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第80話 聖女の赦し

挿絵(By みてみん)


 首相官邸、特別応接室の前。

 アメリカ合衆国大統領クローバーは、SPたちを廊下に待機させ、傍らに立つハワードと短く視線を交わした。


「……行くぞ、ハワード。我が国の歴史に、最大の泥を塗る時間だ」


「大統領。これは泥ではなく、未来への種蒔きです」


 ハワードの言葉にわずかに頷き、クローバーは重い扉に手をかけた。

 超大国のトップとして、悪魔のような知略を持つ男に頭を下げ、国家のプライドを剥ぎ取られる。その壮絶な「死地」へ赴く覚悟で、彼は扉を押し開けた。


 しかし――。

 大統領の目に飛び込んできたのは、想像を絶するほどにシュールな光景だった。


「…………む?」


 日本の最高権力者であるはずの市ヶ谷百合子内閣総理大臣が、最高級のソファに腰掛け、なぜか両手で大事そうに『ツナマヨおにぎり』を持ち、上品にモグモグと頬張っていたのである。

 格式高い応接室に漂う、庶民的な海苔の香り。

 国家の命運を懸けた交渉の場に似つかわしくない空気に、クローバー大統領が呆然と立ち尽くしていると、真っ白なワンピースを着た少女がとてとてと歩み寄ってきた。


「アメリカのおじさん、こんにちは! 遠くから飛行機に乗ってきて、お腹ぺこぺこでしょ? はい、これシャケだよ!」


「オーゥ……シャケ……?」


 差し出された温かいおにぎりを、クローバー大統領は反射的に受け取ってしまった。

 混乱の極みにある大統領に対し、おにぎりを飲み込んだ市ヶ谷総理が「わかるわ、その気持ち……」とでも言いたげな、深い共感と諦めの入り混じった視線を送ってくる。


 だが、そのふんわりとした平和な空気は、次の一瞬で極寒へと変わった。


「席に着け、大統領」


 部屋の奥。腕を組み、静かに座っていた源田が口を開いた。

 深淵を思わせる鋭い眼光が大統領を射抜く。ただ座っているだけだというのに、その男が放つ威圧感は、束ねた国家権力すらも赤子のように感じさせるほどの圧倒的な『支配者』のそれだった。


 源田は大統領が向かいの席に座るや否や、テーブルの上を滑らせるようにして二枚の書類を突きつけた。


「一つ目は、俺達がかつてアメリカに滞在していた際、USアーミーを差し向けて襲撃してきた件に対する公式な謝罪文だ。二つ目は、不当な五十パーセントの追加関税の即時撤廃同意書」


 大統領が息を呑む。書類の文面は、アメリカという国家の非を百パーセント認め、一切の言い逃れを許さない冷酷で完璧なものだった。


「これは交渉ではない。過去に俺達へ牙を剥いたことに対する、落とし前だ」


 源田は冷徹な声で宣告した。


「大統領。まずは手の中のそのおにぎりを食べ終えてから、サインをしろ」


「……っ!」


 屈辱に手が震えた。しかし、背に腹は代えられない。ここで拒否すれば、アメリカは未来の覇権を失うのだ。

 クローバー大統領は、震える手でシャケのおにぎりを口に運んだ。

 ……美味い。

 絶望的なまでに惨めな状況だというのに、ふっくらと炊かれた米と程よい塩気のシャケが、胃の腑に温かく染み渡っていく。その理不尽なまでの美味しさが、大統領の目頭を熱くさせた。


 おにぎりを完食した大統領は、意を決して万年筆を手に取り、二枚の書類に力強くサインを書き込んだ。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、一人の男である源田と、その後ろに立つヒミコに向かって、深く、深く頭を下げた。


「……すまなかった。アメリカという国家を代表し、君たちへの過去の非礼を心から謝罪する」


 市ヶ谷総理とハワードが息を呑んで見守る中、重苦しい沈黙が落ちる。

 しかし、その沈黙を破ったのは、政治の重みなど一切解さない無邪気な声だった。


「おじさん、えらいね!」


 ヒミコがとてとてと大統領に歩み寄り、頭を下げる彼の大きな両手を、自分の小さな手でぎゅっと包み込んだ。


「アリスちゃんを学校に入れてくれてありがとうって、言いに来たんでしょ? 遠くからわざわざ謝りに来てくれて、おじさんってばすごくえらい! 私、アリスちゃんとすごーく仲良くするね!」


 一点の曇りもない、太陽のような笑顔。

 彼女は、大統領の抱えていた打算も、国家のドロドロとした罪も何もかもを飛び越えて、ただ「謝れたこと」を純粋に肯定してくれたのだ。

 その温もりに触れた瞬間、クローバー大統領の胸の内で渦巻いていた屈辱と敗北感は、嘘のようにスッと消え去っていた。


(ああ……そうか。私は軍門に降ったのではない。この少女の光に、赦されたのだ)


 大統領は、先ほどの苦渋に満ちた顔とは打って変わって、まるで憑き物が落ちたかのような穏やかな微笑みを浮かべた。

 過去の清算と、聖女の無条件の赦し。

 こうして、アメリカという超大国と「ヒール屋」は対等な立場での『同盟』を結び、世界は新たな時代へとその舵を大きく切ったのである。


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