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第12話 剣聖の再起

挿絵(By みてみん)


 港区の高級住宅街に店を構えてから数日。

 『ヒミコ治療院』は、連日の盛況にも関わらず、奇妙なほど静謐な空気に包まれていた。

 源田が徹底した完全予約制を敷いたおかげで、初日のような狂乱は収まり、今は選ばれた患者だけが門をくぐることが許されている。


 その日の午後。

 インターホンが鳴り、モニターに見知った顔が映し出された。


「……一条か?」


 源田が解錠ボタンを押す。

 入ってきたのは、ヒミコが救った元陸上選手、一条陸だった。

 だが、いつもの人懐っこい笑顔はない。彼はまるで葬儀に参列する前のような、痛切な面持ちで立っていた。

 そして、その背後にはもう一人。

 大柄な男が、幽霊のようにふらりと立っていた。


「先生、ヒミコちゃん。……無理を言ってすいません。どうしても、この人だけは救ってほしくて」


 陸が深々と頭を下げる。

 源田は、陸の後ろにいる男を見て、息を呑んだ。


 年齢は二十代半ばだろうか。ボロボロのトレンチコートを羽織っているが、その体躯は岩のように逞しい。

 だが、異様だった。

 コートの両袖が、風に煽られてペラペラと揺れているのだ。

 中身がない。


「……まさか、剣崎蒼司けんざき そうじ選手か?」


 源田が思わず声を上げる。

 その名を聞き、男――剣崎が、虚無的な瞳を向けた。


「……今はただの浮浪者だ」


 剣崎蒼司。

 全日本剣道選手権を最年少で制覇し、「令和の剣聖」とまで呼ばれた天才剣士。

 しかし、二年前に骨肉腫を発症。命と引き換えに両腕を肩から切断し、剣の世界から姿を消したはずだった。


「陸、もういい。帰ろう」


 剣崎が掠れた声で言った。


「お前の足とは訳が違う。折れた骨が治るのと、失った部位が再生するのは、次元が違う話だ。……現代医学でも、魔法でも、ゼロはイチにはならない」


 そこにあるのは、深い絶望だった。

 希望を持つことすら恐れるような、完全なる諦念。


「違います! ヒミコちゃんは本物なんだ! 頼む剣崎さん、信じてくれよ!」


 陸が叫び、無理やり懐から財布を取り出す。

 震える手で二万円――予備を含めた金額――を掴み出し、源田の前のデスクに叩きつけた。


「金なら俺が払います! だから……!」


 その騒ぎの中、奥のソファで高級羊羹を齧っていたヒミコが、ようやく顔を上げた。

 トタトタと歩み寄り、剣崎の前に立つ。

 身長差は倍近くある。ヒミコは男を見上げ、そしてじっと目を細めた。


「……あなた、中身がすごい」


 ヒミコの言葉に、剣崎が怪訝そうに眉を寄せる。


「……何?」


「体の中、熱いのが流れてる。でも、出口がないから詰まってる。……このままだと、内側から焦げる」


 ヒミコの銀色の瞳には、見えていた。

 剣崎の体内を巡る、尋常ではないエネルギーの奔流が。

 それは彼が長年の鍛錬によって無意識に練り上げてきた「気」であり、この世界ではまだ誰も知らない「魔力」の原石だった。

 両腕という放出先を失ったエネルギーが、行き場をなくして体内で暴走しかけている。


「腕、ないの?」


 あまりに直球な問いに、剣崎が顔を歪める。


「……見ればわかるだろう。俺はもう、剣どころか、箸を持つことさえ……」


「不便そう。……ご飯、一人で食べられない」


 ヒミコにとって、それは由々しき問題だった。

 彼女は陸が出した二万円から、一万円札を一枚だけ抜き取った。


「一万円、受け取りました」


 ヒミコは躊躇なく、剣崎の空っぽの袖に手を伸ばした。

 肩のあたり。切断された箇所に、小さな掌を当てる。


「おい、待て……何を……」


「じっとしてて。骨の設計図、読み込むから」


 ヒミコの瞳が、神秘的な光を帯びる。

 彼女は剣崎の遺伝子情報から、「あるべき姿」を逆算し、世界に干渉する。


「――『治癒ヒール』」


 バヂィッ!


 空気が爆ぜる音がした。

 次の瞬間、診察室が目を開けていられないほどの白銀の光に満たされた。


「ぐ、ぁああああッ!?」


 剣崎が絶叫する。痛みではない。喪失したはずの場所から、猛烈な「熱」が生まれたからだ。

 光の粒子が渦を巻き、肩の断面から噴き出す。

 それは高速再生する映像を見ているようだった。

 白く輝く骨が形成され、赤い筋肉繊維が編み込まれ、神経が繋がり、血管が走り、最後に皮膚が覆う。

 上腕、肘、前腕、手首、そして五本の指。


 生命の創造という、神の御業。


 光が収束した時。

 そこには、トレンチコートの袖を内側から押し広げる、逞しい「両腕」があった。


「は……、ぁ……?」


 剣崎は、膝から崩れ落ちた。

 自分の目の前に、あるはずのない手がある。

 恐る恐る、動かそうと念じる。

 グッ、と拳が握りしめられる。


 幻ではない。義手でもない。

 血が通い、熱を持った、自分の腕だ。


「嘘だ……こんな、こと……」


 剣崎は震える手で自分の顔を覆い、男泣きに泣いた。

 失われた夢。諦めた未来。それらが、たった一万円で、暴力的なまでの現実となって戻ってきたのだ。


 陸もまた、「よかった……本当によかった……」と涙を流している。


 感動的な光景。

 だが、施術した本人は、興味なさそうに羊羹の続きに戻ろうとしていた。


「はい、終わり」


「ヒミコちゃん、ありがとう! 本当にありがとう!」


「ん。……あ、あと」


 ヒミコは振り返り、涙に濡れる剣崎に告げた。


「その腕、前より丈夫に作った。あと……『通り道』も繋げておいたから」


「通り道……?」


 剣崎が聞き返す。

 ヒミコは答えず、「次は栗が入ってるやつがいい」と源田にリクエストしている。


 剣崎は、自分の新しい右手をじっと見つめた。

 握りしめた拳の中に、青白い火花のような光が、チリリと走った気がした。

 それが、単なる再生ではなく、人を超えた領域への入り口だとは、まだ彼自身も気づいていなかった。


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