表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/66

第24話 泥を被らぬ聖女

挿絵(By みてみん)


 マンハッタンの中心、五つ星ホテルの最上階スイートルーム。

 ハワードが用意したこの「黄金の檻」は、快適だが退屈だ。

 窓の外には自由の女神が見えるが、部屋の中はSPたちの厳重な警備で窒息しそうだった。


 ヒミコが、巨大な液晶テレビを指差す。


「……ゲンさん。あれ、食べたい」


 画面には、ニューヨーク名物のホットドッグが映し出されている。

 たっぷりのザワークラウトとマスタード。湯気が立つソーセージ。


「ルームサービスで頼もうか?」


「違う。……外で、あのお店で、食べたい」


 ヒミコの瞳は真剣だ。彼女にとって「食」は体験そのもの。

 源田は嘆息し、眼鏡の位置を直した。


「……やれやれ。たまには羽を伸ばすか。剣崎」


「御意」


 剣崎蒼司が、不敵に笑う。

 彼が刀の柄に手をかけた瞬間、部屋の空気が歪んだ。

 『縮地』の応用。視覚と認識の死角を突く、神速の移動術。

 SPたちが瞬きをする、そのコンマ数秒の間に、四人の姿は部屋から消失していた。


          ◇


 夜のニューヨーク。

 タイムズスクエアの喧騒を抜け、一行が足を踏み入れたのは、地下鉄の入り口だった。

 観光客が笑顔で写真を撮る地上とは違う。

 湿った空気。錆びた鉄の臭い。そして、どこからか漂う排泄物と腐敗臭。


「……うわ。キツい色」


 レイナが鼻を覆い、サングラス越しに周囲を見回す。

 『心眼』に映るのは、華やかな摩天楼の下に沈殿した「泥色の絶望」。

 明日の食事さえままならない人々が、影のようにうごめいている。


「ヒミコ、足元に気をつけろ。ネズミがいるぞ」


「……ねずみ、大きい。おいしそう?」


「やめとけ。腹を壊す」


 さらに奥へ。

 一般客が立ち入らない、メンテナンス用の通路を抜けた先。

 そこには、段ボールや古布で築かれた「村」があった。

 不法移民、ホームレス、社会から見放された人々が身を寄せ合う、地下のコロニー。


「……何だ、あんたたちは」


 警戒心を剥き出しにした男たちが、鉄パイプを手に立ち塞がる。

 その背後で、激しい咳き込み音が聞こえた。

 母親に抱かれた、幼い少女。

 高熱で顔を真っ赤にし、ヒューヒューと苦しげな呼吸を繰り返している。重度の肺炎だ。


 ヒミコは男たちを無視し、少女の方へ歩み寄る。


「……汚れ、いっぱい。お掃除、必要」


「近づくな! 警察か!?」


「静かに」


 剣崎が柄に手を添え、殺気だけで男たちを制する。

 源田が進み出て、英語で告げた。


「我々は医者ではないが、治療屋だ。……その子を助けたいなら、対価を払え」


「金……? 俺たちがそんなもの、持ってるように見えるか!」


「ルールは絶対だ。日本円で一万円。……なければ、相応のドルでも構わん」


 男たちは顔を見合わせた。

 病院に行けば、数千ドルの請求書が来る。保険証もない彼らには、門前払いされるのがオチだ。

 だが、目の前の東洋人たちは、たった数千円(数十ドル)で治すと言う。


「……待ってくれ」


 母親が、ポケットの中身をぶちまけた。

 クシャクシャになった1ドル札。小銭。誰かが恵んでくれたであろう、汚れた紙幣。

 周りの住人たちも、無言で懐を探る。

 なけなしの小銭。

 今日生きるためのパン代。

 それらが、ヒミコの前に積み上げられていく。


 源田はそれを一瞥し、無表情に数え始めた。


「……足りないな」


 絶望が、母親の顔に広がる。

 だが、源田は体の向きを変え、自分の懐から一枚の紙幣を抜き取り――誰にも見えない早業で、小銭の山に混ぜ込んだ。


「……だが、今のレートなら、これでちょうどだ」


「え……?」


「商談成立だ。ヒミコ、やれ」


 源田はウィンクひとつせず、ヒミコに顎でしゃくった。

 ヒミコは汚れた小銭と紙幣の山を、両手で大事そうに掬い上げる。

 ハワードの小切手よりも、ずっと重い「一万円」。


「……ん。確かに受け取った」


 ヒミコが少女の胸に手をかざす。


「――『治癒ヒール』」


 地下の暗闇に、温かな光が満ちる。

 それは、地上のネオンよりも遥かに優しく、神々しい輝き。

 少女の荒い呼吸が、一瞬で穏やかな寝息へと変わる。


「……あ、ああ……神様……!」


 母親が泣き崩れ、ヒミコのドレスの裾にキスをする。

 周りの男たちも、帽子を取り、涙を流して感謝の言葉を叫んでいる。


「……すごい」


 レイナは、サングラスを外した。

 彼女の目には見えていた。

 地下の淀んだ空気を吹き飛ばすほどの、透き通った「白銀プラチナの色」。

 計算も、見栄も、打算もない。

 ただ純粋な、命の底からの感謝。


「……ハワードのおじさんの金色も綺麗だったけど。この銀色は、別格ね」


          ◇


 数十分後。

 地上に戻った一行は、タイムズスクエアの屋台の前にいた。

 ヒミコの両手には、念願のホットドッグ。


「……んぐ。パン、ふわふわ。ソーセージ、パリパリ」


 ケチャップを口の端につけ、幸せそうに頬張る。

 その背後、雑踏に紛れてこちらを監視する視線があった。


「……ゲンさん」


 レイナがホットドッグを齧りながら、小声で囁く。

 

「地下鉄の入り口と、向こうのビルの影。……色が全くない『機械』みたいな奴らがいるわ」


「ああ、気づいている」


 源田はナプキンでヒミコの口元を拭いながら、鋭い視線を巡らせた。

 地下での奇跡も、既に奴らの耳に入っているだろう。


「有名税にしては高すぎるが……ま、美味いホットドッグが食えたんだ。良しとしよう」


 ヒミコは、そんな大人たちの警戒など露知らず。

 最後のひと口を飲み込み、満足げに夜空を見上げた。


「アメリカ、おいしい。……次、なに食べる?」


 摩天楼の影で、聖女の胃袋だけが、誰よりも自由に輝いていた。


少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたら、下の【★★★★★】と【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、執筆速度が爆上がりします。


何卒、よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ