01 四属性の光と、魔力ゼロの私
静まり返った医務室に、時計の針の音だけが規則正しく響いていた。
白衣の男は、検査結果の羊皮紙からゆっくりと視線を上げる。
淡い青の髪が、窓から差し込む光を受けて静かに揺れていた。
レンズ越しの瞳は、感情を映さない。
ただ、冷たく澄んでいる。
王宮から派遣された保健医だと聞いている。
その診断は、絶対だと。
その声は、どこまでも静かで、淡々としていた。
「……貴方の魔力壺には、魔力が確認できません」
一拍。
彼は言葉を選ぶように、わずかに息を整える。
「魔力は、自身で生成されていない状態です」
そして、結論だけを告げる。
「つまり——魔力は、ゼロです」
世界が、静まり返った。
魔力が、ゼロ。
それは、この学院において。
魔法使いになるために入学した私にとって。
――致命的な宣告だった。
喉が震える。
けれど、声は出ない。
彼はただ、事実を告げただけだ。
(……ゼロ、か)
残酷なのは、現実の方だった。
◆
「――本当に、夢みたい……」
フィリアは思わず呟いた。
片田舎育ちの自分が、今こうして王立魔導学院の門をくぐっている。
白亜の大理石の校舎に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が頰を撫で、磨き上げられた床に自分の姿がぼんやり映った。
歩くたびにコツコツと響く足音が、高く広い空間にこだまし、どこか遠くまで届いていく。
天井から吊るされた灯りは、繊細な彫刻の隙間から柔らかな光を零し、微かに蝋燭のような甘い香りが漂っていた。
さすが王立魔導学院……。
何もかもが圧倒的で、私はただ立ち尽くすしかなかった。
周囲には、仕立ての良い制服を身にまとった貴族の子息令嬢たち。
同じ制服とはいえ、装飾品もなく質素な雰囲気の私は、なんだか場違いに感じてしまう。
それでも――ここは、私の夢の場所だ。
深く息を吸い、入学式会場へと足を急がせた。
◆
壇上では学院長の長い挨拶が終わるところだった。
「――以上。君たちには期待しておる」
拍手が広がる。
続いて、指導教官が前へ出た。
「これより、属性検査を開始いたします。名前を呼ばれた生徒は、魔導機の前へ」
ざわり、と空気が揺れる。
最初に呼ばれたのは――
「エルヴィン・アステリア」
その名が響いた瞬間、会場の空気がわずかに変わった。
銀の髪が、魔導灯の光を受けて淡く揺れる。
若葉を透かした春光の様な翡翠の瞳。
長身の体躯は無駄がなく、それでいてどこか柔らかな雰囲気を纏っていた。
彼が壇上に上がり、魔導機へ静かに手を伸ばす。
次の瞬間、中央の魔石が強く脈打った。
鮮やかな緑光が、ふわりと会場を包み込む。
強烈というよりは、澄んだ春風のような魔力。
重さはなく、ただ確かな存在感だけが残る。
「風属性……やはりか」
「さすがアステリア公爵家だ」
抑えた声があちこちから漏れる。
四大公爵家のうちの風の公爵家。その嫡男。
同学年で最も魔力量が高いと噂される人物。
周囲の視線が自然と彼に集まる。
憧れを含んだ眼差し。けれど、誰も不用意には近づかない。
“春風の君”。
そう呼ばれていることは、入学前から聞いていた。
誰にでも穏やかに微笑むが、特定の誰かの隣に立つことはない。
距離を詰めようとすれば、やわらかく、しかし確実に一歩分だけ遠ざかる――そんな人だと。
なるほど、と思う。
すごい人が同じ学年にいるものだ。
ただ、それだけだ。
きっと関わることなどないだろう。
私は静かに視線を外し、自分の番を待った。
そして――
「フィリア・リヴァリエ」
胸が、どくんと跳ねた。
ついに、私の番だ。
名が呼ばれた瞬間、わずかな間が落ちる。
貴族名鑑に載らない姓だと、誰もが察したのだろう。
幾つもの視線が集まる。
好奇と、わずかな値踏み。
大丈夫。
きっと、何か一つくらいはある。
そう信じて、私は魔導機にそっと触れた。
――次の瞬間。
光が、弾けた。
「なっ……!?」
教官の声が裏返る。
視界が白く染まり――
その奥で、色が奔った。
燃え上がる赤。
波打つ青。
包み込む緑。
鋭く閃く黄。
四つの属性石が、同時に輝く。
否。
ただ同時なのではない。
呼応し、絡み合い、引き寄せ合いながら、
中央で渦を成す。
溢れ出す魔力。
制御を失った奔流――かと思えば、どこかで均衡を保っている。
柔らかく、けれど圧倒的な光。
「四属性適性だと……そんな、前例は――」
どよめきが会場を走る。
ざわめきが波のように広がり、息をのむ音があちこちから聞こえる。
私自身が、一番驚いていた。
四属性?
そんなこと、あり得るの?
私は光の中心に立ち尽くしてた。
怖い――はずなのに。
胸の奥から込み上げるのは、不安よりも先に、
どうしようもない高揚だった。
そのとき。
窓際から、ひとつの視線が静かに向けられていた。
エルヴィン・アステリア。
銀の髪が光を透かす。
翡翠の瞳が、わずかに細められる。
四色の輝きに照らされ、少女の髪が淡く揺れた。
質素な制服の袖を握りしめる、細い指先。
震える肩。
それでも、その灰青の瞳には恐れはない。
ただ、まっすぐな光。
春風に揺れる花のように、儚く。
それでいて、折れない芯を秘めている。
(……四属性?
この子が?)
胸の奥に、小さな波紋が落ちる。
誰にでも等しく微笑む“春風の君”が――
ほんの一瞬。
彼女から目を逸らすことを忘れていた。




