67/68
シーン4
ここで、作品冒頭から持続してきた静的コメディ構造は、正式に終了する。
誰も失敗していない。
判断ミスも、過失も、取り違えも記録されていない。
しかし同時に、成功も定義されない。
達成基準は設定されず、到達点も示されない。
評価が発生しない以上、結果という概念自体が成立しない。
誤解は生じなかった。
衝突も起きなかった。
修復や和解といった物語的処理は、最初から必要とされなかった。
そのため、笑いは自然に消える。
緊張が解けたからではない。
解消されるべき緊張が、もはや存在しないからである。
比較の軸が消失した。
優劣、進行、停滞、逸脱――
それらを測定する座標が、世界から撤去された。
コメディとは、本来、
ずれや差異が観測されることで成立する。
だがこの地点では、ずれを検出する観測者も、
差異を意味づける基準も存在しない。
結果として、
可笑しみは回収されず、放置され、
やがて音もなく失効する。
ここで終わるのは、物語ではない。
終わるのは、
物語として振る舞おうとする世界の姿勢である。
この瞬間以降、
出来事は起きても、
それを笑いへ変換する装置は、再起動しない。




