10 溢れる翠と、黒い雲
(“魔力の質”って、本当にあるのかもしれないわ)
これまで母の魔力で魔法を発現してきたフィリアにとって、エルヴィンのそれはまるで別物だった。
濃密で、澄みきっていて、揺らぎがない。
これまで使っていた魔法陣では制御しきれないほどの出力が出る。
思わず陣式を書き換えたほどだ。
それなのに――
指輪は、くすむどころか、いっそう艶やかに輝いている。
まるで“使ってもらえること”を喜んでいるみたいに。
「アクア・コンヴァージェンス!」
凛と澄んだ声が響く。
魔力判定用のクリスタルの周囲に、無数の水玉が浮かび上がった。
次の瞬間。
一斉に放たれた水弾が、寸分違わず標的を射抜く。
ぱん、と小気味よい音を立てて、クリスタルは透き通った水色に輝いた。
十分な魔力が注がれた証。
「今年は豊作ですね」
試験官が満足げに頷く。
遠くでどよめきが起こった。
「ゼファー・コンダクト」
エルヴィンの低い詠唱が終わる。
だが、風は吹かなかった。
代わりに――クリスタルの内部から、静かに魔力が満ちていく。
空間そのものに風を“出現させる”高度な術式。
目に見える変化が少ないぶん、何が起きたのか理解できない者も多い。
けれど、実力者には分かる。
桁違いだ、と。
⸻
――王立魔法学院 第一学年 魔力統御実技査定。
五メートル先、三十センチ四方のクリスタルに魔法を当てる。
言葉にすれば簡単だが、この試験は“難しすぎる”と評判だった。
精密性。
火力。
制御。
そして、バランス。
強すぎれば割れ、弱ければ満たせない。
魔法の種類は自由。だからこそ、個々の戦闘特性や思考傾向、魔力量までもが浮き彫りになる。
実は、進路選定にも密接に関わる重要試験だった。
「注目すべきは――レオニス王太子、エルヴィン侯爵子息、ヴェルナ侯爵令嬢。そして、フィリア女史でしょうか」
試験官が学院長に耳打ちする。
「うむ……覚えておこう」
学院長は髭を撫でながら、愉快そうに目を細めた。
⸻
◆
「フィリア!あなたのおかげよ〜!」
ヴェルナが勢いよく抱きついてくる。
が、何かに気づいたようにすっと離れた。
「で、その指輪。翠色ってことは……ねぇ?」
意味深に視線を送る。
「そうなの。エルヴィン様が満たしてくれて……」
嬉しそうに語るフィリアを見て、ヴェルナは「うまくいったのね」と内心で頷く。
だが。
「ヴェルナもありがとう!あの後、頼んでくれたんでしょ?」
「……え?」
どうやら、エルヴィンが魔力を満たしたのは“ヴェルナが頼んだから”ということになっているらしい。
訂正しようと口を開くが、フィリアはもう別の話題へ。
――まあ、いっか。
ヴェルナは苦笑するしかなかった。
そこへ。
「ヴェルナ〜、腹減った〜。なんか恵んで〜」
やや黒みがかった赤髪の男子学生が、犬のように甘え声を出しながら近づいてくる。
「財布忘れたなんて嘘、聞き飽きました〜。その辺の女の子にでもどうぞ?」
ばっさり。
フィリアが目を丸くしていると、男子学生はにやりと笑ってこちらを見る。
「じゃあフィリアちゃん、何かちょうだ――」
ドゴッ。
「私のフィリアに何言ってるの!!」
ヴェルナの拳が、迷いなく腹部にめり込む。
一連の流れに呆然としていると、ヴェルナは溜め息をつきながら言った。
「……これはカイル・レーヴェン。一応、伯爵家の次男。子どもの頃からの腐れ縁よ」
紹介された本人は、腹を押さえながらもひらひらと手を振る。
「どうも〜。将来有望な紳士候補です」
「どの口が言ってるの」
即座に返すヴェルナ。
「もうこれあげるからどっか行って!」
サンドイッチを押しつけると、カイルはぱっと顔を輝かせる。
「ありがとう!愛してる〜!」
軽やかに去っていく背中。
「……ヴェルナ、付き合ってるの?」
真顔で問うフィリア。
「なっ、なななわけないじゃない!」
真っ赤になって否定する。
――どう見ても、親愛はあるわよね。
フィリアはくすりと微笑んだ。
⸻
◆
図書室、いつもの席。
「来週はいよいよ魔獣討伐訓練だね」
エルヴィンは自然な動作でフィリアの右手を包み、指輪へ魔力を流し込む。
とく、とく、と。
脈打つように。
あれから、ことあるごとに満たしている。
くすみが少しでも見えれば――
「入れてあげる」と。
優しく。
だがその優しさには、ほのかな執着が混じっていた。
「班は一緒になれませんでしたけど……応援しています!」
にこりと笑うフィリア。
「……でも、一緒がよかったな」
小さな呟き。
聞き逃すはずがなかった。
「エルヴィン様と組む人、羨ましいです。頼れて、格好よくて」
褒め言葉を重ねるほど、エルヴィンは俯いていく。
嬉しさを隠すため。
そして、共に戦えない悔しさを押し殺すため。
無意識に、魔力の流量が増す。
「エルヴィン様っ、入れすぎです!」
指輪の翠が強く輝き、溢れそうになる。
「ああ……溢れちゃいそうだね」
もっと触れていたい。
もっと、自分の色で満たしていたい。
手を離せずにいると、
「もうっ、魔力がもったいないですよ!」
ぱっと振り解かれた。
頬を染め、少し怒ったようなフィリア。
――可愛い。
微笑みながらも、エルヴィンはぽつりと零す。
「怪我をしないか、心配なんだ」
Fランク区域。
巨大鼠や角兎程度。
危険はないはずなのに。
それでも。
失う恐怖が、胸を掠める。
「エルヴィン様の魔力があるから大丈夫です!」
指輪を掲げる。
「もし危なくても、きっと助けてくれますでしょ?」
無邪気な信頼。
「……そうだね」
それ以上は言えなかった。
窓の外には、黒い雲が連なっていた。
まるで、嵐の前触れのように。




