四話「大切なもの」
***四話「大切なもの」***
* * * *
御札で止められた白い箱がかたかたと小刻みに揺れ、そしてひと際大きく揺れたかと思うと、
ふっきれたかのように動かなくなった。
中年の男が驚きで目を丸くする。
「…!」
「封印が…解けたの…?!」
女もまた驚きの声をあげた。
箱に封をしていた御札が破けてしまっている。
箱のふたを開けると、中には不思議な形をした首飾りが入っていた。
* * * *
「う…ん……」
うっすら目を開けると、白い天井が目に入った。
知らない部屋とベッドだと気付いた乱兎は飛び起きた。
「乱兎!」
声のした方に目をやると、安堵した様子の弓月が椅子に座っていた。
「…ここどこ…?」
「病院」
「病院?!」
なんでというように怪訝そうに眉根を寄せた。
目を瞑って記憶を手繰り寄せる。
確か…電車が止まって、歩いて帰ってて、それで…。
そこまで思い出した乱兎はハッとして見開いた。布団をのけて足元を見ると、包帯が巻かれている。
そうだ。強風が吹いたかと思ったら足が切れて…。
「20針くらい縫ったって言ってたよ…大丈夫…?」
「うん、大丈夫…かまいたち…とかか。…って病院までどうしたの…?」
「おんぶでダッシュ」
まさか弓月が。自分より10センチ近く違う弓月が背負れたのか。
思いがけない言葉にぽかんと口を開けたかと思うと、急に弓月をねめつけた。
「…背負われなくても、自分で何とかできた…!余計な事しないで」
吐き捨てて、不機嫌な目をふいと逸らした。
乱兎は昔から人に助けられるのを嫌うところがある。
尻もちをついた時に手を貸そうとした時もそうだ。
今に始まった事ではないので、さらっと流すことにした。
「ごめんごめん。でも元気でよかった~。…そうだ、一つ聞いていい?」
「何?」
「あの時、誰か見なかった?」
不機嫌そうに返した乱兎だったが、突拍子もない質問に胡乱げに首を傾けた。
腕組をして思案するそぶりを見せ、しかし見ていないと返した。
乱兎がどうしたのとでも言うように不思議そうな顔をして弓月の顔を覗き込んでくる。
「え、ああ…なんでもないよ」
弓月は両手をふりながら、軽く笑って誤魔化した。
やはりあの声も姿も自分にしか見えていなかったようだ。
弓月は先ほどの情景を思い返した。
◇ ◇ ◇ ◇
何かがそこに居る、そう確信してごくりと唾を飲み込んだ。
『ハ…カウ…ラバ…』
男が手で空を薙ぎ払った瞬間、風が生まれ弓月達の方へ音をたてながらはしった。
「――ッ」
ただの風ではない刃物のように鋭い風、そう直感した。
もう駄目だと思った瞬間、弓月は無意識に剣印を作っていた。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク…」
腕の動くまま五芒星を空に描きながら、知らない言葉が口から飛び出す。
「ウン!」
最後の言葉と同時に、五芒星を切るように剣印を前に勢いよくつきだした。
描いた五芒星が光りを放ち始める。
『…ッ?!』
謎の人物は後ろに飛び退り、そのまま姿を消した。
弓月はその人物の姿を、光りの隙間から確かにはっきりと見た。
◇ ◇ ◇ ◇
あれは一体何だったのだろうか。
どうやらここ数日の強風、通り魔事件は奴の仕業と思っていいだろう。
あの男はどうして強風など起こすのだろうか。考えるうちに弓月は気になって仕方が無くなった。
――来るな、って言ってたな…何か訴えてるような…。
ふと、あることを思い出した。
そう言えばもう駄目だと思った瞬間、無意識に剣印を作って五苞星を描いていた。
さらには知らない単語まで。唱えるとあの風の力を相殺することが出来た。次も同じように唱えたらまた使えるのだろうか。
――何だっけ…バン、ウン、タラク、キリク…
「俺はー…これからどうしたら…?」
「あ、今日だけ入院になるって。で、ごめん…僕、用事あるから帰るね」
謎の呪文もそうだが、やはり強風を起こす理由が気になる。
どちらにせよ、こんなこと危険なこと止めさせなければ。
明日行って話をしてみようと心に決め、病室を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
異質な存在。
自分は何者だ。
避けられる。避けられる。
望んで生まれたわけではないのに。
一体何のために生まれたというのか。
◇ ◇ ◇ ◇
弓月は今、辻山のふもとの道に立っている。
今日も昨日と同じく天気が悪いがそこまで風は強くない。
山のふもとには薄く霧がかかり、山に足を踏み入れればこのまま異界へ連れて行かれそうな、そんな気さえする。
少し向こうには工事用の黄色いトラックやショベルカーが数台並んでいるのがうっすらと見えた。
乱兎は病院、白輝は体調を崩しているので今日は弓月一人だ。
駅から出てすぐに、男に会った昨日の場所まで歩いて行った。
――話そう…って言ったって…話のできる相手じゃなかったらどうしよう…。
勢いのまま来たが、ここにきて素朴な疑問が浮かび、不安に押しつぶされそうになる。
深呼吸をして強張った体をほぐし、そして息を大きく吸い込んだ。
「おーい!昨日の人いるー?」
弓月の声は山に吸い込まれ、すぐ静かになった。
昨日の人物が出てくる気配はない。
もう一度叫んでみたが、結果は変わらず。
呼ぶのを諦めて辺りを見回しながら歩いていると背後に気配を感じ、弓月は息を呑んで振り返った。
昨日の男がそこに立っている。今日は昨日と違いはっきりとその姿をとらえることが出来た。
風に揺れる長い金髪は後ろで一つに括られており、毛先は水色と黄緑の中間のような色をしている。
眼は紅く、頬には黒い三角のような模様がある。
紫の狩衣に身を包んだ男は、初めは少し驚いたような顔をしていたが、すぐに弓月を睨みつけて言った。
「またお前か」
冷たい視線が突き刺さる。
弓月が恐る恐る口を開いた。
「君だよね?通り魔事件起こしたの。どうして、こんなことするの…?」
「山を削ろうとするからだ」
弓月の質問に間髪入れずに金髪の男が返した。
「…!!」
思いがけない言葉に弓月は瞠目した。
「人間は勝手だ。山を削り海を埋め…。…あの木まで削ると聞いた…!あの木を削るのだけは…許さん…!」
男は怒り渦巻く目をして低く唸り、そして山の上に目をやった。
視線の先にはあの樹齢1500年の巨木が見え隠れしている。
言われてみれば強風が襲ったのは工事が始まった日で、おさまったのは工事が延期になった日だ。
理由を聞いてそういうことだったのかと納得し、でも、と弓月は訴える。
「で、でも強風吹かせたり人を襲ったりするなんて、駄目だよ…!」
「五月蠅い!」
一喝され弓月は押し黙った。
「ふん・・・人間など知った事か。どうなってもかまわん」
「…っそんなの駄目!駄目ったら駄目!!」
身の裂けるような男の苛烈な視線とが突き刺さり、そして無言の圧力がかかった。
思わず後ずさりしそうだが、ここで引いてしまったら負けだと思い、弓月も負けじと相手をじっと見据える。
彼の言うことも分るし、山を削るのは自分もどちらかと言えば反対だ。しかしやり方というものがある。
どうにかして話し合いで解決できないだろうか。
沈黙を断ち切るかのように、男が先ほどとは違う内容で口を開いた。
「…お前も前の男と同じで俺を祓いにきたのだろ?」
「…え?違うよ…君と話をしにきただけだよ」
予想もしていなかった問いかけに弓月は目をぱちくりさせた。
少年のきょとんとした顔に苛立ちを感じ、男は声を荒げた。
「嘘をつけ!人間は…いや、人間も妖怪も不都合な者は避け、排除する生き物だ。」
「嘘じゃないよ、だから話し合いを…」
「俺はずっと疎外され続けた。鬼だとかなんとか言って祓いに来る人間もいる…」
「何で避けられて……って、いやだから…話しあおうって…」
「だがな、人間ごときにこの俺が祓えると思うなよ…?」
「いや…だから…」
「ふん…お前に、避けられる、認められない者の気持ちが分るか?!」
弓月の中で何かがきれる音がした。
先ほどから自分は話し合いをと訴えているのに、まったく聞いていない。
いつも温厚な弓月も流石に頭に来て声を荒げた。
「わかんないよ!!大体他人の気持ちなんて本当の意味で分るはずが無いだろ?!」
「?!」
予想だにしない反応だったのか、男は少し目を剥いた。
弓月は大きく息を吸って叫ぶように言い放った。
「僕だって小さい頃この目の色で気味悪がられて、避けられることだってあった!
辛かったって言っても!そんなの僕じゃないのにお前にはわからないだろ?!
でも認めてくれる友だちがいる!いつかきっと認めてくれるよ!」
一息で言いきった弓月は、少し息を切らしながら男を見据えた。
男は不愉快そうに眉根を寄せる。
自分は何のために生まれたというのだ。
異質な存在ということで避けられ続た。望んで生まれたわけではないというのに。
いつも独り。大切なものは木だけ。
いつかきっと認めてくれる?そんなのは綺麗事だ。
滲みだす神通力で袖がゆらゆらと煽られ、土を巻き起こす。
目が憤怒にぎらりと光った。
「お前に俺の何が分るっていうんだ――…!!!」
怒号と共に激情が溢れた。
神通力が爆発し、霧が一気に吹き飛ぶ。
男が大きく腕をふりかぶって斜め下から対角線上に思いっきり振りあげ、巨大な竜巻を創りだした。
「え…うわぁああああ!?!?」
にあっという間に弓月は空中に飛ばされていた。
恐怖にひきつれた叫びをあげる。
男が放った竜巻は轟々と音をたてながら、周りの物を巻き込んで空高く上がっていく。
巻きあげられた他の物に当たっても死ぬし、このまま竜巻からはじき出されても地面に叩きつけられて死ぬだろう。
死ななくても無事ではいられまい。
上下左右激しく風にもまれて息をするのも苦しい中、死の恐怖を身近に感じて血の気が引いた。
どうにかして助からないかと、混乱する頭で必死に考えていたその時、
荒い風に揉まれて息も苦しかったのが、ふっと軽くなった。
「え…」
自分が竜巻からはじき出されたのだと理解した瞬間、頭の中がまっしろになった。
はじき出された勢いで飛ばされながら落下していく。もう駄目だ。
それはもうとてつもなく猛烈な痛みが襲うんだ、いやでももしかしたら痛みも感じずに即死かもしれない。
ああ、だったら自分は死んだって気付かないのかもしれない、そんなのは願い下げだ。
しかし猛烈な痛みの代わりに、鈍痛が体を突き抜けた。
斜面をごろごろと転がり、くたりと身体が止まる。
「う…い、いてて…」
弓月はむくりと起き上がり、腕やお尻を押さえてうめいた。
体中が痛いが、どうやらお尻の方から着地したらしく、そこまで大きな怪我はしていない
弾き飛ばされたすぐ目の前に、丁度山緩やかな山の斜面があったのが不幸中の幸いだ。
助かった。そう確信して肺の中が空になるまで息をはいた。
すぐ先は崖だ。慎重に立ち上がり前に歩み出た。
竜巻はまだ轟々と音をたてている。
「ど、どうしよ……」
ふと横を見ると男が言っていた巨木があった。
弓月は巨木にそっと触り、木を見上げた。
どっしりと地に根を生やし立つ巨木はまるでこの霊白村を見守ってくれてるかのようだ。
「いつも遠くから見るからわかんなかったけど…結構大きいんだなぁ…」
こんな状況で感心して呟きながら竜巻の方を顧みた時だった。
竜巻の中でぐるぐると回っていたショベルカーが、他の物とぶつかった拍子に竜巻からはじき出された。
「え……えええぇぇぇええ?!」
勢いそのままに、一直線に弓月に向かって飛んでくる。
――まずい、このままじゃ木が…!
前の呪文を唱えればもしかしたら止めることができるかもしれない。
一か八か。
右手で剣印を作った。
◆ ◆ ◆ ◆
飛ばされた少年は竜巻からはじき出されて山の中へと消えた。
そこを冷たく睨みつけ、ふっと口の端を吊り上げて嗤った。
「ふん、叩きつけられて死んだか」
そう思ったが、すぐにあの薄紫の頭が見え、男は瞠目した。
なんという悪運の強さ。
「…しぶといな…」
ならば、と竜巻を動かそうとした瞬間だった。
重機が別の物とぶつかり、その拍子に竜巻の外へとはじき出された。
速度はそのままに一直線に飛んでいく。
その先に目をやり、男はこれ以上にないほど目を見開いた。
「…!!」
巨木だ。あの巨木があった。
巨木が無事ではいられないことは、安易に想像できる。
そしてさらに先ほどとは違う意味で目を見開いた。
「あいつ…何をする気だ…?!」
巨木と一緒に見えたのは、逃げずに木の前に立ちはだかる少年だった。
◆ ◆ ◆ ◆
「バン・ウン・タラク・キリク・アク・ウン!」
重機を睨み、前と同じように五芒星を切りながら呪文を叫ぶようにして唱えた。
五芒星が光りながら重機へと飛び、見えない力が飛んできた重機とぶつかる。
剣印を前につきだしながら、止まれと祈るように念じ力を込めた。
しかし速度が緩和されたように見えたのもつかの間。
五芒星の輝きは薄れ、力は飛散し、重機は再び牙をむくかのように飛んで来た。
「――!!」
息を呑み目を瞑って身を固くした。
地を揺るがすような轟音と凄まじい風が弓月を襲い、後ろに尻もちをついた。
突然の出来事に驚いてはっと目を開け、さらに別の意味で驚き目を丸くした。
「ぐ…っ…はぁぁあ!」
目に飛び込んできたのは、男の背中だった。長い金髪が風で激しく揺れ動いている。
男は宙に浮かび、渾身の力を込めた風で重機の速度を抑えていた。
神気が織り交ぜられた風は不思議と目で捕えることができる。
風で重機を包み込み空中に浮かべ、そのまま手で操作するようにして下に降ろし、元あった場所に置いた。
どしんと大きな音が山の上にまで聞こえた後は、さっきまでの竜巻もいつの間にか消え、しんと静まり返った。
弓月は座り込んだまま男の背中を食い入るように見つめ、ようよう口を開いた。
「ど…どうして…?」
たっぷり一呼吸後に、振り返らずに男が静かに口を開いた。
「何故こんなことをした」
こんなこと、と言われてぴんと来ない弓月は回答に困ってしまい、首を傾けた。
なかなか答えが返ってこないことに焦れ、男は語気を荒げてもう一度訊ねた。
「何故逃げなかったのかと聞いている!」
理解できない。木なんか放っておいて逃げればいいではないか。
誰だって自分が一番大切なはずだ。
弓月は口元に指を当て、うーんと唸った。
「なんで…って…うーん…。だって、この巨木大切なんだって言ってただろ?」
「…!」
はっと目を瞠り、聞き返すかのように勢いよく男が振り返った。
少年が照れくさそうににっこり笑っている。
男は憑き物が取れたかのように、ぽかんと口を開けた。
「それと…今、霊白町の人たち辻山工事反対の署名とか集めてるんだよ」
「……」
「人間もまだまだ捨てたもんじゃないと思うよ」
弓月がにっこりとほほ笑んだ。
男は宙に浮いたまま、村を見下ろし、そして弓月を見た。
だいたいこの事言いに来たのに君が全然聞いてくれないからさ、と少年はぶつぶつ言っている。
――不思議な人間だ…
紅かった男の双眸が、空を溶かしこんだような澄んだ色とだんだん変わっていった。
雲が引き、太陽の光が差し込む。
先ほどまでとは違う心地よい風が吹き抜けた。
男の顔が今までのいかめしい表情とは違い、真摯な引きしまった表情になる。
「お前を守りたい」
「…はい?」
「お前の式神となろう」
男が片膝を付き、弓月を見上げた。
式神…聞いたことがある。確か鬼神を使役するとか。
考えて、弓月は酷く困った表情を浮かべた。
「いや…式神とかそういうのはいいかな…」
「だったらどうすれば…」
まさか断られると思っていなかったらしい男が、いささか困惑した表情になった。
「んー…友だちがいいな!」
「ともだち…?」
「うん、友だち!…あ!そうだ、まだ名前言ってなかったね。
僕は那由他弓月。弓月でいいよ。君の名前は?」
「……ない」
「無いの…?!」
「……とにかく、守るからな」
立ち上がって自分に誓うように言い、弓月を風で包みこんで山のふもとまで降ろすと、そのまま何処かへ消えてしまった。