表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/60

第30話 法律の壁

挿絵(By みてみん)


 港区、聖女の洋館。

 朝の静寂は、重厚なエンジン音によって破られた。

 黒塗りの公用車が五台、洋館の門を完全に封鎖するように停車する。

 降りてきたのは、ダークスーツに身を包んだ男たち。その胸元には、厚生労働省のバッジが光っている。


 先頭に立つのは、銀縁眼鏡をかけた冷徹な男――真下ました

 若くして本省の課長補佐に上り詰めたエリート官僚だ。彼は一枚の令状を掲げ、有無を言わさぬ足取りで敷地内へと踏み込んだ。


「厚生労働省医政局だ。……責任者を出したまえ」


 玄関が開く。

 現れたのは、寝癖のついた頭をボリボリとかきながら出てきた源田壮一郎だった。


「……朝っぱらからうるさいな。セールスならお断りだぞ」


「とぼけるな。……無許可での医療行為、及び不当な金銭の授受。これらは明白な医師法違反だ」


 真下の眼鏡が冷たく光る。


「本日を以て当施設の封鎖、および重要参考人としてナンバー135……失礼、ヒミコ氏の身柄を拘束する」


 法律という名の絶対的な剣。

 普通の人間なら震え上がる宣告だ。

 だが、源田はあくびを噛み殺し、懐から一枚の書類を取り出した。


「……医師法? 何の話だ」


「証拠は上がっている。不特定多数の病人を治療し、対価を得ているだろう」


「おっと、勘違いしないでいただきたい。ここは病院でもクリニックでもない」


 源田が突きつけた書類。

 そこには、東京都知事の印が押された認可証があった。


『宗教法人 聖女教せいじょきょう


「……は?」


「ここは宗教施設だ。彼女が行っているのは医療行為ではない。加持祈祷、あるいは魂の浄化……宗教儀式だよ」


 真下が絶句する。

 源田はニヤリと笑い、畳み掛けるように続けた。


「一万円? あれは治療費ではない。信者からの自発的な『お布施』だ。……真下さんと言ったか。あんた、憲法第20条を知ってるな?」


「……信教の自由、だが……」


「そうだ。厚労省が、宗教団体の儀式に口を出し、お布施の額を規制するのか? それは重大な憲法違反だぞ。……宗教儀式に医師免許が必要だなんて、どこの国の法律だ?」


「そ、それは詭弁だ! 実態は医療行為そのものではないか!」


 真下が声を荒げる。

 だが、源田は鼻で笑った。


「実態? それを証明するには、『神の不在』や『奇跡の非科学性』を完全に証明してもらわないとな。……できるか? あんた等の科学で」


          ◇


 洋館の縁側。

 その攻防を、レイナがサングラス越しに眺めていた。


「うわぁ……エリート様たちの脳みそ、ショートしかけてる」


 『心眼』、オン。

 官僚たちの心の色は、規則と秩序を象徴する無機質な「灰色」だった。

 だが、源田が繰り出した「憲法と宗教」という予想外の盾に衝突し、その色は今、焦燥と混乱の「どす黒い赤」へと変色しつつある。


「法律の専門家ほど、法律の矛盾を突かれると弱いのよね」


 そして、もう一つのプレッシャー。

 レイナの隣で、剣崎蒼司が黙々と日本刀の手入れをしていた。


 シュッ、シュッ……。


 砥石が刃を滑る、涼やかな音。

 剣崎は一言も発しない。殺気も出していない。

 ただ、「そこに座っている」というだけで、官僚たちは物理的な強行手段(強制捜査)に出ることができないのだ。

 最強の門番による、無言の圧力。


「くっ……! だが、医療器具もなく人体に触れ、病を治すなど……!」


 真下が反論しようとした、その時だった。


「うっ……あ、あ……ッ!」


 真下の後ろに控えていた若い部下が、突然胸を押さえて崩れ落ちた。

 極度の緊張と、連日の激務、そしてこの猛暑。

 身体が悲鳴を上げ、痙攣を起こしている。


「おい! どうした! 救急車だ! 誰か!」


 真下が叫ぶ。

 だが、ここは港区のど真ん中とはいえ、救急車の到着には時間がかかる。

 部下の顔色は土気色になり、呼吸が浅くなっていく。


 そこに、ペタペタと裸足の音が近づいてきた。


「……どいて」


 ヒミコだ。

 アリスから貰ったおにぎりのキーホルダーを揺らしながら、真下の横をすり抜ける。


「き、君は……! 触るな! 無資格者が!」


「……うるさい。この人、中身が真っ黒。お掃除しないと、壊れる」


 制止する真下の手など意に介さず、ヒミコは部下の額に手を当てた。


「――『治癒ヒール』」


 眩いばかりの白銀の光が、洋館の庭を包み込んだ。

 真下は、あまりの光量に目を覆う。


「な……んだ、これは……!?」


 光が収まると、そこには信じられない光景があった。

 先ほどまで死にかけていた部下が、何事もなかったかのようにすっくと立ち上がっていたのだ。

 顔色は薔薇色。瞳には生気が満ちている。


「……あ、あれ? 体が……軽い? いや、むしろ入省した時より元気だ……!」


「ば、馬鹿な……急性心不全の疑いがあったんだぞ……!?」


 真下が狼狽する。

 部下は、自分の両手を見つめ、恍惚とした表情でヒミコを拝んだ。


「……天国が見えました……ありがとうございます、教祖様……!」


「……ん。お掃除、完了」


 ヒミコは興味なさそうに立ち上がる。

 そこへ、源田がすかさず割って入った。


「おっと。お布施は一万円だ。……領収書は『厚生労働省』でいいか? それとも『寄付金』で切っておくか?」


          ◇


 十分後。

 黒塗りの車列は、逃げるように去っていった。

 「奇跡」という現実と、「宗教」という論理。その二つを前に、今の法律では手も足も出なかったのだ。


 去りゆく車の窓際で、真下は自らの震える手を見つめていた。

 あの光を見た瞬間、彼の心の奥底にこびりついていた「規則への盲信」という汚れが、わずかに剥がれ落ちた気がしたのだ。


(……私は、何を取り締まろうとしていたんだ……?)


 一方、洋館のリビング。

 ヒミコは、またいつものようにお腹を鳴らしていた。


「……ゲンさん。お掃除したから、お腹空いた」


「はいはい。今日はカツ丼でも取るか。……宗教法人の代表役員様」


「? よくわかんないけど、お肉ならいい」


 源田は、厚労省からせしめた一万円札を弾き、ニヤリと笑った。


「さて、次は『御朱印帳』でも作るか。一冊一万円でな」


「……また、ゲンさんの悪い顔」


 レイナが呆れ、剣崎が静かに茶を啜る。

 国家権力さえも煙に巻く、最強の「ヒール屋」……改め「聖女教」。

 その快進撃は、まだ始まったばかりだ。


少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたら、下の【★★★★★】と【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、執筆速度が爆上がりします。


何卒、よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ