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今昔人妖雑記帳【少年と守神】  作者: 蒼すだま
心影編~氷の莟よ花開け~
11/32

五話「謎の影を突き止めろ」

***六話「謎の影を突き止めろ」***




昼から夜へと移り変わる逢魔が時。

妖怪や幽霊、異形といったものたちが動き出す。

この時間帯に外出するのは危険だ。


ばさり、ばさり。


人里から少し離れた山中に、羽音を響かせながら男は降り立った。

薄暗くなってきたこの時間、人の住む村に比べ山中は一段と暗い。

その暗さが一層不安を掻き立てるであろう。


木々が鬱蒼と生い茂る中、男が降り立ったその場だけ、

草や苔はちらほら生えているものの木々は一切生えておらず、不思議と少し開けていた。


男は広場の中央に目をやった。

そこには大人3人がかりで動かしても動かせないであろう大岩があった。


そう、まるでその岩を避けるかのように、木々が一切生えていないのだ。


しめ縄を巻かれた岩は相当の年月が経過しているらしく酷く苔むし、

もはや下の岩の色が見えないほどである。


異国の黒い服に身を包んだ男は、羽をどうやってか背中に仕舞いこむと、

長い黒髪を揺らしながら静かに岩に歩み寄った。

男が無表情のまま目の前で手をひらりと回しなでるように円を描くと、赤黒いもやのようなものが現れる。

それは次第に天に登るかのようにほろほろと消えてゆき、

消えた後、男の手の上には淡く仄めく蛍のような半透明の物体が何個も浮遊していた。


男は岩の前にそろりと跪くと地面に手を付き、蛍のような物体、否、刈り取った異形の魂を沈めた。



ざわざわ、ざわざわ



突如山が拒絶の意を表すかのように激しく唸る。

木々の間を風が吹き抜け、不気味な音を奏でた。



どくん



不意に地面が脈打った。



どくん、どくん



否、地面の下の何かが歓喜に打ち震えている。



どくん、どくん、どくん



辺りの空気はいたって何の変化もないのに、

憎悪、邪気、恐ろしいほど禍々しい何かが足の裏から全身に伝わる。


這うように、絡めとるように伝わっていくその感覚に

男は血の色に似た双眸をついと細めると仄暗い笑みを浮かべた。



どくん



更に求めるかのようにひときわ大きく地面が脈打ち、

そして周りの木々が枯れた。







    *  *  *  *







一度寝坊により遅刻しかけて以来早起きに徹している弓月は、朝ごはんをゆっくりと食べていた。

箸を勧めながら頭の中で昨日の言葉が反復される。


『力とは何のための力でしょう?強さとは何でしょう?』


力は怖いと呟いたあの時の瑪瑙はどこまでも切なく感じた。

どういうことだろう。


口に入れっぱなしだった箸を口から離し、弓月はやや俯いてそっと息をついた。


「何の為の力、か……」


そんな事聞かれたって……力は闘うための力じゃないの?強さって、力があって強いことだよね。


弓月は首をひねった。


そもそも僕は何で力が欲しくて強くなりたいんだろう。

朱珠の足でまといになりたくないから。僕だって一緒に闘いたいから。

比べ物にならないくらい朱珠は強い。風だって扱える。

僕だって風は無理にしても蹴り飛ばせるような体術を習得して、足でまといにならないように。


弓月は更に首をひねった。


確かにそう思うのだが何故だか少ししっくりこない。違うような気がする。

待て待て。そもそも何故こんな感情に悩まされることになったのか、それは異形に襲われるからだ。

毎日毎日襲われて、毎日毎日朱珠に助けられて。

僕のせいなのに。僕のせい?


弓月はひねった首を元に戻し瞬きをした。


そうだ、僕の霊力を半分封じた首飾りが原因だ。

異形がひっきりなしに狙ってくることろを見ると、よく分からないがかなり強力なものなのだろう。

それが奪われ悪用でもされたら大変なことになるだろう。

だから取られないように絶対に守らなきゃ。


「守る……」


弓月は何度も目を瞬かせる。失念していた。

僕のせいなのに足でまといになりたくない

という想いにひた隠されて、一番初めの目的を忘れていた。


そうだ、守る。

何かを守るために、僕は力が欲しい。


がばっと顔を上げ空を見つめながら納得したように一つ頷くと、

残ったご飯を勢いよくかき込んだ。


ころころ変わる弓月の様子を隣で新聞を読みながら見ていたおじさんは、

気づかれないようにくすりと笑った。








支度を終えた弓月は玄関で靴を履いた。

昨日瑪瑙に相談ともなしに相談すると、

仲直りしたい、一緒に居たい、その想いを伝えたらどうかと言われた。

弓月はそうしてみることにした。

やっぱり何でも素直な気持ちを素直に伝えるのが一番だし、

思っていることはちゃんと何かに表して伝えないと伝わらない。

でも朱珠は僕のことを避けてるし果たして会えるかどうか。

そんなことを考えながら弓月は家を出た。

1分も経たないうちに、背後に何者かが降り立つ気配を感じた。

妖怪の類が見え出して以来、最近少しずつ妖気や神気というものがわかるようになってきた弓月である。

感じたことのある神気にもしかしてと思い横目で見るとやはり朱珠だった。

朱珠は何も言わず弓月の数歩後ろをついて歩いている。

こんなにも早く会えるなんて考えてもいなかったので、密かに心の準備ができていない。

いつ言い出そうか迷っているうちに駅まで半分のところまできてしまった。

今歩いている田んぼの近くの細道は、軽トラックが通れるか通れないかの細さで、

人が歩くところ以外の端の方には雑草が生え、小さく可愛らしい花を咲かせているものもある。

歩きながら野花を見ていた弓月は、しかし言い出すタイミングを見計らっていた。

そう言えば最近めっきり異形が襲ってこなくなったため、

今もこうしてゆっくりと歩くことができる。

しかし油断は禁物、いつ襲ってくるかわからない。

ということは早く言わなければまたタイミングを失ってしなうかもしれない。それは大変だ。

弓月は一つ深く息を吸い、ぎゅっと目を瞑り振り返って頭を下げて言った。


「ごめん!」

「すまん!」


同時に言った言葉に、お互いはっと顔を見合わした。

朱珠が目を泳がせながら先に言えよと目で合図してくる。

弓月は目を伏せながら口を開いた。


「ごめん……この前は酷いこと言って。異形に襲われるのは僕の首飾りが原因なのにって

 考えたら、自分でなんとかしなきゃって焦って苛々して……。

 朱珠が下がってろって言ったのは、僕を守りたいからでしょ。

 なのに自分が弱くて何もできない苛々を八つ当たりした……。

 本当ごめん……」


深く頭を下げる弓月に、朱珠は頭を振って応えた。


「いや、俺もすまなかった……。実はお前が悩んでることは薄々気付いていたのだが、

 何もしなくていいだのと言って……。」


頭をそっと上げた弓月に、朱珠が自嘲気味な笑みを含ませながら続ける。


「言い訳になってしまうが、お前を守りきれない事が怖かったんだ。

 どうしても守りたくて自分の想いを通してつい強く言ってしまった。

 あと、お前の首飾りが原因で襲われるのは確かだ」


朱珠に断言され、わかりきっていたことだが、頭を上げた弓月の顔が申し訳なさそうに曇る。

その表情を見た朱珠がため息混じりにふっと笑い、片手を腰に当てた。


「しかし、その原因を作ったのは、俺だ」


朱珠が弓月と接触したことにより、弓月が“見える”ようになって首飾りの封印が解けたのだ。


弓月は朱珠の顔をはっと見上げた。

朱珠が照れくさそうに頭を掻きながら続けた。


「だから……一緒にその首飾りを守らせて欲しい、いや、弓月を守りたいんだ」


弓月の顔がぱっと明るくなる。

胸に手を当て、慌てて朱珠のあとに付け足した。


「ぼ、僕も一緒に守りたいし、一緒に居たい…!」

「……!」


2人の間に妙な沈黙が流れる。

なんか告白してるみたいだとか思って、変に恥ずかしくなって弓月が目を泳がせたその時。

あることに気がつき訊ねた。


「と言うことは…僕のこと嫌ってなかったの?」


朱珠がなんのことだと言うように首をかしげる。


「え、だって酷いこと言っちゃったし、それに僕の事避けてたよね。

 いつかの教室の窓越しの時もどっか行ったし……」

「あ、いや、あれはお前が目をそらすから、

 嫌われたのかなと思って去っていったのであって……」

「それは気まずくなって目を逸らしちゃったんだよ。……ん?」


弓月が瞬きをした。


朱珠は弓月が目を逸らすから嫌われたかと思った。

しかしそれは弓月が気まずくなって目をそらしただけ。


弓月は朱珠がどこかへ行ってしまったので嫌われたかと思った。

しかしそれは嫌われたと感じた朱珠が去って行っただけ。


ということは。


――あれ?お互い嫌いになったわけじゃなかった……?


そう口にしようとした瞬間だった。


辺りの空気が変わり、ざわざわと茂みが揺れる。


「でやぁああ!!」


「わっ?!」


突然朱珠に抱き上げられた弓月は何が起こったのか分からず、

取り敢えず今自分は朱珠にお姫様だっこをされているのだと悟った。

顔がいつもより近い。

唖然として朱珠を見上げていると目が合い、お互い妙に照れてしまった。


「え、ど、どうしたの…」

「何か襲ってきたぞ」

「え?」


地面を見るとそこには少年が居て、さっきまで自分がいたところには鍬が深々と刺さっていた。


少しでも逃げるのが遅かったら・・・。想像しただけでぞっとする。

襲ってきた少年が、土をまき散らしながら鍬を引っこ抜いて肩に担ぎ、睨み上げた。

その少年はぱっと見弓月と同じ年頃の人間のように見えるが、

しかし耳は尖り、頭に3本の角があることからそうではないと推測された。

少し外にはねる灰色の髪に、薄紫の双眸。瞳孔は人間と違って猫の目のように長く白い。

また、深緑の狩衣は肩までまくりあげられている。


眉間に寄った皺を更に深めて、上空にいる弓月たちに声を張り上げ怒鳴った。


「おいてめぇ!!!何が目的だ!!!!!」

「な、何の事?!」

「何か勘違いされてないか・・・?」


困惑する弓月と朱珠は顔を見合わせた。

鍬を振り回して弓月たちに向かって突き出し、更にギッと睨む。


「とぼけんじゃねぇ!!怯えて暮らすのなんてまっぴらなんだよ!!」

「どういう・・・」

「村から出て行け!」

「だから!何の事かわかんないんだってば!!」


弓月は頼むからわかってくれと大声で訴えた。


「・・・え?」


鬼は目を瞬かせた。

弓月と朱珠の顔を交互に見る。

呆れた顔の大男に、困った顔の紫髪の少年。どうやら本当にわからないようだ。


「え、じゃない。いきなり襲いかかってきて・・・訳を説明してもらおうか」


朱珠が弓月を抱えたままふわりと降り立ち、じっと睨む。

3本角の少年がバツの悪そうな顔をして、目を泳がせた。


「さ、最近変なのがこの辺にいて、妖怪や鬼を片っ端から襲ってるんだ。

 俺だっていつ襲われるかわかんねぇ!だったらやっつけてしまおうと……」

「で、それが僕たちだと勘違いしたんだよね?何で?」


弓月の質問を受けて、少し躊躇う様子を見せながら鬼は口を開いた。


「それは……命からがら逃げ出した仲間が言うには男で髪が長かったらしくて……」

「はぁ?そんな理由で…?」


朱珠が些か剣呑な表情になるのを見て、

鬼は目を泳がせながら慌てた様子で別のことを話した。


「そ、それと!聞くところによるとそいつは襲ったあと魂を刈り取って集めてるらしいぜ」

「魂を?」


朱珠が顎に手を当て少し眉根を寄せた。

弓月もまた集める理由が何なのか分からず、首をかしげる。


「ああもう!こんなことおめぇらに話したって何の解決にもなんねぇよな。

 いきなり襲ったことはすまねぇ!わ、悪かった!

 おめぇらも気をつけろよ、特におめぇ!」


びしっと指を差された弓月はきょとんとして鬼の子を見つめた。


「その着物の下にあるもの、もしかしたら狙ってくるかもしんねぇぞ!」


弓月はどきっとした。上から首飾りを握り締める。

鬼の子は二人を一瞥すると、山の方へ走り去ってしまった。


「守るために、強くならなきゃ」


握り締めながら、弓月は自分に言い聞かすように呟いている。

朱珠がそうだなと言おうとしたその時。


「ああぁぁあ――!」

「何だっ?!」


朱珠が驚いてぎょっと目を剥く。

弓月が緩慢に朱珠の方を振り向くと言った。


「で、電車乗り過ごした…!」

「ああ…」

「学校に遅れる!!やだ!絶対やだ!狙うは皆勤賞だろ。ちょ、朱珠学校まで風で送って!!」

「は?!」


眉間にしわを寄せる朱珠に、弓月は胸をはって言った。


「だってもう朱珠も頼るって決めたんだもん」

「むむ……仕方ないな」


渋面になりつつも、実は頼ってくれて嬉しい朱珠なのであった。








あっという間に飛んで小さくなっていく2人の姿を見ている者がいた。


瑪瑙がそっと安堵の息をつく。

瑪瑙の近くの木の後ろに隠れもたれかかっている男が口を開いた。

「どうやら仲直りしたみたいだのぉ」

「はい、よかったです。それはそうと虧月さん、気づいていますか」

虧月と呼ばれた男はすっと表情を引き締めた。

「おお、瑪瑙も気づいておったか。何者かがおる……だが気配を隠されてよくわからんでのぉ。

 きっと朱珠も気付いておるじゃろうが……。少し儂も調べてみようかのぉ」

そう言って虧月は大きく跳躍した。



    *  *  *  *  





学園近くの誰も人の来ないような路地に降ろしてもらった弓月は

地面に足が付きほっと胸をなでおろした。

やはり地に足がつかないというのはどうもお落ち着かない。だって人間だもの。

弓月が手を上に挙げ伸びをした。


「さっすが!空を飛ぶと早いね!」


前に遅刻しそうになった時、空が飛べたらいいのにと思ったものだったが実現する日が来ようとは。

弓月は踵を軸にしてくるっと向きを変え、手を後ろに回し体を傾かせながら少し照れたように言った。


「ありがとう!」

「いや、大したことない」


朱珠が腰に手を当てながらふっと笑ってみせる。

朱珠としては弓月の役に立てるのが嬉しいのだ。


2人は足並み揃え歩き出し大通りに出た。

いつもは登校する生徒で賑わう歩道も、今はまだ少し早い時間なので誰もいない。

なので周りを気にせず朱珠と普通に話すことができる。

不意に紺色の制服のポケットに入れた携帯が鳴り、弓月は慌ててマナーモードにした。

携帯を閉じてポケットに入れながら、先ほどの話を思い出す。

あの鬼が言っていた、妖怪を襲って魂を刈り取り集めているという話。

気になる。このまま知らん顔しているのはどうも後味が悪いし、

もしかしたらもっと大事へと発展してしまうかもしれない。

大事といってもどうなるのかは全く予想もつかないが、兎に角気になるものは気になる。


考え込む弓月を朱珠が横目に見た。


「……さっきの話、気になっているんだろ」

「え……」


弓月が思わず立ち止まり、どうしてわかったのかと言うような顔をすると、

心の声を読み取った朱珠に頭をわしゃわしゃとかき回された。

掻き回されて乱れた髪を手で直しながら弓月が思っている僅かな懸念を口にする。


「魂集めてるって尋常じゃない気がするし……」

「ああ。実は俺も数日前から妙な気は感じていたんだ。

 しかし巧妙に隠されていて気配を負うことが難しくてな。

 まぁ、妙な気の正体が魂集めてる奴と一緒とは決まっていないが」


朱珠が腕組をしながら悔しげに唸った。

どちらにせよ山の守神として突き止めておきたいことだ。

朱珠は僅かに眉根を寄せた。何も起こらなければいいが。


弓月もまた片手を顎に当てもう片手で支えるようにしながら呟いた。


「そうなんだ。あの鬼の子困ってたし……何か力になれないかな……」

「そうだな」


ひと呼吸後。


「よし!朱珠、色々調べてきて」

「ん?!今からか……?」


朱珠が思わず弓月の方を振り向いた。

今からとは言わず、せめて弓月を学校に送り届けてからでも遅くないのでは。

そんな朱珠の考えを打ち切るように弓月が続ける。


「うん。僕授業あるし。朱珠その間暇でしょ、有効活用しなきゃ」

「なんかいきなり人使い荒くなってないか……?」


些か遠い目になる朱珠である。

そんな事はお構いなしに、弓月は目の前で手を合わせて訴えた。


「そんなことないって~。ね、お願い!」

「む……分かった」


見上げながら訴える弓月の顔を見て、朱珠が渋々といった風に片手を上げながら答えた。

朱珠は踵を返すと同時に高く跳躍して空高く飛び上がり、そのまま霊白村の方へと飛んでいった。

弓月は朱珠の跳躍を目の当たりにし目を輝かせる。人ならざるものは跳躍力も桁違い。

空高く飛び上がった朱珠は矢のような速さで霊白村へと飛んでゆく。

朱珠の姿が見えなくなってから、弓月は学園へと駆け出した。





    *  *  *  *





電車には乗り遅れたが朱珠が風で送ってくれたので、いつもより随分と早い時間に学校に着いた。

教室に入って鞄を下ろし、教科書を机の中にしまうとすぐにすることがなくなってしまった。

数人の生徒が教室にいたが、皆授業が始まるまでの時間を別の教室か何処かで過ごすのか、どこかへ行ってしまった。

授業までまだ30分ほど時間がある。授業の予習でもしていようか、しかしやる気も出ない。

椅子に座って頬杖をつきぼーっとしていると、いつの間にか入ってきた生徒に声をかけられた。


「あら、弓月くん……?朝早いのね」


目を瞬かせ視線を巡らすと、そこにはいつぞや校舎内で迷った時に道を教えてくれた女子生徒が居た。

毛先がカールした少し灰色がかった髪が印象的な女の子。

弓月は目を瞑り記憶をたぐり寄せる。確か2年5組の。


「柳ちゃん」


自分の名前を覚えていてくれた事が嬉しいらしく、柳は花が咲くようにぱっと微笑んだ。

持ってきたプリントを教卓の上に置き、弓月の机に近寄りながら笑顔で答えた。


「また会ったわね」

「そうだね」


弓月がはにかみながら返す。

やっぱり話すと照れるが、好きとかそういう感覚ではないような気がする、

と言うのも普段女子と喋ると言ったら乱兎くらいで、その乱兎ががさつな性格なものだから

いざこんな可愛い子と喋るとなると慣れてなくて妙に照れるのではないかと。

因みにこんな事本人に言ったら百発百中殴られるであろうことが容易に予想されるので、

絶対言えない。言わない、ダメ、ゼッタイ。

そんな事を考えていた弓月は、柳がいつの間にか教室の後ろの

お便りボードに貼られている写真を見ていることに気がついた。

横を向いて座り、背もたれに肘をかけながら柳に話しかけた。


「あ、それね。この前皆でお花見した時に撮った集合写真だよ」

「綺麗。でも桜の季節、もう終わっちゃうね……」


目を細め首を傾け切なそうに柳は呟いた。

どこか寂しそうな声音に、弓月は一つ瞬きをした。


「桜好きなの?」


確かに桜が散るのは寂しいし好きな花なら尚更だ。

そう思って弓月は訊いたのだが、柳は写真を見つめたまま首を傾げると少し困ったように答えた。

肩にかかっていた髪がさらりとこぼれ落ちる。


「勿論好きよ、大好き。でも、見ていると、切ないような悲しいような……」

「……?」


柳の言葉にどう返していいかも分からず、弓月は気まずくなって目を泳がせた。

自分は何かいけないことを聞いてしまったのだろうか。


「ただ漠然としてて……」

「えーっと……」


眉根を寄せ、釈然としない自分の考えに浸っていた柳は、少し困惑ぎみの弓月の声によってはっと我に返った。

もうすぐ授業の始まる時間だ。ちらほらと生徒も教室に戻りだしている。


「ごめんなさい、変な事話しちゃったわね。気にしないで。それじゃあ私そろそろ行くね」


柳は頭を横に振りいつものように微笑むと、柔らかく手を振って教室の後ろの戸から出て行った。

その時柳と入れ違いに乱兎が教卓側の戸から入ってきた。

廊下を歩く見慣れない女子生徒を目で追ってから教室に目を向けた乱兎は

弓月の姿を捉え驚いたように目を丸くした。


「あれ?なんで居るんだ?」


言いながら乱兎は弓月の右隣の席に鞄を下ろした。

つい先日席替えをしたところ、弓月と乱兎は隣同士になったのだ。そしてなんと白輝は乱兎の右隣。

因みに弓月は外の窓側の一番後ろで、隣の乱兎もまた一番後ろだ。その隣の白輝の列は後ろにもう一人分机がある。

乱兎は椅子に座って体を弓月の方へ向けると、机に肘を付き疑問を投げかけた。


「今日は白輝は病院行くんで休みだ。で、お前電車に乗ってなかったのに、どうやって来た?」


弓月は体の向きを元に戻し、両肘を付くとため息混じりに答えた。


「実は色々あって気付いたら電車の時間に間に合わなくてさ、朱珠の風で送ってもらった」

「ふぅ~ん……どうせまた寝坊だろ?」


乱兎が目をすがめてからかうように言うと、乱兎もまた体の向きを元に戻し両肘を付いた。

明らかに前の寝坊事件を思い出して面白がってるだろそれ、と弓月はやや半目になりながら違うよと反論し、

一通りの今朝の出来事を話した。

乱兎は黙って聞いている。


「まぁそれでその子が言うには、その長髪の男がそこらじゅうの妖怪や鬼を襲っては

 魂を刈り取り集めてるんだって」

「へぇ……」


全く信じられない乱兎がただ呟くように返した。


「それでどうしても気になるから、今朱珠に手がかりを探しに行ってもらってるんだ」


そこまで話したところで、話は突然打ち切られることになる。


「何だ何だ~?鬼が魂がどうとか、厨二病な話か~?オレも混ぜろよ~!」


思いがけずいきなり後ろから声が聞こえ2人は盛大に肩を震わせ驚いた。

そんな2人の様子を見て盛大に笑う玖遠。朝っぱらからこの男はやってくるらしい。

乱兎が机に突っ伏したままわなわなと震える。


「玖遠てめぇ……」

「楽しそうな話してたから聞いてたんだけど~」


何話してたのかときらきら目を輝かせながら問うてくる玖遠に弓月は慌てて首を横に振った。

玖遠は人ならざるものは見えない。話すべきことではないだろう。


「や、なんでもないよ」

「な~んだ~つまんね~。」


隠すような弓月の様子に玖遠は手を頭の後ろで組み、口をとがらせた。

それから思い出したかのように声を上げ人差し指を立てた。


「あ、今日はオレ一緒に帰れねぇから~ああ、皆には寂しい思いをさすけど、ごめんよ!」

「誰が!」


わざとらしい玖遠の態度に乱兎がくわりと牙をむく。

椅子から腰を浮かせて乱兎が拳を振り上げると、へらへら笑いながら逃げるようにして教室を去って行った。


もうすぐ1時間目が始まる。




    *  *  *  *




先程は弓月を送っていく為であったので、安全のためにそこまで速度は上げてはいなかったが

今は1人なので最高速度で飛んで霊白村まで戻ってきた。

上空で風を纏ってふわりと静止し下を見下ろした。

それにしても、今から調べに行ってきてくれだなんて。

言われずともそうするつもりではあったが……それでも弓月を教室まで送ってからでも遅くはないのに。

心の中でぼやきながら頭をかりかりとかいた。


「さて、調べるか……」


顎に手を当てながら下に広がる村や山を見下ろした。

一体何者が魂を集めているのかを調べるのだが、調べると言っても一体どこから調べよう。

やはり異界への入口とも言われる山からが良いだろうか。

しかし辺りは山だらけ。

辻山、鬼山、桜山の三妖山をはじめこれだけ沢山ある山を一つ一つ調べ、

情報を集めるというのはもしかして、否もしかしなくてもなかなか骨が折れる作業なのではないだろうか。

いっそあの鬼が言ってたその元凶が目の前にひょこっと現れてくれたらいいのに。

そんな都合の良すぎることをついつい考えたが、

うまい具合に現れるわけがないと溜息をつくと、朱珠は腕を組みついと目を細めた。

もう一つ気になることがあるのだ。

前々から感じているかすかな気。

日中はほとんど感じることができないが、その気は確かに今まで感じたことのない異質なものだった。

もしかすると外国から来た妖怪か何かだろうか。しかし妖怪の類の気ではないような気もする。

どちらにせよはっきりと感じ取れないので、それが良いものか悪しきものかそれさえも曖昧だ。

魂を集めている者と同一の者かどうかはわからないが、調べればこの気の正体もわかるかもしれない。


色々考えたが、ここはやはり山や地域をよく知る者に訊ねる方が得策だろうか。

朱珠は視線を山の方に滑らし渋面になった。

色々なことを把握しているのは、やはり神様というものであろう。


「親父に聞いてみるか……」


生まれてから親である大山積神とは殆ど話したことがないし

何を考えているのか分からず威圧的で苦手だ。


朱珠は諦め気味にため息をついた。

あまり気乗りしない朱珠であったが他にいい方法が浮かばないのもまた事実。

渋々山積神社へと空を飛び向かった。





朱珠が辻山に近づくと魑魅魍魎、精霊がざわめく感覚が伝わってきた。

俺をまた異質な存在として避けているのだろう。

つまらなさそうにふんと鼻で笑い朱珠は山積神社へ降り立った。

神社は相変わらず薄暗くひんやりとしており、

また自然の音以外何も聞こえず不気味さも感じさせる。


御神木の方を見た朱珠は目を瞬かせた。

大山積神が静かに佇んでいる。

基本彼が顕現することは滅多にないのだが、今日は珍しく大山積神自ら顕現していた。

彼は小さな境内の一角に生える御神木をじっと見上げていた。

ただ佇んでいるだけなのに、その後ろ姿からは言い表せないような威厳さや雰囲気が伝わってくる。


朱珠が口を開くより先に、大山積神が振り返らずにおもむろに口を開いた。


「遅い」


びりびりと鼓膜に響く威圧感のある低い声だ。

声の抑揚に乏しくわかりにくいが、どこか緊迫したその声音に朱珠の顔がすっと引き締められる。


朱珠が大山積神の元へと歩み寄る。

空気を含んだ紫の袖が大きく翻った。

御神木を見上げたままの父親に朱珠は訊ねた。


「何者かが異形の魂を集めていると聞いた。

 それに微かだが、今まで感じたことのない気も感じるのだが、親父は何か知らないか?」

「贄」


一言だけ口にした大山積神は御神木を見上げたままだ。朱珠は意味がよく分からず眉根を寄せた。

もう少し文章にして喋ってくれないとわからんではないか、

というか人の質問に全く答えてない!と心の中で愚痴ってみる朱珠である。

取り敢えず「贄?」と聞き返したが、その質問に対しても答えてはくれなかった。


「私は抑えなければならない。お前たちが食い止めろ」


振り返ることもせず重い語調でそれだけ言い残すと、大山積神はふっと掻き消えた。

何を抑えるのか、何を食い止めるというのか。

やはり親父の文章はいつも肝心なところが抜けている。

結局何のための贄なのかもわからなかった。


踵を返した朱珠はふと立ち止まって考えた。


いや待てよ。

贄、抑える、食い止める。

この単語を聞く限りいい事柄ではないのは確かだ。



贄、何かに捧げる。


何に。


神に。


いや、違う。


神が抑えなければいけないような、世の中に出てはいけないもの。


朱珠が弾かれたように顔をあげる。



「まさか―――……!」




    *  *  *  *  




1時間目は歴史。

日本史、世界史、地理の中から一つ専攻するのだが弓月は日本史だ。

世界史はカタカナがいっぱいで苦手だし、地理は取り敢えずよくわからない。

因みに白輝、乱兎は世界史専攻だ。


最近の日本史の授業内容は自主的なもので、課題のレポート制作に生徒は取り組んでいた。その課題のレポートの内容が、地域にまつわる昔話や歴史について調べてまとめ、授業で発表するというものだった。

ある者は図書室へ行き調べたり、ある者は教室でレポートをまとめたり、

ある者は友だちと話に夢中になり先生に叱られたり。

近々発表ということもあり、皆まとめるのに必死な様子だ。


そう、弓月はこの課題のレポートのために、この間朱珠と図書館に行き調べ物をしていたのだ。レポートで調べるものは氷花神社に決まったのだが、あまり調べられておらずまとめる事もできない。と言うのも、昨日までずっと足でまといだとかなんとかで鬱々していて、調べるどころではなかったのだ。

しかし朱珠とも仲直りできたし、気持ちに整理を付けることもできたのですっきりしている。

と言う訳で、今までこの授業中はぼんやり窓の外を眺めているだけの弓月であったが、今日は火が付いたように図書室で調べている。


「えーと…霊白町の神社についてはー・・・これかな?」



挿絵(By みてみん)


数冊に目星をつけ手に取り、空いている席に持って行くと索引ページを開いた。

この霊白学園の図書室の広さは他の学校と変わらないが、

地域の歴史、民俗学、神道系の本などがどこよりも多く置かれているのだ。


弓月は氷花神社の文字を見つけ、あったあったと呟きながらそのページを開いた。

青い海に浮かんだ小さな島。そこに建つ神社。そして島をつなぐ朱い橋。とても神聖で不思議な感じの神社だ。

弓月がこの神社について調べようと思ったのは、言わばこの雰囲気が気になり一目惚れしたからなのだ。


その程度の理由で調べ始めたわけだが、弓月はこの前図書館で調べた時書物に書いてあったことが気になっていた。

それは氷花神社についての昔話で、悪鬼が氷刀を奪いそれを持って村を襲ったということだった。

しかもその村というのが弓月が生まれたらしい花鏡村のことなのだ。

自分の村が悪鬼に襲われたと言ってもこれは昔話で言い伝え。

本当にあったのかどうかはわからない。

大体の人は妖怪や鬼の目に見えない存在などきっと信じていないであろう、作り話だと思って気にもとめないだろう。

弓月も今までなら鬼が暴れた封印されたという話を聞いても本当には信じなかったのだろうが、

見えるようになり実際に鬼などに遭遇した今は、妙に現実味を帯びて弓月の頭の中に入り込む。


今開いているこの本にもその昔話が記されていた。

表現は違えど、やはり書かれているのは悪鬼が神剣を奪って村を襲い陰陽師に封印されたとい事と、

沢山の血を浴びた氷刀が祟を恐れた人々により神社に祀られた、という事だった。


そう言えば朱珠が確かにそんなことがあったと漏らしていた。

朱珠が言うのだからやはり本当なのだろうか。しかし。


「どうなんだろう……本当にあったのかな……」


弓月が小首を傾げながら半信半疑に呟いた。

また文章を指さしながら追うと下方に補足としてその鬼について書かれていた。

指で追いながら今度は怪訝そうに眉根を寄せ呟く。


「黄泉の瘴穴から地上に出てきた史上最凶の鬼……?」


悪鬼は開かれた黄泉の穴より出てきた鬼で、黄泉の国の中ではそこまで強い鬼ではなかったそうだ。

しかし現世では強い部類で、鬼は次々に妖怪を襲って喰い妖力を高めていき、

力が手に入ると分かった鬼は更なる力を求め霊力ある人々や妖怪を襲い続けた。

巨大な手で握りつぶし、足で踏み潰し、人や村を荒らしに荒らして暴れまくった。

また鬼の瘴気により人々は苦しみ農作物は腐り、怯える日が続いたという。


弓月は想像してぞっとした。

今まで出会った異形とは比べ物にならないくらいに凶悪に違いない。


「でも封印されてるんだし、大丈夫だよね……!」


妙に怖くなった弓月が自分に言い聞かすように呟いたその時。


「それが大丈夫じゃないらしいぞ」


大丈夫じゃないという否定の言葉に、弓月の心臓は妙に跳ね上がった。

後ろを振り返ると、朱珠が開いた窓のレールに足をかけてしゃがみ片手で窓を掴んでいた。

大きく髪を揺らしてふわりと部屋に飛び降りると弓月の方へ歩み寄る。

動悸をなだめながら弓月は朱珠に恐る恐る訊ねた。


「大丈夫じゃないって……どういう事?」


硬い表情をした弓月を一瞥すると、朱珠は空色の双眸を細め深刻な顔をして口を開いた。


「最近魂を集めている者について何か知らないか親父に聞いてみたら、"贄"と言われた」

「贄?」

「俺もどういうことか分からなくてそう訊いたのだが……

 今度は"私は抑えなければならない、お前たちが食い止めろ"と返ってきた」

「……?」

「贄、抑える、食い止める。どう考えてもあまりいい事柄ではない。

 何者かが集めている魂は何かに対する贄だろう。

 そして神が抑え、食い止めなければならないもの……おそらくこいつだ」


朱珠が視線を本に落とし、指をさした。その先にあるのは悪鬼の絵。

再び弓月の心臓は誰かに蹴り上げられた。


「え……でも封印されてるんじゃ……」

「確かに今までは悪鬼の力も弱く眠っていたが、このまま贄の魂を取り込み続けたら

 妖力を回復した悪鬼に内側から封印は破られるだろう。

 今も少しずつ力を回復してるようだ……上空から封印付近に近づいてみたが、周辺が木枯れていた。

 周辺に結界が張られていて今まで全く気付けなかったみたいだ……」


ただ気になるから、と軽い気持ちで調べに行ってもらったのが、

こんなに大きな話になろうとは考えてもみなかった弓月は目を瞠った。


「そんな……このまま放っておいたら本当に悪鬼が出ちゃうの?

 今までこんな話漫画の中でしか聞いたことなかったから、まだ信じられないんだけど……」


朱珠の口ぶりからただ事ではないと察した弓月は本の悪鬼の絵に視線を落とし、

小さく震える声音で戸惑い気味に呟いた。

朱珠は机に腰をかけるようにもたれかかって腕を組み、

窓の外を見つめながら先ほどよりも低く暗い声で言った。


「いや、俺もまさかとは思った。なにせあの鬼は神にも手が負えない程に妖力を高めていたからな。

 弱くなったとは言え、その力は絶大……正直なところ、闘ったら負ける」


「?!」


神の子である朱珠があっさりと負けると口にし、弓月は弾かれたように顔を上げ隣に立つ朱珠を見上げた。

不安一色な弓月の顔を見た朱珠は軽く目を瞠り、そして安心させるように笑って弓月の頭を撫でた。


「大丈夫だ、そんな顔するな。兎に角、悪鬼に贄を捧げてる大馬鹿野郎を探し出して留める」


目を細めながら再び窓の外を見る朱珠に

弓月は焦燥を隠せない様子で提案した。


「じゃあ今すぐに探しに行こう!!」


「いや、真昼間から異形は活動していない。探すのは学校が終わってからだ。

 それまで俺はまた探しに行ってくるから」



わかったと返した弓月を一瞥し、肩をぽんぽんと叩いて朱珠は窓から飛んでいった。




    *  *  *  *  




帰りも朱珠が風で送って帰ろうかと提案したのだが、

下校時はさすがに人目が多いからと断った弓月は電車に揺られている。

いつもは電車に乗らない朱珠も、今日は珍しく乗車し窓の外を見ている。


誤解も解け仲直りしたので勿論2人の間によそよそしさはない。


「仲直りしたんだ?」


乱兎が2人を横目に見ながら言った。

弓月が目を瞬かせて朱珠を見ると目が合い、照れくさそうに顔をかいた。


「別に~喧嘩なんてしてないよ~」

「お前は嘘が下手くそすぎるんだって。ほら、今だって顔がにやけてさ。

 まぁいいや。それより朱珠が電車に乗るとか……初めてじゃない?」


乱兎の疑問に弓月も確かにと思い腕を組んでうんうんと頷いた。

いつも1人で空を飛んで帰ることが多かったのだ。

自分の名前を出された朱珠はというと乱兎に目線を移し、手を腰に当てて言った。


「ああ、人間の乗り物にも乗ってみたかったからな。まぁ思ったより速いが……やはり飛ぶのがいちば…ん……?!」


言いかけた朱珠は大きく目を瞠った。

何度もぼんやりと感じていた気。今までで一番はっきりと感じ取ることができる。

背中に視線を感じた朱珠が振り返って窓の外を見た。


朱珠の咄嗟の反応に驚いた弓月は、ひと呼吸遅れて窓の外を見ようとしたが

今度は朱珠が勢いよく振り返ったので弓月は何事かと目で問うた。

乱兎もまた同じような目で問うている。


「居た……!!」


朱珠の緊迫した声を聴き、何が居たのか察した弓月もまた目を見開いた。

次の瞬間ちょうど電車が駅に停まり出口が音を立てて開いた。

弓月が口を開くより先に朱珠が弓月の手を引っ張り出口に向かう。

2人のまさかの行動に目を剥いた乱兎が、

どこに行く気だと叫ぶ声が聞こえてきたが今はそれに答えている暇などないらしい。


「ごめん!」


振り返った弓月が短く返す。

ホームに降りると同時に朱珠が腕をひと振りして創った風は、まるで意思を持っているかのように弓月を包み込み体を浮かせた。

そして朱珠は膝をぐっと曲げると、弓月の手を掴んだまま大きく跳躍した。

あっと言う間に地上は小さくなり、障害物のない空を朱珠と弓月は駆け抜けてゆく。

人の沢山いる駅のホームで飛ぶとは思わなかった弓月は目を剥き、

手を引っ張り先を飛ぶ朱珠に向かって叫んだ。


「ちょっと朱珠!人がいっぱい居るのに!人間が飛んだぞって騒ぎになるよ?!」

「大丈夫だ、神気の風で弓月の気配を消して、

 その後気づかれないように姿も消したから誰にも見られてはいない。それより……」


朱珠は後方の弓月を一瞥して答えると、前に向き直り前方の山を睨み更に速度を上げた。

山の近くまで来ると風を操り速度を緩めその場にふわりと止まる。

辺りを見回した朱珠は歯がゆそうに舌打ちをした。


「ちっ……一足遅かったか……!!」

「逃げられた……?」

「ああ、それにまた気配を隠された。

 あと、俺が感じていた妙な気の正体……やはり魂を集めている奴と同一らしい」

「そうなの?まぁとにかくまだ遠くに行ってないはずだよ!

 ち、ちょっと考えを変えて……降りて探してみない?実は飛んでるのまだ慣れなくて怖いし」

「それはすまなかった。降りてみよう」


申し訳なさそうにする弓月を見た朱珠が軽く目を瞠り頷いた。

三妖山の一つ鬼山の近くの道に降りたその時だった。


「うわぁあああ!!来るなあぁあああ!!」


悲鳴ともとれる絶叫が山奥から聞こえ、弓月と朱珠は弾かれたようにその方向を見た。

明らかに尋常ではない。

2人は次の瞬間には駆け出していた。

この鬼山からだ。そんなに遠くではない。

山の方へ向かって疾走しながら朱珠が剣呑に目を細め、低く唸った。


「間違いないさっきの気だ……!!」


先程電車の中から感じた時より、更にはっきりと色濃く感じる。

1500年程生きてきて感じたことのないその気は例えるなら黒だ。



弓月も何となく感じ取り表情を険しくして辺りを見回した時、

辛うじて人が通れるような山道の入口を見つけた。

朱珠の方を見ると目が合う。


「あそこ!!」

「ああ、入るぞ!」


声は確かこの上の方から聞こえた。一か八か。

弓月と朱珠は木々の鬱蒼としげる山道へ飛び込んだ。




    *  *  *  *

  



山奥に進むにつれその異質な気は弓月にも感じ取ることが出来た。

今まで接触してきた異形の類の気ではないことは確かだが、

禍々しい気というよりは無機質、無表情で怖いといった感覚だと弓月は思った。


「わっ」


足元に積もる落ち葉に足を滑らせ、転ける寸前で体制を立て直して走った。

山が深まるにつれて行く手を阻むかのように周りの木々が高くそびえ立ち、

まだ空は明るいにも関わらず山の中は不気味に薄暗く、まるで異界に迷い込んだかのようだ。


「近いぞ……!」


朱珠が短く叫んだ瞬間、鬱蒼と生える木々の間に長い黒髪の男が見えた。

二人同時に息を飲む。

男の周りにはすでに肉塊と化した鬼が血だまりの上に転がっている。

その凄惨な光景を目にして背筋が凍りつき、また鼻をつく血の臭いに弓月は顔をしかめて口を抑えた。

獣の様な毛で覆われた鬼、よく言う赤鬼、中には角さえなければ

人間と言っても過言ではない姿形をしている鬼もいる。


男が赤く染まった手で首を掴みあげている鬼からは血が滴り落ち生気を感じない。

鬼から蛍のような半透明の魂を切り取ると男は興味を失ったかのように手を離し、

鬼はべちゃっと音を立てて血だまりの中へ落ちた。

そして男が視線を奥の方へとすべらせると、そこには今朝の鬼の子が

不自然に地面から生えた黒い木のようなものに絡め取られ身動きできずにいた。

男と目が合った鬼の薄紫の双眸が音を立てて凍りつく。

絶望する鬼の表情を見た男が薄く嗤い歩きだそうとした瞬間、朱珠が放った無数の風の刃が男に迫った。


「……?」


落ち葉を巻き上げながら迫り来る風を横目に見た男は後ろに飛び退って身軽に避けた。

その隙に朱珠が風刃を放ち鬼の子を束縛する根元を断ち切ると、

黒い木のようなものは黒い靄になって瞬時に消え去り、鬼の子は地面に転がり落ちた。

朱珠が更に足を踏ん張り神通力を込めた烈風を叩き込むが、男は瞬時に羽を広げて空中へと飛び上がる。


背丈は朱珠より少し低いくらいであろうか。

腰まで届く長い黒髪に、異国を思わせる黒い服、そして大きな黒い羽。

広げられた闇色の羽は飲み込まれそうなほどに暗く大きく、山も一層不気味に暗くなるようだ。

揺れる長い前髪の間から見えた双眸は血の色の様に紅く冥い。

その表情からは感情のひとつも見受けられず、それは不気味なまでに静かな面持ちだ。

男の深紅の暗い瞳がふいに弓月を捉えて不気味に輝く。

目が合った弓月の心臓がどくんと跳ね上がり、思わず一歩足を引いた。

もしかしたら朱珠の時みたいに話せばわかってくれるかも、

贄を集めるのもやめてくれるかもと密かに思っていた弓月だったが、そんな希望は瞬く間に消え去ってしまった。

恐怖により男から視線を外せずに凝視していた弓月は、聞こえてきた小さなうめき声ではっと我に返り、

肩を押さえながら起き上がろうとする鬼の子を見て急いで駆けつけた。


「大丈夫?!」

「う、すまねぇ……助かった……」


肩を何者かに支えられた鬼の子ははっとして顔を上げ、

視界いっぱいに入ってきたのが今朝会った少年だったので更に鬼の子は目を丸くした。

その先にいる長身の男の姿も認め、鬼の子は明らかに安堵の息を漏らす。

左肩を押さえ足を引きずりながら立てる鬼に弓月が肩を貸し、やっとの思いで黒髪の男から遠ざかる。

弓月は男を見据えるとそっと目を伏せた。今の僕ではこいつには絶対敵わない。

朱珠を見るとちょうど目が合う。

弓月がひとつ頷くと、朱珠が僅かに目を瞠りそして頷いた。

男の方へ向き直り対峙した朱珠が凄絶に笑う。


「魂を集めていたのはお前か。貴様の方から出てきてくれるとは……探す手間が省けた」


朱珠の言葉を聞いた男が腕を組み無表情のまま鼻で笑い、地を這うような低く響く声でようよう答えた。


「ふん、それは俺の台詞だ」

「なんだと……?」


朱珠の目が剣呑に細められる。

身体に風を纏わせて体勢を低くして戦闘態勢をとり、間合いを図るかのようにじりじりと足を動かす。

男もまた腕組を解き紅い瞳をきらりと光らせる。

風が吹いて1枚の木の葉がひらひらと舞い降り、その葉が地面にふわりと落ちた瞬間、

それが合図かのように2人同時に地面を蹴り飛び出し空中でぶつかりあった。

激しい風が巻き起こり枯葉が飛び弓月と鬼の子は顔を覆った。

空中では目にも止まらぬ速さで攻撃が飛び交っている。

朱珠が空中を踏み込み宙を返りながら蹴りを繰り出したが、男はひとつ羽ばたくと後ろへ飛び退った。


「ふん、逃げるだけか?……本気で来い」


そのまま地面へ降りた朱珠が鼻で笑って睨みつける。

男は目を細め口の端を吊り上げて嗤うと、身を翻し山の奥へと飛び去っていった。

弓月と朱珠が同時に声を上げる。


「頼む!あの黒いやつを倒してくれ!!」


鬼の子が弓月の肩を力を入れて掴み、すがるような声音で言い放った。

睨みつけるような双眸から疲労、不安、希望のようなものを感じ取った弓月は、

ひとつ頷くと朱珠と共に駆け出した。

まばらに生える木々を避けながら追いかけるが、みるみるうちに男の姿が小さくなっていく。

走る弓月は段々と息が切れてゆき、そんな情けない自分に嫌気がさしたが今はそんな事を言っている時ではない。

少し先を駆ける朱珠に弓月は声を飛ばした。


「僕は大丈夫!後から追うから先に行って!!」

「分かった!」


一瞬逡巡した朱珠だったがすぐに了承すると前を向き

空中に飛び上がってあっという間に先に飛んでいった。

弓月は手を交差させて飛んでくる落ち葉や土から目を庇った。

朱珠の気配があっという間に遠ざかっていく。

朱珠の神気なら集中すればなんとなく感じることができるし、大体の方向ぐらいならわかるだろう。

少しでも早く追いつかなければ。しかし追いついたところで何ができるのだろうか。

また足でまといになるだけかもしれない。

息切れして散慢とする頭で考えいた弓月は目を瞑り頭を振った。


――あーもうこんな考え方やめたやめた!!


僕にだって何かできることがあるはずだ!

首飾りも守りたいが朱珠だって守りたい。


しかし意気込みとは反対に弓月は失速していき、ついに立ち止まって膝に手を付き

大きく肩を上下させた。喉の奥にせり上がる鉄の匂いが気持ち悪い。

まずは体力をつけないと、と自嘲気味な笑みを浮かべながら上がった息を整えていたその時、

不穏な空気が流れざわざわと山の茂みが揺れたのに気付き弓月がぱっと顔を上げた。

辺りの雰囲気が変わる。


「……結界……?」


覚えのあるこの雰囲気に弓月は眉根を寄せると警戒して辺りを見ながら呟いた。

呟いた直後後ろに気配を感じ振り向くと1体の異形が山の暗がりにうっそりと佇んでいた。

息を呑む弓月を尻目に、一体また一体と木の上や影から

異形や魑魅魍魎が溢れ出てあっという間に弓月を取り囲んだ。

血の気が引き頭はくらくらとし、心臓が全力疾走している。

走ってくたくたになっていたところなので気を抜くと気絶しそうだ。

兎に角今は逃げなくては。弓月は一歩足を引き踵を返して走りだした。


「…ッ?!」


しかし見えない壁に阻まれ、思い切りぶつかった弓月は尻餅をついて転げた。

今まさに最後の望みの糸を目の前で切られた気分である。

異形の方を振り向くと、ついた土を払うことも忘れ異形を見据えたままゆっくりと立ち上がった。

溢れる冷や汗が一筋流れ落ちる。


――どこまでやれるかわからないけど今は戦うしかない…!


そっと目の前で剣印を組み深呼吸をしたその時、異形のおどろおどろしい声が鼓膜にねっとりと張り付いた。


『タスカル……コレデタスカル……』

「?!」


弓月は全身が総毛立つのを覚え、小さく息を飲んだ。

何が助かるというのだ。

怪訝に眉根を寄せていた弓月に異形は続けた。


『オマエト、クビカザリ、サシダス』


聞こえてきた単語に弓月は目を見開いた。

自分と首飾りを差し出せば、自分は贄として魂を狩られずに助かるということであろうか。

凶悪な鬼が蘇るかもしれないというのに、それでも今この時の我が命が惜しい。

そう、異形たちもまたあの男を恐れているのだ。

しかしだからと言って、はいそうですかじゃあ僕が貴方達の代わりに贄になりましょうだなんて馬鹿げた話はない。

些か可愛そうだがそんなのは絶対御免だ。足を開いて踏ん張って深呼吸をし、睨めつけた。


「バンウンタラクキリクアクウン!」


五芒星を描いて剣印を力任せに叩きつける。

攻撃をくらった獣のような姿の異形はそのまま吹き飛ばされ、木に激突した。

しかし、ゆらりとまた立ち上がる。

見える様になったからといって、霊力が高いからといって、

今まで修行などしたこともないのに呪文を唱えたからといって本当の力など出るわけがない。

今の弓月の力は所詮呪文だけの仮初の力。

また弓月自身は気づいていないが、贄にされる異形に対して密かに可哀想と思っていることもあり、

無意識に力を抑えてしまっているのだ。

弓月は舌打ちをしてもう一度五芒星を描いて攻撃を試みた。

しかしあまり効いていないのか異形は土煙の中からまたふらりと立ち上がってにたりと嗤った。


「くそ……っ!」


自分の無力に歯噛みする弓月を異形が面白がるようにけたけたと嗤い、

その嗤い声が止んだ次の瞬間数体の異形が一斉に襲いかかてきた。

固まってしまった弓月は鋭い爪が襲う寸前、やっとの思いで横へ飛んで攻撃をかわすと、

転がっていた太い木の枝を掴み取り振り回した。

ちょうど近くに居た異形に当たって異形が飛ばされると、周りを取り囲む異形が少し怯んだようにじわりと後退する。

いけるかもしれない、と少しの希望を持った弓月は殺気を感じて後ろを振り返った。

人に似た容姿の大柄の異形が今まさに襲いかかろうとしていて、弓月は咄嗟に持っていた太い枝を横にして突き出しその攻撃を防ごうとした。


「…!」


しかし枝はいとも簡単に砕かれ、弓月は瞠目した。

木の破片が飛び散る中、真っ二つに割れた枝の間から異形の恐ろしい形相が覗く。

自分がよろけるのも、飛び散る破片も、迫り来る異形も、全てが時が止まったかのようにゆっくりと感じる。

助けてくれる者などいない、この命の危機なのにおかしいくらい妙に冷静な自分がいた。

あ、駄目だ。

そう思った次の瞬間には弓月は異形に首をつかみあげられていた。

そこで初めて弓月の思考が動き出した。


「う……っあ"ぁ……」


襲った苦しみに弓月はうめき声をあげた。

弓月の細い首を締め上げる大きな手は緩まることを知らず、

うめき声に反応してぎりぎりと力が込められていく。

どくどくと鳴る心臓の音がやけに五月蝿い。冷や汗がどっと溢れ出す。

苦悶に顔を歪め、宙に浮く足をばたつかせたり締め上げる腕を掴み引き離そうと抵抗するが全く歯が立たない。

鋭い爪が首に食い込み血が滲み出る。

潰される喉がひゅーひゅーと鳴り、苦しくて苦しくて今はもう何も考えられない。


「……」


頭に血が回らずくらくらし、視界がぼやけて黒く霞んでゆく。

腕を掴む手から段々力が抜け、弓月の視界はそっと暗転した。




    *  *  *  *





朱珠は右手に掲げた神気渦巻く苛烈な風の塊を、前方を飛ぶ男に投げつけた。

振り返り両手で防ぐものの攻撃をまともに食らった男は、そのまま地面に叩きつけられる。

同時に風に込められた神気が破裂し、地を揺るがすような轟音とともに地面を大きくえぐって吹き飛ばした。

衝撃波で周囲の木々が激しく揺れ木の葉が散ってゆく。


風の刃に切り刻まれ全身血まみれになり、えぐれた地面の真ん中で仰向きに倒れたままぴくりともしない男を、

朱珠は未だ警戒を解かず上空から睨みつけながら地面に降りた。

先程少し接触した程度だがそこらの妖怪とは明らかに桁違いなのは分かった。

この程度の攻撃ではくたばりはしないであろう。

案の定、男は目を開き感情の見えない紅い眼で朱珠を一瞥するとゆっくりと起き上がり、

ぱたぱたと滴り落ちる血を鬱陶しそうに手で拭った。

片腕を横に挙げると手の先に黒い靄のようなものが現れ、そこに手を突っ込んで中から大鎌を取り出した。

背丈と同じくらいありそうな程巨大な大鎌。両端に鎌がついている。

男が大鎌をひと振りして握り構えると光を受けた切っ先が怪しくきらめき、男の気が一気に膨れ上がった。


「やっと戦う気になったか?」

「……ふん」


朱珠の問いかけをあしらう様に鼻で笑うと姿勢を低くした。

その様子に若干気分を害した朱珠は眉根を寄せ、先まで伸ばした手に風刃を纏わせて同じく戦闘態勢を取った。


一触即発の睨み合いが続いた後、同時に地を蹴って飛び出す。

踏み込んだ地面が音を立てて陥没する。

男が斜めに振り下ろした大鎌を朱珠が手刀で受け止めると、

渦巻く2つの気がぶつかり合って辺りに凄まじい衝撃が走り、

山全体を揺るがすような轟音とともに小さな木がめきめきと音を立ててなぎ倒された。


そして人には捉えられない速度で次々に攻撃を繰り出し続ける。


二人とも攻撃を紙一重で避けたり、鎌を振り回して防ぐだけであったが、不意に男が鎌の先で朱珠を押しとばし斬りかかった。

それをみとめた朱珠は飛ばされるまま地面に手をついて宙に飛び上がり、次いで空を蹴って男の元へ急降下した。

一回転して踵を落としたが、素早く飛び退かれて当たらない。


男が鎌を手元で高速で回転させ駆け出すのを見て、朱珠もまた地を蹴って飛び出した。


これほど大きな鎌だ。近距離には弱いはず。


振り下ろされた大鎌を朱珠が手で薙ぎ払い、隙のできた男の懐へ飛び込み手刀に込めた鋭い風刃を突き出した。

しかし腹に触れる寸前、男が後ろに片手を付き宙返りしながら大きく後ろへ飛び退り、羽を広げて空中へ飛び上がる。

朱珠もひと呼吸も置かないうちに空へ飛び上がり、腕を交差させ斜めに振り抜いて無数の風の刃を放った。

男が大鎌で防ぐが、防御をかいくぐった無数の風刃が一気に皮膚を切り裂き鮮血を散らしてゆく。

そんなことなど全く気に留めていないらしい男が表情一つ変えずに大鎌を構え、

少し下にいる朱珠の方へ滑空する。

これだけ傷ついても表情ひとつ変えない男に朱珠はいささか身の毛がよだつのを感じながら、

寸前で空中を蹴り男の頭上を宙返りながら避け、そのまま手刀を構え地面に降り立った男へと急降下した。

男が迫り来る朱珠を見据えながら大鎌を軽々と頭の上で振り回し、鎌を後ろに回すように構えた。

朱珠がはっと目を瞠る。


「闇黒波!!」


男が無感情な目を見開きながら低く唸るように叫び、懇親の力を込めて大鎌を斜め上へ振り抜くと、

そこから赤黒い巨大な刃の様なものが放たれ、朱珠へと襲い掛かった。

この距離では避けられないと瞬時に判断し、手を振り払い咄嗟に竜巻状の障壁を作り上げると、

男の放った攻撃は障壁により山の木々を傷つけながら飛散し、また一部は竜巻に進路を逸らされ空へ消えていった。

しかし土なども一緒に巻き上げた事で竜巻外の視界が悪くなってしまう。

小さく舌打ちをして竜巻とは反対方向に腕を振り障壁を消したその刹那、

男が目の前に迫っていて朱珠は目を剥き息を詰めた。


「……がはっ……!」


鎌で切られるとの予想ははずれ、朱珠は腹に強烈な拳を一発もらって堪らず体をくの字に曲げる。

そこへ素早く一回転した男に頭上に回し蹴りをくらい地面へと叩き落とされた。

地面がへこむ程の衝撃に息がつまり、そして咳とともに口からは鮮血が迸った。

膝をついて体を起こし、胸を襲う痛みに何本か肋骨をやられたかと考えながら、

朱珠は口についた血を手の甲で拭う。


「魂を集める目的は何だ。やはり悪鬼復活の贄か」


上空にいる男をぎっと睨み上げ低く唸る。

男は無言だ。無言ということは肯定ということだろう。

朱珠に睨まれた男はやってきた方角を横目で見ると小さく哂い、ようようと口を開いた。



「……こんなところで油を売っていていいのか」

「どういう……」


怪訝そうに眉根を寄せる朱珠に男はさらに続ける。


「あれを置き去りにして」


意味ありげな男の言葉。

そして男がさすあれを意味するものが弓月だと悟るのには全く時間はかからなかった。

血の気が引く音を聞いた気がした。

弓月に何かあったのか。朱珠が戦慄に目を見開く。


朱珠の青ざめた面差しを見た男が冷笑した。

歪む男の表情を見た朱珠の心臓そしてが誰かに蹴り上げられる。


今、確信した。


――弓月……っ!!!


悪鬼が復活することより、俺は弓月を守れないことのほうが怖い。


朱珠は男と対峙していることも忘れ身を翻した。






    *  *  *  *





耳朶を叩いた断末魔と、吹き飛ばされた衝撃とで弓月の意識は一瞬にして引き戻された。

地面に横に転がったまま、潰されかけた喉を押さえながら背を丸くして激しくむ。

未だに息を吸い込む度に喉が笛のようにひゅうひゅうと鳴っている。

頭に酸素が行き渡りようやく意識がはっきりとしてくる。

確か自分は鬼に首を絞められていたはずだ。それが一体どうなった。

何が起こったか確かめるべく、肘をついて少し身を起こしながら涙の溜まった目で辺りを見回した。

すると前方に見慣れぬ男が異形の前に立ちはだかっていた。

弓月には背を向けていて顔は見えない。

背中の真ん中まで伸びる外はねのまとまりのない黒髪、頭には狼の耳、そして大きな尻尾が生えている。

身体にぴったり張り付く肩がむき出しの黒服に下は白い着物。

本来ならば浴衣のように着るのだろうが、妖狼は上だけ脱いで腰までおろしているようだ。

取り敢えず人間ではないことは確かだ。


「あ…た……で……」


あなたは何者ですかと訪ねようとしたが、声がうまく出なかった。

聞こえてきた自分の声のしゃがれ様に弓月は目を瞬かせる。

妖狼は背中越しに弓月の表情を読んだのか、

わかってるよと言うように尻尾を大きくひと振りすると、後ろにいる弓月を横目に見ながら口を開いた。


「やれやれ……危機一髪じゃったのぉ~」


この状況とは正反対の緊迫感のない飄々とした声だった。

異形が邪魔されたことに憤怒してざわざわと蠢くのを感じ、妖狼は弓月に微笑むと視線を異形へと移した。

妖狼が目を瞑ると妖気が高まり白い着物の裾が大きくはためく。

目を見開き高めた妖気を爆発させると、波動が一気に広がり周りの異形が吹き飛ばされた。

妖狼の威嚇に殆どの異形がひるむ中、その中の数体がまだ挑もうと前に踏み出す。


「まだ来るのかのぉ?」


先ほどとは打って変わって冷たい語気で放つ。

有無を言わさないような眼光に射抜かれ、異形がその場に縫い止められたかのように体を固まらせる。


「この主の事は諦めてはよ失せろ。今なら見逃してやる」


1体が後ろへ退くとそれを皮切りに、ぞわぞわと全ての異形が山奥へと逃げていった。



異形が退き邪念がなくなるといつの間にか結界もなくなり、山の正常な気が流れた。

弓月は目を深く瞑り、肺の中がからになるまで息を吐きだす。


背を向けていた妖狼がくるりと振り返ると、微笑みながら手を差し出してきた。


「大丈夫かのぉ?」


振り返った妖狼は綺麗な顔立ちをしており男にしては色白だという印象だ。

瞼が半分降りて気の抜けた様な目は紺色。

目尻には朱が入り、目の線がはっきりしているところをみると少し化粧をしているようだ。

また唇には紫の口紅がつけられていて、女の人みたいだと弓月は思った。

しかし声は男のもので、妙な違和感を覚える弓月である。


一瞬躊躇しつつ差し出された手を握ると、力強く引き上げて立たせてくれた。


「あ、ありがとうございます。助けてくれて……」


弓月が頭を下げると、ぽんぽんと頭を軽く叩きそれから頭を撫でた。


「弓月が無事でなによりじゃ」

「ど、どうして僕の名前知ってるの…?」


弓月は目を丸くしながら訊ねた。

この妖狼とは今あったばかりだというのに。しかもさっき僕のことを主って言ってなかったか。


怪訝そうに妖狼の顔を伺う弓月に、一瞬表情を固まらせた妖狼だったが両手を広げ笑いながら答えた。


「まぁ~何でもええじゃないか~!あ、そうじゃ。わしだけお前さんの名前を知っとるのは不公平じゃのぉ」


再び腕を組み考え込むような仕草をして、ぽんっと手のひらを叩いた。


「そうじゃ!特別にわしの名前を教えてやろう。わしは虧月、以後お見知りおきを、なんてのぉ~」


虧月と名乗った男は、少し歯を覗かせながらさも面白そうに笑う。

何故僕の名前を知っているのかという弓月の疑問は解消せず、

更に問いただそうと弓月が口を開くより先に、虧月が真剣な表情で口を開いた。


「それより、こんなに異形に囲まれて……何かあったのかのぉ?」


一瞬話すかどうか逡巡したが、先程は助けてくれたし悪い人ではなさそうなので大まかなことを話すことにした。

この数日何者かが異形を殺して魂を集めていて、実はそれは悪鬼復活のための贄で。

ずっと気配を隠されてその何者かを突き止めることができなかったのだが、今遭遇した事。

そして悪鬼復活を阻止するために、倒すために朱珠と2人で追いかけていたということを。

自分で話していて現実離れしているなと感じるし、きっと他の友だちが聞いたら馬鹿にするんだろうなぁと思った。


弓月の話を聞いた虧月は目を丸くした。


「見つかったのかのぉ!」

「え……?虧月さんももしかして探してたの?」

「まぁのぉ。わしも何となく妙な気配は感じとったんじゃがなかなか手がかりが掴めんでの。

 まぁいい、兎に角お前さんは朱珠とやらの後を追うんじゃ」

「え、虧月さんも一緒に……」


てっきり一緒に追いかけるものだと思っていた弓月はきょとんとして目を瞬かせた。

敵を倒すのに数が多いのに越したことはない。


「いや……ちぃと気になる事があってのぉ……」


腕を組み視線を逸らした虧月の顔に一瞬影が落ちたが弓月は気づかなかった。

影はすぐに顔から掻き消え、腕組を解いた虧月は再び頬を緩めた。


「わしはそっちを確かめに行きたいんじゃ。だから悪鬼復活阻止はお前さんたちに任せる」


虧月が頼んだぞと言うように弓月の肩をぽんぽんと叩く。


弓月はひとつ頷くと駆け出した。








山の奥へと消えて行った弓月を見送ると虧月は腕を組んだ。


先ほど張り巡らされていた結界は中からの衝撃に強い結界らしく、外からは難なく入れたのだ。

また、結界内で起こった出来事は外へは伝わらず、偶然虧月が通りかからなければ本当に危なかった。


虧月は剣呑に眉根を寄せた。


それにしても先程張り巡らされていた結界とその結界から微力に感じる霊力。


あの結界は。

まさか。


いや、しかし。


「主……」


無意識に呟いた虧月の顔が翳る。


彼は遥か昔に短い生涯を終えたと風の頼りに聞いた。

しかし確かに感じた彼の気。少し違和感の残る彼の霊力。


もし本当ならば。

どこにいるというのだ。



これは一体、どういうことだ。





    *  *  *  *  





真っ白になった頭で弓月の名前を呼び続けながら、朱珠は山を疾走していた。


ずっとずっと寂しかった。


神でも妖怪でも精霊でもない。

自分は一体何者なのかわからず、誰も自分のことを認めてはくれず。

母が人間だからか“寂しい”と感じ、その孤独が辛かった。


その心の隙間を埋めてくれたのは弓月だ。

理解しようと歩み寄ってくれたのは弓月だ。

自分の存在を認めてくれたのは弓月だ。


男が冷たく哂っていた。

手遅れだとでも言うように。


朱珠の心臓が氷を当てられたかのようにすっと冷えた。


「弓月!!!!どこだ弓月!!!返事をしろ!!!」


たまらなくなって乱暴に叫ぶが、

声は山に吸い込まれるばかりで弓月の返事は聞こえない。

そこまで離れてはいないはずなのに。


最悪の事態を想像して朱珠が蒼白になったその時、

木々の間から走る弓月の姿が見えて、

心中で泣きそうになりながら必死になって呼びかけた。


「弓月!!無事か!!!!」


朱珠の声を聞いた弓月が振り向くと、安心したような笑顔を見せ近寄ってきた。


「やっと追いついた!」


弓月が息をきらしながら言う。

弓月の手をとって本当に無事かどうか確かめると、そのまま自分の方へ腕を引き寄せかたく抱きしめた。

突然の事に吃驚してもがく弓月の抵抗を無視し、身をもって無事を確認してようやく胸をなでおろしたその時。


「朱珠!!よかった追いついた!」


先ほどよりももっと息の切れた声。しかもその声は。

反射的に振り向いた朱珠は驚愕に目を見開いた。


「弓月…………?!」


新しく来た弓月は服が泥で汚れ、所々手を擦りむいたりしている。


先ほどの男の言葉と冷笑からは、弓月が危険にさらされているという事が想像できた。

しかし今初めに会った方の弓月はどこひとつ怪我をしていない。

違和感を感じて眉根を寄せる。


ということは。


頭の中で警鐘が鳴っている。

何故気づかなかった。

朱珠が弾かれたように自分の腕の中にいる無傷の弓月を見た。


弓月、否弓月の形をした物はにたりと嗤うとぼこりと変形し、

爆発するように鋭く太い枝が飛び出してきた。

いち早く危険を察知し、朱珠が後ろへ飛びすさった刹那。


「朱珠!!!!後ろ!!」


弓月の悲鳴のような叫びと、身を貫いた衝撃はほぼ同時だった。

次の瞬間、じわじわと腹が焼けるように熱く痛みだした。

気配を消し背後に瞬時に忍んだ男が大鎌を下から振りあげ、

朱珠の背中を貫いたのだと理解するにはそう時間はかからなかった。


「…ぐ、がはぁ…っ!」


喉まで鉄の匂いがせり上がり、ごぽりと口から大量の鮮血が溢れ出た。

鼻をつく血の匂いが更に吐き気を誘うようだ。

貫通した傷口からはとめどなく血が溢れ出し、

白い着物にあっという間に赤くて大きなしみを作っていく。

弓月が何か叫んでいるような気がするが、どくどくと高鳴る心臓の音でかき消されて聞こえない。

溢れる血が鎌の先を伝って地面に落ち、地面をまばらに染めてゆく。

朱珠が膝を着くと同時に男が鎌を朱珠から引き抜くと、傷口から霧のように鮮血が飛び散った。

苦悶に顔を歪め、傷口を掴むようにして押さえながら背後の男をたかえりみた。


弓月はというと目の前で起こった信じられない光景に、戦慄と怒りとが混ざり合い、

拳を握り締め震えながら叫んだ


「よくも!朱珠を!!!」

「よせ!!来るな!お前は、逃げろ……!」


駆け出そうとする弓月を朱珠が声を振り絞って制する。

再び吐血する朱珠に弓月はでもと反論する。

大鎌を勢いよく振りべっとりとついた血を振り払うと、無表情な声音で言い放った。


「お前たちは、贄だ」


朱珠は深手を負い動けず、絶体絶命。

男が鎌を構えて走り出そうとしたその時だった。


「ぐ………っ!」


目を剥くと大鎌を地面に落とし、両手で頭を抱えながらうずくまってうめき苦しみだした。

弓月も朱珠も突然の彼の様子に、驚愕に目を見開く。


「行け!!!」


男が少し頭を上げて手の隙間から睨みつけるようにこちらを見た。

先程までの無表情な声音ではない切羽詰ったような声音に

どういうことかと弓月と朱珠は更に目を見張り、眉根を寄せた。


「早くどこかへ行け!!!」


いつまでも動こうとしない2人に焦れたのか、男はさらに声を荒げて叫んだ。

頭を握り締めるかのようにして手に力を込め、横目で睨みつける。

そして大鎌を引っ掴むと飛び上がって山の向こうへと飛び去っていった。







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