02 春風の視線と、発現しない魔法
入学式が滞りなく終わり、教室へと案内された。
席に着いた途端、目を輝かせた女学生たちが一斉に集まってくる。
「四属性適性なんて、初めて見ましたわ!」
「すごいわ、本当に!」
勢いに押されながらも、私は曖昧に微笑んだ。
そのとき。
「――ごきげんよう」
空気が、すっと静まる。
振り向けば、一人の女生徒が立っていた。
整えられた碧の髪。
陽光を受けて艶やかに揺れる。
完璧な姿勢。
淀みのない微笑み。
「子爵家のマリエッタ・クラインと申しますわ」
柔らかな声音。
けれどその瞳だけが、冷えている。
「いえ、貴方のお名前は結構よ。先ほど聞きましたもの」
にこり、と笑ったまま距離を詰める。
逃げ場がない。
「稀にみる四属性に適性があったのですってね。
まあ……素晴らしいこと」
ぱちり、と扇子が閉じる。
小さな音が、やけに響いた。
「けれど――同じ教室には、エルヴィン様とレオニス様もいらっしゃいますのよ?」
その名に、周囲が息をのむ。
「レオニス様は王国第一王子。類い稀なる光の魔力をお持ちですわ。学院の検査機では光属性は測定できませんの。ですから、あのお方は検査をお受けにならなかったの」
私は何でも知っている。
その誇らしさが、声に滲む。
「そしてエルヴィン様……」
わずかに瞳を細める。
「ご覧になったでしょう? 会場を包み込む碧の光。四大公爵家嫡男、“春風の君”と称されるお方」
私は、ただ聞いている。
(……春風の君。噂で聞いたことはあるけれど)
それだけだ。
マリエッタは扇子を開き、口元を隠す。
「わたくし、入学式の検査で風属性でしたの。エルヴィン様に『いい風だね』とお言葉をいただいて……」
頰がわずかに染まる。
長年温めてきた憧れを、隠しきれない顔。
「ですが、わたくしは子爵家。
家格が……あと少し高ければ」
一瞬だけ零れた本音。
しかしすぐに、完璧な微笑みに戻る。
「……何を申し上げたいか、おわかりにならないお顔ですわね」
にこり、と微笑む。
その声が、ひどく静かになる。
「では、はっきりと」
教室の空気が張りつめる。
「貴方と、わたくしたちとでは――魔力の“質”が違いましてよ」
ざわり、と空気が揺れた。
「たとえ同じ教室に座ることを許されたとしても。平民の貴方が、軽々しくお声をかけてよい方々ではございませんわ」
視線が、細く鋭く突き刺さる。
「どうか、身の程をお忘れなく」
にっこりと微笑み。
「それでは、ごきげんよう」
ひらりとスカートを翻し、彼女は去っていった。
やがて、ざわめきが戻る。
私はしばらく、動けなかった。
――魔力の“質”。
そんなもの、本当にあるのだろうか。
正直なところ。
レオニス様は“王太子が入学してきた”という噂で知っている程度。
エルヴィン様も、“春風の君”という異名を聞いたことがあるだけ。
王子様に、公爵家嫡男。
(……すごい人たちなんだなぁ)
それくらいの実感しかない。
羨望も、野心も、ない。
ただ。
私は、やるべきことがあってここに来た。
それだけは――
誰にも、否定させない。
そっと息を吐く。
そして、なんとなく――
さきほど名が挙がった“その人”へ、視線を向けた。
教室の窓際。
銀の髪が、光を受けて淡くきらめいている。
エルヴィン・アステリア。
その瞬間。
ぱちり、と目が合った。
(……あ)
肩が小さく跳ねる。
逸らさなきゃ、と頭では思うのに。
体が、動かない。
彼は、わずかに目を細めた。
それは、社交用の微笑とは違う。
誇示も、気遣いもない。
ただ、静かに――
まっすぐに、私を見ている。
翡翠色の瞳が、光を含んで揺れる。
その奥にあるのは、評価でも噂でもなく。
純粋な、興味。
(……なんで)
胸が、強く鳴った。
彼の唇が、ほんのわずかに動く。
声は聞こえない。
言葉になっていたのかも、わからない。
けれど。
その動きは、確かに私へ向けられていた。
柔らかく。
けれど、逃がさないように。
世界の音が、一瞬だけ遠のいた気がした。
(……こんなふうに、見られたこと、ない)
頰が熱い。
視線を落とした瞬間、
胸の奥に、甘く、落ち着かない熱が広がった。
ただ目が合っただけ。
それだけなのに。
どうして、こんなに――
◆
翌日。
魔法の基礎授業が始まった。
中庭に生徒たちが集められる。
「まずは皆さんがどの程度、魔法を発現できるか確認いたします」
教師の穏やかな声。
「本日は魔道具の使用を禁止します」
その一言で、血の気が引いた。
(……え?)
魔道具、禁止?
魔法陣を描くのは得意だ。
けれど。
私は魔力を“出す”ことが、できない。
発現すら、しない。
――そのとき。
かすかな視線を感じた。
中庭の隅。
木陰に、銀の髪。
エルヴィン・アステリア。
距離があって、表情までは見えない。
けれど。
こちらを見ているのは、わかる。
穏やかに。
ただ静かに。
――観察するように。
胸の奥が、わずかにざわついた。
助けるでもなく。
声をかけるでもなく。
ただ、見ている。
そっと右手を見る。
青い魔石のはめ込まれた指輪が、淡く光った。
母が入学の日に、魔力を込めてくれたもの。
この指輪がなければ――私は、何もできない。
「フィリア・リヴァリエ」
名前が呼ばれた。
四属性適性。
視線が突き刺さる。
期待。
好奇。
そして、少しの嫉妬。
私は前に出て、深呼吸をした。
魔法陣を展開する。
一度。
二度。
三度。
(――お願い、出て)
祈るように、心の奥で呟く。
――反応、なし。
魔力の気配すら、感じられない。
ざわ、と空気が揺れる。
「……どういうこと?」
「四属性なんじゃ……」
もう一度。
震える指で、陣を描く。
それでも、何も起きない。
沈黙が、重い。
「フィリアさん。どうなさいました?」
教師の困惑した声。
「入学試験では発現されていましたよね?」
答えられない。
喉が、乾いている。
視線が変わる。
期待から。
懐疑へ。
「お顔が優れませんね。医務室へ行きましょう」
私は、そのまま中庭を後にした。
――その先で。
あの宣告を受けることになるとは。
このときの私は、まだ知らなかった。




