シーン5:観察と評価の欠如
王子の背中が人の流れに溶けていったあと、
私はしばらくその場に立っていた。
立ち止まる理由はなかったが、
歩き出す理由も、特に見当たらなかった。
周囲の音が戻る。
靴音、囁き声、衣擦れ。
回廊は何事もなかったかのように、
本来の雑然さを取り戻す。
私は自分の内側に注意を向ける。
高揚は起きていない。
胸の奥が軽くなることも、
視界が鮮明になることもない。
緊張もない。
言葉を誤った感覚も、
余韻に引きずられる気配もなかった。
思い返そうとすると、
細部がすでに曖昧だった。
声の抑揚、視線の高さ、
そうしたものが、記憶に留まらない。
重要だった出来事ほど、
人は正確に覚えているものだ。
覚えていないという事実は、
それ自体が評価になる。
ここで私は、
初めて明確な結論に至る。
好みではない。
その言葉には、
落胆も、諦めも含まれていない。
ましてや拒絶ではない。
良し悪しを測った結果でもなければ、
期待が裏切られたわけでもない。
ただ、嗜好の範囲から外れた。
それだけの整理だ。
人は皆、
無数の選択肢を前に、
いちいち理由を持たない。
選ばれなかったものは、
否定されたのではなく、
選択肢にならなかっただけだ。
私は歩き出す。
回廊の先に、
次の授業が待っている。
物語の中心人物と出会った直後だというのに、
私の一日は、
何事もなかったように続いていく。
それが、この結論の正確さだった。




