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第87話 暗闇の観察者と黄金の決意

挿絵(By みてみん)


 冷たい土の匂いがかすかに漂う、薄暗い地下室。

 カビの張り付いたコンクリートの壁に囲まれたその空間で、男はスマートフォンの画面を見つめ、ひっそりと陶酔の笑みを浮かべていた。


 画面の向こうでは、自身の創り上げた完璧な芸術――「幼児連続誘拐殺人事件」のニュースが連日報じられ、日本中が底知れぬパニックに陥っている。

 薄汚れた大人たちの世界から、罪なき天使たちを「解放」する救世主。防犯カメラにも一切映らず、警察という国家権力すら手玉に取る自分は、間違いなく選ばれた特別な存在だった。


 しかし、男の陶酔は、あるネット掲示板の書き込みによって水を差された。


『無能な警察、ついに港区の聖女教(ヒール屋)に泣きつくらしいぞ』


『マジか。ヒミコ様のお掃除が始まるのか』


 男の顔が、忌々しさに歪む。

 自身の極限まで研ぎ澄まされた知能と芸術に、非科学的なオカルト集団が干渉しようとしている。その事実が、男の肥大化した自己顕示欲と、凡人ゆえのコンプレックスを激しく刺激した。


「……偽物の聖女め。私の邪魔立てをする気か」


 苛立ちに任せてニュースサイトやSNSの隠し撮り画像を漁っていた人物は、やがて一枚の写真に釘付けになった。

 それは、アメリカのIT巨人の娘であり、魔法学院の第一期生として来日したばかりの、アリス・ハワード(8歳)の姿だった。


 醜く薄汚れた大人たちに囲まれながらも、汚れを知らない無邪気な笑顔を見せる、黄金の少女。

 男の濁った瞳が、暗い地下室でギラリと光った。


「……あの子こそ、私が解放すべき究極の天使だ」


 次なる究極の標的を、黄金の少女へと定めた。


          ◇


 それから数日後。ヒール屋の広々としたリビングは、冷たい緊張感に包まれていた。


 リビングのローテーブルには、郵便受けに投函されていた宛名のない一通の封筒が置かれている。

 中から出てきたのは、アリスを遠くから隠し撮りした写真と、マスコミに送られたものと全く同じ、活字を切り貼りした猟奇的な手紙だった。


『偽りの聖女から、本物の天使アリスを解放する』


 名指しの犯行予告。

 手紙を覗き込んだレイナが、顔をしかめて吐き捨てるように言った。


「……うげっ。テレビで見たのと同じヘドロの色。魔力なんか一滴もない、ただの気持ち悪い人間の色よ。こんなもの、ヒミコやアリスに近づけたくもないわ」


 しかし、おにぎりを頬張っていたヒミコはとてとてとテーブルに近づくと、その手紙をじっと見つめた。


「やっぱり、冷たい地下室の匂いがする。お掃除しなきゃ」


 その言葉を聞き、ソファに深く腰掛けていた源田壮一郎は手紙を一瞥し、無意識に自身の右膝をトントンと軽く叩いた。

 焦るどころか、その口元には冷酷な嘲笑が浮かんでいる。


「……本物の魔法を欠片も理解していない底辺のゴミが、アナログな下調べだけで我々に勝てると思い込んでいるらしい。笑えるな」


 源田は、部屋の隅に控える三人の護衛――空間を断つ魔剣の剣崎、軍隊を消し飛ばす火力の三上、そしていかなる物理法則も通さない絶対防御の真壁楓へと視線を向けた。

 彼らを使って、いかにしてこの愚かな猟奇殺人鬼を罠に嵌め、確実に「処理」するか。その完璧な迎撃態勢を指示しようとした、その時だった。


「ゲンおじ様」


 大人たちの会話を静かに聞いていたアリスが、一歩前へと進み出た。

 彼女はただ守られるだけの、か弱き子供ではない。アメリカ特別枠として選ばれた、干渉系・魔力値800を誇る魔法学院の第一期生だ。


「私、囮になります」


 その言葉に、護衛の三人が弾かれたようにアリスを見た。真壁が止めに入ろうとするが、アリスの瞳に宿る光を見て息を呑む。

 彼女の瞳は恐怖に震えるどころか、ヒミコという絶対の存在への信頼と、自身の力への誇りに満ちた、気高い黄金色に輝いていた。


「ヒミコお姉様との時間を邪魔する悪い人は、私が誘い出して、捕まえます」


 恐ろしい猟奇殺人鬼に対し、8歳の少女が真っ直ぐに宣戦布告をした瞬間だった。



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