第42話 大統領の領収書
その日、港区の洋館周辺は、かつてない物々しさに包まれていた。
上空を旋回する警視庁のヘリコプター。通りを完全に封鎖する機動隊の装甲車。そして、屋根の上に配置されたSATの狙撃手たち。
この厳戒態勢は、単なるVIPの警護ではない。国家元首クラス――それも、現在進行形で戦争の渦中にある国のトップが訪れている証だった。
洋館のリビング。
そこに現れたのは、テレビで見ない日はない「時の人」だった。
クライ国大統領、ヴォロディン。
外交用のスーツではなく、戦時下であることを示すオリーブ色のフリースを着ている。その顔には、不眠不休の指揮による深い疲労と、決して折れない強烈な意志の光が宿っていた。
その隣には、彼を案内してきた日本国内閣総理大臣、市ヶ谷百合子の姿もあった。
「……ここが、噂の『聖女』の住処ですか」
ヴォロディン大統領は真っ直ぐにヒミコを見つめていた。
「初めまして、聖女ヒミコ殿。……突然の無礼を許してほしい。だが、我が国にはもう時間がないのだ」
◇
部屋の隅で、レイナがサングラスを少しだけずらした。
『心眼』で大統領を見る。
「……悲痛な色ね」
レイナが小声で、隣の真壁に耳打ちする。
「何万人もの国民の悲鳴と、絶対に国を守るっていう執念が混ざり合って……真っ青な炎みたいに燃え上がってるわ。あんな重い色、普通の人なら押し潰されて死んでる」
ヒミコの手が止まっていた。
大好きなおにぎりを皿に置いたまま、じっと大統領を見つめている。
彼女には見えていた。大統領の背後に広がる、戦火に焼かれた大地と、そこから立ち上る膨大な「黒い煤」が。
「……おじさん、すごく痛そう」
ヒミコが呟く。
「体じゃなくて、心が煤だらけ。……あっちの国のみんなも、苦しんでる。泣いてる」
ヒミコは立ち上がり、源田の袖を引いた。
「ゲンさん。あっちのみんなも、お掃除してあげたい。……届かないの、ここからじゃ」
その言葉に、ヴォロディン大統領が目を見開いた。
彼はその場に膝をつき、なりふり構わず頭を下げた。
「頼む……! その力が本物なら、我が国の兵士を、傷ついた国民を救ってくれ! 連邦国の暴力に晒されている罪なき人々を、君の奇跡で癒やしてほしい!」
「大統領!」
市ヶ谷総理が慌てて駆け寄ろうとするが、それより速く、源田の声が響いた。
「……大統領閣下。顔を上げてください」
冷ややかな声だった。
源田は腕を組み、冷徹に告げた。
「ここは外交の場でも、ボランティアセンターでもない。ただの『店』だ」
「なっ……源田さん! 相手は一国の元首ですよ!」
市ヶ谷総理が柳眉を逆立てるが、源田は意に介さない。
「ヒミコの善意に甘えるな。一人の治療に一万円。それがこの店の鉄の掟だ」
「金なら払う! いくらだ!? 外貨準備高からでも、私の個人資産からでも――」
「一万円だと言っている。……だが、あんたが救いたいのは一人じゃないだろう?」
源田は、大統領の背後に透けて見える「数千万人の国民」を見据えた。
「国を救えだと? 数万人、数百万人の治療を『ツケ』でやれというのか? 冗談じゃない。そんな巨大な『無料奉仕』は、うちのバランスシートには載せられない」
「そ、それは……しかし、今すぐ全額を用意することは……」
大統領が言葉に詰まる。戦時下の国家に、即金で数億、数百億円を用意する余裕などあるはずがない。
沈黙が流れた。
ヒミコは悲しげに大統領を見ている。彼女は救いたい。だが、ルール(一万円)がそれを阻んでいる。
「……折衷案だ」
源田が、視線を大統領から市ヶ谷総理へと移した。
その目は、商談相手を見定めるロイヤーの目だった。
「どうしても彼女を動かしたいなら、日本国が負担しろ」
「……はい?」
市ヶ谷総理が目を丸くした。
「クライ国の兵士、被災した国民、一人につき一万円。その人数分を、日本政府が『治療代』として肩代わりする。それなら仕事として受けてやる」
「な……何を馬鹿な! 民間企業の治療費を国家予算で出せと言うのですか!?」
「ただの治療費じゃない。『人道支援』だろ?」
源田は不敵に笑った。
「武器を供与すれば連邦国を刺激する。だが、医療支援なら角が立たない。しかも『聖女の奇跡』を日本が独占的に提供したとなれば、戦後の復興利権においても、外交的な立場においても、日本は最強のカードを手に入れることになる」
「ッ……」
市ヶ谷総理の顔色が変わった。
計算している。政治家としての脳が、瞬時に損得を弾き出している。
一人一万円。仮に百万人を救っても百億円。
戦闘機一機分の値段より安い。それで、クライ国全土を救い、国際社会でのイニシアチブを握れるとしたら――。
「……安すぎる買い物ね」
市ヶ谷総理は、覚悟を決めた顔で言った。
「わかったわ。日本国が全額負担しましょう。その代わり、最高の結果を出しなさい。領収書の宛名は『日本国政府』でね」
「契約成立だ」
源田が大統領に向き直った。
「聞いたな、大統領。あんたの国民の治療費は、日本が持つことになった。……これで、あんたたちは『一万円を持った客』だ」
大統領は震えていた。
屈辱ではない。極東の島国で、こんな奇妙な形での支援が決まったことへの驚愕と、感謝に打ち震えていた。
「……感謝する。我が国民に代わって、心から」
◇
「……ん。じゃあ、まずは一人目」
ヒミコが歩み寄り、膝をついたままの大統領の肩に、小さなおにぎりの手跡がついた掌を乗せた。
「おじさん、頑張りすぎ。心のお掃除、するよ」
カッ……!!
柔らかく、しかし力強い白銀の光が大統領を包み込む。
彼が数ヶ月間背負い続けてきた、国を失うかもしれない恐怖。兵士を死地へ送る罪悪感。睡眠不足による肉体の悲鳴。
それらが、熱いシャワーで洗い流されるように溶けていく。
「あ……ああぁ……」
大統領の目から、大粒の涙が溢れ出した。
体が軽い。頭がクリアだ。
絶望の淵にいた心が、再び戦えるだけの熱を取り戻していく。
「……はい、お掃除終わり」
光が収まると、そこには若返ったかのような精悍な顔つきのリーダーがいた。
「……すごい。これが、聖女の力か……」
大統領が自分の手を見つめる。
源田は懐から領収書帳を取り出し、サラサラとペンを走らせた。
そして、それをピリリと破り取り、大統領ではなく市ヶ谷総理へと差し出した。
「毎度あり。まずは一人目。一万円、確かにいただいた」
市ヶ谷総理は、その薄っぺらい紙切れを受け取り、複雑そうに苦笑した。
そこにはこう書かれていた。
領収書
様:日本国政府
金額:¥10,000
但し書き:クライ国人道支援費(初回)として
「……さて、残りの数千万人の予約はどうする? 総理」
「……財務省と調整するわ。覚悟しておきなさい、源田さん。国を相手にするってことは、骨が折れるわよ」
こうして、聖女ヒミコの力は、「国家予算」という燃料を得て、海を越えることになった。
それは、世界が初めて目撃する「一万円の奇跡の輸出」の始まりだった。
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