第15話 神の鉄
「……申し訳ない。また、やってしまった」
翌朝。
剣崎蒼司は、無惨に砕け散ったモップの柄を前に、深々と頭を下げていた。
昨夜の戦闘で、彼は敵を圧倒した。だが、その代償として、武器にしたモップは彼の「瞬間移動」による急激な加速(G)と衝撃に耐えきれず、繊維の一本に至るまで粉砕されていた。
「これでは、戦うたびに掃除道具を買い直さねばならん」
「問題はそこじゃねぇよ」
源田は呆れながら、コーヒーを啜った。
「お前の『縮地』は、空間を跳躍する。移動した瞬間、物体には凄まじい負荷がかかるんだ。ホームセンターのモップはもちろん、そこらの安物の刀でも、抜いた瞬間に折れるぞ」
「……むぅ。素手で戦うしかないか」
「アホか。相手が銃火器を持っていたらどうする。リーチが足りん」
源田はタブレットを操作し、ある住所を表示させた。
「俺のツテを頼る。……奥多摩だ。そこに、日本で一番頑固な『鉄打ち』がいる」
◇
都心から車で二時間。
緑深い奥多摩の山奥に、その古びた工房はあった。
看板には『鉄仙』の文字。
かつて人間国宝に認定されながら、俗世を嫌って山に篭った伝説の刀匠だ。
「……帰ってくれ。客は取らん」
工房の奥、布団に横たわったまま、老人が掠れた声で言った。
鉄仙だ。
だが、その姿にかつての覇気はない。痩せこけ、顔色は土気色で、呼吸をするたびにヒューヒューという異音が混じる。
「おいおい、爺さん。生きてるか?」
「源田、か……。見ての通りだ。もう金槌は握れん」
鉄仙は苦しげに咳き込んだ。
咳と共に、黒っぽい痰が吐き出される。
「塵肺だ。……何十年も、鉄粉と煤を吸い続けてきた報いだな。ワシの肺はもう、鉄の粉で埋まってコンクリートみたいになっとる。……火を吹くことも、鉄を打つことも、二度とできん」
刀匠としての死。
それは、肉体の死よりも残酷な宣告だった。
「……汚い」
不意に、ヒミコが呟いた。
彼女は鉄仙の枕元に立つと、じっとその胸元を見つめた。
「肺の中、ゴミがいっぱい。……空気が通れない」
「なんだ、この嬢ちゃんは……。子供に見せるもんじゃねぇ、あっちへ……」
「一万円」
ヒミコは源田に手を差し出す。源田は慣れた手つきで財布から万札を一枚渡し、ヒミコはそれをポケットにねじ込んだ。
「お掃除する」
ヒミコの小さな手が、鉄仙の胸に触れる。
「――『浄化』『治癒』」
瞬間、淡い光が老人の胸部を包み込んだ。
魔法は、肺の奥深く、肺胞の一つ一つに癒着していた微細な鉄粉、煤、タールを「異物」として認識。
分子レベルで分解し、体外へと排出不可能な汚れを完全消滅させた。
「がはッ、ごほッ! ……う、おおぉぉ!?」
鉄仙が激しく咳き込み、そして大きく息を吸い込んだ。
空気が入る。
何年も味わっていなかった、山の澄んだ酸素が、肺の隅々まで染み渡る。
「……息ができる。苦しくない! ワシの肺が、新品になっとる!」
鉄仙は布団を跳ね除け、立ち上がった。
その目には、再び職人の火が宿っていた。
「……化け物か、神様か知らんが。とんでもねぇことをしやがる」
「借りは返してもらうぞ、爺さん。こいつに、一振り打ってやってくれ」
源田が剣崎を前に出した。
鉄仙は剣崎の体躯と、その両腕を見回し、鼻を鳴らした。
「……いい腕だ。だが、普通じゃねぇ。こいつの踏み込みに耐えられる鉄なんざ、地球上にはねぇぞ」
「だから、持ってきた」
源田が車のトランクから取り出したのは、黒くゴツゴツした岩塊だった。
鉄仙の目が大きく見開かれる。
「隕鉄……! ワシが若い頃に入手して、扱いきれずに手放した『星の鉄』か!」
「ああ。これを買い戻してきた。これなら耐えられるか?」
鉄仙は隕鉄を撫で回し、しかし首を振った。
「無理だ。硬度は十分だが、不純物が多すぎる。宇宙の塵が混ざりすぎて、打てば割れる。今の技術じゃ、これを純粋な鉄にするのは不可能だ」
希望が見えた直後の絶望。
だが、ヒミコはつまらなそうに欠伸をした。
「……不純物、いらない」
ヒミコが隕鉄に手をかざす。
「鉄と、炭素だけ。あと、並び方を綺麗に」
再びの閃光。
『浄化』の魔法が、隕鉄の構成要素を書き換える。
硫黄、リン、ケイ素……鉄の強度を落とす余計な成分が、原子レベルで消滅していく。
残ったのは、最適なバランスの炭素と、純粋な鉄のみ。
黒かった岩塊が、見る見るうちに銀色の輝きを放ち始めた。
それは、現代の製鉄技術でも到達不可能な、理論値100%の「奇跡の玉鋼」だった。
「な、ななな……!?」
鉄仙が腰を抜かした。
震える手で、その金属に触れる。
「冷たいのに、熱い……! こんな鉄が、この世にあるのか! これなら……神の剣だって打てるぞ!」
鉄仙は叫び、作業着を引っ掴んだ。
「炉に火を入れろ! 鞴を回せ! ワシの最高傑作を打つぞ!」
◇
三日三晩。
山奥の工房に、槌の音が響き続けた。
そして、四日目の朝。
剣崎の手には、一振りの刀が握られていた。
鞘から抜かれた刃は、鏡のように澄み渡り、陽の光を受けて白く輝いている。
『浄化』された隕鉄で作られた、不純物ゼロの白き魔剣。
「……美しい」
剣崎が息を呑む。
重さを感じないほど手に馴染む。まるで、失われた腕の一部が延長されたかのような一体感。
「試してみろ」
鉄仙が、煤だらけの顔でニカッと笑った。
剣崎は頷き、工房の裏手にある巨大な岩に向き直った。
意識を集中する。
魔力が回路を駆け巡り、刀身へと流れる。
普通の刀なら、この時点で魔力の熱に耐えきれず融解する。だが、この白い刃は、魔力を貪欲に吸い込み、青白く発光した。
「――シッ」
パシュッ。
音がした時には、剣崎は岩の背後に立っていた。
納刀の音が響く。
数秒後。
巨大な岩が、音もなく斜めにズレ落ちた。
切断面は、鏡のように滑らかだった。
「……凄まじい」
剣崎は刀を見つめた。刃こぼれ一つない。
これなら、自身の全力の「縮地」にも耐えられる。
「主殿」
剣崎はヒミコの方を向き、刀を掲げた。
「この『牙』、確かに拝領した。これより我が剣技は、全て貴女のために」
「ん。……あ、おにぎり食べる?」
ヒミコは興味なさそうに、コンビニのおにぎりを差し出した。
剣崎は苦笑し、それを受け取る。
最強の回復役。
最強の参謀。
そして、最強の剣を手に入れた用心棒。
役者は揃った。
源田は、頼もしい仲間たちを見つめ、不敵に笑った。
「さて、東京に戻るか。……」
ヒミコ治療院の戦力は、もはや一個の軍隊にも匹敵する。
山を降りる車の中で、ヒミコは「次は、いくらのおにぎりがいい」と、平和な寝言を呟いていた。
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じていただけたら、下の【★★★★★】と【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、執筆速度が爆上がりします。
何卒、よろしくお願いいたします!




