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第55話 ゴミ掃除と、一万円の完遂

挿絵(By みてみん)


「……三上。剣崎」


 地獄の釜が開くような、恐ろしく低い声だった。

 源田は督戦隊の将校を真っ直ぐに睨み据えたまま、静かに宣告した。


「あいつらは客じゃない。ただの『ゴミ』だ。……お掃除の時間だ。一掃しろ」


 その言葉が落ちた瞬間、戦場の空気が一変した。

 装甲バスの屋根の上に、いつの間にか三上が降り立っていた。普段の温和な青年兵士の面影はどこにもない。

 彼が右手を天に掲げた途端、周囲の空間がパチパチと悲鳴を上げ始めた。


「了解しました、ゲンさん。……少々、やり過ぎます」


 三上の右手に、極大の魔力が収束していく。

 それは熱でも風でもない。純粋な「力の質量」が、大気そのものをミシミシと圧迫し、戦場にいる全員の鼓膜にキーンという痛みを走らせる。


「な、なんだあれは……っ! 撃て! あのバスごと蜂の巣にしろ!」


 将校がパニックに陥り、叫んだ。

 督戦隊の兵士たちが一斉にアサルトライフルや重機関銃を構える。

 だが、遅い。


 三上の手から、天を衝くほどの極太の青白い光線が撃ち出された。

 光は放物線を描くことすらなく、空間を直線に抉り取りながら督戦隊の陣地へと殺到する。

 轟音。いや、それは音が大きすぎて逆に無音に感じるほどの、絶対的な破壊の奔流だった。


 光の津波が陣地を撫でた瞬間、分厚い装甲車も、土嚢も、重機関銃も、まるで熱したフライパンに落ちたバターのようにドロドロに溶け、そして蒸発して消え去った。

 ただの平地へと変貌した自陣を見て、督戦隊の兵士たちは腰を抜かした。


「ひっ、化け物……!」


 将校が震える手で拳銃を構え直す。

 だが、彼が瞬きをした、ほんのコンマ一秒の隙だった。

 将校の視界から、バスの横に立っていたはずの着流しの剣士――剣崎の姿が、ふっと掻き消えた。


「どこへ行った!?」


 将校が辺りを見回す。右にも、左にもいない。


「……よそ見をするなと言ったはずだが」


 声は、将校の「真横の影」から聞こえた。

 振り返る暇すらない。空間を折りたたんで移動したかのように、突如としてそこに出現した剣崎の刃が、閃いた。


 鮮血は飛ばない。峰打ちだ。

 だが、その一閃で将校が握っていた拳銃は粉微塵に砕け散り、両腕の骨が嫌な音を立てて砕けた。


「あぎゃああああッ!?」


 将校が絶叫して吹き飛ぶ。

 それを見た他の兵士たちが、慌てて剣崎に銃口を向ける。だが、彼らが引き金を引いた時、その弾道上に剣崎はもういなかった。

 今度は、五メートル離れた別の兵士の背後。

 その次は、装甲車の残骸の上。


 歩く動作すらなく、点から点へ。

 残像すら残さない神出鬼没の転移魔法と剣技の前に、督戦隊は誰一人として反撃できぬまま、次々と武装を解体され、泥の中へと這いつくばらされていった。


 時間にして、わずか数十秒。

 先程まで戦場を支配していた傲慢な督戦隊は、完全に無力化され、うめき声を上げるだけの「ゴミの山」と化していた。


 静まり返った戦場に、泥を踏む小さな足音が響く。

 ヒミコだった。


 彼女は、胸を撃ち抜かれて泥の中に沈むアントンの傍らに、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 レイナが悲痛な顔で目を伏せる中、ヒミコはアントンの冷たくなった頬にそっと手を触れた。


「……お掃除、終わってない」


 ヒミコは、透き通るような声で呟いた。


「一万円、もらったから。壊れたままなのは、ダメ」


 ヒミコの両手から、かつてないほど濃密な白銀の光が溢れ出した。

 数千人を浄化する光とは違う。一人の人間に、ただ一つの命を繋ぎ止めるためだけに収束された、奇跡の奔流。


蘇生レイズ――!」


 光がアントンの体を包み込む。

 弾丸に砕かれた心臓が脈打ち始め、えぐれた肉が繋がり、泥に流れた血がまるで時間を逆行するかのように彼の体へと戻っていく。

 生と死の境界線など、彼女が受け取った「一万円の契約」の前には何の障害にもならなかった。


「……あ、ぁ……?」


 大きな吸気音と共に、アントンが目を見開いた。

 死の淵から引き戻された彼は、目の前にいる純白の少女を見上げ、それが夢ではないと悟ると、ボロボロと大粒の涙をこぼした。


「神様……ああっ、神様……!」


「ん。お掃除、おわり」


 ヒミコが満足そうに頷く。

 その光景を見届けた源田は、ポケットから数取器を取り出し、カチリ、と一度だけ鳴らした。


「一万円分の仕事は、何があっても完遂する。それが『ヒール屋』の流儀だ」


 源田はゆっくりと歩み寄り、腕を砕かれて地面に這いつくばる督戦隊の将校を見下ろした。

 その目は、再び冷酷な商人のそれに戻っていた。


「さて。俺の可愛い商品に泥を塗ったことへの『損害賠償』について……たっぷりと話し合おうか」


 絶望に染まる将校の悲鳴は、誰に届くこともなく、泥濘の戦場へと吸い込まれていった。



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