第6章:王子の停滞 シーン1:違和感の初期認識(失敗ではない)
王子の私的執務空間は、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。
机上に並ぶ書類は整然としており、決裁は滞りなく進んでいる。王子自身の所作にも乱れはない。筆を取る角度、返答の間、側近への指示。いずれも、王子として正しい水準を外れてはいなかった。周囲からの評価も安定している。称賛されるほど突出せず、非難される理由もない。王子は、今日も「問題のない一日」を過ごしていた。
それでも、ふとした瞬間に、彼の思考がわずかに停まる。
働きかけたはずの行為が、どこにも届いていない。
言葉は投げられた。配慮も示した。だが、その先にあるはずの反応が、返ってこない。
拒絶されたわけではない。
記録を辿っても、否定の言葉は存在しない。避けられた形跡もない。沈黙があったとしても、それは意図を伴う沈黙ではなく、ただの空白に近いものだった。
王子は、その違和感を感情に結びつけることができず、しばらく書類の余白を見つめる。
そして、静かに理解する。
――何かが、起きていない。
それは失敗ではなかった。誤った判断の結果でも、至らなさの証明でもない。
ただ、本来なら発生していたはずの出来事が、最初から起動しなかっただけだ。
王子はその結論を、疑問として深めることも、問題として扱うこともなく、再び筆を取る。
業務は続く。日常は崩れない。
起きなかった出来事だけが、説明されないまま、彼の内側に静かに残り続けていた。




