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第4話 情報の奔流

挿絵(By みてみん)

 

 デジタルという名の情報の海は、一度火がつくと止める術を知らない。


 深夜の新宿、その薄暗い路地裏で起きた出来事は、一人のキャバクラ嬢の投稿によって、瞬く間に世界を駆け巡っていた。


「【驚愕】歌舞伎町の路地裏に本物の魔法使いいたwwww」


「動画マジならノーベル賞確定だろこれ」


「どうせ巧妙なCG。最近の加工アプリを舐めるな」


 ネット掲示板やSNSでは、秒刻みで新しい書き込みが溢れ、一つの「現象」が作り上げられていた。


 ---


【悲報】歌舞伎町の『ヒール屋』、ガチで魔法使いか加工詐欺かでネット民大論争


 1: 名無しの歌舞伎町民

 あの動画見た?ヘアアイロンの火傷が一瞬で消えてるやつ。


 2: 名無しの検証マニア

 どう見てもCG。今のディープフェイク技術ならあんなの余裕。


 3: 名無しの通りすがり

 いや、俺さっきあそこ通りかかったけど、ガチで髪の白いヤバい美少女座ってたぞ。


 4: 名無しの現実主義

 現場にサクラ置いてるだけだろ。JSを使った新しいタイプの特殊詐欺だよ。


 ---


 そんな喧騒を加速させるように、一人の男が動いた。

 チャンネル登録者数二百万を超える超大物検証系配信者、ハヤトだ。彼は「世の中のインチキを暴く」をモットーに、数々の偽超能力者や詐欺師を晒し上げてきた、ネット界の断罪人だった。


「はい、どうも皆さん。今、話題の『ヒール屋』の前に来ています」


 ハヤトは自撮り棒を掲げ、夜の路地裏に足を踏み入れいた。背後には高性能なカメラを構えたスタッフも控えている。彼のライブ配信には、すでに十万人を超える同時視聴者が集まっていた。


「正直、僕の目は誤魔化せませんよ。特殊メイクか、光の反射を利用したトリックか。生配信でその正体を完全に暴いてやります」


 視聴者のコメント欄が、期待と冷やかしの言葉で埋め尽くされていく。


『ハヤトさん、徹底的にやってくれ!』


『ガキ相手に大人げないけど、偽物は許せねえ』


『これでもし本物だったらどうすんの?w』


 ハヤトの目の前に、室外機の風に吹かれる白い少女が現れた。

 ヒミコは、相変わらず古新聞の上に座り、隣に置かれたおにぎりの袋をじっと見つめていた。その横では、ゲンが今にも逃げ出したいような顔で震えている。


「おい、嬢ちゃん。君が魔法使いを名乗っている子かな?」


 ハヤトはわざとらしい笑みを浮かべ、カメラのレンズをヒミコの至近距離まで寄せた。

 ヒミコはゆっくりと顔を上げた。

 銀色の瞳が、ハヤトの瞳と、その向こう側にいる数十万人の視線を真っ向から受け止める。

 だが、そこには恐怖も、虚栄心も、計算もなかった。

 ただ、どこまでも透き通った、静謐な湖のような平穏があるだけだった。


「ヒール屋です。一回一万円。……やる?」


「ははっ、威勢がいいね。じゃあ、これをお願いしようかな」


 ハヤトは、自分の左手に巻かれたサポーターを外した。

 そこには、一週間前の格闘技の練習中に負った、酷い剥離骨折の痕があった。青黒く腫れ上がり、指を動かすことすらままならない。彼はこれで「本物の痛み」を盾にして、少女のトリックを封じ込めるつもりだった。


「これ、全治三ヶ月って診断されてるんだ。もしこれが今すぐ治るなら、この場で一万円でも百万円でも払ってやるよ」


 配信のコメント欄が加速する。


『うわ、ガチの怪我じゃん』


『これは逃げられないw』


『ヒール屋ちゃん、詰んだな』


 ヒミコは無言で、ハヤトの腫れ上がった手に触れた。

 その指先が触れた瞬間、ハヤトは自分の肌が「清浄な氷」に触れたような錯覚に陥った。

 冷たいのではない。内側から熱を奪い、鎮めていくような、未知の感覚。


「――『治癒ヒール』」


 ヒミコの唇が、音にならない音を紡いだ。

 その瞬間、高画質のレンズが、そしてハヤト自身の目が、信じられない光景を捉えた。


 掌から溢れ出したのは、朝霧のような白い光だった。

 それはハヤトの腕を這い回り、腫れを吸い取り、皮膚の下で歪んでいた骨を、あるべき場所へと誘導していく。

 ミシミシ、という音が、ハヤトの脳内に直接響いた。


「え、あ、……えええ!?」


 ハヤトの叫び声が、路地裏に響き渡る。

 カメラの前で、青黒い痣が霧が晴れるように消えていく。

 それだけではない。一週間、片時も離れなかった疼くような激痛が、完全に消失したのだ。


「動く……。嘘だろ、指が、動くぞ!」


 ハヤトは狂ったように指を屈伸させた。

 サポーターなしでは激痛が走っていたはずの手が、まるで一度も怪我などしたことがないかのように、軽やかに動く。

 彼は配信のことを忘れ、自分の手を何度も確認し、そして目の前の少女を見た。


 ヒミコは、ただ掌を広げていた。


「一万円。約束したから」


「あ、ああ……。……おい、スタッフ! 財布! 一万、いや、あるだけ出せ!」


 ハヤトは震える手で札束を受け取り、そこから抜き取った一万円札をヒミコに捧げるように渡した。彼の顔からは先ほどの傲慢さは消え失せ、代わりに言いようのない畏怖が刻まれていた。


 その瞬間、ネットの世界は「爆発」した。


 ---


【神回】配信者ハヤト、ヒール屋にガチの骨折を治される。やらせなしの生中継。


 15: 名無しの目撃者

 おい、今の見たか? 光った。ガチで光って治ったぞ。


 16: 名無しのCG職人

 無理。今のをリアルタイムの生配信で加工するのは世界最高のスパコンでも無理。


 17: 名無しの信奉者

 聖女だ……。新宿に、本物の聖女が降臨したんだ……。


 18: 名無しの懐疑派

 待て、まだ信じられん。ハヤトもグルなんじゃないか?


 19: 名無しの医療従事者

 あの手の腫れ方は偽装できるレベルじゃない。あれが本当なら、医学の教科書が全部ゴミになる。


 ---


 だが、そんな狂乱を余所に、ヒミコは手に入れた一万円札を大切そうに懐へしまった。

 彼女にとって重要なのは、自分が起こした奇跡の重みでも、画面の向こう側の熱狂でもなかった。


「ゲンさん、おにぎり、あったかい」


 ヒミコは、室外機の排熱が当たる場所に置いていたコンビニ袋を取り出した。

 温風によって、ツナマヨおにぎりが絶妙に温まっている。

 彼女はそれを丁寧に取り出すと、一口、幸せそうに頬張った。


「……うん、おいしい」


 この瞬間、ヒミコの周囲には、情報の嵐もデジタルな中傷も届かない、絶対的な静寂があった。

 彼女を救い出した「父」が願った通り、彼女はただ、一人の少女として、その瞬間の幸福を味わっていた。


 しかし、現実は彼女を放っておかない。

 ハヤトの生配信が終わる頃、路地裏の入り口には、すでに異変に気づいた野次馬が集まり始めていた。

 スマホを構えた人々、興奮した若者、そして、その集団の中に紛れ込んだ、不自然なほどに無表情なスーツ姿の男たち。


「CGだ」「演出だ」という議論は、もはや「彼女をどう扱うか」という争奪戦へと変質しつつあった。


 ヒミコは三個目のおにぎりに手を伸ばしながら、ふと視線を上げた。

 夜の空には、あの夜と同じ月が、冷たく、白く輝いている。

 彼女の銀色の瞳には、これから押し寄せるであろう、おにぎりの山よりも高く、険しい「行列」の影が、はっきりと映し出されていた。



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何卒、よろしくお願いいたします!

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