第86話 来訪者と悪意
季節は冬を越え、港区にそびえ立つ魔法学院の敷地内にも、柔らかな春の風が吹き始めていた。
正門へと続く並木道では桜の蕾がほころび、うららかな陽光が降り注いでいる。そこに、黒塗りの防弾仕様車が静かに滑り込んできた。
車のドアが開くや否や、黒服のSPたちを置き去りにして、金髪の愛らしい少女が飛び出してきた。8歳になったアリス・ハワードだ。
彼女は玄関で待っていたヒミコの胸に真っ直ぐに飛び込んだ。
「ヒミコお姉様! アメリカンサイズのツナマヨ、いっぱい持ってきたの!」
「ん。アリス、おっきくなった」
無邪気な笑顔を弾けさせるアリスの頭を、ヒミコはもぐもぐと口を動かしながら撫でる。その胸元では、かつてアリスからもらった安っぽいおにぎりのキーホルダーが宝物のように揺れていた。
その背後には、二人に絶対の安全を約束する三人の護衛が控えている。
白き魔剣を宿す剣崎、熱狂的な眼差しでヒミコを見守る三上、そして隙のないスーツ姿の女性・真壁楓だ。真壁はプロとして周囲に鋭い視線を配りつつも、平和な少女たちのやり取りに少しだけ目元を和ませていた。
春の陽気に包まれた、完璧な聖域。
しかし、その外側の世界である日本中は今、底知れぬ暗い恐怖に包まれていた。
◇
ヒール屋の広々としたリビング。
ヒミコとアリスが楽しそうに特大のツナマヨおにぎりを頬張る平和な空間の片隅で、壁掛けの大型テレビが、春の陽気とは真逆の暗いニュースを連日報じ続けている。
画面のテロップには『幼児連続誘拐殺人事件・第3の犠牲者発見』の無機質な文字。
沈痛な面持ちのキャスターが、警察の捜査が完全に行き詰まっていることを告げていた。
画面に映し出されるのは、黄色い規制線が張られた薄暗い廃倉庫や、人けのない山中の祠。そこには、ブルーシートの隙間から、犯人が遺体を装飾するために置いたであろう、不気味なほど色鮮やかな花束だけが見え隠れしている。
マスコミに送りつけられた犯行声明文のフリップには、『天使たちを、汚れた大人たちの世界から解放する』という、活字の切り貼りで作られた猟奇的なメッセージが並んでいた。
防犯カメラの死角を完全に突き、現場には指紋も、DNAの欠片すら残されていない。
極限まで研ぎ澄まされた知能犯の悪意が、日本中を重苦しい恐怖で覆い尽くしている。
『これほど証拠が出ないとなると、犯人は魔法を使っているのではないでしょうか』
テレビ番組のコメンテーターが、深刻な顔でそんな憶測を語り出した。
それを見ていた三上が、少し不安げな顔で振り返り、ソファで新聞を読んでいる源田に尋ねた。
「ゲンさん、この犯人ってどんな奴なんですかね。本当に魔法を使ってるんでしょうか?」
源田は手元の新聞から目を離さず、無意識に自身の右膝をトントンと軽く叩いた。
「知らん。そんな底辺のゴミの事など、俺が興味を持つとでも思っているのか」
源田は冷たく言い放ち、一瞥もくれずに新聞のページをめくる。
「魔法の色が見たいなら、レイナにでも聞け」
源田に話を振られ、隣でネイルの手入れをしていたレイナが、テレビの不気味な映像に顔を顰めながら口を開いた。
「うーん、画面越しじゃ詳しい色までは分からないわね。でも、直接現場に行ったり、遺留品を心眼で見れば何か分かるかも」
そこへ、口の周りにご飯粒をつけたヒミコがとてとてと歩いてきて、ふとテレビの現場映像を見つめた。
そして、ぽつりと呟いた。
「この人、冷たい地下の匂いがする」
常人には理解不能だが、決して外れることのない聖女の直感。
得体の知れない猟奇殺人鬼の影が、平和な春の聖域に少しずつ近づいてくる不穏な空気が、リビングに静かに満ちていった。
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