第14話 ゴミ出しの作法
港区の深夜。
高級住宅街の静寂は、時として死の気配に似る。
『ヒミコ治療院』の広大な庭に、数名の影が滑り込んだ。
真っ黒なタクティカルスーツに、最新鋭の暗視ゴーグル。
手には消音器付きのサブマシンガン。
足音は一切ない。呼吸音すら制御されている。
彼らは「プロ」だった。
国籍も所属も不明。誰が雇ったのか、何が目的なのか。彼ら自身も深くは知らされていない。
ただ、「この館の住人を確保、抵抗するなら排除せよ」という命令だけが、絶対のコードとしてインプットされている。
リーダー格の男が、ハンドサインを送る。
――突入。
リビングの窓ガラスを、特殊なカッターで音もなく切り抜く。
数名が滑るように屋内に侵入した。
広々としたリビングは、暗闇に沈んでいる。
障害物なし。ターゲットの気配なし。
リーダーがクリアの合図を送ろうとした、その時だ。
「……土足厳禁だ」
暗闇から、低い声が響いた。
侵入者たちが一斉に銃口を向ける。
暗視ゴーグルの緑色の視界に映ったのは、寝巻きの上に羽織をかけただけの大柄な男。
手には武器……ではなく、掃除用のモップが握られている。
剣崎蒼司だった。
彼は侵入者たちを見ても眉一つ動かさず、静かに告げた。
「主殿の眠りを妨げる不届き者。……この場所には、大掛かりな掃除が必要なようだ」
リーダーが引き金を引いた。
躊躇も警告もない。プロの仕事だ。
パシュッ、という乾いた発砲音。
銃弾は正確に剣崎の眉間を捉え――
――空を切った。
「な……?」
リーダーが息を呑む間もなかった。
目の前にいたはずの男が、次の瞬間には視界から消滅していたのだ。
高速移動ではない。残像すらない。
ただ、そこに「いなくなった」。
「後ろだ」
耳元で囁かれた。
リーダーが振り返ろうとした瞬間、強烈な衝撃が後頭部を襲った。
モップの柄による、正確無比な一撃。
リーダーは声もなく崩れ落ちた。
「敵襲! 敵襲!」
「どこだ!? 奴はどこに……」
残りの隊員たちがパニックに陥り、闇雲に銃口を振る。
だが、誰も剣崎を捉えられない。
パシュッ。
空気が弾ける音と共に、剣崎は部屋の反対側に出現する。
一人目の顎をモップでカチ上げ、意識を刈り取る。
パシュッ。
次は天井付近。落下しながら二人目の肩を砕く。
パシュッ。
三人目の懐。至近距離からのモップの突きが、ボディアーマーの上から鳩尾を貫く。
「ば、化け物か……!」
最後の隊員が、恐怖に引き攣った顔でマシンガンを乱射する。
だが、剣崎は避ける素振りさえ見せない。
弾丸が届く寸前、彼の姿はまたしても「消失」し――
隊員の目の前、ゼロ距離に出現していた。
「ここには、貴様らの知る物理法則はない」
剣崎がモップを振るう。
それは掃除道具などではなく、神速の剣だった。
ドガッ、という鈍い音が響き、最後の侵入者が吹き飛んで壁に激突する。
静寂が戻った。
戦闘開始から、わずか数十秒。
最新装備で武装したプロの部隊は、モップを持った一人の用心棒によって、文字通り「掃除」された。
◇
「……何事だ!」
遅れて、パジャマ姿の源田がスタンガンを手に飛び込んできた。
だが、彼が見たのは、床に転がる黒ずくめの男たちの山と、その横で静かにモップの埃を払っている剣崎の姿だった。
「け、剣崎……これは……」
「不法投棄されたゴミがあったので、まとめておきました」
剣崎は平然と答える。
源田は転がっている男の一人のマスクを剥いだ。
欧米系の顔立ち。だが、身分証も認識票もない。装備にも製造元の刻印が削り取られている。
「……プロだな。それも、かなり手際のいい」
源田は舌打ちをした。
誰の差し金か。ヒミコの研究機関か、それとも治療院を妬む同業者か、あるいは政治的な勢力か。
これほど徹底して痕跡を消している以上、背後にいるのは巨大な組織だ。
「……おい、誰に雇われた」
源田は意識を取り戻しかけた一人を締め上げるが、男はガタガタと震え、「し、知らない……何も聞かされていない……」と繰り返すばかりだった。
「捨て駒か。……厄介だな」
その時。
階段の方から、ペタペタという足音が聞こえてきた。
「……んぅ……うるさい」
ヒミコだった。
枕を抱え、目をこすりながら降りてくる。
寝ぼけ眼の彼女は、リビングの惨状――黒ずくめの男たちの死屍累々――を見ても、全く動揺しなかった。
「ゲンさん。……明日は、ゴミ出しの日?」
あまりに日常的すぎる問いかけに、源田と剣崎は顔を見合わせた。
「……ああ、そうだな。ちょっとデカい『燃えないゴミ』が出ちまった」
「そう。……分別、ちゃんとしてね」
ヒミコは興味なさそうにそう言うと、大きなあくびをして、再び二階へと戻っていった。
剣崎は、ヒミコの背中に向かって深々と頭を下げた。
「失礼しました、主殿。……次は、もっと静かに片付けます」
源田は頭を抱えた。
最強の聖女に、最強の用心棒。
戦力的には申し分ないが、この「ゴミ出し」の後始末をするのは、法と裏社会を知り尽くした自分の役目だ。
「……さて、どう処理するか。警視庁の知り合いに貸しを作るか、それとも……」
平和なはずの高級住宅街。
だが、ヒミコ治療院の周りには、確実に不穏な闇が渦巻き始めていた。
そして、その闇の奥底からこちらを覗く「誰か」の視線は、まだ消えてはいなかった。
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