第49話 泥濘の再生
クライ国軍用空港の「特設カウンター」から見える景色は、鉛色の空と、黒煙を上げる大地だけだった。
連邦国による侵攻開始から、丸4年が経過していた。
当初、数日で終わると予想されていた「特別軍事作戦」は、いまや21世紀最大かつ最悪の泥沼の消耗戦へと変貌していた。
東部および南部の戦線。
そこは地図上では数ヶ月間、ピクセル単位の変化しか起きない膠着状態にあった。だが、その実態は「肉挽き機」と呼ばれる地獄だった。
両軍が数キロに渡って掘り進めた塹壕。
降り注ぐ砲弾の雨。
波状攻撃を繰り返す歩兵たちが、機関銃とドローンの標的となり、肉片となって泥濘に沈んでいく。
連邦国の死傷者数は、この4年間で120万人に達したと推計されていた。
もはや命は、作戦地図上のリソース(資源)として消費されるだけの数字に成り下がっていた。
◇
さらに悲惨なのは、ここから北東へ数百キロ離れた国境地帯だ。
クライ国軍が、将来の和平交渉のカードとして決死の覚悟で維持している「連邦国領内」の占領地域。
そこは、文字通りの月面だった。
かつての豊かな穀倉地帯は、無数のクレーターによってえぐり返され、自国領土の奪還に執念を燃やす連邦軍の猛攻に晒されていた。
最新鋭の戦車が鉄屑となって燃え上がり、その横で第一次世界大戦さながらの泥臭い白兵戦が行われている。
境界線付近は、極寒の雪によって凍りついた死体の山で埋め尽くされ、どちらが勝っているのかさえ判別不能なカオスと化していた。
◇
「……寒い」
空港の滑走路で、ヒミコが息を白くさせた。
気温はマイナス20度。
だが、この寒さは自然のものだけではない。
クライ国全土を覆う「暗闇」が、人々の体温を奪っていた。
連邦軍は、前線の膠着を打破するために、後方のインフラ施設への飽和攻撃を継続していた。
数百機の自律型攻撃ドローンと巡航ミサイルが、連日連夜、発電所や変電所を破壊し続けているのだ。
暖房も、明かりも、水道も止まった都市。
窓ガラスが割れたアパートで、老人が毛布にくるまり、凍えながら朝を待つ。
その頭上を、不気味な羽音を立てて死神が飛び交う。
◇
「……色がない」
レイナが、サングラスの奥で顔を歪めた。
彼女の『心眼』に映る世界は、もはや正常な色彩を保っていなかった。
「120万人分の怨念と、今生きている人たちの絶望が混ざり合って……空全体が、ドロドロとした黒い粘液みたいな『煤』で覆い尽くされているわ」
彼女が見ているのは、物理的な硝煙ではない。
4年間にわたって積み上げられた、巨大な負の感情の集積だ。
それは呼吸するだけで肺を焼くような、重苦しい閉塞感となって世界を圧迫していた。
「……お嬢。大丈夫か?」
真壁が心配そうに声をかける。
ヒミコは、おにぎりを握る手を止めていた。
彼女は大地を見つめていた。かつて美しかったはずの黒土から、悲鳴のような振動が伝わってくる。
「……地面が、泣いてる」
ヒミコがポツリと言った。
「政治とか、国とか、わからない。でも、ここはずっと痛いって言ってる。……壊れちゃうよ、このままじゃ」
西側諸国からの支援。連邦国への制裁。和平への模索。
それら大人の事情すべてが、この「人的消耗」という名の怪物の前では無力だった。
ただひたすらに、人間と鉄がすり潰されていくだけの時間。
◇
「……だからこそ、商機がある」
冷徹な声が響いた。
源田壮一郎だ。
彼はザハル将軍から受け取った戦況報告書を、まるで企業の決算書のように眺めていた。
「120万人が死に、さらに数百万人が寒さで死にかけている。インフラは崩壊し、物流は止まり、希望は底をついている」
源田は、凍てつく戦場を見渡した。
その目には、同情も恐怖もない。あるのは、巨大な市場を見つけたビジネスマンの計算だけだ。
「いいか、将軍。俺にとって、これは『人道危機』じゃない」
「な、なら何だと言うのだ……?」
「莫大な『潜在顧客』の山だ」
源田は、タブレットをタップしニヤリと笑った。
ザハル将軍は絶句した。
この男は、地獄すらも「一万円」という規格でパッケージングしようとしている。
「……ヒミコ」
源田が呼ぶ。
ヒミコは、ゆっくりと立ち上がった。
「……ん」
「仕事だ。世界中の煤を集めてこい。一枚一万円で、すべて領収書を書いてやる」
ヒミコは頷き、鉛色の空に手をかざした。
その小さな掌から放たれる光だけが、この泥濘の中で唯一の、嘘偽りのない「希望」だった。
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