第22話 聖女の天秤
マンハッタンが、熱に浮かされている。
『ハワード記念医療センター』を取り囲むのは、数千、いや数万の群衆。
上空を埋め尽くす報道ヘリの爆音。
地上を埋め尽くす人々の叫び。
ニューヨーク市警が非常線を張るも、押し寄せる「希望」という名の波を止められない。
全米のネットワークが、臨時ニュースで中継を繋ぐ。
画面の向こう、キャスターが興奮気味にまくし立てる。
『信じられません! この光景を見てください! 彼女は保険証書も、社会保障番号も求めません! ただ一枚の、東洋の紙幣だけを要求しているのです!』
SNSのトレンドは、一色に染まる。
#10000YenMiracle(一万円の奇跡)
それは、超高額な医療費に喘ぐアメリカ国民にとって、福音であり――革命の狼煙でもあった。
◇
病院の広大なロビー。
大理石の床に、臨時の受付デスクが鎮座する。
その奥、豪奢な椅子に座る純白のドレスの少女、ヒミコ。
傍らには、抜き身の魔剣を構えた剣崎蒼司。
そして、鋭い視線で周囲を監視する、巫女姿のレイナ。
異様な光景。しかし、そこには神聖な静寂がある。
「次の方」
源田壮一郎が、流暢な英語で告げる。
進み出たのは、ウォール街で名を馳せる銀行家。仕立ての良いスーツを着ているが、その顔色は土気色。末期の肝硬変だ。
彼は震える手で、プラチナカードと小切手帳を差し出す。
「いくらでも払う! 100万ドルでも、1000万ドルでも!」
「結構です。ルールはご存知のはず」
源田は冷徹に首を横に振る。
「日本円で一万円札。それ以外は受け取りません」
「な、なんだと!? 私の資産が紙切れ以下だと言うのか!」
「ええ。ここでは、あなたの資産など無価値です」
銀行家は絶句し、慌ててSPに怒鳴り散らす。
数分後、彼は両替屋から走って戻ってきた部下から一枚の紙幣をひったくり、ヒミコの前へ。
「頼む……!」
ヒミコは無表情にそれを受け取り、ポケットへ。
そして、男の腹部に手をかざす。
「……お掃除」
閃光。
数秒後、男の顔に赤みが戻る。
彼は自分の腹をさすり、信じられないという顔で涙を流し、その場に平伏した。
「次の方」
源田の声。
次に進み出たのは、ボロボロのパーカーを着た黒人女性。腕には、呼吸器をつけた痩せ細った少年を抱いている。
彼女は震える手で、くしゃくしゃになった紙幣を差し出した。
家財を売り払い、必死の思いで手に入れたであろう、渋沢栄一。
「プリーズ……マイ・サン……」
ヒミコは、先ほどの銀行家と同じ手つきで、それを受け取る。
表情一つ変えない。
慈悲も、軽蔑もない。ただの「仕事」として。
「……ん。大丈夫」
ヒミコの手が、少年の胸に触れる。
温かな光。
少年が、大きく息を吸い込む。
呼吸器が外される。
やがて、少年は自分の足で床に立ち、母を見上げて笑った。
「マム……苦しくないよ」
ワァァァァァッ……!
ロビーを、いや、全米を揺るがす大歓声。
富豪も、貧者も、等しく一万円。
命の値段に差はないと、彼女の行いが雄弁に語る。
「おい、俺を先に通せ!」
その時、興奮した暴漢が列を無視して突っ込んでくる。
ナイフをちらつかせ、ヒミコに迫る男。
TVカメラが捉えるその刹那。
「……無礼者」
剣崎の姿が、揺らぐ。
次の瞬間、暴漢の姿はロビーから消滅していた。
カメラが慌ててパンすると、ガラス張りの外、数百メートル先の噴水の中に、男が盛大に水飛沫を上げて落下している。
『オーマイガー! 見ましたか!? あのサムライ、瞬間移動しましたよ!』
実況アナウンサーの絶叫。
さらに、嘘泣きをして同情を引こうとした詐欺師の前に、レイナが立ちはだかる。
「あんた、嘘つきね。心の色が泥色よ。……帰りなさい」
レイナが一瞥しただけで、男は真っ青になり逃走。
アベンジャーズか、魔法使いか。
お茶の間は、この最強のチームに釘付けとなる。
◇
ホワイトハウス、大統領執務室。
重苦しい沈黙の中、大統領と補佐官たちがモニターを見つめている。
そこには、淡々と奇跡を安売りする少女の姿。
「……彼女一人で、我が国の医療保険制度が崩壊しかねんぞ」
「それだけではありません、大統領。あの『修復能力』……兵士に使えば、不死の軍隊が作れます」
畏怖と、欲望。
世界最強の国家中枢が、たった一人の少女に戦慄している。
◇
数時間後。
数百人の治療を終え、ようやく中継カメラのライトが消える。
「……ふぅ。疲れた」
ヒミコが椅子の上でぐったりと伸びをする。
その足元には、無造作に放り込まれた一万円札の山、山、山。
「ゲンさん」
「ん? どうした、ヒミコ」
源田が汗を拭いながら振り返る。
ヒミコは、札束の山を指差して尋ねた。
「これ……ハンバーガー、一万個買える?」
「……はは、そんなには食えんよ。だが、いくらなら一生分だ」
源田は苦笑し、ヒミコの頭を撫でる。
世界を熱狂させ、国家を揺るがした少女の頭の中は、今夜のディナーのことでいっぱいだ。
「よし、行こうか。ハワード氏が、最高級のステーキハウスを予約している」
「肉……! 行く」
ヒミコが立ち上がる。
その瞳に、政治的な思惑や、社会的な影響への関心は微塵もない。
ただ、美味しいものを食べて、お腹いっぱいになりたい。
そんな純粋な欲望だけが、この狂乱のアメリカで、唯一変わらない真実として輝いていた。
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