第一章 葬儀のあとで、航空券は鳴る
第一章 葬儀のあとで、航空券は鳴る
弟の棺が閉じるとき、音はしなかった。
ただ、わたしの胸の内側で、どこか小さな鈴が鳴った気がした。
帰り道、コンビニの冷蔵棚にプリンが並んでいた。弟の好きだったやつ。
手を伸ばして、やめた。
買ったら、帰宅してしまう。帰宅したら、弟のいない部屋が確定してしまう。
だからわたしは、逃げるために研究計画を書いた。
世界遺産。青いタイル。シルクロード。サマルカンド。
「文化交差路の装飾文様と祈りの変遷」——立派な言葉で、喪失に蓋をした。
助成が通った夜、わたしは笑って泣いた。
笑ったのは、弟に言い訳ができると思ったからだ。
泣いたのは、言い訳の先に弟がいないと知っているからだ。
空港の出発ロビー。
アナウンスが遠い。ローラーの音が近い。
搭乗券の紙は湿っていて、指先の皮膚に張りつく。
わたしはそれを剥がすみたいに、呼吸をした。
「紗良さん、準備できた?」
同行のサイードが、コーヒーを差し出す。笑顔の形が整いすぎている男。
「寝てないでしょ」
「現地で寝るよ。——ねえ紗良さん、今回の研究、人生変わるかもね」
彼の言葉は軽い。けれど、軽さの裏に何か硬いものがある。
搭乗口へ向かう途中、わたしのスマホが震えた。
弟の名前が、連絡先の一覧に残っている。
消せない。
指が止まる。
画面が暗くなって、わたしはまた息を吸う。
——行け。
行けば、少しだけ違う空気が肺に入る。
違う空気なら、弟のいない現実にも、別の匂いが混ざるかもしれない。
ゲートを抜けるとき、金属探知機が短く鳴った。
ピッ。
まるで鈴みたいに。




