第45話 一万メートルの攻防
連邦国首都、クレムリノ大宮殿。
その地下深くにある戦略指令室は、重苦しい静寂に包まれていた。
巨大なモニターには、ユーラシア大陸へと接近する一機の航空機――日本の政府専用機の航跡が表示されている。
「……聖女か」
革張りの椅子に深く腰掛けた男が、低い声で呟いた。
連邦国大統領、グロモフ。
かつて情報機関に所属していたという経歴を持つ彼は、氷のように冷徹な瞳でモニターを見据えていた。その眼光には、2014年のミリア半島併合以来、膨れ上がり続けてきた野心と、それを阻む者への容赦ない殺意が宿っていた。
「たかが東洋の小娘一匹に、我が国の崇高な計画を邪魔させるわけにはいかん。……やれ」
「はっ。公海上です。撃ち落とせば『機体トラブルによる不幸な事故』として処理できます」
軍の将軍が頷き、コンソールのボタンを押した。
「最新鋭の極超音速ステルスミサイルだ。魔法使いとやらが反応する暇もなく、鉄屑に変えてやる」
グロモフ大統領が指先で合図を送る。
数千キロ離れた空域で、見えない死神が鎌を振り上げた。
◇
高度一万メートル。
政府専用機の和室スペースでは、平和な時間が流れていた。
「……ん。ごちそうさま」
ヒミコは最後の一粒まで米を食べ終え、満足げに茶を啜った。
そして、何気なく窓の外を見る。
「……お空、黒いのが飛んでくる」
その呟きに、座席でくつろいでいたレイナが弾かれたように飛び起きた。
サングラスを投げ捨て、窓にへばりつく。
「!! 三時の方向、下! ドス黒い殺意の塊が二つ、超高速で接近中! ステルスね、レーダーには映らないわ!」
「なっ……ミサイルか!?」
剣崎蒼司が即座に立ち上がり、叫んだ。
「総員、戦闘配置! 三上、迎撃! 真壁、張れ!」
「む、無理ですよ! あんな速いの、ビームじゃ狙えません!」
三上翔が窓の外を見て絶叫する。
雲を切り裂き、肉眼では捉えきれない速度で迫る二つの影。
回避行動など間に合わない。
着弾まで、あと数秒。
「……三上、下がってろ」
真壁楓が、静かに前に出た。
彼女は機体の中央通路に立ち、両手を大きく広げた。
かつて、警察という組織に裏切られ、守るべきものを失った元刑事。
だが今は違う。彼女の背中には、世界で唯一の奇跡と、それを必要とする数千万人の命がある。
「……私の前では、何者も傷つかない」
真壁の瞳が青白く輝いた。
「『絶対防御』、全領域展開!」
カッ……!!
政府専用機の機体を包み込むように、巨大なハニカム構造の光壁が出現した。
それは物理法則を拒絶する、不可視の要塞。
直後。
ドォォォォォォォン……ッ!!
二発のミサイルが、機体のわずか数メートル手前で「見えない壁」に激突し、爆散した。
凄まじい閃光と爆風が空を焼く。
だが、防壁の内側にある機体は、揺れ一つしなかった。
コーヒーカップの水面さえ波立っていない。
◇
「……な、なんだと!?」
連邦国の地下指令室。
モニターに映し出された映像に、将軍が悲鳴を上げた。
爆煙の中から、無傷の政府専用機が悠然と姿を現したからだ。
「ちょ、直撃したはずだ! なぜ墜ちない!? 装甲はどうなっている!?」
「物理法則が……通じていないというのか!?」
グロモフ大統領が、握りしめていたウォッカのグラスを叩き割った。
ガシャリ、と音が響く。
現代兵器の粋を集めた攻撃が、たった数人の「民間人」に無効化された。
その事実は、彼らが信じてきた「力こそが正義」という根底を揺るがす恐怖となって、グロモフの背筋を凍らせた。
「……あの飛行機には、化け物が乗っているのか」
◇
機内。
窓の外の黒煙が晴れていく。
「……ふぅ。意外と、いけるものだな」
真壁が小さく息を吐き、自分の手を見つめて微笑んだ。
三上は腰を抜かして座り込み、剣崎は無言で刀の鯉口を切っていた親指を戻した。
「おい、三上。ペンと帳面を出せ」
静寂の中、源田の声だけがいつも通り響いた。
「ミサイル二発の迎撃代、一万円。……いや、専用機の修繕費数億円を浮かせた分を含めても、一万円だな」
源田はサラサラと領収書を書き上げ、ピリリと破いた。
「市ヶ谷総理に請求しておけ。名目は『機体外部清掃費』とでもしておけ」
命のやり取りがあった直後でも、値段は変わらない。
そのブレなさに、真壁たちは苦笑し、そして心底安堵した。
「……んぅ」
和室スペースから、寝息が聞こえる。
ヒミコは、外の爆発音など意に介さず、満腹になって畳の上で丸くなっていた。
「……大したタマだ」
源田は窓の外、遥か彼方に見え始めた灰色の大地――戦場を見据えた。
「行くぞ。仕事の時間だ」
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたら、下の【★★★★★】と【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、執筆速度が爆上がりします。
何卒、よろしくお願いいたします!




