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第13話 見えない一歩

挿絵(By みてみん)


 港区の白亜の洋館に、新しい朝が訪れた。

 『ヒミコ治療院』のスタッフとなった元・剣聖、剣崎蒼司けんざき・そうじは、再生したばかりの両腕を眺め、深く息を吐いた。


 指が動く。感覚がある。

 二年間、幻肢痛ファントム・ペインとしてしか存在しなかった腕が、今ここにある。


「……働こう。恩を返すには、身体を動かすしかない」


 剣崎は生真面目な顔で頷くと、朝食の後片付けを手伝うべく、テーブルの上のコップに手を伸ばした。

 源田とヒミコが飲んだ、ガラスのコップだ。

 彼はそれを、そっと掴んだ――つもりだった。


 パリンッ!


 乾いた音がリビングに響く。

 剣崎の手の中で、コップが粉々に砕け散っていた。


「あ……す、すまない。久しぶりの腕で、力加減を誤ったか」


 剣崎は慌てて破片を拾おうとするが、指先が触れた破片が、さらに粉々に砕けていく。

 まるで万力で掴んでいるかのようだ。

 源田がコーヒーを吹き出しそうになりながら叫ぶ。


「おいおい剣崎! 怪我はないか!?」


「問題ない。……申し訳ない、すぐに床を拭く」


 剣崎は冷や汗を流しながら、キッチンから雑巾を持ってきた。

 水で濡らし、固く絞る。

 キュッ、と雑巾を捻った瞬間。


 バヂンッ!!


 雑巾が、爆発したように千切れ飛んだ。

 ただの布切れが、引きちぎられたのではない。繊維が圧力に耐えきれず、弾け飛んだのだ。


「な……」


 剣崎は愕然として、ボロボロになった布切れを見つめた。


「腕を直してもらっただけではないのか。これではまるで、重機を素手で扱っているようだ……」


 ただ力が強いというレベルではない。

 日常動作の一つ一つに、破壊的なエネルギーが乗ってしまっている。


「……バグじゃない」


 悠然と鮭おにぎりを頬張っていたヒミコが、口の周りに米粒をつけたままで言った。


「あなたの腕を直すとき、『魔力』の通り道も繋いだ。……あなた、今まで溜め込んでたエネルギー、全部腕に流してる」


「魔力、だと?」


「うん。あなたの剣道、ほとんど魔法に近い。だから体が勝手に魔力を作ってる。今までは腕がなかったから平気だったけど、道ができたから、蛇口全開になってる」


 ヒミコの説明に、源田が頭を抱えた。


「つまり、今の剣崎は常時フルパワー状態ってことか? 日常生活がままならんじゃないか」


「だから、設定変える。……剣崎、こっち来て」


 ヒミコが手招きをする。

 剣崎が恐る恐る近づくと、ヒミコは椅子の上に立ち上がり、剣崎の額に人差し指を当てた。


「頭の中の、力の使いドライバ。更新する」


「ど、ドライバ……?」


「――『治癒ヒール』」


 カッ、と指先が光る。

 瞬間、剣崎の脳内に、奔流のような情報が流れ込んだ。

 言葉ではない。感覚のインストールだ。

 体内を巡る熱い奔流――魔力――を感知し、それを制御し、必要な時だけ解放するための「身体操作術」。

 神経系が焼き切れるような熱さを感じた直後、波が引くように感覚がクリアになった。


「……ふぅ。終わった。これで微調整チューニング完了」


 ヒミコが椅子から飛び降りる。

 剣崎は自分の手を見つめた。先ほどまでの、溢れ出しそうな暴力的な衝動が消え、指先まで静寂に満ちている。


「凄い……。身体が、羽のように軽い」


「ん。じゃあ、歩いてみて」


「歩く? ああ、わかった」


 剣崎は頷き、リビングの端へ向かって一歩踏み出そうとした。

 意識したのは、ただの一歩。

 だが、書き換えられた彼の脳と身体は、その「移動」という意志に対し、最短かつ最速の解を出力した。


 パシュッ。


 空気が弾けるような、奇妙な音がした。

 源田が瞬きをした、その一瞬の隙間。


 ドォォォォン!!


 凄まじい衝撃音が響き、洋館が揺れた。


「な、なんだ!?」


「ぐはっ……!?」


 源田が目を剥くと、数メートル先にあったリビングの壁に、剣崎がめり込んでいた。

 文字通り、人間大の穴が壁に空き、剣崎がその中に埋まっている。


「け、剣崎ィィィ!?」


「な……何が、起きた……?」


 剣崎は瓦礫まみれになりながら、ふらりと壁から抜け出した。

 自分はただ、一歩踏み出しただけだ。

 なのに気づけば、数メートルの距離が「消失」し、目の前にあった壁に激突していた。


「……大成功」


 ヒミコだけが、無表情にパチパチと拍手をしている。


「それ、『縮地テレポート』。あなたの足、地面蹴るより先に、空間滑らせた」


「空間を……滑らせた?」


「うん。もう距離とか関係ない。……次は、ぶつからないように練習して」


 ヒミコは事もなげに言い放ち、お茶を啜った。


 剣崎は、埃を払いながら自分の身体を見下ろした。

 壁に全力で激突したのに、痛みどころか擦り傷一つない。

 己の肉体が、もはや常人の枠組みを超え、魔法ということわりで再構築されていることを自覚せざるを得なかった。


 剣崎は、静かにヒミコの前に歩み寄った。

 そして、床に片膝をつき、騎士のように頭を垂れた。

 かつて剣を失い、死に場所を探していた男。

 だが今は、人知を超えた力をその身に宿している。


主殿あるじどの


 剣崎の声は、腹の底から響くような重低音だった。


「……この腕、そしてこの不思議な力。全て貴女に捧げることを誓おう。貴女の歩む道、私が神速の剣とならん」


 その瞳に宿るのは、絶対的な忠誠。

 源田は、破壊された壁とコップの惨状を見てため息をつきつつも、頼もしい仲間の誕生に口元を緩めた。


「……やれやれ。古風な用心棒がついたもんだな。だが、壁の修理代は給料から引いとくぞ」


「む……善処する」


 最強の矛を手に入れたヒミコ治療院だった。

 

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