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第60話 差し伸べられた手と、最後通牒

挿絵(By みてみん)


 装甲バスは、重々しいエンジン音を響かせながら、クライ国首都の目抜き通りをゆっくりと進んでいた。

 かつて連邦国の砲火に怯え、死の影に覆われていた街の景色は、今や完全に一変していた。沿道を埋め尽くす数十万の市民たちが、地鳴りのような歓声を上げながらバスの行く先を取り囲んでいたのだ。


 青空から降り注ぐのは、色とりどりの無数の花びら。

 戦火と泥濘の匂いを上書きするように、甘く優しい花の香りが風に乗って車内へと流れ込んでくる。

 窓の外では、老若男女を問わず人々が涙を流し、両手を天に掲げ、祈るように叫んでいた。5,459発もの「核」という絶対的な死の運命から自分たちを、そして世界を救ってくれた純白の少女への、狂おしいほどの感謝と賛美の嵐だった。


「……すごい熱気ね。まるで世界が生まれ変わったみたい」


 窓の外を警戒していた真壁が、圧倒されたように息を吐いた。

 運転席でハンドルを握る三上も、壁際に立つ剣崎も、周囲への警戒を怠らないプロの護衛でありながら、この神話のような光景に深く心を打たれていた。


 そして、深い眠りから完全に覚めたヒミコもまた、窓越しに群衆を見つめていた。

 普段の彼女の目には、他人は「お掃除する対象」か「数字」としてしか映っていなかった。けれど今は違う。涙で顔をぐしゃぐしゃにして笑う母親、肩車されて手を振る子供、抱き合って喜ぶ兵士たち。一人ひとりの「顔」が、彼女の網膜に焼き付いていく。


(……あったかい)


 ヒミコは、先ほど源田が作ってくれた、あの不格好なツナマヨおにぎりの温度を思い出していた。

 源田の不器用で優しい手のひらの温もりが、今、窓の向こうで歓声を上げる人々の熱量と、確かにリンクしていた。


 感情の欠落していた少女の胸の奥底で、「この人たちを助けてよかった」という、初めての自発的な喜びが静かに、けれど力強く芽生えていた。


 やがて、バスは大統領府前の広場に到着し、ゆっくりと停車した。

 その時だ。厳重な警備の隙間を縫って、一人の幼い少女がトテトテとバスに駆け寄ってきた。その小さな手には、一輪の白い花が握りしめられている。

 警備兵が慌てて止めようとするが、それより早く、動いたのはヒミコだった。


 普段なら無機質に周囲をやり過ごすだけの彼女が、自ら装甲バスの重い窓を開けたのだ。

 ヒミコは窓枠から身を乗り出し、おどおどとしながらも、花を差し出す幼い少女の小さな手を、自分の手でそっと握り返した。


「……ありがとう」


 ヒミコがぽつりと呟いたその瞬間。

 世界のすべてを浄化した反動で、灰のようにくすんでしまっていた彼女の髪が、陽光を浴びて弾けるように、再び神々しい白銀の輝きを取り戻した。


 その奇跡のような変化を、レイナの心眼ははっきりと捉えていた。

 ヒミコの魂の中心に宿っていた桜色の輝き。それが今、人々の純粋な祈りと感謝を受け取ることで、より鮮やかで、どこまでも温かな「黄金色」へと変化していくのを。


(……ヒミコはもう、ただの真っ白な人形じゃない。人間の心を持ったんだ)


 レイナの目に、熱い涙が滲む。

 その横顔を見ていた真壁、剣崎、三上の三人もまた、互いに無言で視線を交わし合った。

 これはもはや、一万円の報酬で請け負う単なるビジネスの警護ではない。人間としての温もりを知り始めたこの少女の、不器用な笑顔が消えない世界を作るための戦いなのだと。彼らは密かに、けれど誰よりも熱く誓い直していた。


          ◇


 大統領府の最上階。

 最敬礼で迎えるヴォロディン大統領の案内で、源田とヒミコは、何十万という群衆が見上げる巨大なバルコニーへと足を踏み入れた。


 二人の姿が現れた瞬間、広場を揺るがすほどの凄まじい歓声が沸き起こった。

 バルコニーの周囲には、世界中の報道機関のカメラがずらりと並び、この世紀の瞬間を全世界に向けて生中継している。


 誰もが感動に打ち震え、聖女の言葉を待ち望んでいた。

 だが、凄腕の弁護士である源田壮一郎は、この熱狂の渦中にあっても、冷徹なまでの理知を決して失っていなかった。

 むしろ、世界中の視線が集まるこの「特等席」こそが、彼が用意した最大の法廷だった。


 源田はヒミコの隣に立つと、彼女の白銀の頭を、優しく、けれど頼もしさを込めてポンと軽く叩いた。

 そして、マイクの前に進み出ると、世界中の中継カメラのレンズを、猛禽類のように鋭い目で見据えた。


 彼が口を開くと、凄まじかった群衆の歓声が、嘘のように静まり返った。


「連邦国大統領、グロモフに告げる」


 マイクを通した源田の低く冷たい声が、世界中のモニターに響き渡る。


「3日以内に、無条件降伏しろ」


 それは、和平交渉でも、慈悲の勧告でもなかった。

 法と力を背景にした、凄腕弁護士による世界に向けた最後通牒だった。


「俺達の依頼人は、貴様らの落としたゴミを掃除するのに随分と手間をかけさせられた。……貴様らの持っていた5,459発の『核』を失った今、世界を相手にしたその膨大なツケを払う方法は、その一つしか残されていないぞ」


 源田は不敵な笑みを浮かべ、カメラの向こうで恐怖に震える独裁者へと、引導を渡すように言い放った。


「時計の針は動いている。賢明な判断を期待するよ、大統領閣下」


 無垢なる奇跡で世界を救った純白の少女と、その横で不敵に笑う凄腕の弁護士。

 その姿は、長きにわたった血みどろの戦争を完全に終わらせる、新たな時代の支配者の誕生を告げていた。


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