第27話 聖女の帰還
羽田空港、国際線到着ロビー。
ゲートが開いた瞬間、世界が白く染まった。
バシャバシャバシャバシャッ!!
無数のフラッシュの嵐。
鼓膜を劈くような歓声と怒号。
「ヒミコ様ー! こっち向いてー!」
「セントラルパークでの映像は本物ですか!?」
「ハワード氏の娘さんを治癒したというのは事実ですか!」
「アメリカ軍を撃退したという噂について一言!」
到着ロビーを埋め尽くすのは、数千人のマスコミと、熱狂的なファンたち。
ニューヨークでの一件――特にセントラルパークでのネット配信は、太平洋を越えて日本でもトップニュースとなっていたのだ。
「……チッ。アメリカよりタチが悪いな」
源田壮一郎が舌打ちし、サングラスをかけ直す。
ヒミコは眩しそうに目を細め、胸元のチープなキーホルダーを握りしめた。アリスから貰った、おにぎりの形をした宝物だ。
「ゲンさん。……うるさい。帰りたい」
「ああ、同感だ。……剣崎」
「御意」
剣崎蒼司が、一歩前へ出る。
彼が刀の鯉口に親指をかけた瞬間、殺気が物理的な圧力となって周囲を弾いた。
一瞬の静寂。
「主殿、少々揺れるぞ」
剣崎の手が、ヒミコ、源田、レイナの肩に触れる。
空間が歪む。
『縮地』と転移術の応用。
記者たちが「あっ」と声を上げた時には、四人の姿はロビーから掻き消えていた。
◇
視界が反転し、次の瞬間には、見慣れた景色の中に立っていた。
港区の一等地。
超高層ビルの谷間にひっそりと佇む、古びた洋館の前だ。
「……ふぅ。やっぱり日本の空気は湿気てるな」
源田がネクタイを緩める。
ようやく帰ってきた。静かな我が家へ。
そう思ったのも束の間だった。
「……な、なんだこれは」
源田が絶句する。
静寂など、どこにもなかった。
洋館の周りを取り囲むように、数百メートルの長蛇の列が出来ていたのだ。
さらに、門の前には勝手に立てられた『聖女様降臨』『一万円で奇跡』という怪しげな幟。
そして極めつけは――。
「……ポスト、吐いてる」
ヒミコが指差す。
郵便受けが、物理的に限界を迎えていた。
入り切らなくなった福沢諭吉や渋沢栄一が、まるで嘔吐物のように投函口から溢れ出し、地面に散乱している。
札束の山、山、山。
さらにその横には、供え物として積み上げられたコンビニおにぎりのタワー。
「うわぁ……」
レイナがサングラスをずらし、顔をしかめる。
『心眼』、オン。
「色が……ドロドロの欲望もあれば、必死の祈りもあるし、単なる野次馬の灰色も混じってる。……目がチカチカするわ」
かつての「知る人ぞ知る隠れ家」は、完全に「聖地」と化していた。
「あ! 帰ってきたぞ! ヒミコ様だ!」
「本当に瞬間移動した!」
「並べ! 俺が先だ!」
群衆が四人の姿に気づき、どっと押し寄せてくる。
整理券もルールもない、混沌とした波。
ヒミコの眉間に、深い皺が刻まれる。
「……うるさい。お掃除、落ち着いてできない」
不機嫌オーラ全開の聖女。
このままでは、ヒミコが機嫌を損ねて「今日は営業終了」と言い出しかねない。
源田は瞬時に「経営者」の顔になり、懐から拡声器(なぜか持っていた)を取り出した。
「いいか、静かにしろ!!」
ビリビリと空気を震わす怒号。
群衆が足を止める。
「ここは動物園でも見世物小屋でもない! 治療院だ! ルールを守れぬ者は即刻立ち去れ!」
源田が、散らばった一万円札を踏みしめ、仁王立ちする。
「ルールその一、完全予約制だ! 今から整理券を配る!
ルールその二、治療費は一律一万円! 釣り銭はない!
ルールその三、騒ぐ奴、列を乱す奴は――」
源田が視線を横に流す。
剣崎が、チャキリと刀を鳴らし、殺気を放つ。
「そこにいる侍が、東京湾へ叩き込む。……いいな?」
シーン……。
数千人の群衆が、借りてきた猫のように静まり返った。
アメリカの精鋭部隊をも退けた「門番」の噂は、伊達ではない。
◇
一時間後。
剣崎とレイナの手際よい誘導により、洋館の前には整然とした列が出来上がっていた。
散らばっていた札束は回収され、供え物のおにぎりは近所の子供食堂へ寄付される手はずが整った。
洋館のリビング。
久しぶりの我が家の匂い。
ヒミコはソファに座り、源田が羽田のコンビニで辛うじて確保しておいた「和風ツナマヨおにぎり」のパッケージを開ける。
パリッ。
海苔の乾いた音。
一口かじる。
「……ん」
ヒミコの表情が、ふわりと緩んだ。
「……やっぱり、日本のこれ。おいしい」
「そうか。ニューヨークのベーグルも悪くなかったが、やはり米だな」
源田も缶コーヒーを開け、安堵の息をつく。
太平洋を往復し、大富豪の娘を救い、軍隊と戦った。
だが、結局戻ってくるのは、この場所と、この味だ。
ヒミコは胸元のキーホルダーを指先で弾き、小さく微笑んだ。
「……ゲンさん。お掃除、始める」
「ああ。客が待っている。稼ぐぞ」
日常が戻ってきた。
ただし、その日常は以前よりも少しだけ騒がしく、そして注目されるものになっていたが。
洋館から数百メートル離れた路地裏。
そこには、黒塗りのセダンが数台、無言で停車していた。
窓の隙間から、双眼鏡が洋館の様子を監視している。
世界を揺るがした「一万円の価値」を巡り、国家権力が静かに動き出そうとしていた。
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