第24話 泥を被らぬ聖女
マンハッタンの中心、五つ星ホテルの最上階スイートルーム。
ハワードが用意したこの「黄金の檻」は、快適だが退屈だ。
窓の外には自由の女神が見えるが、部屋の中はSPたちの厳重な警備で窒息しそうだった。
ヒミコが、巨大な液晶テレビを指差す。
「……ゲンさん。あれ、食べたい」
画面には、ニューヨーク名物のホットドッグが映し出されている。
たっぷりのザワークラウトとマスタード。湯気が立つソーセージ。
「ルームサービスで頼もうか?」
「違う。……外で、あのお店で、食べたい」
ヒミコの瞳は真剣だ。彼女にとって「食」は体験そのもの。
源田は嘆息し、眼鏡の位置を直した。
「……やれやれ。たまには羽を伸ばすか。剣崎」
「御意」
剣崎蒼司が、不敵に笑う。
彼が刀の柄に手をかけた瞬間、部屋の空気が歪んだ。
『縮地』の応用。視覚と認識の死角を突く、神速の移動術。
SPたちが瞬きをする、そのコンマ数秒の間に、四人の姿は部屋から消失していた。
◇
夜のニューヨーク。
タイムズスクエアの喧騒を抜け、一行が足を踏み入れたのは、地下鉄の入り口だった。
観光客が笑顔で写真を撮る地上とは違う。
湿った空気。錆びた鉄の臭い。そして、どこからか漂う排泄物と腐敗臭。
「……うわ。キツい色」
レイナが鼻を覆い、サングラス越しに周囲を見回す。
『心眼』に映るのは、華やかな摩天楼の下に沈殿した「泥色の絶望」。
明日の食事さえままならない人々が、影のようにうごめいている。
「ヒミコ、足元に気をつけろ。ネズミがいるぞ」
「……ねずみ、大きい。おいしそう?」
「やめとけ。腹を壊す」
さらに奥へ。
一般客が立ち入らない、メンテナンス用の通路を抜けた先。
そこには、段ボールや古布で築かれた「村」があった。
不法移民、ホームレス、社会から見放された人々が身を寄せ合う、地下のコロニー。
「……何だ、あんたたちは」
警戒心を剥き出しにした男たちが、鉄パイプを手に立ち塞がる。
その背後で、激しい咳き込み音が聞こえた。
母親に抱かれた、幼い少女。
高熱で顔を真っ赤にし、ヒューヒューと苦しげな呼吸を繰り返している。重度の肺炎だ。
ヒミコは男たちを無視し、少女の方へ歩み寄る。
「……汚れ、いっぱい。お掃除、必要」
「近づくな! 警察か!?」
「静かに」
剣崎が柄に手を添え、殺気だけで男たちを制する。
源田が進み出て、英語で告げた。
「我々は医者ではないが、治療屋だ。……その子を助けたいなら、対価を払え」
「金……? 俺たちがそんなもの、持ってるように見えるか!」
「ルールは絶対だ。日本円で一万円。……なければ、相応のドルでも構わん」
男たちは顔を見合わせた。
病院に行けば、数千ドルの請求書が来る。保険証もない彼らには、門前払いされるのがオチだ。
だが、目の前の東洋人たちは、たった数千円(数十ドル)で治すと言う。
「……待ってくれ」
母親が、ポケットの中身をぶちまけた。
クシャクシャになった1ドル札。小銭。誰かが恵んでくれたであろう、汚れた紙幣。
周りの住人たちも、無言で懐を探る。
なけなしの小銭。
今日生きるためのパン代。
それらが、ヒミコの前に積み上げられていく。
源田はそれを一瞥し、無表情に数え始めた。
「……足りないな」
絶望が、母親の顔に広がる。
だが、源田は体の向きを変え、自分の懐から一枚の紙幣を抜き取り――誰にも見えない早業で、小銭の山に混ぜ込んだ。
「……だが、今のレートなら、これでちょうどだ」
「え……?」
「商談成立だ。ヒミコ、やれ」
源田はウィンクひとつせず、ヒミコに顎でしゃくった。
ヒミコは汚れた小銭と紙幣の山を、両手で大事そうに掬い上げる。
ハワードの小切手よりも、ずっと重い「一万円」。
「……ん。確かに受け取った」
ヒミコが少女の胸に手をかざす。
「――『治癒』」
地下の暗闇に、温かな光が満ちる。
それは、地上のネオンよりも遥かに優しく、神々しい輝き。
少女の荒い呼吸が、一瞬で穏やかな寝息へと変わる。
「……あ、ああ……神様……!」
母親が泣き崩れ、ヒミコのドレスの裾にキスをする。
周りの男たちも、帽子を取り、涙を流して感謝の言葉を叫んでいる。
「……すごい」
レイナは、サングラスを外した。
彼女の目には見えていた。
地下の淀んだ空気を吹き飛ばすほどの、透き通った「白銀の色」。
計算も、見栄も、打算もない。
ただ純粋な、命の底からの感謝。
「……ハワードのおじさんの金色も綺麗だったけど。この銀色は、別格ね」
◇
数十分後。
地上に戻った一行は、タイムズスクエアの屋台の前にいた。
ヒミコの両手には、念願のホットドッグ。
「……んぐ。パン、ふわふわ。ソーセージ、パリパリ」
ケチャップを口の端につけ、幸せそうに頬張る。
その背後、雑踏に紛れてこちらを監視する視線があった。
「……ゲンさん」
レイナがホットドッグを齧りながら、小声で囁く。
「地下鉄の入り口と、向こうのビルの影。……色が全くない『機械』みたいな奴らがいるわ」
「ああ、気づいている」
源田はナプキンでヒミコの口元を拭いながら、鋭い視線を巡らせた。
地下での奇跡も、既に奴らの耳に入っているだろう。
「有名税にしては高すぎるが……ま、美味いホットドッグが食えたんだ。良しとしよう」
ヒミコは、そんな大人たちの警戒など露知らず。
最後のひと口を飲み込み、満足げに夜空を見上げた。
「アメリカ、おいしい。……次、なに食べる?」
摩天楼の影で、聖女の胃袋だけが、誰よりも自由に輝いていた。
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたら、下の【★★★★★】と【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、執筆速度が爆上がりします。
何卒、よろしくお願いいたします!




