08 紅蓮の侯爵令嬢と、灰色の指輪
マリエッタとの事件が起きて、数日が経った。
あれ以来、彼女は登校していない。
「マリエッタ様を魔法で退けたって本当?」
「でも、魔力ゼロだったんじゃ……?」
放課後に残っていた生徒たちが目撃していたらしく、噂は瞬く間に広がった。
そのおかげか、あるいは誤解が少しは解けたのか。
以前よりも、普通に話しかけてくれる生徒が増えた。
それは素直に嬉しい。
けれど――
右手にはめた指輪へ、そっと視線を落とす。
澄んだ青色で満たされていた石は、いまや完全に色を失っていた。
光を吸い込むような灰色。
……もう、魔法は使えないのかもしれない。
深いため息がこぼれた。
◆
「今月末に、魔法のコントロールテストを行います」
教師の声が、教室に澄んで響く。
「魔力判定用のクリスタルに、三等級程度の魔力を注入してください。使用する魔法の種類は問いません。ただし――」
そこで先生は不気味に微笑んだ。
「高火力でクリスタルを割らないように。
毎年、目立とうとして粉砕する生徒がいますが……
これは“コントロール”の試験ですからね?」
教室に小さな笑いが起きる。
「魔道具の使用は可。中庭に練習用のマナ・オブジェを設置します。空き時間に各自、練習しておくように」
そう告げて、授業は終わった。
◆
週末。
自由時間を利用して、生徒たちは街へ出かけたり、部活動に励んだりしている。
フィリアはというと、特に行く当てもなく、気づけば図書室へと足を向けていた。
ここの空気が好きだ。
学院の洗練された雰囲気とは違う、木製の扉や机。
古書の匂い。
学院設立当初からほとんど姿を変えていないという空間は、どこか時を忘れさせてくれる。
何度も通ううちに顔見知りもできた。
とはいえ、本好き同士の、淡い繋がりにすぎないけれど。
お気に入りの窓際の個別机に腰を下ろす。
――ここは、エルヴィン様と出会った場所。
あの飴、美味しかったなぁ……
指先をキスされそうになった場面がふと蘇り、頬が熱くなる。
あれは傷を治してくれただけで……
断じて、そういう意味では……
そう自分に言い聞かせた、その時。
ごおおおおおおおっ!!
轟音とともに、窓の外に巨大な火柱が立ち上った。
三階の高さを優に超えている。
「……っ!?」
思わず立ち上がり、身を乗り出す。
「なんでなのよぉぉぉぉ!」
叫び声。
中庭には、大きな魔石のついた杖を握る侯爵令嬢の姿。
――ヴェルナ・イグナティア。
同じクラスの、紅蓮の髪の少女。
気高く、いつも一人でいる印象の強い子だ。
再び上がる火柱。
窓ガラスが震え、隔てられているはずなのに熱気が伝わってくる。
(このままじゃ……)
フィリアは図書室を飛び出した。
◆
目に飛び込んできたのは、鮮烈な赤。
真っ直ぐな長髪が陽光を受け、まるで燃えているかのように揺れている。
連続して魔法を放ったせいか、ヴェルナの息はわずかに荒い。
「あら、あなたは確か……」
フィリアに気づき、すっと呼吸を整える。
「マリエッタを無期限停学に追い込んだ平民じゃない」
「無期限停学!?」
思わず声が裏返る。
「知らなかったの? 授業外での攻撃魔法は重罪ですもの。それにしても……少し“重すぎる”処分だとは思うけれど」
含みのある言い方。
「まあ、そんなことはどうでもいいわ。見ての通り、私は練習中なの。あちらへ行ってくださる?」
そう言って、再び詠唱を始める。
今度こそ抑えてくれれば――と見守るが、炎の粒子は凄まじい勢いで集束し、
轟音とともに、またしても高火力の火柱が天へ突き上がった。
「……」
「見たわね?」
振り返ったヴェルナは、一瞬迷い、それから目を輝かせた。
「あなた、初級魔法でマリエッタの魔法をいなしたんでしょう? 魔力コントロールが得意なんじゃない?」
ずい、と距離を詰める。
「私の秘密を知ったからには、協力してくれるわよね?」
有無を言わせぬ圧。
フィリアは冷静に、魔力の流れを観察する。
(粒子の収束が速すぎる……出力も異常)
視線は、杖へ。
巨大な火の魔石。
「その杖……」
待っていたかのように、ヴェルナの瞳が輝く。
「入学祝いよ! お父様が“火力で圧倒しなさい”って。火の侯爵家に相応しい最高級魔石ですって!」
誇らしげな笑み。
フィリアは少し躊躇いながら、口を開く。
「……言いにくいのですが。その杖が原因です」
「はぁっ!?」
空気が一瞬で灼熱を帯びる。
「杖の性能が高すぎるんです。初級魔法でも、出力が跳ね上がってしまうんです」
数秒の沈黙。
「……つまり、杖が優秀すぎると?」
「はい」
さらに数秒。
「……最高じゃない!」
思わずずっこけそうになるフィリア。
そこからはあっという間だった。
杖を使わない発動練習、テスト向けの詠唱の選別、出力の抑え方――。
「あなたのおかげで、きっとテストは楽勝ね」
「えぇと……お名前は?」
そこで初めて、ヴェルナがフィリアの名前を知らなかったことに気づく。
「フィリア・リヴァリエです。ヴェルナ様」
微笑むと、
「そう、じゃあフィリアね!」
屈託のない笑顔。
「私のことはヴェルナって呼んでいいわ」
エルヴィン様といい……
貴族の方って、“様”をつけられるのはあまり好きではないのかしら。
ぼんやり考えていると、
「じゃあね、今度は教室でもお話ししましょっ」
上機嫌に去っていく背中。
初めてできた女学生の友達。
フィリアの頬は、自然と緩んでいた。
◆
――いない。
図書室の窓際の個別机。
あの事件以来、彼女ときちんと話せていない。
教室で姿は見かけるが、言葉を交わせずにいる。
あの時、僕が関わったせいで危険な目に遭わせてしまった。
……それとも、怖がらせてしまったのだろうか。
フィリアの声が聞きたい。
彼女の瞳に、僕を映していてほしい。
たった数日会わないだけで、こんなにも胸が軋むなんて。
諦めて帰ろうとしたその時、ふと窓の外へ視線を向ける。
――フィリアとヴェルナが、中庭で楽しげに話していた。
……友達ができたのか。
図書室で会う約束をしていたわけでもないのに。
それでも、胸の奥に、じわりと広がる感情。
まるで、裏切られたかのような。
僕は、こんなにも君に会いたかったのに。
窓ガラスに映った自分の表情は、
ひどく歪んで見えた。




