表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

「ケーキが食べたいわ」


 また始まった。千明は箒片手に、一人ため息をつく。


 大広間の時計が鐘を打つ。二人きりの邸宅に、高らかに響く。そろそろ外も薄暗くなってきた。


 乃麻は読んでいた本を閉じ、ソファから立ち上がる。

「聞こえなかったかしら? ケ・エ・キ・が・食・べ・た・い・わ」

「……今からお夕飯作りますから、それまで我慢してください」

「分からないの? パンはケーキの代わりにならないのよ。……そういえば、街に新しいケーキ屋さんができたそうね」


 乃麻は千明の顔も見ず、また先程までのきつい口調のまま――しかし子供のような、そんな駄々をこねる。


「今からまた街の方に出てたら、真っ暗になってしまいますよ」

「別にいいじゃない、夜遊びの一つや二つ。それとも何、私の言うことが聞けないのかしら?」

「そういうわけにはいきません」

 少し真剣味を帯びた千明の声に、乃麻は気だるげに振り返る。

「僕は羽足博士に、お嬢さまを必ず、なんとしても、どんな手段を使っても、お守りするようにと頼まれているんです。夜遊びなんかに連れ出すわけにはいきません」

「……頼もしいボディガードだことね」

「ケーキなら明日にでも買ってきますから」

「必ずよ」


 ふと、乃麻が窓の外に目をやった。つられて千明も振り向く。なんだ? 彼女の視線の方向――一台の車が、羽足邸の前で停まった。黒光りするセダン。


「お客さまね」

「誰でしょう、こんな時間に」



 果たしてチャイムが鳴り、千明は玄関に走る。


「はーい、」

「ハハハ、日柄君。元気そうだね」

「あ、署長さん」


 署長さん、即ち曳鞠島警察署署長・大山山太おおやまさんた警視は豊かな口ひげを撫でつつ、人の良さそうな笑みを浮かべた。一方彼の後ろに従う背の高い青年は、少し胡散臭げな目を千明に向ける。

「署長、彼は……」

「ああ、君は初めてだったか。彼は日柄千明君、この家の居候、」

「……書生です」

「それそれ、書生。日柄君、彼は有沢刑事、わしの部下だ」

 有沢は無言で頭を下げた。


「あら署長さん、ご無沙汰しています」


 穏やかな微笑を浮かべ、乃麻が玄関に出てくる。署長はにっこりと相好を崩した。


「やあ乃麻ちゃん、久しぶりだね」

「今日はどうなされました?」

「いや、ちょっと耳に入れておきたいことがあってな。上がっていいかね?」

「ええ、もちろん」



 警官二人は、応接間のソファにどっかと腰を降ろしている。


「千明、ちょっと」

 お茶を入れ終え、廊下に出た千明を乃麻が呼び止めた。


「はい、なんでしょう」

「あなた、お客さまにお菓子一つ出さない気?」

「あ、お菓子なら、貰い物のクッキーが確か……」

「ちょっとひとっ走りケーキ買って来なさい」

「え」

「あなた一人なら早いでしょう?」


 言うなり、乃麻は紅茶を載せたお盆を奪い取った。


「さ、行ってらっしゃい」



「おや、日柄君は?」

「ええ、彼には少しお使いを」


 乃麻は上品な手つきで、カップを口元に運ぶ。まるで何事もなかったかのように。


「しかし乃麻ちゃんも大きくなったね。何年生だったかな?」

「この春から高校二年です」

「ほう、うーむ、道理でわしが歳をとるわけだ」

「あら、署長さんはいつまでも若々しいじゃありませんか」

「はっはっは、お気遣いありがとう。お父上がご覧になったらさぞ喜ばれるだろうになあ」


 乃麻の瞳が一瞬曇る。署長はそれと気付くと、軽く咳払いを一つ。


「さて、今日来たのは他でもない」

「……事件、ですか」

「事件、なんだよ。有沢君、例の資料を」

「はっ」

 有沢刑事が一冊のファイルを署長に手渡した。


「実はだねえ、ここ一週間ほど、女学生を狙った殺人事件が、この島内で立て続けに起きているのだよ」

「あら、怖い」

 乃麻は(千明から見れば)大げさと思われるほどに、眉をひそめてみせる。

「うむ、夜道で若い女学生を襲い、首を絞めて殺害するという残虐非道の輩だ。しかもそれだけじゃない。犯人はどうやら、拳銃を持っているらしくてな」

「拳銃、ですか」

「拳銃、なんだよ。犯人は卑怯にも、逃げようとする被害者の足を撃って犯行に及んだというのだよ。一昨日のことだ。ここにいる有沢君がパトロール中にちょうど出くわしたんだがねえ」

 若い刑事は悔しそうに横を向く。


「……まあ、結局取り逃がしてしまってな。もっとも、彼が犯人の風体を覚えていたおかげで、一人の男が捜査線上に浮かんだ」


 署長は一枚の写真を机の上に置いた。


「存外若いんですね」

「鞭野則夫。十八歳。三週間前、米軍の基地から大量の銃と弾薬を盗んだ凶悪犯だ。以来全国津々浦々で発砲事件を起こしていたが、どうやらこの島に逃げ込んだらしい……そこで、乃麻君」


 署長はカップを置き、威儀を正した。


「この有沢君を、君の護衛につけようと思うのだがね」

「ご心配ありがとうございます、でも」


 乃麻は少し悪戯っぽく笑ってみせた。


「あいにくうちには、優秀なボディガードがおりますから」


 二人の警官は、思わず顔を見合わせた。


「乃麻ちゃん、」

 署長は再び咳払いをする。

「君のお父上はこの町が生んだ偉大な大科学者、この町の誇りだ。わしもずいぶんお世話になった。その博士の留守中に、一人娘の君に何かあったら、わしは腹でも切らんといかんのだよ。わしを助けると思って、な」


 署長の言葉に、乃麻は少し考えるように、カップに目を落とす。ややあって、小さなため息とともに、彼女は穏やかに微笑んでみせた。


「ふふ……分かりました。署長さんを切腹させるわけにはいきませんからね。有沢さん、どうぞよろしく」


 乃麻の会釈に、有沢は固い笑顔で応じた。ホッとした様子で、署長はソファに体を任せる。


「……にしても、遅いわね」

「千明君かね? といっても、今さっき出かけたばっかりだろう」


「ええ。でも、彼は特別ですから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ