第44話 魔導の翼
羽田空港、特別格納庫。
厳重な警備が敷かれたその巨大な空間に、日の丸を尾翼に掲げたボーイング777――日本国政府専用機が鎮座していた。
通常ならば皇族や首相のみが搭乗を許される「空飛ぶ官邸」だ。
だが今日、その主役は政治家ではない。
「……おい、この請求書は何だ」
タラップの下で、外務省の官僚が震える声で尋ねた。
源田壮一郎は、分厚いファイルを淡々と突きつけた。
「必要経費だ。パイロットの危険手当、一人あたり一万円。キャビンアテンダントの精神衛生管理費、一人一万円。機内清掃代、一万円。そして――」
源田は電卓を叩いた。
「この飛行機が空を飛んでいる間、ヒミコの安全を管理する『出張管理費』として、一分ごとに一万円を加算させてもらう」
「い、一分一万円!? 時給六十万円か!? ぐ……ッ! 総理の決済は降りている……好きにしろ!」
官僚は涙目でハンコを押した。
源田は満足げに頷き、機内へと足を踏み入れた。
◇
機内、貴賓室。
そこは今、一触即発の戦場と化していた。
「……遅い」
剣崎蒼司の声が響く。
彼は抜刀こそしていないが、鞘を構えただけで空間を支配していた。
「三上。貴様、ビームの照準が甘いぞ。今のタイミングで撃てば、敵ではなく外壁を貫通していた。高度一万メートルで穴が空けば、全員即死だ」
「ひぃぃぃッ! わ、わかってますよ! でも機内でビームとか怖すぎるでしょ!?」
三上翔が脂汗を流しながら叫ぶ。
指先には微弱な魔力が灯っているが、震えて定まらない。
「外してはいけない」というプレッシャーが、地上の比ではないのだ。
「真壁。盾の展開範囲が広すぎる」
剣崎の視線が、元刑事の真壁楓に向く。
「通路を塞げば、味方の動線も潰すことになる。敵の銃弾だけを弾き、こちらの攻撃を通す『選別』の精度を上げろ」
「……くッ、言うのは簡単だがな!」
真壁が歯噛みしながら、『絶対防御』の膜を再構成する。
狭い機内、逃げ場のない密室。
ここでヒミコを守り抜くには、繊細かつ完璧なコントロールが求められる。
「……来るわよ」
窓際の座席で、サングラスをかけたレイナが呟いた。
「雲の中。三時の方向、下。……殺気を持った『鳥』がいるわ」
彼女の『心眼』は、機体の外壁をも透過し、遥か彼方の空域さえも監視していた。
これはシミュレーションだ。だが、彼らの目は本気だった。
クライ国へ向かう空路は、決して安全な旅ではない。連邦国の戦闘機や、未知の兵器がいつ襲ってくるかわからないのだ。
「……ふぅ。休憩だ」
剣崎が構えを解くと、三上はその場に崩れ落ちた。
「し、死ぬかと思った……。なんで僕、オタクなのに特殊部隊みたいな訓練してるんだろ……」
「諦めろ。一万円貰った以上、プロの仕事だ」
真壁が汗を拭いながら、苦笑して三上の背中を叩いた。
◇
そんな殺伐とした訓練が行われているすぐ横で。
ヒミコは、市ヶ谷総理が特設させた「和室スペース(畳敷き)」で、目を輝かせていた。
「……ゲンさん、見て。すごい」
彼女の目の前には、築地の高級店から取り寄せた極上の具材が並んでいた。
ルビーのように輝くいくら。
脂の乗った厚切りの焼き鮭。
艶やかな日高昆布。
そして、ジャンクな魅力を放つ明太マヨネーズ。
「これが空のおにぎり?」
「ああ。総理からの差し入れだそうだ」
「……ん。豪華」
ヒミコは、まず明太マヨネーズに手を伸ばした。
高級食材よりも、味の濃いマヨネーズに惹かれるあたりが、現代っ子の舌だ。
炊きたての銀シャリを小さな手で握り、具材をたっぷりと詰め込む。
「……あむ」
一口食べる。ヒミコの頬が緩み、背景に花が飛んだような幻覚が見えた。
「おいしい。……ねぇ、ゲンさん」
「なんだ」
「空の上でおにぎり食べたら、お空の味がするかな?」
「気圧の関係で味覚が変わるらしいがな。……まあ、いつもの味だろ」
「そっか。……外国にも、おにぎりある?」
ヒミコが不安そうに尋ねる。
彼女にとって、戦争よりも「現地におにぎりがあるか」の方が重大な懸念事項だった。
「パンしかないなら、自分で握るからいいけど」
「安心しろ。米俵ごと積んである。お前が一生食べても無くならない量だ」
「……ん。それなら、戦える」
ヒミコは納得して、次はいくらのおにぎりを握り始めた。
◇
『……こちら機長。当機はまもなく離陸いたします。シートベルトをお締めください』
アナウンスが流れる。
エンジン音が唸りを上げ、機体が振動を始めた。
いよいよ、日本を出る。
三上は顔を青くして座席にしがみつき、真壁は静かに目を閉じ、剣崎は腕を組んで不動の姿勢を取る。
レイナは窓の外を睨みつけ、あらゆる脅威を見逃さないよう神経を尖らせている。
源田は、新しく用意した「海外出張用」の領収書帳を開いた。
通貨単位は、頑なに「¥(円)」のままだ。
「全世界だろうが、大統領だろうが関係ない」
G(重力)がかかり、機体がふわりと浮き上がる。
「俺たちがやることは、一万円を受け取って掃除をする。ただそれだけだ」
眼下に、小さくなっていく東京の街並みが見えた。
ボロボロの洋館も、もう豆粒ほどにしか見えない。
「……いってきます」
ヒミコは窓に手をつき、小さく呟いた。
政府専用機は白い雲を突き抜け、西の空へと消えていった。
聖女の力が、ついに国境を越える。
それは世界がひっくり返る、大掃除の始まりだった。
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