13 甘い贈り物と、翳る視界
その夜、フィリアは困っていた。
胸の奥に、まだ微かに残るエルヴィンの魔力。
指先で撫でるように、
くすぐるように、
それでいて温かな毛布に包まれるように――
やわらかく、優しく、甘く。
まるでエルヴィン本人がすぐそばで、
フィリアの表情を、じっと観察しながら、
その反応を楽しんでいるみたいで。
翠の気配が、くすりと笑う。
布団を頭まで引き上げ、ぎゅっと目を閉じる。
忘れようとしても、思い出してしまう。
熱を帯びた翠色の瞳。
絡みつく指先。
耳元で落とされた、低く甘い声。
胸がそわそわして落ち着かない。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
「こんなの……眠れるわけないじゃない……!」
布団を跳ねのけ、両手で頬を押さえる。
熱い。
どうしようもなく、熱い。
……もう、どうしよう。
フィリアはその夜、ほとんど眠れなかった。
◆
学院に戻ると、ヴェルナが一番に駆け寄ってきた。
「フィリアァ!」
勢いよく抱きついてきて、
「私を助けてくれて、本当にありがとう……」
「傷を負わせてしまって、ごめんなさい……」
「あの後クラウス先生に呼ばれて……フィリアって『魔力媒介者』なんだって!?」
矢継ぎ早に言葉を吐き出して――
「そういえば――」
ヴェルナが、にやりと笑う。
「エルヴィン様と、ゆっくり時間取れた?」
「あの人、あなたのために病院で一番高い特別室用意して、毎日花持ってって、もうすごかったのよ!」
「今度退院祝いに、王都でお買い物しましょ! 今一番流行りのカフェの予約も取れたんだから!」
感謝と謝罪と、弾むような約束が次々と飛び出してきて、
フィリアは圧倒されながらも、胸の奥がじんわりと温かく満たされていった。
◆
休日。
「今日は、とことん遊び尽くすわよ!」
ヴェルナがキラキラした笑顔で手を引く。
学院に来てから、王都観光なんてほとんどしていなかった。
いつの間にか春が終わり、初夏の陽気が街を包んでいる。
街灯には色とりどりのガーランドが揺れ、
花々が溢れるプランターが街のあちこちを宝石箱みたいに彩っている。
すれ違う人々は笑顔で溢れ、
どこからか流れてくる軽やかな音楽に、心が自然と弾む。
「えぇ、目一杯遊びましょう!」
フィリアもヴェルナの手をぎゅっと握り返した。
◆
「こちら、桃とミルクのご褒美パフェでございます♡」
運ばれてきた瞬間、空気まで甘くなった。
ガラスの器の中で、柔らかな薄桃色が幾重にも重なり、
宝石のように艶めく果肉が光を受けてきらりと微笑む。
ミルクの白と桃の淡いピンクが、やわらかく溶け合う。
スプーンは抵抗なく、するりと沈んだ。
ひとくち。
「……んんっ……! 美味しい……っ」
みずみずしさがじゅわっと舌に広がり、
完熟の甘さが優しく頬を撫でるように溶けていく。
思わず目を閉じて、幸せに浸る。
とろけた顔をしていると、
ヴェルナが嬉しそうに微笑んでいた。
パフェを食べ終え、店内をぶらぶら。
可愛らしいクッキー缶や、絵本型のチョコレート缶に胸がきゅんとときめく。
若い女性客が多いのも頷ける。
「あ、これ……」
見覚えのあるキャンディ。
「大人気!」の表示と「売り切れ」の文字。
そっか……残念。
残念そうにしていると、ヴェルナがやってくる。
「フィリア、いいもの見つけたわね!
これ、人気すぎて手に入らないんだよね。
ここのパフェと同じで、新鮮なフルーツを贅沢に使ってるから、めっちゃ美味しいんだって!」
「一度は食べてみたいなぁ……」
ヴェルナが呟く。
確かに、あの時エルヴィン様がくれたキャンディ……
すごく美味しくって。
頑張ろうって思えた。
こんなに特別なものだったんだ。
いつか、ちゃんとお礼をしなくちゃ。
「次は雑貨屋さん行こう! おすすめの場所があるの!」
ヴェルナが手をぐいぐい引っ張る。
無邪気で、本当に可愛いなぁ。
◆
次に訪れたのは、魔石をあしらったアクセサリー専門店。
「ねぇ、見て見て! これ素敵じゃない?」
小さなうさぎが魔石を抱えたチャーム。
「私これ買ってくるっ!」
ヴェルナが会計に向かう。
店内を眺めていると、ふと自分の指輪に目が留まる。
魔獣討伐の事件で、魔石にヒビが入り、もう魔力を満たせなくなっていた。
魔力共有ができることはわかったけど、
まだずっと身体に留めておけない。
新しい指輪が、必要だよね……。
導かれるように、魔石入りの指輪を眺めていると――
四つ葉のクローバーで、ハートの葉の一つが翡翠色の魔石になっている指輪を見つけた。
エルヴィン様の瞳みたいな色。
なんとなく、気になってしまう。
値札を見る。
買えないわけではないけど……覚悟がいる金額。
指輪の前で逡巡していると、
「これが欲しいの?」
聞き慣れた声。
振り向くと、エルヴィンが立っていた。
「偶然だね」
柔らかく微笑む。
「げっ、春風のストーカーがいる!」
ヴェルナが戻ってきて思わず叫ぶ。
エルヴィンは微笑んだまま、
「今、何か言ったかい?」
――あ、これは怒ってる……。
ヴェルナは気圧されず、さらに突っ込む。
「何が“偶然だね”よ! 誰にも言ってないのに、どうしてここがわかるの!
フィリアに何か仕込んでるんじゃないの?」
ヴェルナはじーっと疑いの眼差しでエルヴィンを見る。
「運命なんじゃないかな?」
はぐらかすエルヴィン。
今まであまり感情を表に出さなかった彼が、
こうしてヴェルナに軽く突っかかられているのが、なんだか新鮮。
「いつの間にかヴェルナと仲良くなったんですね!」
フィリアが嬉しそうに言うと、
二人とも苦々しい顔をしたけど、
二人が仲良くしてくれるのは、素直に嬉しい。
「さて、私たちはまだまだ用事があるの!
休日くらいフィリアと二人きりにさせてよっ!」
ヴェルナがフィリアの手を取って走り出そうとする。
「えっと、エルヴィン様、また学院で!」
エルヴィンは穏やかに手を振っていた。
◆
夕方。
ヴェルナとたっぷり街を楽しんだ後、
寮に戻ろうとすると、背の高い人影が立っていた。
「おかえり、フィリア」
微笑むエルヴィン。
「今度にしようかと思ったんだけど……
どうしても今日、渡したくて」
「手、出して?」
フィリアが素直に差し出した指に、
そっと、あのクローバーの指輪がはめられる。
冷たいはずの金属が、すぐに体温を帯びる。
「!?」
「こんな高いもの、いただけませんっ!」
慌てるフィリアに、
「もうサイズは合わせてあるから、返品は難しいかな」
と、意地悪く微笑む。
この人はもう……。
でも、高価すぎる。
「なら、半分出しますので、いかがでしょう?」
「お金はいらないよ。
でも、一つお願いを聞いてもらえないかな?」
「お願いによっては……ですけど」
手玉に取られないよう、慎重に言葉を選ぶ。
……でも、期待で心臓を鳴らしながら見上げると、
エルヴィンはとびきり優しく、嬉しそうに笑った。
「そしたらこの魔石に、フィリアの魔力を入れて欲しいんだ」
「私には魔力が……」
困ったように言うと、
「僕が入れた魔力を、フィリアは自分の中でフィリアの魔力に変換するんだろう?」
そっと、指を絡める。
「……それを、僕だけに見せてほしい」
「……それくらい、なら」
私も自分の魔力の色を見てみたい。
「じゃあ、注ぐね」
絡めた指先から、熱が流れ込む。
――強い。
思わず、息が詰まる。
前よりもずっと速く、ずっと深く。
身体の奥へ押し寄せてくる。
少しでも満たせる場所がないか探すように。
でも、前と違う。
染み込んでいくような感覚がない。
身体の中でずっと暴れているような。
まるで内側から突き破って出ていきそうな。
胸が苦しい。
頭が、ぐらりと揺れる。
「あれ……?」
視界が滲む。
足元が消える。
音が、遠くなる。
「……も、もう……だめ……」
力が抜ける。
支えを失った身体が、崩れ落ちた。
「フィリア!?」
エルヴィンの腕が咄嗟に伸びた。
霞む意識の中、
何度も、何度も、
名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。




