三話「見えない影」
***三話「見えない影」***
次の日、突風の影響で山の工事は延期になったと有線で伝えられた。
それもそうだ。不安定な場所での作業になるのに、もしも重機が倒れて転がり落ちでもしたら大惨事だ。
風で重機が倒れるなんてことないかもしれないが、どちらにせよ延期は賢明な判断である。
そして今日も相変わらず風が強い。電車は止まってしまい、学校も強風のため休みなのだ。
そんなわけで何もすることなく一日中ゴロゴロと過ごして、気付くともう5時だ。
たまにはゆっくりするのもいいが、特に何もせずに1日が過ぎていくというのは、流石に虚しさを覚える。
おもむろに立ち上がって冷蔵庫から牛乳を出して注ぎ、コップを片手に座りこんだ。
勿論背が伸びればいいなとささやかな願いを込めての牛乳である。
「んー…テレビでも見ようかな…」
テレビをつけると丁度夕方のニュースをしているところだった。
見る物もないので、とりあえずニュースを見ることにする。
『…―昨日から続く突風ですが、どこから吹いているのか分らないとのことです。皆さま突風には十分ご注意ください。
次のニュースです。今日明け方、辻山のふもとにて通り魔事件が発生いたしました。ナイフで切られたような鋭い傷、とのことです。
警察は捜査を続ける方針です。なお、被害者に犯人の人相を訊ねたところ、見ていない、姿が見えなかったなどと供述しており―…』
「通り魔事件かぁ…こんな田舎でもそんな事件あるんだ…。
怖いなぁ……。あ、工事が延期っての、この通り魔事件も関係してるのかな」
世の中怖くなったものだ。
なんとなしに呟き、残った牛乳を飲みほした。
* * * *
朝起きて外を見ると、昨日までの強風が嘘のようにおさまり、いつもののどかな風景が広がっていた。
これなら電車も動いてそうだ。工事は早くも今日再開するらしい。
鞄を肩にかけ、弓月は元気に玄関を出て行った。
土むき出しの細道を通り抜け、いつもの田んぼの近くの道をさっさと歩く。
まだ苗は植えられていない。田植えはもう少し後であろう。
そして少しすると、綺麗に塗装された駅に続く道に出る。
いつもここで乱兎と合流することが多く、今日も合流した。
しかしもう一人の姿が見えずに、弓月は首を傾げる。
「あれ?白輝は?」
「今日はちょっと体調悪いみたいだから休むんだってよ」
「最近体調よかったのにね、白輝大丈夫…?」
「うん、大したことないし大丈夫」
乱兎のあまり気に留めていない態度に、大したことないのだと感じ弓月はほっと胸をなでおろした。
白輝はアルビノで人一倍日に弱く、病弱なのだ。疲れるとすぐ体調を崩したりして、酷い時は寝込んでしまう。
ほどなくして駅に辿り着いた2人はいつもの電車に乗り込んだ。
乗車時間20分といったところであろうか。
いつも昨日のテレビの話や今日の授業の話をしているうちにあっという間に駅に着いてしまう。
駅から出ると案の定彼が待っていた。
「おっはよーさん!!」
「おはよー…って?!どうしたその怪我!」
乱兎が玖遠の姿を見て目を剥いた。
顔や腕に数ヵ所カットバンを貼り、左腕は骨折したのか、包帯を巻いて吊っている。
「そう言えば一昨日珍しく一緒に帰ろうって誘いに来なかったけど…何してたの…?」
弓月が心配そうな顔をしながら訊ねた。
弓月と乱兎の心配した驚いた顔を交互に見て、珍しく少し困ったような笑みを浮かべた。
「いや~ちょっと山に登ってたんだ!」
「なんで!」
すかさず異口同音につっこまれる。
「ん~…松茸取り」
「…はぁ…?」
今度は異口同音に胡乱げな声を返された。
つまりは?松茸を取りに山に登って、足を滑らせて落ちたと?
一呼吸置いて次の瞬間、玖遠の背中が叩かれる音が響いた。
「いってぇええ!」
「はぁ?!もう!心配して損した!」
「松茸なんてまだまだ先だよ…ていうか、ここら辺の山で松茸なんて取れないよ…」
何となく予想の付いていた、弓月は呆れて溜息をついた。
* * * *
穏やかだったはずの風は一変。
6時間目が終わるころには再び昨日のような風が吹き荒れていた。
今日は昼ごろから曇っていたため辺りも薄暗く、まるで台風がきたかのようだ。
どうやら今日も掃除はないようなので、弓月と乱兎は電車が止まる前にと急いで駅に向かい、電車に乗り込んだ。
しかし、どうやら懸念していたことが現実となってしまったようだ。
2駅ほど進んだところで車内アナウンスが流れてきた。
『ご乗車の方には大変ご迷惑をおかけしております。この電車は強風のため一旦停止させていただきます。』
「えぇ…?!止まっちゃった?!」
「やべぇ…俺送ってくれる人いないぞ…タクシーを呼ぶにしても……お金そんなにないし…」
そう呟いた乱兎が頼るような目を弓月に向けてきた。
しかし。
「ご、ごめん…今日おじさんおばさん…出掛けてていないんだ…」
目を泳がせながら心底申し訳なさそうに言った。
電車の外を見ると相変わらず風は強い。
このまま待って電車が動くかどうかと言ったら、動かなさそうである。
「しかたないな…ここからならなんとか歩いて帰れそうだし。歩いて帰る?」
弓月に提案に、乱兎も同じことを考えていたのか、仕方が無いという風にしぶしぶ頷いた。
* * * *
村に行くには辻山を越えていくのが一番の近道、ということで辻山のふもとの道を弓月と乱兎はいささか緊張しながら歩いていた。
先日通り魔事件のあった場所なので、ついつい意識してしまう。
そして相変わらず風は強く、木の間を風が抜け、びゅうびゅうと音をたてている。
曇りで辺りが薄暗いのもあって、いっそう不気味に感じる。
山のふもとにある石で出来た鳥居は、誰も足を踏み入れそうにないくらい古びた鳥居だ。
山奥に神社でもあるのだろうか。
しかしこれもまた不気味に感じてしまう。
「だ、大丈夫かな…」
乱兎の隣を歩きながら、弓月が思わず不安そうな声を漏らした。
「大丈夫だって。まぁ…さっさと帰ろ」
実に頼りある乱兎である。そこらの男子より余程格好いい。
それに比べて自分はなんだ、さっきの弱音は。
情けなさに溜息をついた時だった。
『ク…ルナ…』
「…っ?!」
唸るような声が鼓膜を叩き、弓月は金縛りにあったかのように身をすくませた。
誰かが居る。目と耳に全神経を集中させ、辺りを見回すが、しかし姿は見えない。
どくどくと心臓が全力疾走し、冷や汗が背中を流れる。
「弓月?立ち止まってないでさっさと帰るぞ」
「…?」
どうやら乱兎は聞こえていないようで、弓月を置いて先に進んでいく。
自分の聞き間違いであろうか…そうだ、きっと風の音に違いない。
そう考え直し歩きだした。しかし。
『ク…ナト…テ…ル…!』
再びおどろおどろしい唸り声と同時にひときわ強い風が2人を襲い、弓月は咄嗟に腕を交差させて顔を覆った。
「…ッ!」
風がおさまった後おそるおそる目を開け、その光景を目の当たりにして息を呑んだ。
「乱兎…っ?!」
乱兎が左足を押さえ苦悶の表情を浮かべている。
刃物で切られたかのようなぱっくりと開いた傷口からは血が溢れ、地面を赤く染めていた。
弓月ははっと我に返り急いで彼女の元へ駆けつけた。
その時、何かが動いたような気がして目をこすった。
見間違いではない。目を凝らして見ると、前方で人影のようなものがうっすらと見え隠れしている。
何かがそこに居る、そう確信してごくりと唾を飲み込んだ。
『ハ…カウ…ラバ…』
その見えない影の手が、空を切るように横に薙ぎ払った瞬間、
今までのものとは異なる風が発生し、弓月達の方へ土を吹き飛ばしながら向かう。
「――ッ」
声にならない悲鳴をあげた。