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第50話 瓦礫の病棟

挿絵(By みてみん)


 2月。

 クライ国の首都は、雪と硝煙が混じり合う、灰色の世界だった。


 ガタガタガタ……。

 瓦礫の山を避けながら、軍用の大型装甲バスが突き進む。

 窓の外には、爆撃で半壊したアパート群と、寒さに震えながら配給を待つ人々の列が流れていく。

 かつての美しい街並みは見る影もなく、色彩そのものが失われていた。


「……すっぱい」


 車内で、ヒミコが顔をしかめた。

 彼女の手には、大きなおにぎり。具は梅干しだ。

 外の地獄絵図など意に介さず、彼女は口の中の強烈な酸味と戦っていた。


「日本の梅干しは、気付け薬に最適だからな」


 隣で源田壮一郎が、タブレットの画面を指で弾いた。

 そこには、市内の病院リストと、収容されている負傷者の概算人数が表示されている。


「空港で待っていても効率が悪い。こっちから出向いて、まとめて『受注』するぞ。……三上、次の現場まであとどれくらいだ?」


「もう着きます! 地下鉄の駅を改装したシェルター病院ですね」


          ◇


 到着した地下病院は、静寂に包まれていた。

 だが、それは平穏な静けさではない。呻き声を上げることすら諦めた、死を待つだけの重苦しい沈黙だった。

 廊下にまで簡易ベッドが溢れ、薬品の匂いと腐敗臭が充満している。


「……うわぁ」


 バスから降りたレイナが、思わずサングラスを押さえた。

 彼女の『心眼』には、病院全体がドロドロとした漆黒の液体――死と絶望の「すす」で塗り潰されているように見えたのだ。


「息が詰まりそうね。……ここ、掃除し甲斐があるわよ」


「建物も限界だな」


 真壁楓が天井を見上げた。

 度重なる爆撃の衝撃で、コンクリートの梁には亀裂が走り、いつ崩落してもおかしくない状況だ。


「……支えるぞ」


 真壁が片手を掲げる。

 『絶対防御』の光が柱のように伸び、崩れかけた天井を無音で固定した。

 物理的な安全が確保された空間に、源田が革靴の音を響かせて踏み込んだ。


「誰だ! ここは部外者立ち入り禁止だぞ!」


 疲れ切った医師が立ち上がろうとするが、源田はそれを片手で制し、拡声器を使わずに声を張り上げた。


「騒ぐな。今から日本の聖女が、ここの全員を完治させる」


 その言葉に、虚ろな目をした患者たちが一斉に顔を上げた。


「ただし、これは慈善事業ではない。契約だ」


 源田は冷徹に告げた。


「治療費は一人につき一万円。支払いは日本政府が全額代位弁済(肩代わり)する。つまり、お前たちは一銭も払う必要はないが、書類上の手続きは必要だ。……三上、名簿を配れ。名前を書いた奴から順番に『お掃除』だ」


 慈悲ではない。商売だ。

 その事務的な響きが、逆に人々の心に奇妙な安心感を与えた。

 自分たちは哀れな被災者ではなく、正当な対価を払われる「顧客」なのだという尊厳が、死に絶えていた瞳にわずかな光を灯した。


          ◇


 病室の奥。

 一人の少年が、薄汚れた毛布にくるまっていた。

 10歳くらいだろうか。

 先日のドローン空爆で両足を失い、さらに両親の安否も不明のまま、ここで独り震えていた。

 彼の瞳は完全に光を失い、ただ虚空を見つめている。

 心の煤が、彼の生きる気力そのものを覆い隠してしまっていた。


「……あ」


 少年の前に、影が落ちた。

 顔を上げると、自分と同じくらいの背丈の少女が立っていた。

 手には、食べかけのおにぎり。


「……すっぱい」


 ヒミコは口をすぼめながら、少年の頬に触れた。

 その手は温かく、そして梅干しの匂いがした。


「……ん。ここ、煤がいっぱい。真っ暗だね」


 ヒミコが悲しげに眉を寄せた。


「お掃除、するよ」


 カッ……!!


 地下の薄暗い病室に、太陽が昇ったかのような白銀の光が溢れ出した。

 それは温かく、優しく、少年の体を包み込む。

 痛みという名の汚れが拭い去られていく。

 失われたはずの足の感覚が、つま先から太ももへと、急速に戻ってくる。

 それだけではない。

 恐怖で凍りついていた心臓が、ドクンと力強く脈打ち始めた。


 光が収まると、そこには両足が再生し、頬に血色が戻った少年がいた。


「……え?」


 少年は、恐る恐る毛布をめくった。

 ある。足がある。

 彼は震える足で床を踏みしめ、ゆっくりと立ち上がった。

 立てた。歩ける。


「……天使、さま?」


 少年が涙を流して呟くと、ヒミコは「ん?」と首を傾げ、手に持っていたおにぎりを差し出した。


「お腹すいた? これ、半分こする? すっぱいけど」


 その無垢な笑顔に、少年は声を上げて泣きじゃくり、ヒミコに抱きついた。

 もらい泣きをした看護師たちが、口々に祈りの言葉を叫び始めた。


          ◇


「治った……! 俺の腕が動くぞ!」


「目が見える! 光が見える!」


「ママ! ママぁ!」


 連鎖反応のように、次々と歓喜の声が上がった。

 ヒミコが歩くたびに、漆黒の煤が払われ、地下シェルターが温かい光の色に塗り替えられていく。

 その熱狂は、地下から地上へと伝播した。


 やがて、治療を終えてバスに戻ろうとする一行を、数千人の市民が取り囲んだ。

 それは4年間の地獄を耐え抜き、ようやく「明日」を手に入れた人々の、魂の底から絞り出されたような叫びだった。


 ウオォォォォォォォォォッ!!


 地響きのような大歓声が、灰色の空を揺るがす。


「……うるさいな」


 源田は眉一つ動かさず、手元の数取器カウンターをカチリと鳴らした。


「この病院だけで500人。……五百万、日本政府への請求書に追加しておけ」


 源田は事務的にそう告げたが、その口元はわずかに緩んでいた。

 三上が運転席でエンジンをかける。


「ゲンさん、次の現場へ急ぎましょう! まだ予約客かんじゃは山ほどいますよ!」


「ああ。稼ぎ時だ。行くぞ」


 大歓声と涙に見送られながら、装甲バスは再び瓦礫の街へと走り出した。

 その背中は、どんな最新兵器よりも頼もしい希望として、人々の目に焼き付いていた。


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