男を凝視しながら乱兎はこくりと頷く。

乱兎と目が合った朱珠はというと、いたたまれなくなって思わず目を逸した。

弓月は朱珠と顔を見合わせたあと、朱珠のことや辻山であの後何があったのか、かいつまんで乱兎に説明した。

乱兎は信じられないというような顔で頷きながら話を聞いた。

どうやら話によると幽霊の類のものが見えるようになってしまったと。

しかし目の前にいる人ならざるものは想像していたものと違いまるで普通の人間のようである。


「ちょっと待って!」


乱兎はばたばたと家の中に走って入り、白輝の手を引いて連れてきた。


「な、何?」

「なぁ、白輝はあれ見える?」

「……あれ?何のこと?どこに……」


あたりを見回す白輝はどうやら見えていないらしい。

乱兎はごくりと唾を飲み込んだ。

白輝がどうやら見えていないようなので本当に“見える”ようになってしまったらしい。

それにしても見えないものが見えてしまう、それは他の見えない人間からしたらどう映るのだろうか。やはり気味悪がられるのかもしれない。

ぐるぐると考えを巡らせていた乱兎は、朱珠が目を泳がせながら何やら言いたそうに口をぱくぱくさせていることに気がついた。

朱珠がばっと頭を下げる。


「その・・・足の事はすまなかった・・・。あの時は山を守ることで頭がいっぱいで・・・って言い訳しても駄目だが・・・兎に角すまなかった」


力があって強いということは誰かを守ることができるということ。

しかし一歩間違えば守るはずの力は人を傷つけるものとなってしまう。

今は申し訳なくて彼女の顔を見ることなどできない。彼女を傷つけてしまったのだ、許してもらおうなどそんな甘い考えはない。

許してもらえなくてもいいからせめて謝りたい、その一心だった。謝ってすっきりしたいなどなんて自分勝手で我侭な考えなのだろうか。

乱兎からの返答はない。


「……もう!むかつく!あんたのせいで怪我はするわ、弓月に助けられるわで苛々するし!

 もう!散々だったんだから!ついでに変なものまで見えるようになったし!」


ごもっとも過ぎてうなだれる朱珠だ。

しかし。


「あーすっきりした!いいよもう。許してあげる」


思っていたことを全部吐き出した乱兎は、大きく息を吐いた。

思ったことは言わなければ。溜め込むのは体にも心にもよくない。

朱珠ははっと我に返り、許すという言葉を噛み締めながらありがとうと言った。

そんな2人の様子を静かに見ていた白輝はそっと呟いた。


「本当に乱兎は見えるようになったんだ・・・凄いや」

「双子なんだし、きっと白輝も見えるようになるんじゃない?」


隣にいる白輝の呟きを聞いた弓月は軽い感じで返した。

対する白輝は顔に一瞬影が落ちたがすぐに微笑みを浮かべた。


「いや・・・無いと思うよ。僕は乱兎と違って体も弱いし、明るくもないし、

 出来るって言ったら勉強くらいだし・・・どうせ霊感もないよ」



白輝はアルビノで昔から体が弱く、皆に出来ることが出来ないことも多く。

そのせいか、考え方も悲観的な事が多いのだ。

構って欲しくて言っているのではなく、本心からの言葉だ。


爽やかな風が吹き抜け境内の木々を揺らした。

朱珠と乱兎も仲直りできたし、乱兎も元気みたいで安心した。

足の調子や学校の事を聞いたり、乱兎と朱珠とが自己紹介したりしたあと、弓月は帰ることにした。




そしてこの時、鳥居の影で小さな子どもの影が静かに覗いていたのだが、気付く者は誰もいなかった。



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