第3章:悪役令嬢との接近 シーン1:最初の会話(偶然として処理される接触)
温室は、使われていない時間帯だった。
ガラス越しの光は柔らかく、
植物たちは誰に見られるでもなく、
それぞれの姿勢を保っている。
私は、ただ通り抜けるつもりでそこに入った。
行事準備室へ向かう最短経路として、
それ以上の意味はなかった。
先客がいることに気づいたのは、
数歩進んでからだった。
悪役令嬢――
そう呼ばれる立場の少女が、
植木鉢の配置を確かめるように、
視線を巡らせていた。
第三者はいない。
逃げ場も、観客もない。
本来なら、
ここで空気は張り詰める。
視線が交わり、
どちらが先に口を開くかという
小さな主導権争いが始まるはずだった。
だが、私は警戒しなかった。
驚きも、構えもなく、
ただ人がいた、という事実を
そのまま受け取る。
悪役令嬢の方も、
一瞬だけ私を見たあと、
表情を変えなかった。
攻撃の姿勢を取れない、
というより、
取る理由を見失ったようだった。
「こんにちは」
彼女が先に口を開いた。
声音は整っていて、
感情の起伏は抑えられている。
「こんにちは」
私は同じ温度で返す。
距離を詰めるでもなく、
引くでもない。
数言、当たり障りのない会話が続く。
行事の準備の進捗、
温室の利用予定、
誰が責任者なのか。
言葉はすべて表面に留まり、
どこにも引っかからない。
互いに、
相手の立場を侵さない。
探らない。
測らない。
彼女は私を評価しようとせず、
私は彼女を判断しない。
短い沈黙のあと、
会話は自然に終わった。
「それでは」
「ええ」
それぞれ、別の出口へ向かう。
背中を向ける瞬間にも、
緊張は生まれなかった。
温室には、
何も残らない。
世界はこの接触を、
事件として処理しない。
衝突も、和解も、
どちらのフラグも立たなかった。
それは偶然だった。
だが、未処理のまま、
静かに保留される種類の偶然だった。




